32 白虎
血と肉の凄絶な殺し合いに、ジークフリートが思わず目をそむけた。そこには皇帝の好む美しさはない。ふたりとも血みどろであり、もはやどちらがどちらか区別がつかないほどだが、腕輪のおかげでかろうじてクロードを見分けることができた。
長い戦いではなかったはずだが、それでも時間を感じさせた。途中から互いの牙と爪を突き立てあって、相手が倒れるのを待つような泥くさい戦いとなったからだ。
そうなると怪我を負っているほうが不利となる。
抗うように最後に何度かガーネッツを殴りつけた後、クロードは力尽きてずるずると倒れていった。
ガーネッツが勝利の雄たけびをあげる。
戦いの場を避けてジークフリートは何とかエマに近づこうとしていたのだが、ガーネッツが威嚇するような唸り声をあげて牽制した。
「やめておきなさい、陛下。あなたの力ではどちらにしろ玉座を破壊することはできない。あなたは荒事に不向きなのだから」
「なめるな、ガーネッツ。おまえが邪魔さえしなければ、余は秘めたる力を発揮できるのだぞ? 試しに少しそこをどいてみぬか?」
ジークフリートは片頬で笑った。
「陛下の秘めたる力は是非見てみたいところですが、残念ながらどんな小さな可能性もわたしは許しはしないのです」
立ちふさがるガーネッツに、ジークフリートは足を止める。彼は荒事が苦手どころではない。義足義手では本来は満足に動くことができず、血のにじむような努力の結果、なんとか人と同じように動いていると見せかけているだけなのだ。
万事休すか、皇帝が諦めかけたそのとき、部屋の入り口に現れた者があった。
「……ジークフリート殿。その秘めたる力、俺にも見せてもらえますかね?」
ムラクモだった。死神たちとの戦いで怪我を負い、剣を支えに身体を引きずってきている。
その姿を見たガーネッツは安堵していた。ムラクモが本調子であれば危険だったからだ。死神たちを足止めに使ったのは間違いではなかったと思った。
「ムラクモか。その怪我では無理に動くと死ぬぞ? 安心したまえ。わたしの願いが成就したところでおまえが死ぬことはない。そこで大人しく寝ているといい」
「ふっ」
ムラクモは鼻で嗤った。
「おまえの話は聞こえていたよ。ここは音がよく響くし、おまえの声はでかかったからな。でだ、俺は誰かを犠牲にして手に入れるものになどに価値を見いださない。特に若い女はダメだ。むさくるしい男だったら見逃したかもしれんがな」
ムラクモの脳裏に、かつての護るべき相手だった少女の姿がよぎる。
「なるほど? 次があったら参考にするとしよう。だがその身体では何もできまい?」
ガーネッツが嘲った。
「おまえの言うとおりだよ、ガーネッツ。俺はここまでだ。だから、他のヤツに頼るとしよう」
「なに?」
ガーネッツは周囲を見回したが、他に誰かいるように見えない。倒れているクロードに、動けずにいるジークフリート、椅子に座り意識を失っているエマとその足元で自分をにらむ猫。それくらいだ。
ムラクモは大きく息を吸い、一気に吐き出すように叫んだ。
「神名開放! 目覚めよ、白虎!」
──
「わたしは本当は争いたくないのです」
かつて、オウカの姫はムラクモにそう言った。
「ジークフリート様はわたしを妃に、とまで言ってくれました。それはオウカを敵に回したくないという理由もあったでしょう。でも、あの方は本当に戦争を望んでいなかった。そのためなら何でもしようとしていました。帝国は決して悪い国ではありません。ただ少し目立ち過ぎてしまっただけ。あの皇帝陛下は頑張り過ぎたのです。それを周囲の国は認めなかった。悲しいことです」
「姫……」
ムラクモは何とも言えない気持ちだった。彼自身は騎士である。国王が「戦え」と言えば戦うだけのこと。自分にとってオウカという国が為すことが正義だと信じていた。しかし、目の前の姫はそれを否定したのだ。
「もちろん、あなたたちが負けることを望んでいるわけではありません。わたしはオウカの勝利を願っています。それにもし敗れるようなことがあったとしても、オウカには白虎がいます」
そう言うと、姫はかたわらで寝ていた白い虎を撫でた。
「いざというときは、神獣の巫女たるわたしも国を護るために戦います」
おそらく姫は先のことを予見していたのだろう。後になってムラクモはそう思った。
連合軍と帝国軍が正面衝突した大戦は、まさかの連合軍の敗北で終わったのだ。
それまでの戦争で主力となっていた騎士や魔法使いの数は連合軍が圧倒的に多かったのだが、その騎士や魔法使いたちが、ただの兵士たちの使う銃や大砲の前に倒れていった。
騎士の中の騎士と謳われたムラクモさえも、背後から一発の銃弾を受けて倒れた。
それは新たな時代の幕開けだったのかもしれない。
しかし、ムラクモにはそんなことは知ったことではなかった。おびただしい死体が放置されたままの戦場の中で意識を取り戻したムラクモは、怪我をおして母国へと戻った。
帝国は大勝をおさめた勢いのままに、連合軍に参加した国に侵攻していたのだ。
隣国であるオウカは真っ先に狙われた。戦場で騎士団が壊滅し、兵力がほとんど残っていなかったこともある。
頼れるものは守護神と崇められていた四神獣の一角・白虎とその巫女たる姫だけだった。
だが、白虎といえど何百という大砲と何千という銃の前には苦戦を強いられた。
それでも全身に傷を負いながら散々帝国軍を蹂躙した白虎だったが、最後は力の源となっていた巫女を銃で撃たれ、急速に力を失って倒されたのだ。
帰還を果たしたムラクモが見たのは、地面を血を赤く染めていた姫の姿だった。
「姫っ!」
駆け寄るムラクモに、オウカの姫は力なく手を伸ばした。
「……ムラクモ、あなたに白虎を預けます」
彼女の手の中には、ほんの小さな白い動物の姿があった。
「神獣たる白虎は不滅。でも、しばらくは力は失ったままでしょう。仮の名を付けて封じることで力を蓄えさせるのです。わたしたちはその力の使い道を間違えました。でもあなたなら正しく使える。騎士の中の騎士と謳われたあなたなら……」
それがオウカの姫の最後の言葉だった。
ムラクモは小さくなった白虎に、ネコという仮の名を与えた。




