198話 禁忌でした!?
「連れてきたぞ! 皆、眠っているだけだ」
俺は、草原の上でそう叫んだ。
ここは以前、狐人の族長たちが姿を現した場所だ。
近くに停めた荷馬車の上には、狐人の子供たちがすやすやと寝ている。
すると、しばらくして狐の姿の狐人たちが現れる。
「ふむ……確かに寝ているだけのようだ」
現れたのは狐人の族長と、一部の狐人だった。
さっそく、族長がこう切り出す。
「お主たちの村には、何日おった?」
「たった一日だけだ」
「そうか……」
「今なら夢と言っても誤魔化せるだろう」
「ふむ……感謝する」
族長がそう言うと、俺の隣にいたミリナが口を開く。
「その礼に、いくつか聞かせてほしいことがあるんだけど」
「……答えられることなら、もちろん答えようぞ」
「キュウビさんのことは知っていたんでしょ? じゃあ、ヨモツとミナっていう名前に覚えは?」
族長は口を噤み、ミリナをじっと見つめる。
ミナ、というのはヨモツの妻のことだろう。つまり、ミリナの母親だ。
やがて族長はこう答えた。
「……知らんよ。追放した者の名など、いちいち覚えてはおらん」
「そう。じゃあ、もう一つ。なんでそんなに簡単に仲間を追放するの?」
「掟を破ったからじゃ」
「その掟って?」
「それは言えん」
族長はきっぱりと答えた。
「じゃあ、掟を破ったらここの子たちも追放するの」
「そう、じゃな」
「それが、自分の子供でも?」
「ワシにもう子供はおらぬ。じゃが、もしいたとして掟を破るなら……追放するじゃろう。我らは、そうして生きてきた」
ミリナは溜息を吐いて言う。
「……なら、交渉は決裂。子供たちは返さない」
「何?」
「それに、キュウビにも言いつけてやる。あんたたちがどこに行って、どう逃げるのか……あ、言っておくけど、ここのヨシュアって人やフェンデルの人たちはもう関係ないよ。私は、魔王軍だから」
俺はミリナの声に頷く。
「俺たちの村が襲われるなら、魔王軍と戦う。だがお前たちの里は関係ない。俺たちが手を出すことではない」
「姿を現したのが、運のつきだったね」
ミリナはそう言った。
だが、族長はそれを聞いて、特に焦る様子もなかった。
「驚かないの?」
そのミリナの問いに、族長はこう答える。
「運のつきと言ったな? だが、これは必然なのじゃ」
「必然?」
「我らの滅びは、必然ということじゃ。キュウビを追放してから、これは決まっておった」
首を傾げるミリナ、族長も意外な顔をする。
「なんじゃ? お主は、キュウビの呪紋を知らんのか? お主の母も呪紋の持ち主じゃった」
「それは……人を惑わしたりすることに恩恵があるものか?」
俺はすかさずそう訊ねた。
人間が紋章を持つのと同じく、鬼人のように亜人にも紋章を持つ部族がいる。
狐人も持っていてもおかしくない。
「まさしく。キュウビには、神すらも欺く術に恩恵があった」
「もしかして、その術を使おうとして」
「いいや……誰も使わなかった。使わなかったのに、一族の者は忌み嫌った。呪紋を持つというだけで」
族長は遠くを見るような目で呟く。
「キュウビもミナも、追放となった経緯は異なる。キュウビはそもそも、自らの意思で自分の母を連れ里を出た」
ミリナに視線を向け、族長は続けた。
「お主の父は呪紋持ちではなかった。むしろ、類まれな術を使う紋を持っておった。だが、お主の母を害そうとする者に手を出し一族の和を乱したのだ」
「お母さんを……」
「追放するしかなかった……それが掟だった。例え、自分の子とその最愛の相手だとしても」
「え……?」
そもそもミリナは、ヨモツとミナを親などと族長には言ってはいない。俺たちもだ。
しかし族長はヨモツとミナのことを、ミリナの父と母と言った。
つまり族長はミリナを見て、何かに気が付いたわけだ。
恐らくは、ミナやヨモツの面影を見出したのだろう。
「嘘……どうして……どうして、そんなことができるの!?」
ミリナは思わず族長に飛び掛かった。
しかし近くで見ていたメルクが止める。
「落ち着く、ミリナ」
「お父さんはずっと苦しい思いをしてたんだよ!? お父さんはたくさん殺さなきゃいけなくなった! あんたが守ってくれなかったせいで!!」
突き飛ばされた族長は言う。
「じゃから、必然なのじゃ。ワシらの一族は滅びても仕方がない……」
「私が引導を渡してやる! どいて、メルクさん!」
ミリナは怒声を上げた。
すると、馬車の上から泣く声が響く。
「あっ……」
どうやら声が大きいせいか、狐人の子供が起きてしまったようだ。
ミリナが怒るのも怖かったのだろう。他の子供も泣きだす。
すぐにイリアたちが、子供をあやしてくれた。
「ヨシュアさん……ごめん。でも、今のこの人たちに、絶対にこの子たちは返せない」
ミリナはそう言うと、自分も子供たちをあやし始めた。
ヨモツとキュウビの過去について知りたかっただけだ。でも、それを知った以上、やはり子供を引き渡せない。
狐人たちは、変わらなければいけない。
俺は族長に言う。
「まだ、掟を守る気があるのか?」
「我が一族は、ずっと昔から掟のために多くの同胞を犠牲にしてきた。お主たちに仲間の子を引き渡そうとしたのも、その掟によるもので、初めてではない。そうまでして守ってきたものを、今更変えられると?」
「掟を守ることが、合理的とは思えない。変えられると思う……いや、変えることでしかもう、生き永らえない」
族長も心ではそれが分かっているから、キュウビの報復を必然と思っているのだ。
キュウビは恐らく、機会があれば狐人たちに復讐しようとするだろう。狐人たちも、すでにたくさん仲間が殺されているから、分かっているはずだ。
脅すようで悪いが、俺は族長にこう続けた。
「あなたの決断で、更なる悲劇が避けられるかもしれないんだ……そんなものは、捨てればいい」
何百年も続いた掟を、自分の代で終わらせる。
それは非常に勇気のいることだ。
仲間から、死ぬまで忌避されるかもしれない。
だが、ヨモツはそれを破り、ミナを守ることを選んだ。
黙り込む族長に、俺はこう続ける。
「俺たちが後悔はさせない。フェンデル同盟に加われば、必ず俺たちが守る」
族長はしばらくじっと目を瞑る。
そして重い口を開いた。
「……お願いする。我らを、お主たちの集いに加えてくれ。我らは、掟を捨て去る」
周囲の狐人たちは、それにどよめく。
しかし族長の言うことに、反論はしなかった。
皆、この絶望的な状況で、誰かが今の言葉を待っていたのだろう。
狐人たちは、こうしてフェンデル同盟に加わることとなった。
そして今回の件で、キュウビとヨモツが何を考え、魔王に味方していたか俺には見えてきた。
狐人たちにとっては今回のことは悲惨な出来事だったが、キュウビにとってこの復讐は片手間でしかない。
ヨモツもそうだったのだろうが、魔王に味方することで最終的に果たせる目的があるのだ。
……しかし、どうしたらそんなことができるというのだろうか。
「死んだ者と、再び会うなんて……」
俺は遠く魔王領のほうへ目を向けるのだった。




