はじめての……
知者の書塔を後にすると、俺は教皇庁の庁舎前で一人、空を見上げた。
月の明るい晩だった。柔らかい光が王都に降り注ぐ。王都は中心に大神樹を抱えるように、街が同心円状に広がっている。
王城や教皇庁に貴族たちが館を構える中央区画の夜は、外界の喧噪から切り離されたように静かなものだ。
王都の下町では、候補者の誰が次の王になるかで盛り上がっていることだろう。不敬な事だが、ラスベギガス辺りでは賭けの対象になっていてもおかしくはない。
教皇庁前の広場を抜けて、街路の並ぶ大通りを歩く。
さて、どうしたものか。
高度に魔法的な防御と警戒網が王城のみならず、この区画に張り巡らされている。いかにマーゴがバカであっても、ニーナやクラウディアに危害を加えるような真似はしないだろう。
無論、外部からの招かれざる客――魔族の侵入など許すはずもない。
魔法的な防御ももちろんだが、二十四時間体制で衛兵が交代しながら巡回し、要所を番兵が監視していた。
時折すれ違う衛兵の敬礼に会釈で返しつつ、それでも王都に残って一夜を明かすか、一度“最後の教会”に戻るかと考えを巡らせる。
ステラたちが……いや、ステラが心配だ。ニーナとは本当の姉妹ではないと知ってしまった彼女が、いったいどのような気持ちで今日の試練を見守っていただろう。
直接会って様子を確認した方が良いかもしれない。
また、別の衛兵とすれちがった。今夜は警備が普段にも増して厳重だ。
王ディションという国を挙げての行事に、不測の事態が無いようにとのことなのだろう。
通常時よりも一段高い警戒レベルなら、中央区内で転移魔法を使えば感知され、記録に残るやもしれない。あとで理由について確認をとられるのも面倒だ。
転移魔法使うなら、警戒モードの中央区を出てからにするとしよう。
下町へと続く城門についたところで――
赤い髪の少女が、身長二メートルはあろういかつい番兵と対峙していた。
騒ぎに衛兵たちが足を止めている。まずい。ここで大神官の俺が走れば、彼らが何事かと集まってきかねない。
これまでより歩調をほんの少しだけ早め、歩幅を焦りが悟られない程度に大きくしつつ、俺は門へと急いだ。
「ちょ! 関係者なんだから中に入れなさいよ! だいたい門を閉めてないってことは、通っていいってことでしょ?」
猫のようにひょいっと少女がすり抜けようとすると、巨体が素早く進路をブロックする。番兵に回り込まれる魔王の姿がそこにはあった。
「許可証の提示をお願いいたします」
ひとまず擬態魔法で角と尻尾は隠しており、自作のローブで教会関係者を装っているのだが、優秀な番兵に止められて立ち往生といったところだろう。
まだ騒ぎにはなっていないようだが、このままではまずい。あれほど来るなと念押ししたのに、無駄に終わったようだ。
「許可証を家に忘れてきちゃったのよ!」
「取りに戻ってください」
「ヤギが食べちゃったの!」
「ご愁傷様です」
ステラの高速反復横跳びに、門番はぴったりとマークを外さない。二人の姿が分身するかの勢いで、中央区画と下町の境界線を往復し続けた。
しかし、帰還魔法しか使えないステラがいったいどうやって王都まで?
あっ……さては案山子のマーク2に祈ったな、コレは。どうやって説得したのかは不明だが、案山子には魔王城の秘宝ともいえる槍がボディーに採用された経緯もある。
恩返しとばかりに、ステラを王都に転移魔法で送ってきてもおかしくはない。
激しい攻防も、ステラが肩で息をし始めたところで終わりを迎えた。
ゼーハーと呼吸を荒らげ、乱れた赤髪を手で整えながらステラの足が止まる。一方、番兵は呼吸、心拍ともに平常運転という涼しい顔だ。
このまま俺がたどり着くまで耐えてくれプロ門番。
魔王は憎らしげに番兵を睨みつけつつ、その顔をビシッと指さした。
「何度言わせればわかるわけ? 同じ返事しかできないなら立て看板と一緒よ! 上官でも上役でも責任者でもいいから呼んで来てちょうだい」
「許可証が無い方はお通しできません」
「いくら欲しいの? ねえいくらで買収されるのよ? 金銭が琴線に触れない人間はいないわ!」
こんな時に魔王らしくなるとは、流石と言うべきかなんというべきか。
もはや必死の域に達したステラに番兵は揺るぐことなく、眉一つ動かさなかった。
「自分はこの仕事に誇りとやり甲斐をもっています。金に目がくらむなどありません。さあ、お引き取りください」
プロの仕事ぶりに心の中で敬礼。
どうやら穏便に済みそうだ。と、安堵した矢先。
ステラは強行手段に出た。
「門番のあなたに迷惑がかかるようなことはしないから……だからほんの数分だけ、うとうとしていたってことにしてちょうだい」
はああぁぁっと、ステラが息を吐き出す。
まさか魔王スキル――甘い息を使うつもりか。魔法を使わなければバレないというほど、この門は甘くない。
異常を検知すれば衛兵たちが殺到するだろう。それを甘い息で一網打尽にしようものなら、蜂の巣を突いたような勢いで、警報が鳴り響き王城や教皇庁を守る結界が発動。それに合わせて宮廷魔導師団と聖騎士たちが緊急配備されて……etcetc。
ステラに強制転移魔法を使おうにも、彼女に抵抗されては発動が遅れる上に、俺が魔法で何かしたことの記録が残る。
まさか「侵入を試みた魔王を逃すために転移魔法を使用した」と、報告するわけにもいかなかった。
俺は番兵の背後から歩み出る。
「ようこそおいでくださいました。すいません。彼女は私が呼び寄せたのです。少々込み入った大切なお話がありまして」
大神官には通行許可証は必要ない。番兵はかかとを揃えるように直立すると俺に敬礼した。
「これは大神官様のお客人でしたか」
俺はステラに向き直った。彼女は口を開けたまま、瞳に涙を浮かべている。
「ええと……ステラさん。とりあえず教会に戻りま……」
「あうっ……あっ……あっ!」
ステラはふるふると首をかすかに左右に振った。
直後に少女の口から漏れ出る――甘い息。
かすかに漂った程度でも何が起こるかわからない。死の森に住む巨大蟲に攻撃を仕掛けるが如きである。
風の魔法で吹き飛ばすのも、それ自体が不自然な行為だ。
迷っている時間は無かった。俺は少女のあごにそっと指を添えて上に向かせると、彼女に覆い被さるようにする。
「――んんんんッ!!」
ぷるんとした薄桜色の唇をそっと塞いで、俺は彼女の甘い息を体内に吸収した。
さすがに漂わせる前の、魔王の魔力を帯びた吐息である。度数の高い酒を一気にあおった時のようだ。
拒まず肺いっぱいに吸い込むと、頭がクラクラとして酩酊感に襲われる。
立っているので精一杯だった。
一方ステラはといえば、最初にビクンと身体をこわばらせ、暴れそうになったのだが、逃げられないよう俺が彼女の腰に腕を回して抱き留めると、それからはしばらく少女は目を閉じて、大人しく俺に身を委ねた。
体内に魔王の甘い息を溜めに溜めきって、手足の指先まで彼女の魔法力に染められる。
それを少しずつ分解するイメージで、状態異常の回復に努めた。
月明かりの下で、魔王の放つ甘い息を完全に無効化するまで一分ほど、俺とステラの影は重なり一つになっていた。
今夜0時にも更新ありまぁ~す!
コミカライズ公開まであと三日!!




