始まりの終わり
トレーニングルームを後にすると、寝室へと向かって、身体をベッドの上に預けた。いつもの動作で、ベッドの横に補完されたNRのプラグを取り出して、頭の裏側から脳と脊髄の中継地点にあたる松果体へと繋ぐコネクトホールへと挿し込む。
NRとは、ニューロン・リアリティーの略称で、神経ネットワークをインターネット空間に繋ぐことによって見ることのできるヴァーチャルリアリティー空間のことである。
そして、机の上に置いてあるNR導入剤である赤い薬を一杯の水と共にゴクリと飲みこむ。すると、次第に意識は遠のいて行き、真っ暗闇の中から徐々に意識が覚醒してくる。
「遅いぞ、エイジ。何してるんだ」
「・・・おー、すまん、ちょっとPIと揉めてな」
「お前、まだそんな旧式のソフトと話てるのかよ。ホント、意味わからんな」
「意味わからんのが人間だからさ」
「また始まったよ、エイジの哲学」
先ほどのシックな寝室とは異なり、赤と黒の色合いで全体が染められたカジノ兼Barの景色が広がった。横には友人のマックスがホワイト・ルシファーというカクテルを片手に握り、飲んでいる。
「おいおい。お前、いくらNR内といえど、結構顔赤いし、飲み過ぎじゃないか?」
「バー――カ。こんなのまだ飲むの内に入らねーよ。それに、夢の中でどんなにアルコールを摂取したって、現実世界では何の影響もないだろ?」
「いや、NR内でのアルコール摂取は、現実世界でアルコール摂取するのと同等の物質的リアリティーが生じるだろうが。そうすると、結果的に、現実世界でアルコール摂取したのと同等の心身への影響があるだろバカ」
「うるせーーー!!んな心身への影響!!とか、まるで旧式のPIみたいな御託ならべやがってよー!!!!!んなぐらいで人間は壊れるほど弱かぁないんじゃボケェ!!!!!!」
マックスはグラスを口元に勢いよく持って行き、グイっと一気に白い液体を飲み込んだ。そして、プファーという粋な声をあげて、頬を紅潮させながらも、人差し指を突き出す。
「マスター、もう一杯!!」
「かしこまりました」
この室内のマスターロボットは自動的に背後の棚に陳列されたカクテルからホワイトルシファーの原料を選出して、新たな一杯を造り始める。
「おいおい。なんかいやなことでもあったのかよ」
「いやなこともいやなことだよ。もはやこの世の終わりだよ」
「もしかして、ソニアに振られたのか?」
「CIみたいに当ててんじゃないよ!!!!!!」
マックスは声を出して泣き始めた。
CIとは、コンシェルジェ・インテグレーションの略だ。すなわち、様々な人間心理に柔軟に対応する執事のような人工知能のことを指す。
どうやら、コイツと室内で会った時の顔の紅潮は酒による赤さだけではなく、激しく泣いたことによる赤さだったみたいだ。
「だって、お前さ、CIに恋愛相談して、ソニアと付き合う最適解を実践していたはずだぜ???それがなんでだよ!!!」
「いや、お前、それさ、元々、告白成功確率0.1%くらいだった訳だけど、何パーセントになったのよ」
「0.01%」
「ブッ!!!むしろ、10分の1に下がってんじゃねーか!!!!」
「最新のCIのはずだぜ?????ホント使えねーよ」
「バーカ。古代武術の空手の型を知っているからと言って、空手ができるとは限らないのと同じで、最良な手段を提供されても、最良に生かせるとは限らないだろ」
「クッソ!!ぐぅの音も出ないこというんじゃねーよ。CIみたいによ」
「俺はPIの次はCIかよ。お前、ホント、人間臭くていいよな」
「んだよその見下した口調はよぉ!!!!!」
「ハイハイ。私の為に喧嘩はやめて」
気づけば、後ろの方から話題の中心人物、ソニアが歩み寄ってきた。
「マスター、アップルパイ、お願い」
「かしこまりました」
ソニアは俺の右隣に座ると、退屈そうに欠伸をした。
「こいつがさ、お前に振られて、世界の終わりだとよ」
「ハハハ。バカだなーもう。今は22000年。この世界はもう、とっくのとうに終わってるじゃない」
「そういう話じゃない!!」
「やれやれ」
西暦22000年。人類は地球を捨てた。
圧倒的に爆発した人口量に対して、地球の資源だけではそれぞれの人間の生活を賄えなくなった人類は、映画『マトリックス』のように多くの人間が仮想世界で居住することを余儀なくされた。そして、人類の行き着いた先がアン・マテリアルの世界、すなわち、NRの仮想現実だ。
「だけどさ、都市伝説では、この世の中の一部の人間はマテリアルの世界、すなわち、現実世界で生活しているって話じゃないか」
ピンク色をしたアップルパイのカクテルを受け取ったソニアは軽く口につけると、うーん、美味しい、と笑顔で呟いた。
「そうね。というか、それは都市伝説というより、事実だと私は思うわ。この世の中の一部の権力者、または、能力を認められたものは荒廃した現実世界にロボットに意識をインプットすることによって、生存している、という話よ」
ホワイトルシファーを受け取ったマックスは、勢いよく一気に飲み干すと、グラスを思いっきり机に叩きつける。
「んな訳ねーよ!!だってよぉ、もしも俺たちの意識をロボットに転移させられるのであれば、なんで俺たちはずっとNRの世界に閉じ込められてるんだよ???」
「それは、うーん」
ソニアは困った様子で考え込んだ。
「ま、これも都市伝説だけど、俺たちの祖先は戦争をするのが好きだそうだ。このNR内でも、現に戦争物のゲームは流行っているだろ。そして、実際に人口爆発を起こした祖先は資源を巡って核による牽制行為すら始まった。その結果、人類は自らで判断することをやめてに、AIに判断を任せることになった。そこでAIが導いた結論が、人類は仮想現実の中で制御された方が幸せ、とかいう話はある。ま、一番最らしい理由なら、アンマテリアルワールドにいる何兆という全人類をマテリアルワールドに移転させることができないってのが通説だよ」
「お前、そんなのよく知ってるな」
「まぁな。自室でこの手の文献をダウンロードしてよく読んでるよ」
「それにしても、なんでNRの世界に居ながらにして、自室とNRの世界という区切りがあるのかしらね。すべてNRの世界なのに」
「それそれ、それ思うんだよな!!どうせすべてNRの世界なのに、わざわざなんで自室っていう空間があるんだろ?しかも、そこからわざわざ再度NRの世界に俺たちはダイブしている訳じゃん?もうNRの世界にいるのにさ」
「んーまあ、これも諸説あるらしいけど、有力な説は、俺たちがNRの世界のみに生活してしまうと、現実世界とNRの世界の区切りが付かなくなってしまうから、あえて、オフラインとオンラインの世界を設けている、という話」
「だから、そこよ!!なんで、オフラインとオンラインを別ける必要があるんだよって話よ!!」
「それは、現実世界とNRの世界の区切りが付かなくなってしまうと、例えば、今のお前みたいに限界まで酒に溺れることによって、本来の人間の限界量を突破することが容易になってしまうだろ?すると、個体がNR内でオーバーワークすることに慣れてしまい、俺たちの意識が現実世界に戻った時に自分の欲望を抑制できなくなるから、だといわれている」
「その説だと、私たち人間はいずれ現実世界に戻ることが想定されているからこそ、NR内にもかかわらず、オフラインとオンラインが分かれているってこと?」
「そうらしい。だからこそ、NR内なら誰しも完全自由に何もかも再現できるはずなのに、オフライン内ではそれができないし、オンライン内でもその機能が限られているのだと思う。まあでも、最近じゃ、『神様ゲーム』なるものが流行っていて、一から宇宙の創造主となって、知的生物を創り出すNRゲームが流行ってるらしいから、割とこの世界は自由度が高いように思えるけどな。まあ、単なる都市伝説にしては理に適っているかな。」
「ハハ!!もしかして俺らも、その、誰かの『神様ゲーム』の中で創り出された登場人物なのかもな!!!!!わけねえぜ!!!」
「じゃあ、貴方は現実の世界に戻ってみたいと思う?」
「どうだろうな。この世界は偽りの世界というより、一つの完結した世界としてよくできていると思う。オフラインとオンラインの対照性によってプライベートとパブリックな空間が保たれているし、ある程度の制限があるにせよ、オンラインの世界は好きな時に好きな姿に変容出来たり、RPGの世界に飛び込んで勇者のような気分を味わえたり、二次元的な直線的な思考の制約を超えた3次元、4次元の空間的な思考すら可能で、そういう意味では紀元前の神にも近い。要はやりたいことはなんだって出来る。ただ・・・」
「だーーー!!!まーた、エイジの哲学始まったよ!!!!!ソニアちゃん意識してんじゃねーぞコラァ!!!!!!!!!」
「やめなさい。そういうところなんだからあんたは」
ソニアは飽きれたような表情を浮かべると、対照的にマックスは項垂れた表情を浮かべた。
「かーーーーー!!ハイハイ、分かったよ、俺は邪魔者なんだろ、後はお好きにどうぞ!!」
シュン。マックスが左隣から一瞬で消えた。きっと、オフラインの世界に戻って、CIに慰めてでも貰っているのだろう。可愛い奴だ。
「ねえ、貴方は真実の世界に戻ってみたいと思う?」
「・・・何だよ、しつこいな」
「いいから答えて」
「うーん。確かに、この世界は一つの完結した世界としてよくできていると思うんだ。それは間違いない。だから、仮想世界と現実世界という区別に優劣はないように思えるんだ。だってそうだろ?仮想だから現実より劣っている、ということはない。むしろ、仮想世界の方が現実世界より制限がない分、好きなことはやりたい放題だしな。例えば」
「例えば?」
「君に似せたAIを造ってセックスすることだってできる」
やや時間があった後、意味を理解したのか、ソニアは顔を紅潮させた。
「・・・バカ!!アンタはそういうこと、しない人だと思ったのに」
「勘違いするな。話は続く。でも、俺はお前に似せたAIとセックスすることはできても、興奮はしないと思う」
「なんでよ?私じゃ不服っていうの??」
「バカ。違う。そこに鍵がある。この世界は何でも出来る。君と似たAIを造って、君を俺の思い通りに服従させることだって出来る。一部の偏執狂はそういう奴もいる。だけど」
「だけど?」
「だけど、俺は思い通りに出来ない君だからこそ、マックスも君を好きになり、俺もこうして悠久の時間を共にしているのだと思う。もしも全て思い通りになったら、それはソニアであっても、ソニアじゃない。そんな気がするんだ。」
「な、ななな、何よそれ!?そ、それと現実の世界に戻るかどうかがどう関係してるっていうの?」
何故かソニアは顔を赤らめながら挙動不審に手をばたつかせると、自らの態度を誤魔化すかのようにマスターに、もう一杯、と人差し指を突き出した。
「要するに、この世界にありそうでないもの。それは、不自由になる自由、だ。仮に不自由な仮想空間をシュミレーションしたとしても、結局、そこにはどこか、万が一の状況になったら自分の思い通りになるという打算が含まれることになる。要は、不自由のようでいて結局は自由なんだ。俺が求めているのはそう、もっと、不自由な自由なんだ」
ソニアは2杯目のアップルパイに口を付けると、静かにコトンとカウンターにグラスを置いた。アップルパイにサクランボが水面に浮き沈みを繰り返した。
「じゃあ、現実の世界に戻る方法、教えてあげようか?」
「は?」
「その通りの意味よ。アナタがどーしてもっていうなら、教えてあげないこともないわ」
「嘘つけよ。そんなのは都市伝説」
「都市伝説じゃないわよ。現実的に考えて見なさい。人口爆発して地上に人類全員が住めなくなったから、地球上の人間がNRに全員入ったとでも思う?一部の権力者は現実の世界で暮らしているのよ」
「まあ、そうかもしれない。だけど、じゃあ、なんでお前が現実世界に行き来できるんだ」
「それは、私のお父さんはNRの開発メンバーの一人だからよ」
「嘘だろ」
「本当よ。だから、秘密の抜け道を知っているの」
「そこに連れってくれよ」
「いいわよ。ただ、足を舐めてくれたらね」
「・・・は?」
何を言ってるんだコイツ。
「私、オフラインではアナタのAIを造って、私の足を舐めさせてるの」
「酔ってるのか?」
ソニアは興奮した面持ちで顔を紅潮させて身悶えた。
「でもね、今日、アナタと話してて分かったの。なんで私がアナタに足を舐めさせてもいけないのか。それは、AIは本物のアナタじゃないから。そう、アナタは私に屈服しないからこそ、屈服させがいがあるの」
すると、突然、ソニアはガタンと椅子を揺らして立ち上がると、水色のハイヒールを脇に投げ去って、右足を伸ばした。
「舐めて」
「正気かお前?」
「舐めろ」
何かが可笑しい。確かに、ソニアが俺を見る目は他の男に対するそれとは何かが違うものを感じた。だが、それにしても、あの気品漂う気高きソニアが、いくら酔っぱらっている状態でプライベート空間にいるからと言って、こんなことを仕掛けてくるとは思えない。
「お前は誰だ?」
「ソニアよ、下僕」
ソニアは右足を伸ばした態勢で、身に纏っていた白色のレースを脱ぎ捨て、さらにその下に着飾った水色のドレスを脱ぎ始めた。すると、水色と白色の下着にあしらわれた豊満な胸元が躍り出た。
「さぁ、これでもまだ駄目?」
「・・・」
確かに、この状況、男なら誰しも興奮する場面であろう。だけど、何かが可笑しい。これはそう、紀元前の中世の物語で見たような、悪魔が彼女に憑依しているかのような状況だ。要は、俺の知っているソニアと目の前のソニアはとてもじゃないけど、同じ人間には思えない。そうなると、考えられる理由は一つ。
「意識の乗っ取りは、NRの世界では御法度なはずだぞ」
「何をいっているの?」
「お前はソニアじゃない。ソニアはそんなことをしないから」
「いいえ、私はソニア。私の物にならない、周りの男とは違う知的なアナタを、どーしても、どーしても服従させたいの」
「話ても埒が明かない。どうやってお前がソニアの意識を乗っ取ったのかは知らないが、管理局のAIにバレたら、お前は何百何千何万年という牢獄に放り込まれるか、または、その意識を消滅させられるかもしれないぞ。いいのか?」
「仮に、私がその管理局のAIだとしたら、どうする?」
「何を言っているんだ?」
ソニアなるその人物は俺に突き出していた右足を下に向けて、先ほどと同じ姿勢でカウンターに座った。
「マスター、xyz、一つ」
「かしこまりました」
ソニアと似たその人物は、表情、姿勢、呼吸、些細な動作がソニアとは微妙にズレている。しかし、ソニアと同じ外見だから、美しい白い肌に強調された下着は目のやり場に困る。
「欲情しているな。エイジ君」
「う、うるせぇ。動物として当然の反応だ」
「まあいい。ソニアの話の続きだ」
「ソニアの話の続き?」
「そう、現実世界に戻りたいかどうか、という話だ」
「ああ、その話か」
ソニアなるものはマスターからxyzというカクテルを受け取ると、臭いを確かめた後、ごくごくと喉を鳴らして軽く飲んだ。
「うん、NRのものでも味は変わらないな」
「で、一体何なんだ、お前は。ソニアはどうした」
「安心したまえ。君の友人のソニアは意識を停止させているだけで、復元可能だ。まあ、本来であれば、消去しているところだがな」
「は?」
「彼女は喋ってはいけない秘密を君に喋りかけた。そう、この世界の秘密の出口のことをね」
「じゃあ、本当に現実世界に出る道があるっていうのか?」
「道ではない。それは比喩だ」
ソニアなるものは俺の前に右手を差し出すと、その手の平にいきなり赤いリンゴが現れた。
「・・・リンゴ?」
「君も一度は読んだことがあるだろう、旧約聖書の創世記は。これはそう、禁断の果実さ」
知恵の実とは、『創世記』に登場するエデンの園に生えていた「善悪の知識の木」になっていた果実のことだ。その果実は、血のように真っ赤に染まった赤色をしていた。
「その果実を口にしたものは、神によってエデンの園から追放される・・・」
「話が早い。私は差し詰め、イブを唆した蛇ってところかな」
「なんで俺なんだ?他にも現実世界に還る候補はいたはずだ」
「君には教養がある。それに楽園を離れる意思も強い。真実を知ってもらうには丁度いいと私は判断した」
「現実世界はどうなっている?」
「それはいってからのお楽しみさ。ただ、君は目覚めたら最後、もう元いた世界に還ることはできなくなるからもしれない」
「・・・分かった。丁度、退屈していたことなんだ。この安心・安全・便利・快適、何もかも揃いに揃った不自由な自由のない世界には」
俺はソニアなるものから赤いリンゴを受け取ると、噛り付いた。
「おめでとう。あなたに悪魔の加護があらんことを」
その瞬間、意識は遠のき倒れた。
一瞬、ソニアなるものの顔が悪魔のような表情で歪んだ。
遠くでは、ソニアが俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。




