09 残り04年と00ヶ月08日
前言どおり、その日から彼への配膳はニーナが受け持った。
いつもより早めに馬車を止めて、地下のキッチンへと向けば、ララがすでに昼の分の食事をトレーに乗せて待っていた。
特に言葉を交わすことなくトレーを受け取って、ニーナは彼のいる車室へと向かう。
見慣れた車室の前に立つと、妙な緊張感が沸いてきた。
もうずっと長い間、彼に会っていない。それを今さらながらに自覚する。
少しまごついてしまったが、思い切って扉を開けると、彼は出窓の前にいた。
張り出しに腰かけて外の景色を眺めているようだが、今は御者のニーナがここにいるため、景色も止まっているはずである。それなのに、じっと窓の前に張り付くようにして動かない。
「……そこにあるヤツ、持ってっていいよ」
不意の声にニーナはドキリとしたが、彼はこちらを見もせずに言った。
何のことかと思ったが、食事を置くテーブルに刺繍を施された布の束が置かれており、これのことだとニーナは察した。
ちらりと、彼の後ろ頭を見たが、やはりこちらを見る気配すらない。
どこか拍子抜けする思いで、ニーナは応じた。
「――…そう」
「――!」
ばっ、と弾かれるように彼が振り向く。
あまりに突然だったから、ニーナも驚いてしまった。
彼は、限界まで目を見開き、唖然と口を開いている。
まるで、幽霊にでも遭遇したような顔だった。
「……は、こび屋さん?」
「は、はい」
若干裏返った声で答えれば、彼はゆっくりと張り出しから立ち上がった。
ニーナはまたしても驚いてしまった。記憶にある姿よりも、ずっと背が高くなっていっる。顔からも、ずいぶん子供らしさが抜けていて、もう男の人だと言って良かった。
ニーナが16歳になったのだから、彼だって16歳になっている。
そんなことは分かっていたが、1年以上会っていないという事が、どういう事かは分かっていなかった。
思った以上に意識してしまう自分を誤魔化すために、ニーナはとにかく口を動かす。
「……えと、お、お久しぶり、です…? い、1年半、くらい…?」
「ううん、違うよ。1年と4ヶ月と28日ぶり」
「――か、数えてたの」
「うん」
臆面もなく頷く彼は、ひとときもニーナから視線を外さない。
痛いくらいの視線に晒されて、ニーナは頬に熱がこもるのを感じた。
「――あ。でも、運び屋さんの姿は、あの窓からちょくちょく見えてたから、ボク的にはぜんぜん正確じゃないかも」
言って、さきほどまで彼が眺めていた出窓を指さす。
「…………」
ニーナが部屋に入ってきた時、彼はこちらを振り向きもせずあの窓の外を見ていた。
どうして窓に張り付いていたのか。思わず邪推してしまい、慌てて頭の中から振り払う。
「でも、どうしたの? どうして今日は、運び屋さんが来てくれたの?」
タイミング良く挟まれた質問に、ニーナは現実に引き戻してもらった。
「……うん。ちょっと事情があって、ララはしばらくここに来られないの」
「そうなんだ。…え。じゃあ、運び屋さんは大丈夫なの? また一人で無理したりするんじゃないの?」
「……ううん。家事とかは変わらずしてもらってるから。ただ、ここの配膳係りだけ変えることにしたの」
「……? それならいいけど……あ。なら、そのしばらくの間は、運び屋さんが食事を届けに来てくれるってこと?」
「……そうなると思う」
「そうなんだ!」
喜色の混じった声を、あからさまに上げてくる。
ここに長居していては危険だと、ニーナは直感した。
会話を切り上げて、そそくさと食事のトレーをテーブルに置き、そばにあった刺繍の束を持って出て行こうとしたが、すぐさま引き止められた。
「待って、待って。ねえ、それ新作だよ。見て見て、ここんトコすごくない?」
彼は、子供の頃にしていたように、作品の自慢をはじめ出した。
ひとつひとつ説明して見てもらおうするので、放っておいたら永遠と続きそうで、だからニーナも昔のようにすげない態度をとり、ようやく車室から抜け出した。
扉を閉めてひと息付く。誰かが廊下を走っていく音が聞こえた気がして、視線を向けてみれば誰もおらず、けれど、この魔女馬車で自由に動けるのは、ニーナを除いて一人しかいない。
「…………」
誰なのか察してはいたが、その足でキッチンへと向かった。
キッチンでは、ララがすでに二人の料理をテーブルに並べていた。
「……どうぞ」
「……ありがとう」
互いに向かいの席へ着くが、食卓にはやけに気まずい沈黙が落ちていた。
重たい空気の中で、黙々とスプーンを動かす音だけがしている。
今日の昼食は、パンとシチューだった。
会話のない食事風景は、思った以上に食が進んで、すぐに皿の中が空になった。
何だか身体まで気怠くなりながら、まだ昼だとニーナは自分を叱咤して椅子から立ち上がる。その途端、膝から力が抜けた。
テーブルによりかかり、転倒は避けられたが、身体に力を入れようとしても思うようにいかず、どころか、どんどん動けなくなっていく。
何が起こったのか、混乱するニーナをさらに襲ったのは、急激な眠気だった。
朦朧としはじめた意識の中で人の気配を感じた。
すぐそばで感情の抜け落ちたララの顔が、ニーナを見ろおしていた。
「――良かった。本当に効くんですね、薬は」
「……――――」
――――しまった。
ララの言動に、自分の身に何が起こったのかニーナは理解する。
「ああ、大丈夫ですよ。ただの眠り薬で―――」
最後まで聞き終える前に、ニーナの意識が闇に沈んだ。
次に目を覚ました時、ニーナはキッチンの天井を見ていた。
一瞬で何があったのかを思い出して、身を起こす。
回りを見渡せば、ララはもうすでにいない。
まだ身体がふらついていたが、それでも、どうにか立ち上がり、考えるより先にあの場所へと向かう。おぼつかない足取りで、壁をつたいながら必死に歩いた。
やっとのことで辿り着いた部屋の扉は、すでに開いていた。
開いた扉の中を見つめ、ニーナは呆然と立ち尽くす。
彼がいるはずの車室には、誰もいなかった。
誰も、誰も、誰も、誰も、誰も――――いなかった。
ニーナの中で、全てが瓦解する音がした。




