17 残り00年と00ヶ月00日
魔女は、エリオットとよく似た金色の瞳で、彼を見つめていた。
見上げるほど大きい、男の人になったエリオットを見つめ、震える両手を伸ばそうとする。顔に触れる寸前、我に返ったように彼女は手を止めた。
慌てて逃げだし、エリオットから距離を取る。
それでもほとんど走れず、再び倒れるようにして座り込んだ。
長い髪が地につくほど項垂れ、細い首筋を露わにする。
「……魔女の息子が、生き延びるには……自分を産んだ魔女を殺すしかないわ」
魔女の声は、悲愴感にあふれ疲れ切っていた。
「だから私は、あの子が私を殺せる年齢に成長するまで待ったわ。私が母親だとばれないようにしながら……」
エリオットは、木漏れ沼の魔女からずっと、食べるために育てているのだと聞かされていた。だとしたら、それも母親だと気付かれないための手段だったのだろう。
「でも、別の方法だって探した。魔女を殺したら――母親を殺して生き延びたことが、いつかばれてしまうと思ったから……でも、どれもこれも駄目だった。魔女の魔力が害になると分かりきっているのに、それを封じたり、抜こうとしたりするだけで、あの子の身体が持たない。もともと魔力を操れる身体ではないから、下手にいじれば返ってダメージが出る。はじめから、他の手立てなんてなかった……」
一人独白する魔女は、自らのふがいなさを吐露するように、全てを告白していく。
「私一人の力では、どうしようもなかった。でも、他の魔女には頼れなかった。魔女が産んだ男の子は、すぐに殺すようにされていたから。子供に情を移せば移すほど、死んでも生きても報われない我が子を思って、魔女は災厄を引き起こすようになるのよ……」
ニーナは、荒れ果てた周囲の様子に目を向ける。
ここに来るまでに感じた、じめつく嫌な気配は、おそらく本当に彼女が原因だった。
「現に、辛かった。あの子に嘘を付いてることも。あの子を恐がらせていることも。あの子に憎まれていることも。あの子に親殺しをさせることも……何より、いつ魔力があの子を殺し始めるのか分からなくて、毎日おびえていた私は次第に心の均衡を失っていた。どんどん自分の力を制御できなくなって、災厄を撒き散らしはじめていた。もう、私の側にあの子を置いておく方が害悪になっていた。なのに、あの子はまだ小さくて、私を殺すためには幼くて……その時、思い出したのよ、魔女馬車のことを。あの馬車には、大昔の魔女たちがかけた“永久保存の魔法”があることを」
まるで、一縷の望みだったような言い様に、ニーナは胸が締め付けられる。
「似たようなものなら私も試した。でも、大昔の魔女たちが競って作り上げたモノなら、もしかしたらと思った。万が一成功して、成長が止まることになっても、生きてさえいてくれるならそれでいいと思った。でも、でも…………」
「――でも、効かなかった」
魔女の言葉を引き取ったのは、エリオットだった。
「……分かってるわ。はじめから駄目もとだったもの。でも、私の側に置いておくよりは安全だった。あと数年、エリオットの身体と心が育つ時間を稼ぐこともできると思った……。魔女馬車には、事前に武器を預けたわ。あそこには、魔女も殺せてしまう道具がほったらかしにされてるって聞いていたから、怪しまれないと思ったのよ」
事実、魔女を殺せるような道具は、いくつもあった。
「ただ心配だったのは、エリオットの身体のこと。いつ変調が表れるか分からなかった。だから、それを察知できる仕掛けをお腹にして、その時が来たらシドを――使い魔を送り込むつもりだった。私を裏切ったように見せかけて、魔女を殺す方法を教えさせるつもりだったのよ」
「…………」
魔女の言うことが本当なら、彼女の目論見とはずいぶん違うことが起きていたはずだが、結局は回り回って魔女の望み通りの結果になっていた。途中までは。
途中で、エリオットは自分の正体に気付いてしまった。魔女の正体に気付いてしまった。
木漏れ沼の魔女が自分の母親だと知った彼は、そして、彼女の目の前で魔女を殺すために用意していた剣を投げ捨ててしまった―――
ニーナは、細い背中を丸めて、打ち拉がれる魔女をただ見つめた。
魔女は、それきり口を閉ざしている。
全てを語り終えたのだろう、彼女の独白に聞き入っていたニーナも言葉がない。
「貴女が――」
不意にエリオットが切り出した。母にかける言葉にしては、やけに固い口調だった。
「貴女が、ボクを生かすために辛酸を舐めるような日々を過ごされたことは、本当に心苦しく思います。でも……でも貴女は、そのために、いったい何をしたんですか?」
彼は、打ち拉がれる魔女よりも、ずっと濃い苦悶を声に滲ませていた。
今から口にすることが、苦してたまらないという葛藤の色があった。
「貴女の企みを成功させるには、魔女馬車の御者を味方につける必要があったのではありませんか? けれど、すでに世慣れした大人ではそれは難しい。だから、まだ子供だった少女に目を付けた。御者見習いだった彼女を追い詰め、ボクとの距離を縮めるために最も有効な手段として……彼女の父親を殺したんじゃありませんか?」
「――!」
ニーナは、後ろから殴りつけられたような衝撃を受ける。
「彼女から聞きました。先代の御者を襲ったのは人間たちで、魔女馬車の事を覚えている人間がいたそうですが、用意周到にも毒の入った粉を投げつけてきたそうです。――まるで、御者の弱点をはじめから知っていたような行動です」
「…………」
問いただされる魔女は、何も答えなかった。
ゆっくりとこちらを振り返り、エリオットととてもよく似た顔で―――きょとんと目を瞬いていた。
その反応をどう受け止めたらいいか、ニーナが判断しかねていると、彼女はおろおろと周囲を見渡し出し、それから申し訳なさそうに話し出す。
「あ、あの……私、10年間も起きて待っていたら、ところかまわず災厄を振りまいてしまいそうだったから、力を極力抑えるためにずっと眠りについていたの。だ、だから、その……御者さんのお父様? のことは……よく知らないわ」
「――え」
間の抜けたエリオットの声が合図だったかのように、1羽のフクロウが舞い降りる。木漏れ沼の魔女が使役している使い魔だった。
「僭越ながら、それに関しては手前から証言を。我が主は、この8年間一度たりとも起きられていません。前言にされた内容を、私に託してずっと眠りについておられました」
沈黙が落ちた。
全員が頭に疑問符を浮かばせるような静寂に、エリオットがうろたえ気味に意見を返す。
「で、でも……魔女を殺せる道具を、魔女馬車から持ち出すためには、御者の協力が必要不可欠になると、思うんですが……」
「……そ、そうね。確かに、そうだわ……」
魔女は感心したように頷くと、もう一度おろおろし出し、さらにうんうんと頭を捻り出したかと思えば、やはり申し訳なさそうに話し出す。
「……ご、ごめんなさい。その、気付かなかったわ」
「…………」
「あの、違うの。あの頃にはもう、正気を保っていられる時間の方が少なくて……ちゃんとした判断が出来ていなかったのだと思うわ。ほ、ほら、今だって10年後に起きるよう眠りについたのに、間違えて8年後に起きてしまったし……」
まさか、今日の迎えが10年後ではなく8年後になったのは、そのせいだったのか。
呆然とするニーナの視線の先で、自らの失敗を知った魔女はひたすら恥じ入っている。
だが、エリオットはそれでも納得いかないようだった。
「でも、でも……」
「どうやら、我が主が、ご子息のために御者の命を奪ったとお疑いのようですが、それを実行しえたとして、御者を引き継いだその娘が、必ずしも“積み荷”の貴方を頼るとは限らなかったのではありませんか?」
フクロウが、見かねたように口を挟んだ。
再び静寂が訪れる。
「――――じゃあ……じゃあ、本当に、全部ただの偶然?」
そう呟いた途端、エリオットがその場に崩れ落ちた。
全身の力を失ってしまったように、四つん這いになって地に伏した。
「――――……よ、良かった。……いや、全然良くないけど。でも……良かった」
噛みしめるように同じ事を繰り返すエリオットに、ニーナははっとした。
エリオットはずっと、ニーナに隠し事をしていた。
その日が来るまで聞かないで欲しいと許しを求め、知るのが怖いと言っていた真実とは、この事だったのだろう。
ずっと、自分の母親がニーナの父親を殺してしまったかもしれないと思い悩み、けれど、打ち明けられない板挟みに苦しんでいた彼の胸の内をようやく理解して、ニーナは後悔と安堵が同時に込み上げてくる。
本当に良かった。エリオットの母親は、ニーナの父親を殺してはいなかった。
あれは本当に、ただの偶然だったのだ。
見れば、木漏れ沼の魔女が、地に伏してしまった息子を心配そうにうかがってる。
印象のがらりと変わってしまった彼女に、ニーナはどこか親近感すら感じてしまうが、水を差す一言が放り込まれたのは、突然だった。
「でも、どうするの? 母親を殺さなければ、魔女の息子はすぐに死んでしまうのよ?」
振り向けば、いつから居たのか、フクロウの背後に北の森の魔女が立っていた。
魔女の一言に、ニーナは冷水を浴びせかけられた。
彼女の言うとおりだった。エリオットの母、木漏れ沼の魔女が、10年後に望みを託すことになった問題は、何ひとつ解決していない。
北の森の魔女に、応えるように木漏れ沼の魔女が口を開く。
「……エリオット、聞いて。このままではどのみち、私は際限なく災厄を撒き散らすわ。いずれ、私自身が災厄に呑み込まれて圧し潰されてしまうのよ。だから」
「いいえ、方法はあります」
魔女が言わんとした事を、他ならぬエリオットが遮った。
彼は、膝を着いていた地べたから、決然と立ち上がる。
「お母さん。貴女の考えは間違っていませんでした。あの魔女馬車にこそ、魔女の息子を生かす“仕掛け”があったのです」




