第六十八話 紙一重の善悪(2)
長く狭いが豪奢なまでの照明で照らされた廊下を渡り、階段を二度使い、重厚な扉を押し開けた先。
法廷を真横から見渡せる場所に出た。
右側に三段、正面奥の少し高い位置に二段のひな壇。右側の壇に向き合うように演台が一つ、左側手前とその正面、演台を挟むように置かれた、二人ほどが腰かけられる長机。そして、左手後方を占める傍聴席。
なるほど造りは、どこの世界もほとんど変わらないらしい。
裁判官たちの目が一瞬こちらを向いたが、すぐに何事も無かったように戻された。
裁判長はまだ来ていないようだ。
傍聴席に座り、静かに待っている間、もう一度廷内を見渡した碧はあれ、と声を上げた。
「弁護士とか、検察官とか、いないの?」
「ちょっと前まではいたんだけど、法律が改正されてね。判決は裁判長と裁判官二十人、それと証人の意見で決まるのよ」
「証人……ネオンだ!」
「そういうこと。でも何を言うつもりなのかしらね?」
ラニアの言葉を補足すると、弁護人も検察官も全く関わらないわけではなく、司法と被告人を合わせた四者での審理は非公開となり、前もって行われることになった。
彼女らがこれから傍聴するのは、厳密に言うと『第二審』ということになる。
そんな会話をしていると、突然、裁判官たちが一斉に立ち上がり、入り口に向かって軽く礼をした。
彼らの目線を辿っていくと、そこには大学帽のような帽子を被り、右手に分厚い本を持って立つ初老の男性がいた。
自分に対して向けられた礼に答えるように、帽子を脱いで会釈する男性。
恐らく彼が、今回の裁判を取り仕切る裁判長なのだろう。
再び帽子を被ると、ゆっくりとした足取りで最高席へ向かう。
固唾を飲んで、その姿を見守る碧たち。
やがて裁判長はおもむろに席に着くと、手元に置いてあったベルを一回鳴らした。どうやらそれが、裁判開始の合図らしい。
「これより、被告人カイズ・グリーグ、ジラー・バイオスに対する審判を執り行う」
緩慢だがどこか威厳のある口調でそう告げると、再度ベルを鳴らす。
すると先ほど碧たちが通ってきた通路から二人の男が姿を現し、裁判長に会釈、入ってすぐに左右に避ける。
その後ろから入ってきたのは。
「あ……!」
思わず声を上げてしまう碧。
続けて入ってきたのは少年ら。言うまでもなく、カイズとジラーであった。
いつも身に付けている鎧や武器は外れ、簡素な着衣だけの姿で、両手には手錠とおぼしき鉄輪。
想像し得なかった姿に、皆は心が痛んだ。
「彼らは多くの人々に重度の怪我を負わせた傷害の罪に問われている。本日は証人として、ネオン・メル・ブラッサ・レクターン氏が登壇される」
その名が上がった瞬間、裁判官から傍聴席からどよめきが起こった。
無理もないことだ。現住国民ならば誰もが知っている第一王女。
彼女が自ら、証言台に立つというのだから。
ネオンは会場に沸き上がった話し声を、静かに片手を上げて制した。
「どうか、ご静粛に。私がここに立つのは、国民の皆さん、ひいては運命のいたずらでそこに立ってしまった、私の友人のためなのです」
芝居がかった口調であるのに、その声を聞いた者全てが耳を傾けたくなるような、真剣な響き。
反論は上がらなかった。全員が催眠術にかかったように、ネオンを注視している。
「何故罪人が友人かと思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし彼らは決して罪人などではありません。私はそれを、良く理解しています。だって彼らは、私の命の恩人なのですから」
それを聞いて、再び会場中がざわついた。早くも裁判官の間で討論が始まっている。
しかし、誰よりも驚いていたのは、王女が「恩人」と称した被告人たちだった。
カイズはしかめっ面をしながらも僅かに頬を染め、ジラーはやんわりと微笑んでいる。
彼らの反応を見る限りでは脅しの類ではない、何らかの口封じだと、様々な意見が飛び交う中、ネオンの凛とした声が法廷内に響く。
「あれは、忘れもしない七年前。私が『巫女の森』付近まで散歩をしていた時でした」
「脱走の間違いだろ」
ぼそっとカイズが突っ込みを入れるが、自分の世界に入ってしまったネオンには届かなかったらしい。
時折熱のこもった口調も交えながら、ネオンは大体このように語った。
生まれてから毎年一度は必ず訪れていた『巫女の森』。
さすがに七年間も通い続けているのだから、そろそろ一人でだって辿り着けるはずだ。そんな浅はかな考えで、従者も連れずたった一人で長い道のりを歩いていたときだった。
子どもの低い視点は、周囲の物を実寸以上に高く見せる。
自分の背丈以上ある草陰から、黒ずくめの影が現れたのはそのときだ。
慌てて後ずさろうとして、目に映ったのは手に持つ鋭器。
その時は世の中の事情が全く分かっていなかったが、自分が今とても危険な状況に陥っているということだけは理解できた。
『逃げなければ』。
頭ではそう思うのに、身体が言うことを聞かない。全身から力が抜け、地べたに座り込んでしまう。
黒ずくめの、唯一隠れていない目元は歪んでいた。とても嬉しそうに。
振り下ろされる凶器が見えて、きつく目を瞑る。
考えたくもない痛みを想像して身を硬くしていたが、それはいつまで経ってもやってこない。
恐る恐る目を開けると、凶器は自分に突き刺さる寸前のところでその役目を果たしていなかった。
つまるところ、刃が無くなっていたのだ。
何が起きたのか理解できなかった。
同じく理解できていないらしい、目を見開いている黒ずくめの後ろ、自分と同い年くらいの少年らが並んで降り立ったのはその直後。
彼らは年不相応に不敵な笑みを浮かべ、こう叫んだのだ。
「おうてめぇ! むてーこーな女に何してやがんだ?」
「男のかざかみにもおけないヤツっ!」
本当に男だったかどうかはさておき――腹を立てたのだろう、黒ずくめは腰元から別の凶器を取り出すと、素早い身のこなしで少年らに向かっていった。
彼らは狼狽えることなく、それぞれの武器を構えると、黒ずくめと同じかそれ以上の速さで迎え撃った。
軽そうな金属音が響いて、何かの破片が地面に突き刺さる。
それはとてもいびつな形の、刃物のようだった。
そんなことよりも驚いたのは、二人の少年の並外れた強さだった。
自分とそう変わらない、年下とすら思える彼らが、大の大人を圧倒している。
その後も黒ずくめは次々と武器を繰り出していくが、ことごとく破壊され。
策が尽きたのか樹を渡り、あっけなく逃げ去っていった。
そんな背中にも「てめーにとーぞくなんかにあわねーぞー!」「とっととやめちまえーー!」と悪口を浴びせかける二人。
呆気にとられていたが、伝えるべき事を思い出した。
「あり……が、とう」
もしかしたら聞こえなかったのでは、と不安になったが、いらぬ心配だった。
同時にこちらを振り向いた年相応の幼い顔は、少しだけびっくりしていた。
「れいはいらねーよ! 女をたすけるのはとーぜんのことだからなっ!」
「そーそーっ! こまってる人をたすけるのも、きしのつとめっ!」
人差し指と中指を立て微笑みかけてくれる二人に、頷くことで応えた。
大人顔負けの台詞が面白おかしくて笑ってしまう。
ふと、鎚を持つ少年が腰に携えた巾着袋に目を落とし、何かを探る。
どうやら時計らしきそれを見て、細剣を持つ少年に早口でまくし立てた。
「時間だっカイズ」
「やべぇっ! じゃーな、オレらかえんなきゃ」
「えっ、あっ、まって!! 立てない……」
走り出そうとする少年らに訴えかけるが、急いでいるようだし待ってはくれないだろう――。
そんな読みはいい意味で外れた。
彼らはやはり満面の笑みを浮かべ、快く手を貸してくれたのだ。
短時間に二度も助けられ、感謝でいっぱいだった。
「素晴らしい!」
「なんと心の優しい少年たちだ」
裁判官、傍聴席の大部分がネオンの証言に賛同し、席を立って拍手を贈る者も。
気恥ずかしそうに視線を彷徨わせるカイズと、清々しそうに眼を細めるジラー。
そんな空気を押し出すかのように立ち上がる者がいた。
「異議あり」という老いた反対者だ。
「お言葉ですがネオン王女。貴女様は彼らに騙されているのではないか? ガイラオ騎士団は幼い頃より世をうまく渡る術を伝授すると聞く。貴女様を助け、一国の信頼を買い、暗殺などという非人道的な行いのダシにしているのだと、私には思えてなりませぬ」
「そのようなことは決してありません」
間髪入れずにはっきりと答えたネオンの言葉に、その場の一切の物音が消える。
「彼らは初め、私を連れ去った盗賊として獄中に入れられるところでした。しかし程なく解放されました。何故だか分かりますか?
彼らは自分の境遇や情報を包み隠さず話し、そのような意志がないこともここに誓ったからです。それからもう七年が経っていますが、王城内で変死した者は一人もいません。それは私以外の者に聞こうとも、変わることのない事実です」
「誓約書」と書かれた書類を高く掲げ、反対意見に対応するネオン。
老人はむう、と唸り、それ以上反論することはなかった。
裁判長は部屋中を見渡し、他に意見がないかを促す。
「それでは、総括に入ろう。情況証拠から鑑みれば、彼らが宿泊客や従業員を無差別に狙ったことは明らか。ネオン氏が語られた内容を以てしても、犯した罪は決して赦されるものではない。何人もの負傷者を出したことは事実に他ならない」
ぐっと唇を噛むネオンと、傍聴席にいる碧ら。
やはり、最悪の事態は避けられないのか。悔しさと悲しさで涙が溢れそうになるのを必死で堪え、皆は次の言葉を待った。
「しかし、君たちはあまりに若い。もちろん、若いからと言って全てを帳消しにすることはできないが、罪を悔い改め、どんな罰も受け入れる覚悟があるのならば、いくらか減刑もできよう」
わっと、法定内が歓喜に包まれた。
裁判長の発言は事実上、裁決が先延ばしにされることを意味する。
想定外だったのだろう。裁判官の中にも困惑顔が目立つが、会場のほとんどが裁判長に同調している様子を見てか、異論を唱える者はない。
耐えられず涙を流す者、呆けている者――。
多くの反応が渦巻く中、少年らは静かに顔を上げる。
「どんなことでも、喜んで」
「それで少しでも罪を償えるなら、この命は預けます」
しっかりとした口調で述べる彼らの目元から、一滴の雫が滑り落ちた。




