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44 花咲き娘、受け入れる


「でも、ミユハさん。貴女がスパイだとすると、先程とは別に幾つかおかしな点が出てくるんです」


ミユハさんがスパイかもしれないと思い始めた頃から、ずっと思っていたことだ。


首を傾げて言葉を待つミユハさんに私は単純な疑問を投げかけた。


「貴女は聖女である私に危害を加えようと思えばいつでも加えることが出来た。それなのに、それをしなかったのはなぜです?

それだけじゃない。ミユハさん、貴女はアスラン国王に全ての情報を伝えていた訳では無いでしょう?」


「ええ」


何の抵抗もなく放たれた肯定の言葉に私は少し拍子抜けしてしまう。


「·····それは何故ですか?」


「私は聖女に危害を加える気は一切ありませんから」


「へ?」


にこやかに言われた言葉に私は本日二回目の石化をする。

·····スパイなのに、危害を加える気はないって言い切った。


間抜けな顔をしている私にミユハさんは少し困ったように微笑んだ。


「·····どこから話せば良いでしょうか」


そう呟いたミユハさんは数秒思案するように目を伏せたあと、顔をゆっくりとあげた。

真っ直ぐな力強い瞳と目が合う。


「アリーサ様はアンナ・リーメンという女性をご存知ですか?」


「·····はい。今回の件の黒幕と言って良い女性、ですよね?」


「その通りです。そのアンナと私は実は幼馴染なんです。とは言ってもアンナの方が幾ばかりか年上ですけど」


「え。そ、そうなんですか」


「はい。私とアンナは幼い頃から共に遊んだり、お喋りをしたりする仲でした」


突然変わったように思える話題に戸惑う。

·····確かにアンナという女性とミユハさんは同い年くらいに見えるし、ミユハさんの出身がアスラン国王の国だと言うのなら何もおかしくはないと思うけど、それがどうやったら私の最初の疑問に繋がるのか。



「アンナの父はこの国との戦争で命を落としました」


凪いだ声でミユハさんが語り出す。

そう言えばあの女性自身、戦争で父を亡くしたと言っていた。

私は頷き、話を促す。


「そして、私の父はアンナの父と親友でした。だから私の父はずっとこの国を憎んでいました。そして戦争も終わりかけと言う頃、父は母を置いて忽然と姿を消しました」


「·····え」


予想もしていなかった展開に思わず声を漏らせばミユハさんが「私の父はどこに行っていたと思います?」と悲しそうに微笑んだ。


「わ、わかりません」


「私の父は、この国に騎士として生まれを隠して潜入していたんです。ちょうど今の私のように。そして、父はそこで聖女のことを知った」



ミユハさんの言葉に何かが引っかかった。

·····この話、どこかで。



「父は殺された家族の、親友の仇を討とうと聖女に刃を向けたそうです。ですが当然そんなことが上手くいくはずもなく、父は捕らえられました」



そしてその言葉に私の脳裏にある映像が甦った。


ああ、これはあの時、資料室で見た、お祖母様の記憶·····。


お祖母様が心を壊す一因となった、あの時の騎士が、ミユハさんのお父さん。

紛れもない殺意を向け、どこか嘆くように叫んでいたあの騎士。



「·····その後、お父様はどうなったんですか?」


「捕らえられて処刑寸前だったそうです。でも、聖女がそれに待ったをかけた。そしてそのせいで内部がゴタゴタとしているうちに父は何とか逃げ出したようです。かなり瀕死の状態だったみたいですが。

·····すべては私が産まれる前のことです。私は母と父から聞いた話しか知りません。結局、その後父は騎士を引退し、実家の農家を継ぎました。時々アンナのお母さんとアンナと会ったりしながらも特に争いもなく平和な日々を過ごしていました」


話を聞くには、一先ずとはいえ一件落着かのように聞こえる。

でも、それだとどうしてアンナと呼ばれるあの女性があそこまで恨みを持っていたのか。


不思議に思っていると、ミユハさんは「でも」と少し声のトーンを落とした。


「私達家族もなるべく手助けはするようにしていましたが、なにせ私たちは敗戦国です。国自体が経済的に貧しく正直自分たちの暮らしだけでも精一杯と言った状況でした。そして、女手一つでアンナを育てていたアンナのお母さんはもっと大変だった。

·····ある日、無理がたたったアンナのお母さんは倒れてそのまま」


俯き、重ねた手のひらをぎゅっと握るミユハさんに私は自嘲気味に笑っていたアンナと呼ばれる女性を思い出す。


父は戦争で死に、母も間接的とはいえ戦争の影響で無くなった。

それなのに国は孤児になんの手も差し伸べようとしない。


きっとその頃に幼心にアンナさんの心にはハッキリと憎しみと恨みが刻まれたのだろう。




「身寄りのなかったアンナを私達の家族が引き取ることにし、一緒に暮らし始めました。

あんなに明るかったのが嘘みたいに静かでまるで屍のような幼馴染みの姿があまりに衝撃で、私は幼馴染をこんな不幸にした一度も体験すらしていない戦争を憎み、そしてその相手であったこの国のことを恨みました。

その頃から再び戦争を行おうとせん過激派が出てきたのも要因だったのかもしれません」


喉が張り付いて上手く声が出せない。

そもそも上手く声が出せたとしてもなんと喋ればいいのか、なんと言葉を投げかけるべきなのか分からない。


「·····でも、そんな時父が私に話してくれたんです。聖女の話を。誰にも口外しないことを約束に」


·····口外しないことを約束にってことは、


「お、お父様は、国に聖女のことを報告しなかったんですか?」


だとしたら何故自分の国が有利になるような情報を報告しなかったのだろうか。


頭にはてなマークを浮かべる私にミユハさんは頷いた。


「ええ。父は言っていました。自分は確かにあの国を恨んでいたし、今でも許しきれていない、と。

·····でもそういった後、必ず決まってこう言うんです。

でも、聖女も私たちと同じ被害者で、紛れもない人間だった、と」


何かを思い出すように目を細めるミユハさんは一度息をついた。


「『忘れられないんだ、あの時の悲しそうな目と絶望したような表情が。今でも夢に見る。俺はあの顔を思い出す度に自分がどうすればよかったのか分からなくなるよ』

父が私に言った言葉で最も覚えているものです。父は全て覚えていました。家族を亡くした悲しみも親友を失った喪失感も。でも、それでももう戦争は嫌なのだと、そう語っていました」




その言葉に私はお祖母様の記憶で見た映像を思い出す。

まるで何かを訴えるようにお祖母様に刃を向けていた騎士は、そうか。しっかりとお祖母様の苦しみをわかってくださる方だったのか。·····そうか。


優しく静かに微笑むお祖母様の顔が頭に浮かぶ。

·····お祖母様。貴女はきっとこんなこと言ったら怒ると思いますが、私はもうお祖母様は十分すぎるほどに善を尽くしたと思うのです。だから、だからあちらの世ではお祖父様とどうかお幸せに暮らしてください。



大好きなお祖母様へ目を瞑ってそう願う。



「·····でも、アンナはそれをどうしても受け入れられなかった」



その時聞こえてきたミユハさんの声に私はハッと顔を上げる。

そうだ、まだ話は終わっていない。



「アンナからすれば幼い頃に植え付けられた絶望感や国への猜疑心というのは絶対で、父の言葉にその心が揺らぐことはありませんでした。そして、アンナは成長するにつれて、アスラン国王の近くに仕えることを望むようになりました。だから、私はてっきりアンナも過去を受け入れて前へ進んでいるのだとばかり思っていました。

·····でも、私がこの時に気づいていればよかった。そうすればこんなことにはならなかった」


声を震わすミユハさんはその瞳に零れそうな涙を湛えて話し続ける。


「その頃に戦争を支持する過激派の運動が活発になり、国は荒れ始めました。そして私は国がスパイを必要としているというのを聞きつけ、自ら志願しました」


「それは、何故ですか」



聞いていいのか分からないまま、口からとび出た問いにミユハさんは「確かめようと思ったのです」としっかりとした口調で答えた。


「父の言う聖女という存在はもちろんのこと、この国がどんな所なのか、戦争を行うことは正しいのか。この目で見て確かめたかった。

·····だから本当のことを言ってしまうとスパイなんてものに志願しておきながら私にはこの国を害する気も憎む気持ちもあまりありませんでした。ただ、何が正しいのか。見極めたかった」


取り敢えずミユハさんが、明確な敵意や殺意を持ってここにいる訳では無いことに安心する。

いくらスパイであろうと、なんであろうと私はこの短い期間でミユハさんのことが好きになってしまったから、やっぱりそういう感情を向けられるのは痛い。


「でも、この国で生まれを隠して働いて、なによりもアリーサ様という方の人となりを見て私自身、すっかり戦争反対派になってしまいました。国民は皆とても良い方だし、アリーサ様は自らのしがらみから抜け出そうと必死にもがいていました。

そして、ついにはこの国の国王の気持ちさえ変えてしまわれた」



ミユハさんが柔らかく微笑む。

その笑みがいつも通りのミユハさんの笑みで思わず私もいつもみたいに気の抜けた笑みを返す。



「本当に凄いと思います。私は心の底からアリーサ様を尊敬します」


慈しむように言葉をかけられ、私はむずがゆいような、こそばゆいような気持ちになる。



「最早私にこの国と戦争をする気はおろか、スパイ活動を続ける意味も無くなりました。だから、スパイをやめようとアスラン国王に申し出ようとした丁度その頃、アスラン国王親子とアンナがこの国に来ることを知りました」


そう言うとミユハさんはそれまでの優しい微笑みを消し去り、俯いた。


「そうして、国に来たアンナと本当に久しぶりに話をしてそこで初めて知りました。アンナが未だにこの国を、そして母国さえもを許せずに憎しみを抱えているということを」


息を呑む私にミユハさんは頭を下げた。


「聖女のことをアンナに話してしまったのは私なんです。つい、久しぶりの再会が嬉しくて父の言っていたことは本当だったと。聖女は本当に居て、本当に優しい一人の女性だったのだと。

·····だから、だから、私は本当にアリーサ様に感謝されるような人間では無いのです。むしろ、私は、アリーサ様が攫われた原因で·····」


俯いて表情は分からないが、握りしめた拳にポツポツと雫が落ちた。

·····涙だ。


私は席を立つと、向かい側にいるミユハさんの元へ近づき跪いた。

拳にそっと手を添えれば、驚く程に冷たく、そして震えていた。


「ミユハさん」


彼女は肩を揺らしただけで、言葉はかえってこない。


「·····ミユハさん、辛かったですよね。アンナさんも、ミユハさんも、お父様も、きっと私なんかが想像できないほどに大変な思いをされてきたはずです」


少しかさついたミユハさんの手を撫でる。


「私たちの居場所を国王様達に伝えるのもきっと相当な覚悟が必要だったと思います。·····ありがとう」


そう言うと、ミユハさんは弾かれたように顔を上げた。

その顔は幼子が今にも泣き出しそうなそれと瓜二つだった。


「私はっ、私は·····」





それからミユハさんはゆっくりではあるものの、話してくれた。


アンナさんの気持ちを知って戸惑ったこと。

何とか止めようと模索したこと。

いっそ私に全てを打ち明けようと思ったこと。

·····そしてその日に私が攫われてしまったこと。


居場所はアンナさんが一度会話の中で零したのを覚えていたらしい。

私は気絶しているし、アンナさんも捕まってしまった。

そして、ジュリーナ姫はアンナさんのせいで怪我を負った。

ここ数日気が気ではなかったと話してくれた。




「こんなこと、許されないことだとはわかっています。ですが、どうして願わずにはいられないのです。どうか、アンナを殺さないで·····」


震えるミユハさんを私は抱きしめる。


「大丈夫です。私は元からアンナさんを処刑しようだなんて思ってません」


「·····え?」


「私、どうも争いごとは嫌いなんです。みんな平和に生きていけるんだったらそれでいいじゃないですか。·····周りの人には甘いとか言われるんですけど」


苦笑いをすればミユハさんは首を横に振って「とても、とても良いお考えだと思います」と瞳に涙を浮かべながらではあるもののやっと微笑みを見せてくれた。






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