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花咲き娘の義弟



「ごめん、ユーリイ待たせた?」


なんとか時間通りに準備を終えた私が待ち合わせ場所へ行くと、既にユーリイはそこにいた。


「いえ、僕も今来ましたから」


義弟が微笑むのを私は不思議な気持ちで見つめる。

今の私達は私が屋敷にいた頃よりも、ずっと円満でまともな関係のように思える。

もちろん嬉しいけれど、同時に少し複雑だ。


だって、ユーリイは今もあの屋敷に縛られているのだから。

私が、逃げたせいで。





「何時からお仕事なんですか?」


「五時くらいからよ」


「それじゃあ手短に済ませないとですね」


私が答えればユーリイは微笑んで返したものの、その笑みはぎこちない上に言葉とは裏腹に彼は中々話を切り出さない。

横一文字に閉じられた口は何かを堪えているようにも見えて私は話の先を促すことも出来なかった。


なにか話しにくいことなのかとユーリイの言葉を黙って待っていると、彼は俯いていた顔をそのままに呟くように言葉を漏らした。


「もし、もしも屋敷の者が貴女と話したいと、言ったらどうしますか」


「·····誰かが、そう言ったの?」


ユーリイは何も言わずに唇をかみ締める。

無言の肯定だ。


「それを貴方に言ったのは、誰?」


屋敷の者という言葉に急にバクバクと音を立て始める心臓を服の上から押さえつけながら問いかける。

少しでも気を弛めてしまえば、何かが崩れ落ちてしまいそうな緊張感を抱えながらユーリイの返答を待つ。


「·····母上です」


しばらくの沈黙の後、ユーリイが小さな声で呟いた。


予想外の人物に驚きながらも、私は必死に考えを巡らせる。

何故、このタイミングで突然お母様が?

それに、あの人は自分から行動を起こすような方じゃなかったのに。


「やはり、今の話は忘れてください」


「え?」


グルグルと様々な仮説を立てている私の耳に突然そんな言葉が飛び込んできた。驚いて顔をあげればユーリイが僅かに微笑む。



「姉上はもうローズ家の人間ではありません。ローズ家とは無関係の人間なんです。あの家とは関わりのない街で生きて、その身一人で生きている。·····だから」


何かを堪えるように無理に口角を上げるユーリイを見た瞬間、周りの音が、あれだけうるさかった自分の心臓の音さえも遠のいていくような感覚に襲われた。


ああ、私はまたこの子にこんな顔をさせて自分だけ逃げるのか。




無意識に噛み締めていた奥歯がギリリと音を立てた。


どこまで言っても私の本質は変わらなくて。臆病者で、卑怯者だけど。


·····でも、ここで逃げたら駄目だろう。



「ユーリイ」


一歩、距離を縮める。

彼の目には今にもこぼれんばかりに涙の膜が張っていた。


「お母様に伝えて。日程の程はいつがよろしいでしょうか、と」


ユーリイが勢いよく顔を上げた。

その拍子に涙が一筋こぼれ落ちる。

·····この子はすぐに泣いてしまうんだから。


私は綺麗な彼の目を見る。


「確かに私はローズ家に勘当された。だからもうローズ家の娘ではない。だけど·····、だけどね図々しくて卑怯だとは分かっていても」



願わくば



「私は未だ貴方の姉でいたいと思ってしまうの」



私はずるいから、一人で逃げたくせに、全てを中途半端に放置してきたくせに、貴方にそんな顔をさせたくないと思ってしまうの。



姉として、なんてもうそんな大口叩けないけれど。


でも、貴方の幸せを願うものとして私も少しは力になりたい。



私は、ずるいから。

そう思ってしまうの。



手が震えているのがバレないよう、腕を後ろに回す。


「日程、決まったら教えて。その日はミャーシャさんに頼んで休みにしてもらうから」


「で、でも姉上」


心配そうな顔をするユーリイに私は笑いかける。


「そんな顔しないで。むしろこんな機会二度と来ないと思ってたから有難いくらいよ。私も、ちゃんと話さないと」


「·····僕は姉上に面倒事を持ち込んでばかりですね」


ボソリとユーリイが呟いた。


「あら、そんなこと言ったら私なんて屋敷にいた頃は面倒事しか持ち込んでなかったわよ?」


「姉上·····」


思い出せば思い出すほど割とガチで迷惑しかかけていない私としてはユーリイが面倒事を持ち込んでいるなんて思ったことは一度もない。

むしろ私が歩く厄災的なところなのだろう。ものすごく不本意だけど。


「もう少し話してたいけど仕事に遅れちゃうから私はもう戻るね、じゃあ、また今度」


ユーリイの顔から険しさが薄れたのを確認した私は別れを告げる。


「·····あの、ありがとうございました!」


ユーリイがお礼を言う必要なんてないのに、と思いながらも私は頷きその場を離れようとする。

が、何故かユーリイからもう一度「あと!」と呼びかけられ振り返る。


「く、く、首の、その、赤い、の、隠した方が、良いと思います。それじゃあお仕事頑張ってくださいっ!!」


「え·····」



そう言うとユーリイは詳しい説明をすることなく早足でその場から立ち去ってしまった。



·····え?



首の、赤いの·····?




自然と手が首筋に伸びる。


そこは、先程あの腹黒男に印をつけられたところで。



隠してきたつもりが、隠れていなかったらしい。



·····あいつ、絶対に許すまじ。



義弟にとんでもないものを見せてしまった羞恥心で爆発しそうになりながらも私はあの男をどうしてくれようかと拳を握りしめたのだった。




◇◆◇


「という事情がありまして、その日はお休みをいただきたいんですけど大丈夫ですか·····?」


「だ、大丈夫に決まってるだろう?!そんな大切な日をどうして早く言わないんだい?!」


「つい先日やっと日程が決まったんです」


あはは、と笑えばミャーシャさんは呆れ気味に「まったく」と私を見る。


時は夜。閉店時間となり、後片付けを終えたタイミングで私はミャーシャさんに先日の事の程を伝えた。


ちなみにミャーシャさん達には私が貴族だということは聖女騒動後にやんわりとではあるものの、伝えた。

もちろん勘当されているということも。


正直、物凄い緊張したし追い出される覚悟で話したのに思ってたよりもずっとあっさりと受け入れてくれて拍子抜けしたのをよく覚えている。

曰く、貴族だろうが貴族じゃなかろうがアリーサはアリーサだし、そもそもアリーサには貴族らしさがないから気にならない、だそうだ。


·····喜べばいいのか悲しめば良いのか。


まあでも、これもミャーシャさんの優しさなんだと思う。

暗い雰囲気にさせないように、ならないように。私が気を遣うことがないように。


私の大好きなミャーシャさんはそういう人だ。

ミストさんもアルトの時なんかもっと大変だったなんて言って、だから気にすんなと私の頭を撫でてくれた。


その日は心底この人達に出会えてよかったと思えた一日だった。




「·····本当に、大丈夫なのかい?」


そんなことをしみじみと思い出しているミャーシャさんから恐る恐るといった感じで聞かれた。


「はい。このままじゃ良くないって言うのは前々から思っていたのでちょうど良い機会です」


「それなら良いけど·····。無理は禁物だよ?」


「はい、ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げればミャーシャさんは眉を下げて笑った。




「何の話?」


とその時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

その声に私は顔を顰める。


「立ち聞きはやめてください、アルトさん」


振り向くとそこにいたのはやはりアルトさんだった。

アルトさんは私の言葉にたまたま耳に入ってきたんだよ、と悪びれる様子もなく笑う。


「それより、休みとか大丈夫とか何の話?」


「·····アルトさんには関係ない話です」


私を見つめるアルトさんから顔を逸らせば、ミャーシャさんが「まだ喧嘩してるのかい?」と隣で笑った。


喧嘩というか·····。


私はミャーシャさんにそんなところです、と返事をしながらアルトさんをチラリと見る。

微笑みかけられたのでまた目をそらす。


私はあのキスマークをつけられた日からアルトさんと最低限の会話しかしていない。


いや、分かってる。自分でも大人気ないと分かってる。

でもユーリイと話が終わったあとにお店に戻って私がどれだけ恥ずかしかったのか抗議してもこの人、ずっと楽しそうに笑うだけなんだもの。


だからちょっとした腹いせとしてここ数日まともに会話をしていないのでミャーシャさんや常連さん達には喧嘩していると思われている。


·····私も、もはや意地になってる気もするけど。


アルトさんの視線から逃げるように背を向けた私はミャーシャさんにおやすみなさいと挨拶をして自分の部屋へと戻った。






















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