第25話
沸騰するような、体中をアドレナリンが駆け巡る感覚は随分と久しぶりに思う。
急速に全ての音が遠くなり、目に見える全てが色褪せていく。その逆に心臓の鼓動は高まり、体温や汗はハッキリと知覚し、全細胞が目覚めたようだ。
あぁ……俺は帰ってきた。
例え見世物であっても、鳥かごの中だろうと、翼さえあれば飛べる。
静寂が包む白黒の思考加速の臨界領域に佇む黒雷を、カメラ中央へと捉える。
「待たせたな、アイビス。寂しかっただろう? 俺はここにいる!」
俺では、アドレナリンが大量に分泌された時しか発動させられない、加速世界へと戻ってきた感覚。
こんな孤独の世界で一人待ち続けていたアイビスは、再会を喜ぶかのようにスラスターを短く二度起動して挨拶してきた。
「だが悪いな! 今日だけは勝たせて貰う!」
黒雷の何もかもがスローモーションになっていく。
同じ高みに至ったことで黒雷の見えなかった欠点も浮き彫りになってきた。
クロワの射撃に比べたらなんて稚拙なんだ。チーザの動きよりも読み易いし、ウェハーの丁寧さには及ばない。思い切りの良さもキャメルに劣る。守勢を凌ぐ勘はハーベストが遥かに上。
情動に突き動かされる最中、冷静に分析を進めていると、強引にオープン回線が開かれた。
『ナック、こんな狭いところで片翼じゃ飛べないだろう? 私と共に……』
アイビスが通信をねじ込んで来ている。ハッキングは明確な違反行為だ。アイビスには試合後に厳罰が下る。
なぜそこまで……と、思いかけてその思考を断ち切った。
「断る」
チェイスが熱を増し、広く大きな弧を描くドッグファイトが繰り広げられる中、通信記録が残ることもお構いなしにアイビスは言葉を続けた。
『私は楽園を作りたい! それ以上に、かつて死神とまで呼ばれた美しいナックが、こんなショウでピエロになっていくのが耐えられない……』
その言葉を聞いて確信する。
アイビスは、俺にかつての自分を重ねているのだろう。ずっと自分自身がピエロだという苦悩を抱え続けたに違いない。
訣別の意思を示すべく、重力に引きずられつつも、フィールドの限界高度ギリギリまで上昇していく。
頂点に到達した愛機は、その銀翼の背に太陽を掲げ、悠然と黒い敵機を見下ろす。
眼下のアイビス目掛けて、俺は思いの全てを叩きつけた。
「片翼の死神? セブンスカイズは鳥かご? 上等じゃないか! もう一つの翼はエクリプスの皆が作ってくれる」
ここまで連れて来てくれた仲間たちがいる。だから何度でも飛べるし、自らの意思で飛ぶこの空こそが戦場だ。
「それに……俺の背中はソルティの特等席だ。なぜなら俺たちは……」
『磁石だからな!』
後半のセリフはソルティに掻っ攫われた。
次々と仲間たちからの声援が飛んできて、今ばかりは音割れも、ノイズも耳に心地よい。
機体の居ない真下へ宣言代わりのビームを一発放つ。
大地に着弾し、その音が轟く間は実況も観客も全ての者が言葉を失った。
そこにチームの決まり文句を紡ぐ。
「空を駆け光を奪う、俺たちは太陽の狩人」
俺たちの思いと音声が今、一つに重なる。
──「さぁ、日食の時間だ!!」
チームエクリプス全員の声が揃った。
「アイビス!」
『ナックゥゥゥ!』
互いに吠える。時間切れを狙うことなど全く頭にない。
カメラの端ギリギリに相手を捉えたまま、その背後を狙い飛翔する。
だが、滾る思いに水を差す実況が届く。
《ご来場の皆様! 両チーム同点です! 黒雷と死神の一騎打ちによる頂上決戦! これで全てが決まります!》
丁度良い。
点数など気にしないで済むし、叩き落せばチームが勝つというシンプルな構図。俺は、黒雷に勝つことに全神経を集中させた。
瞬きすらも惜しんで二筋の飛行機雲を描き、雲が掻き消える前に追い越し、塗り重ねていく。
早すぎる思考に体が追い付かず、高速で振り回されることで内臓からは気持ち悪さがこみ上げるも、必死に飲み込む。
久々に領域へ踏み込み感じたことは、体の方がとても試合時間一杯持ちそうにないということ。目の前の出来事に考える時間が与えられると、どうしても反応してしまう。
思えば、黒雷の試合はいずれも短期決着していたことに気が付いた。
『ナーーック! この世界は! 他の無能な奴らに合わせるのが馬鹿らしくならないか?』
大地を天井にした逆さま状態で、アイビスからの揺さぶりの言葉を受け取る。足元に見える太陽の陽射しが少し眩しいくらいだ。
『ナック! 私とナックは特別なんだ! 特別な……』
アイビスの繰り返すさえずりを無視し、ただ純粋に勝利だけを求めてソニックブームを撒き散らす。度重なる遠心運動にも慣れて、モービルギアから出るスラスターの噴射も最小限で済むようになってきた。
「騒音はソルティ! スペシャルは焦げたバーガーだけで足りている!」
最後の一発のグレネードを叩きつけ、ツイスト飛行のカメラ越しにモービルギアの間で大気が爆ぜる様子を見る。
当然、当たるヘマはしないアイビス。グレネードという絶縁状の意味も通じたようだし、そろそろだと身構える。
知覚速度のせいで音が遅れてやってくるので、爆発音と衝撃に備えた。
「ぐっ!」
普段なら秒で駆け抜ける音と衝撃を、体感1分以上も体験しなければならない。
相変わらず嫌な気分まで百倍にしてくれる。
黒雷は大きく迂回するべく外周寄りに軌道を変え、俺も対角線上へと軌道修正し、牽制射撃を行う。
ビームの刺し合いが激化するのは、黒雷もここがクライマックスだと肌で感じ取っているのだろう。
何度も至近距離へビームが飛来し、モービルギアの駆動音を風を焼く音が上回り、鼓動も高鳴っていく。
再びアイビスから通信が入る。
『私は勝ち続けた! なのに世界は変わらない! ならば世界を壊して作り直すしかない! 違うか? ナック!』
百倍の世界で千年に渡る時間を考え続け、そのような結論しか導けなかったのは理解できる。
黒雷は孤高の存在。
現実世界でも。思考領域でも。セブンスカイズでも。チーム内でも。
たった一人で戦い、考え、嘆き、苦しみ続けた。
だからこそ、虚しい答えしか導けなかったのだと思う。
「一人で頑張るな! 荷物をもっと他にも預けろ! 俺も一緒に背負ってやる!」
俺はありったけの思いを込めて叫んだ。
しかし、即座に返る射撃と拒絶。
『ハッ! 私たちと同じ境地に至れる人間などいない! 誰が支えてくれるというのだ?』
その言葉に苛立ちと同情を感じながら、最後の力を漲らせ、グリップに力を込める。
加重負担を左半身へと押しやり、右手に見える黒雷へと思いを叩きつけた。
「チームの仲間だ! 俺は支えて貰い、ここに来た! 俺がどんなに諦めようとしても、皆が手を引き、背を押し、もう一度飛べと空へ連れて来てくれた!」
『理解できない! 私たちのような異常者を誰が理解できるものか!』
アイビスの憤怒とも思えるビームが殺到し、ツイスト回避を行い、再度カメラ中央へと黒雷を捉える。
そこへ、仲間たちの声援が届き始めた。
『兄貴!』
『ナックさん、勝ってください!』
力が沸いてくる。
『あたいとこれからもずっと!』
『フッ、祝勝会の準備はお任せを』
『先輩なら大丈夫です!』
目頭が熱くなる。
『わりぃなぁ、アイビスちゃんよ~! 俺のナックは渡さねーから!』
……俺は一人じゃない!
「決着だ、アイビス!」
フィールドの中央へ二機のモービルギアが最高速で迫る。
双方のブースターからは限界を示す火花が舞っており、これが最後のアタックであることは明白だった。
交差する刹那、ずっと温存していた右肩のパワースラスターを起動。
全てが回る中、カメラの中心へ黒雷を見据える。
『死神ィィ!』
眼前を過る黒い機影。
暴発したスピンで右拳を空振りさせての左後ろ回し蹴り、更に回転、右拳をジャストミートさせる。
強烈な打撃音が二つ、世界を鳴らした。
全てを使い果たし握力も視力も薄れゆく中、落下していくアイビスへ告げる。
「明日の空でまた会おう!」
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とある高層ビルの一室に、黒雷の重大違反の後始末へ奔走する男がいた。
アンティーク調のやや薄暗い部屋で忙しなく事務処理を進め、男は独り言を繰り返す。
「あぁ、なんて可哀想。きっと死神野郎の口車で騙されてしまったんだ。土がつくなんて今でも信じられないよ」
髪を掻き毟りながらも、協賛スポンサー、政府、メディア、その全てに工作を済ませていく。
男は、各所にメールを送りつつ、新しいストーリーの準備を進めていた。
「いつでも戻ってこられるように、急いで整えないと……それにしても……」
男は革張りのチェアーに預けていた体を起こし、高級なデスクを力の限り拳で叩きつけた。乾いた大きな音が役員室内に木霊する。
「目障りなんだよ、ナック。お前にだけは退場して貰おう。今は勝利の美酒を堪能するが良い。今だけな」
狂気じみたものが男の瞳には宿っていた。
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話題騒然。ルシファーの翼に初の土がついた一夜を過ぎ、日食の空は明け、世界は未来への輝きを取り戻していた。
黒雷の引退という電撃発表もあり、業界全体に激震が走っている。
来週から、セブンスカイズの試合は全てオープン回線で行われる。
決勝でハッキングされたとは主催側も認めたくないようで、新しい形式のデモンストレーションを兼ねていたと言い張り、ルール改定の流れに至った。
敵との会話での駆け引き、心理戦。仲間とのより高い連携練度と情報隠蔽のための手段。
新時代の幕開けだ。
そうした激動の日々でも俺たちの翼が止まることはない。
全試合オープン回線へのルール変更に伴い、俺はメンテナンスを続けていた。
「ったく、整備とクソは長すぎると後が詰まるんだぜ? ほら、秘匿ハンドサインを詰めるんだろ? いくぞオラァ!」
整備の手を止め、金髪の親友を少し眺めてから答えた。
「あぁ、今行く」
本作は25話で完結となります。
ここまで作品にお付き合い頂きありがとうございます。
続編を執筆予定ですので、もし宜しければ次回作でもお付き合い頂けると嬉しいです。
本当にありがとうございました!




