165話 困ってました!?
「はっくしょん!」
勢いよくくしゃみをするネイアに、俺は風魔法で乾かしてあげる。
「悪いな。急に押し掛けて」
ネイアは目を瞑りながら首を横に振った。
「悪いのは私にゃ……私だ。最近言葉を覚えたから、もう立派な大人だとリーセを顧みなかった」
ネイアも時間が経つにつれだいぶ落ち着いてきたようだ。
リーセは今、エクレシアの足に抱き着いて泣いている。ユミルとエナはそんなリーセを変顔したりして慰めようとしていた。
「別に大人でも泣くことはあるだろう。それにリーセはたしかにしっかりしている。一人で商店を巡ってブレスレットを直そうとしたんだ」
「あのブレスレットを?」
「リーセが言っていただろ、直したって」
「まさか……お前が直したのか」
「石や紐はな。だが、石の配置とかは、リーセが決めた。リーセの集めた石も使っている」
「……何が目的だ?」
じいっと俺を見るネイア。
何か報酬を要求されると思っているのだろう。
「別に目的なんかない。だが、ベイロンたちには魔王軍との戦いで手を貸してくれた。その恩返しもしたかったんだ。それに、子供は放っておけない」
「ふむ……」
以前、俺たちは一度リーセを助けている。
ネイアも納得したのか、警戒を解くように肩の力を抜いた。
「お前たちみたいに、一定の信頼がおける者なら、私もいいのだがな……」
「うん?」
「この世界には、利用するだけ利用して裏切る者たちが多すぎるという話だ……もっとも私たちも、その一つだが」
苦笑するネイア。
きっと、ベイロンが人間と何か問題を起こしたのかもしれない。
「よければ話してくれないか?」
「な、何をだ? 私たちに何かがあったとして、お前たちには」
「王宮の者に知り合いがいる。王国の問題なら、何か手を貸してくれるかもしれない」
「それこそ大変な報酬が必要だろう……まあいい、そんなに聞きたいなら教えてやる」
ネイアは近くのテーブルに地図を広げる。
描かれていたのはこのトレア王国の地図だ。
ネイアはある一部分を指さして言った。
「昨今のアンデッドの大量発生は知っているな?」
「ああ。この王都にも大量にいた。ベイロンたちもアンデッドと戦っていたのか?」
「我々は、王国北部の諸侯トーリン伯に雇われ、主にこの王都の北からトーリン伯領までのアンデッド退治をしていた」
「なるほど。王国軍が壊滅状態の中、それはありがたいな」
「ああ、我らも血を流して戦ったさ……だが、最近アンデッドの数が減ってきた。この王都にもアンデッドはいなくなったようだし、急速に王国は安定してきている」
どうやら王都外のアンデッドの襲撃も落ち着いてきているらしい。アンデッドを生み出していたヨモツを捕らえたのだから、それも当然か。
「だが、それをいいことにトーリン伯は我らとの契約を一方的に打ち切った。もちろん、報酬も一銭も支払わなかったんだ」
「そんなことを……」
「だから父上は、トーリン伯から報酬を差し押さえることにした。各都市のトーリン伯の倉庫を襲い、金品や物資を収奪したのだ」
「まさか、お前たちが市場で売っていたのって」
「トーリン伯が自分のために、民衆からかき集めていたものだよ。飢えた民衆にもちろん還元もしてきた」
ここまで聞いて、俺は特にベイロンたちに非は感じなかった。トーリン伯領の民衆が襲われたわけでもない。市場で売られていた値段も、適正なものだった。
しかし、途端にネイアの表情が曇る。
「ここまでは……私も理解できる。しかし、この後が問題だった。トーリン伯は当然のごとく激怒した。手勢を率い、私たちに挑んだんだ。父上とトーリン伯の決闘も行われた……だが、父上はたちまちトーリン伯の首を掻き切った」
「貴族の首を、か」
「ああ。しかも悪いことに、トーリン伯の本拠には、この国の王が身を寄せていたらしい。王は、私たちをお尋ね者としたんだ」
「今は王国軍の再建も間に合ってないし、連絡も上手くいっていない。だからまだこうして王国にいられるわけだな」
「そうだ……だから私は父上を責めた。殺してはいけなかったと。どんなにトーリン伯が悪徳領主で、亜人の奴隷を酷使していた悪人であっても」
「トーリン伯の血縁はグランク傭兵団を憎むだろう……王も敵に回した。たしかに、早まったかもしれないな」
ネイアはこれ以上敵を作りたくないのだろう。だからベイロンと喧嘩した。
ベイロンは一見、飄々としているように見えるが、実は激情家……正義漢とも言えるか。状況が状況だけに、理解できる部分はあるが。
「しかし、王か……」
俺たちが来たのと入れ替わりに、トレアの王は船で王都から脱出した。その様子は、多くの王都の人々を落胆させた。
一方で俺の戦友でもあり、王の妹でもあるイーリスは今やアンデッド討伐の英雄として慕われている。イーリス自身も、王位に就こうとしているし。
この状況なら、グランク傭兵団への手配を消せるかもしれない。
「ネイア。一度、ある人物と王宮でこの件を相談してみる。そうすれば、トーリン伯の件はおとがめなしですむかもしれない」
「信用できる人物なのか?」
「ああ、その人物に限って言えば首を縦に振ってくれるだろう。だがもし、王国が許さないなら……その時は、俺たちのところへ来るんだ」
「……え?」
「ベイロンにも以前言った。どうしようもない時は、フェンデル同盟に加わればいいって。俺たちは喜んで迎え入れる」
「……私たちは、人間にも魔王軍にも嫌われているんだぞ?」
「だからこそ、フェンデル同盟しかない。ベイロンにも、落ち着いたら話してくれ」
黙り込むネイア。
安住の地を得られるなら、それに越したことはない。だが、ベイロン同様他者を信じきれないのだろう。
俺は隣に立つイリアと頷き合うと、宿から去ることにした。
しかし、リーセが声を上げる。
「私はフェンデル同盟に加わる! もう、お父さんとお姉ちゃんなんて知らない!!」
リーセはそう言うと、ユミルとエナの手をぎゅっと握った。
ユミルとエナはそれはさすがにという顔をするが、一方のネイアは黙ったままだ。
エクレシアが言う。
「……リーセ。なら、しばらくは私たちと過ごすか」
「うん! 連れていって!」
「ネイアよ! リーセはしばらく我らが預かるぞ!」
ネイアは何も言わず、ただ深く考え込んでいた。
「……行こう。王宮に行ってから、また会いにくればいい」
俺たちはベイロンのいる宿を後にした。
状況を見ていた門番もリーセにいってらっしゃいと見送ってくれた。
それから俺は、メッテたちが待つという酒場へ向かうのだった。




