第二話 ピンチの後の大ピンチ。 1
『うふふふ。馬に蹴られたいのは、誰ですかぁ?』
「うっ……」
匂いなんか届かずとも分かる、隠しようがない、この酔っ払い臭。
『もし、もぉーし!』
思わず、間違い電話のふりをして、そのまま通話ボタンを勢い良く切りたくなるのを、ぐっと堪え、勇気を振り絞り、名乗りをあげる。
どうせ、着歴で私からの電話だとバレているのだ。
「もしもし。あの、えーーと、こんばんは。菜々葉です……」
『ほうほう。菜っ葉ちゃんが、馬に蹴られたいそうですよー』
うわぁ、これは、かなり飲んでるなぁ。
酒豪と名高い酔っ払わない女『木嶋女史』が、こんなにベロンベロンになるなんて。
おケイってば、いったい、どれだけ飲んだんだ?
ううっ。どうしよう。
この酔っ払い相手に、話が通じるだろうか。
「えーーと。馬には蹴られたくない市村菜々葉ですが。折り入ってご相談が……」
『ご相談? お金の相談以外なら、何でもOKよぉ』
ううっ!
鋭すぎるけん制に、文字通り、ぐうの音も出ない。
でも、ここで言わなきゃ、こっちも後がない。
「実は、今ホテルに居るんだけど、財布を忘れて清算できないんだ。で、もの すごーく、申し訳ないんだけど、お金貸してくれる?」
大きく息を吸い込み、一気にまくし立てる。
『……』
そして落ちる、痛すぎる沈黙。
電話の向こうで訝しんでいる様子が、ヒシヒシと伝わってきて、背筋を嫌な汗が流れ落ちる。
そりゃ、そうだよね。
久々の楽しい彼氏との『おうちデート』の邪魔をしておいて、借金の申し込みなんて。
友達、やめたくなるよね。
金の切れ目が、縁の切れ目って言うし。
なんだか、情けなくなってきた。
互いに次の言葉が出てこず、更に痛い沈黙が降り積もる。
それでも、なけなしの勇気を総動員して、次の言葉を搾り出した。
「えーと。あの、月曜のお昼休みには銀行に行って返せるから……」
『ホテル代清算って、奥田さんはどうしたのよ? 一緒じゃないの? もしかして、ケンカでもして置いてけぼりくったとか?』
逡巡するような微妙な間の後、先刻とは打って変わった落ち着いたトーンの声音で、質問が返ってきた。
どうやら、酔っ払いぶりっこで、からかわれたらしい。
ついでに勘の良い彼女は、私のご相談内容から、ある程度のことを察してしまったみたいだ。
「ケンカをしたと言うか、なんと言うか……」
一方的に売られて応戦できずに逃げに走ったんです、はい。
『もしかして、破局ったとか?』
「ううっ……」
なぜ、そんなストレートに核心をグサリと来るかな、このお人。
『菜ー々ー葉ー?』
地を這うようなハスキーボイスで名を呼ばれ、電話を掴んだまま、シャキーンと背筋が伸びる。
やっぱり、おケイには隠し事はできないや。
「うん、別れた。というか、見事に振られちゃった」
えへへへ、と。
なるべく明るく言ったつもりだけど、やはり語尾が微かに震えてしまった。
そんな私の空元気を見破った上でだろう。おケイは、更に痛い質問を繰り出した。
『原因は?』
「うう、その……」
『彼の、浮気?』
「えっ!? あ、ううん、違う違う。そんなんじゃないけど」
『じゃ、何?』
「……」
『菜々葉。仮にも他人様にお金を借りようっていう人間が、理由を言わないなんて、筋が通らないよね?』
はい。
ごもっともです。




