74 ダイアナ②
私は翌日、自分の仕事をサクッと終わらせて、隣の神殿に出向き、ドーマ様に幼い頃以来二度目の鑑定を念のためにしてもらった。
「そういえばダイアナは〈紙魔法〉だったねえ。王都で励めば文官になれるぞ?」
そう言って笑うドーマ様に、私はビシッと言い切る!
「文官になんかなる気はない。私はクロエちゃんみたいにかっこよく、このローゼンバルクのために動いて、孤児院のガキンチョたちにありがとうって言われて、美味しいものをいっぱい食べたい! ドーマ様、〈紙魔法〉じゃ無理?」
「……無理なもんかね。どの魔法もマスターになれば、その辺の大人よりも心身ともに強くなる。紙ならば……クロエの副官を目指すのはどうじゃ?」
ドーマ様が目尻を下げて微笑んだ。
クロエちゃんを助けられる? 私が?
願ってもない!
「ドーマ様! 私頑張る! どうすればいい?」
「他と比べず自分の適性を極め、クロエに悲しい思いをさせない行動を選ぶことじゃな」
ドーマ様の知る〈紙魔法〉の鍛錬法は紙飛行機を一時間飛ばし続けること、自在に操れること、三キロ飛ばすこと。寝る時には魔力を空にすること。
この課題ができるようになるまで、一年かかった。
それと並行して、孤児院での基礎学習が終わったあと、別の学習を用意される。教えてくれるのはドーマ様の副官である二人。一般教養から、王族や貴族、神殿の知識、習字、文章のルール、速読速記など。
二年経ち、〈紙魔法〉レベル30を超えると、自然と魔法の応用が思いつくようになった。
転写や、分類などデスクワークで役に立つもの。クロエちゃんのタンポポ手紙の紙飛行機バージョン。そして、うちの孤児院の幼子が誘拐されそうになったとき、とっさに周囲のありとあらゆる紙や本を引き寄せて、犯人を押しつぶした。
なんだ。〈紙魔法〉も攻撃できるんだ。
そこからヒントを得て、紙で敵を圧倒させる技を創造する。
私たちのローゼンバルクには、私よりも強い人がたくさんいるけれど、皆が討伐で出払っている時には、若い私が人々を守る……せめて時間かせぎになるのだ。
そんな私は、いつも埃かぶって、魔力を空にして、げっそりしていた。
するとたまたま神殿に祈祷に訪れていた次期様が、ニッコリ笑って、
「なんだなんだ、めちゃめちゃ頑張ってるな、おまえ! 偉いぞ!」
と頭を撫でてくださった。
私はクロエちゃんがいつも汚れてるけれど、笑ってる理由がわかった。
ウチのトップは、自分が通ってきた道ゆえに、理解して、労ってくれる。
十三歳を過ぎると、ドーマ様は次期様の通う上級学校の入試? 過去問を私に解かせるようになった。
「ドーマ様、これ……ローゼンバルクで役に立つとは思えません!」
「役に立たない学問なんぞない。まあしかし、学者になるわけではないんじゃから八割取れればよかろう。どんな方法を使っても構わん。ふふふ……」
私はとりあえず、毎回正答の書かれた回答用紙を、脳にコピーした。紙ならば、人差し指で触れさえすればいい。
◇◇◇
私が成長するように、同じく大きくなっていくクロエちゃんは、用事で王都に呼ばれて行っては、疲れたり、悲しい顔をして戻ってくるようになった。
「王都、嫌なところなんでしょう? 行かなきゃいいのに」
そうクロエちゃんに言うと、
「私も本当は、ずーっとここにいたい。ダイアナ、私はローゼンバルクにいてもいい?」
「何言ってんの? ここがクロエちゃんの家でしょう?」
「……そうなの。ここしか……私が生きたいところなんてない」
孤児院出身で、領主館の使用人をしている先輩によると、意地悪な母親が押しかけてきたり、凄腕薬師のクロエちゃんを力で取り込もうとする人がいたり、大事な恩人を殺されたり……悲しい目にばかりあっているという。
意味がわからない。なぜ、善行の塊のクロエちゃんがそんな目にあうの? 私は祭壇の神像に文句を言う。
「ほう、ダイアナ、マスターになっとるぞ! おめでとう!」
大陸を横断する『紙鳥』と、決して燃えず、改ざんもできない紙を作り上げたとき、私はとうとうレベル50の壁を超えた。
「わしの側人たちも、ダイアナに教えることは、もはや謙虚さだけだと言っておったわ」
ドーマ様がくっくと笑いながら言う。
「謙虚でいたら、孤児なんて食いっぱぐれるし!」
私が頰を膨らませると、ドーマ様が苦笑しながら頷いた。
「よし、それでは、これからは孤児院と神殿の帳簿付けは全部ダイアナに任せよう。もちろん美しく丁寧に正確に、時間制限をつけるぞ? これも修行の内と思え」
「えええ! なんか仕事増えた! 面倒!」
「……そうじゃ、仕事じゃ。お手伝いではない。仕事を〈紙魔法〉マスターに頼むのじゃ。当然給料を出す。少しで……すまんな、ダイアナ」
ドーマ様が申し訳なさそうな、自分にガッカリするようなお顔になる。
「お、お給料……?」
「ふふふ。ダイアナ、おまえはとっくに一人前なんじゃ。ここでの作業に慣れたら、ベルンに預ける。もはや、おまえを教えられるのはベルンくらいじゃな」
ベルンさんはお館様の従者で、領の奥向きをいっさいがっさい取り仕切る人。
「わ、私なんかが……お館様の帳簿を見るなんて……いいのかな……」
「どうした? 急に謙虚になって? ああ、そうだ。お館様に〈木魔法〉を手ほどきしてもらえるように頼んでおこう。〈紙魔法〉の50オーバーのレベルアップにつながるはずじゃ」
お館様に直接? 私の人生、とんでもないことになってきた!
そう思って少し興奮しながら院と神殿の帳簿付けに取り組むようになり、あっさり慣れてそれぞれ五分で終わらせるようになった。
そしてベルンさんに引き合わせられた。しかしタイミング悪く、ベルンさんはクロエちゃんの入学に合わせて王都に行くと言う。過去の資料を項目別に纏める宿題を出されて、クロエちゃんと一緒に旅立った。
出発前に、ドーマ様に挨拶に来たクロエちゃんに駆け寄る。
「クロエちゃん! 王都で勉強頑張ってね!」
「ダイアナ、ドーマ様とみんなをよろしくね! 夏にいっぱいお土産持って帰るから、子どもたちと楽しみに待ってて!」
◇◇◇
王都に行って僅か一ヶ月あまりで、ボロボロのクロエちゃんを次期様が抱いて戻ってきた。
「ベルンさん! なんでクロエちゃん、あんなにやつれちゃったの? 出発前に孤児院に来たときは元気だったのに!」
「ダイアナ?……そうか、おまえは親しかったね……クロエ様は、理不尽な言いがかりをつけられて……心身ともに傷ついてしまったのです」
ベルンさんに、詳細を聞く。怒りに震える。
クロエちゃんのことを何も知らないくせに! 薬草がどんな過酷な場所に生えているかも知らないくせに! 魔獣を自分の目で見たこともないくせに! 本当にお金がなくて、凍え死にしそうになったことなどないくせに!
あっという間にクロエちゃんが不本意な帰還をしたことは領地中に知れ渡った。
皆、クロエちゃんの快復を祈りながら、黙って怒りをそのまま、己磨きにぶつける。
数週間後、ドーマ様からお呼び出しがかかった。
「ダイアナ、本当に……おまえの出番が来たようじゃ。わしらの敬愛する姫様の、盾になる覚悟はあるか?」
……何を今更。
「クロエちゃん無しでは……今の私はないわ。私がこれまでクロエちゃんに助けられた領民を代表して、クロエちゃんの……」
盾……になどなれない。私にはクロエちゃんほどの力はない。
でも……
「……クロエちゃんの副官になる。いつも一緒にいたい」
ドーマ様は頷いて、おそらく時をおかずに開催される、従者選抜の審査に出るように勧めてくれた。次期様とクロエちゃんの間に生まれた自分が有利なことを聞く。その強運に感謝した。
「強運とな?……クロエがここに来てくれたことも、ダイアナがクロエを支えようとしてくれるのも、やはり神のお導きなのかもしれん……」
「……ドーマ様、ちょっと年取りすぎたんじゃない? 神がいれば、私もクロエちゃんもこんなに苦労せずに済んだよ」
「神官に向かって、痛いことを言う」
ドーマ様の読みどおり、お館様は従者を募った。私は参加して、逃げ切った。
従者に選ばれたのは私を含め四人。デニスとトリーは次期様に心酔している。
ミラーと私はクロエちゃんに恩を感じている人間。ミラーはクロエちゃんの薬でお母様が生還したとのこと。クロエちゃんの隠れ信者だ。
「クロエちゃーん!」
「って、え? ダイアナじゃない!」
クロエちゃんを驚かせることに成功した。
◇◇◇
初めての王都は建物が高く、別世界のようだった。
そして、同世代の人間は、幼く、理解できないものの集まりだった。クロエちゃんの偉大さがわからないものに、近づかせる義理はない。どうやらこのクラスでマスターは私とクロエちゃんだけ。遠慮なく威圧する。
お弁当をクロエちゃんの口に差し出す。
「アーン?」
「あ、あーん?」
クロエちゃんが戸惑うところなど初めてだ。これまで目的に向かって凛々しく突っ走るクロエちゃんしか見たことなかった。クロエちゃんが恥ずかしがっているのはわかってるけれど、楽しくてやめられない。
「ダイアナ、ありがとう。この学校でこんなに楽に息ができるなんて、初めて」
「うふふ〜褒めて褒めて〜」
「ダイアナ! スゴイ! 何か……私にできることがあれば、言ってね?」
「クロエちゃん!その発言禁止! つけ込まれるワード第一位だよっ!」
「え? そうなの?」
予鈴が鳴り、立ち上がる。早く教室に戻ろうと繋いだクロエちゃんの手は、農作業でできたマメだらけ。上から見下ろすと日に当たりすぎて、髪もとっても傷んでいる。
左腕の柔らかな場所は、自分の薬を試すために敢えてつけた生傷が多数。他に試検方法がないために、マリアさんが止めても繰り返すらしい。
私は今日も、優しすぎる主の隣で、せめて外に向かって牙を剥く。




