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聖暦XXXX

 魔王城の中心から発せられた虚無の衝撃波は、幾重にも張られた結界や防御によって守られた“最後の教会”を破壊し尽くした。


 鐘楼は倒壊し、石造りの堅牢な外壁も無残に吹き飛ばされる。


 整然と並んだ長椅子は闇の風に巻かれてちりぢりとなり、赤いカーペットも一瞬で風化して塵と消えた。


 私は講壇の上にただ立ち尽くすことしかできない。


 目の前には、メイド服姿の少女の背中があった。


 彼女のシニヨンがほどけて、ふぁさりと下ろされた亜麻色の髪が揺れる。


 そっと私に振り向き、少女は優しく問う。


「お怪我はありませんかしら?」


 瞳は悲しみと絶望の色に染まっていた。


 それでも少女は笑みを浮かべる。


「よかったですわ……本当に……」


 私と大神樹の芽を護って、メイド少女はその身を挺したのだ。


 直後――少女の身体がドサリと崩れ堕ちた。笑顔のまま、手足が胴体からぼとりと落ちて、彼女は機能を停止する。


 どうしてこうなったのだろう。


 見上げれば私の眼前にまで、闇は迫っていた。


 拡大した深淵門アビスゲートに呑まれ、今や魔王城は漆黒の半球体の内側に閉じ込められている。


 闇は次第に広がりつつあった。


 このまま世界を呑み込んで、全てを虚無へと還すというのだろうか。


 不意に、私の身体が前屈みになって倒れた。非力なこの身では、抗うことさえできない。


 少女の護りもむなしく、どうやら破壊の衝撃は私の身体をも蝕んでいたらしい。


 いくどか補修をされたとはいえ、木製の老体は軸のつぎはぎ部分から半分に折れ曲がり、上半身が千切れてメイド少女と重なり合う。


 背後に温かい光を放つ大神樹の芽を感じた。


 私は思う。


 神よ。いや、神でなくとも、誰であろうと何であろうと私の声が届くなら、応えてほしい。


 どうか、この世界を救いたまえ。どうか、この世界を修復したまえ。


 そのためなら、私はどうなろうとも構わない。


 世界をやり直す対価としては、取るに足らない存在だとしても……。











 今朝も“最後の教会”で祈りを捧げるのは俺だけである。


 なにせ周囲にあるのは魔王城のみなのだから、信徒が増えることはない。


 どうせ埋まらないのだから、長椅子を撤去して広々とした間取りにしてしまいたい衝動に駆られた。


 まあ、実行はしないのだが、ともあれ聖堂の赤いカーペットにひざまずき、俺は天を仰ぐように祈りを捧げる。


「どうか、世界に悠久なる平和がもたらされますように」


 俺の祈りに応えるように、大神樹の芽は柔らかな魔法力の光をたたえ続けている。


 と、講壇の主がかすかにその核となる水晶を明滅させた。


 火山島から戻ってしばらく、講壇の上に案山子のマーク2を立たせたままだ。


「すいませんマーク2さん。何を仰っているのか私にはさっぱりでして」


 マーク2の足下にはニーナの赤い鞄こと、ぴーちゃんがそっと添えられるように置かれている。


 一晩かけて、じっくりことこと魔法力を充填したところである。マーク2の言葉を翻訳できるのは彼女だけだ。


 そろそろニーナが鞄を引き取りに戻ってくる頃合い、と思ったところで教会正面の扉が豪快に開かれた。


「おっはよー! セイクリッドいるわよね? いないわけがないわよね? いくら暇人でも仕事なんだから常駐してなきゃいけないのよ? これ、あたしとの約束ね!」


 普段のテンション二割増しで、赤毛のツインテールと尻尾を揺らして赤いカーペットを駆けてくる。


 第147代目魔王――ステラその人だ。


「おはようございます魔王様。本日は教会にどのようなご用件でしょうか? 毒の治療ですか? 解呪ですか? 蘇生でしょうか?」


「今日はね、うふふ♪」


「どうしました気持ち悪……本日も魔王様におかれましてはご機嫌麗しく」


 赤毛を逆立て尻尾を立ててステラは目尻をツンとつり上げた。


「今、気持ち悪いって言いかけたでしょ?」


「いえいえ、滅相もない」


 ステラは腕組みすると小ぶりな胸を張ってほっぺたを膨らませる。


「まあいいわよ。大神官の命の灯火は、もはや風前ってやつなんだから」


「これまた大きく出られましたね。私を滅する妙案でも思いつかれましたか?」


「ふっふっふー! フハハハハハ! セイクリッドの倒し方を教えてあげるわ」


 ふんぞり返るステラだが、それは倒す相手に言うセリフではない。


うかがいましょう。して、どのような方法でしょう?」


「まー、まずはアレよね。世界平和を心から願うという真の聖者ぶりイジリってやつ」


 やめてくれその攻撃は俺に効く。


「なるほど、おやめください魔王様」


「んもーセイクリッドったら、まさか聖者ガチ勢だったなんて思いもしなかったわ。世界中に広まっちゃったわけだけど、ちゃんと魔王城のハーピーにも教えておいたから」


 なにその口コミやめて。俺は咳払いを挟んだ。


「残念でしたね魔王様。その手法は私を弱らせることはできても、社会的にも物理的にも抹殺には至りませんよ」


 ステラはルビーの瞳をキラリと輝かせる。


「そう言うと思ってたわ! もちろん、ちゃんとセイクリッドを倒せるようになったから安心して」


 だからそのセリフは倒す相手に言うものじゃないだろうに。


 ステラは俺にパッと開いた手のひらを見せた。


「なんですか? じゃんけんでしたら、先に手を見せては負けてしまいますよ?」


「パーじゃないわよ。ほら、この前パピメリオを倒したでしょ? あの経験があたしをさらなる高みへと押し上げたっていうわけ」


 どうやらレベル5になったという表現か、紛らわしい。


「それはそれはおめでとうございます」


 ステラはピョンと跳ねるように俺に詰め寄ってきた。


「でねでね、新しい魔王スキルを手に入れたっていうわけ」


「どのような恐ろしいスキルなのでしょうね」


 ステラは開いた手を握ると人差し指だけ立てて俺の顔をビシッと指さす。


「ずばり……めいそうよ!」


「はぁ。それのどこが大神官を倒す技なのでしょうか」


 ステラは口元を緩ませる。


「どこもなにも、めいそうよ! め い そ う!」


 どうも俺が考えている“めいそう”のと、ステラの考えにはいくらか乖離があるらしい。


「そのスキルはいったいどのような効果があるのでしょう?」


「まだ使ったことはないけれど、めいそう……つまりね冥界に送るという技なのよ。フーッハッハッハ! この魔王ステラに逆らい続けた罪深き大神官よ! 跪き命乞いすれば我が冥送めいそうの餌食にならずに済むわよ!」


 魔王らしくスゴんだつもりだろうが、むしろ可哀想に思えてきた。もう少し楽しませてもらうとしよう。


「おお、怖い怖い。ですが魔王様。もしやその技は、冥送ではないのではありませんか?」


「な、なに言ってるのよ?」


「きっと名僧。神官といえど僧侶のうち。つまりは私を名僧と褒め称える技に違いありません。なにもせずに褒められるのは居心地が悪いですが、とはいえ魔王様がお考えになるような恐ろしい技ではないかと愚考いたす次第です」


 ステラの表情筋がピクピクと痙攣した。


「そ、そそそ、そうやって、あたしを混乱させるつもりなんでしょ? この心理戦の鬼! 悪魔! けど、実はいい人!」


 実はを着けずとも俺は善人だ。ただ、それを喧伝けんでんされるのをよしとしないだけである。


「お褒めいただき恐悦至極に存じます。さっそく新スキルの名僧が炸裂いたしましたね」


 ステラは身をよじるようにして声を上げた。


「ちがうの~! そういう技じゃないの~!」


「それにステラさんはいつだって魔王として“迷走”していらっしゃいますし」


「あっ! そういうこと言うの!? 言っちゃうの!?」


 あまり引っ張ることでもないので、そろそろ“めいそう”が瞑想メディテーションだと言いかけたその時――


 バタン


 と、音を立てて、講壇に立たせていた案山子のマーク2が倒れて、講壇の段差にぶつかるとそのまっすぐな身体を“くの字”に折り曲げた。


「きゃ! ちょ! 大丈夫なの?」


 元はライバルというか、記憶水晶に苦手意識をもっていたステラだが、俺よりも早くマーク2に駆け寄って折れた身体を抱き上げる。


 俺もそばに行って確認すると、軸の木材が真っ二つに折れてしまっていた。


 さすがに魔法で治癒や回復はできそうにない。添え木になりそうなものを探して、ひとまず応急処置といったところか。


「しばらくずっと立ち仕事でしたからね」


 俺の言葉にステラが瞳を潤ませつつ返す。


「案山子なんだから立ち仕事が普通でしょ。でも、折れちゃうなんてちょっと可哀想」


 彼女の腕の中で、マーク2の記憶水晶がピカピカと明滅した。


「応急修理に何か使えるものがないか探して参りましょう」


「さすがセイクリッド名僧ね!」


「およしください魔王様」


 笑顔で俺に告げたステラだが「名僧……めいそう……メイソウ……あっ!」と、何やら思い出したように目を丸くさせた。


 俺にマーク2の上半身を預けると、彼女は口を開く。


「あのねあのね! めいそうで思い出したんだけど、ちょうど良い物があるのよ! 応急修理は待っててちょうだい!」


 言い残すなりステラは魔王城へと駆けていった。




 五分後――


 ステラは真紅の柄をした見事な槍を手に聖堂に戻ってくる。


「セイクリッド、これ使えないかしら?」


「実に美しい槍ですね」


「ええ、我が家に伝わる天下の名槍よ。絶対に折れる事の無い不屈の朱槍っていうの」


 俺に槍を押しつけて、代わりにステラはマーク2の上半身を奪っていった。


「ほほぅ……これはまた素晴らしい。まさに名槍ですね」


 刃文も美しい十文字型の槍頭を備えたそれは、魔王城に眠るお宝の一つといったところか。


 冶金製錬には詳しくないが、見た目に反して軽く、握れば手に吸い付くような感覚だ。重量バランスも絶妙であり、構えるまでもなく、相応しい者が使えば恐るべき力を発揮しそうな予感がひしひしと伝わってくる。


 そんな激レア武器で案山子の身体を作るとは、贅沢にもほどがある。


「本当によろしいのですかステラさん?」


「物干し竿代わりにしてたやつだもの。他にもあるから大丈夫大丈夫」


 エヘンと胸を張り鼻も高々に少女は笑う。


 それでいいのか魔王様。ここまでの名槍ならベリアルに下賜しても良さそうなものだが、ともあれここはステラのお言葉に甘えて、この贅沢素材でマーク2の修理をするとしよう。


 ちょっと強くなりすぎてしまわないか、いささか心配ではあるのだが……。

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