第96話 プロゲーマーは叛逆する
ハウスにプラムしかいないときに、リリィが訪ねてきた。
この恐るべき事態を前にして動揺したプラムは、彼女をリビングに招き入れてしまった。
(……帰ってもらえばよかったあぁ……!!)
と思ったのは、キッチンで紅茶を淹れてカップに注ぎ、ソファーに座ったリリィの前に置いたときのことである。
(ジンケさんいーひんにゃからいーひん言うたらよかったやろっ……!? なんで招き入れとんの!? アホ! アホアホアホ!!)
自分を責めるあまり、普段は抑えている関西弁が心中に乱舞する京都人プラム。
ぎこちなくリリィの対面に座ると、リリィは茶道の人みたいな綺麗な所作でカップを手に取り、プラムが淹れた紅茶に口をつけた。
「……おいしくない」
「ひッ……!?」
「わたしが辞めてから、こんな酷いのを飲んでるの?」
あなたが勝手に辞めたんじゃないですか!!
――とは、面と向かって言えるわけがなかった。
リリィはカップとソーサーをテーブルに戻すと、何やらウインドウを開いて書き物を始める。
数十秒の間、プラムがひたすら所在ない気持ちでいると、リリィの手がようやく止まった。
ウインドウが1枚の紙に変わる。
それをプラムのほうへぺらりと差し出して、リリィは言った。
「紅茶の淹れ方、書いておいたから。今度からこれ見て淹れて。こんな酷いお茶を飲んでたんじゃ、ジンケのモチベーションが心配」
これには、さすがの人見知りもカチンと来た。
「……あたし、ジンケさんのメイドじゃないんですけど」
プラムなりに精一杯の不満を込めた声をぶつけてみれば、リリィは無表情のまま、ことりと首を傾げた。
「……そっか。そういえばそうだった」
そう言って、リリィはソファーから立ち上がったかと思うと、キッチンのほうに向かって、メモ書きを壁にぺたぺたと貼り付ける。
その背中を見やりながら、プラムは薄ら寒い気持ちでいた。
(……今、そういえば、って言った?)
この人、あたしのこと、忘れてるのかな?
まさかとは思う。
《RISE》のときは、あんなにも謂われのない嫉妬を向けてきたのに……。
いや、と思い直した。
あのときは、ジンケがいた。
あのときのプラムは、リリィにとっては、ジンケにくっついてきた付属物だったのではないか。
だから、ジンケのいないこの状況では、プラムのことをうまく思い出せなかったのでは……?
(……なにそれ……)
勝手な想像ではあれ、愉快な想像ではなかった。
この人は、どこまでジンケ中心なのだ。
それなりに同じ時間を過ごしたはずなのに……あたしのことは、眼中にも入ってなかったの?
リリィはキッチンから戻ってくると、ソファーの元の位置に腰を落とした。
プラムが淹れた紅茶には、もう手を伸ばそうともしない。
「ジンケは、いつ来るの?」
それは、まるでNPCの村人に話しかける、RPGの主人公だった。
答えが返ってくることを疑いもしていない質問。
目の前の人間が、自分の必要とする情報を無条件で提供してくれると、確信さえ必要なく、ただ当たり前にそう思っている。
「……ジンケさんに、何の御用ですか?」
「言う必要ない。ジンケは、いつ来るの?」
「何の御用ですか?」
「ジンケは、いつ来るの?」
こっちに合わせようという気持ちが、欠片も見られない。
彼女にとって、ジンケ以外はモブなのだ。
村の名前を教えてくれるNPCのような、意思の存在しない背景でしかない。
その認識が態度や言葉から滲み出ていて、プラムの中に冷たい気持ちが積み重なった。
「……よくも、当たり前みたいに、そんなこと訊けますね」
人見知りの自分がブレーキを掛ける前に、口から言葉が溢れ出す。
「ジンケさんが、いつ来るか? いきなり辞めて、姿を消したあなたのことを心配して、ここに来るんじゃないかってずっと待って! そんなジンケさんを、結局、あなたは待たせっぱなしにしたじゃないですか!! 勝手に出てって、ジンケさんを心配させて、不安にさせて、寂しがらせて、悲しませたあなたがっ!! どの面下げて今ここにいるんですか!? どういう神経してたらそんなことができるんですかっっ!!!」
リリィは表情を微動だにさせないまま、じろりと、眼球の動きだけでプラムの顔を見た。
初めて、視線が合う。
石のように揺れることのないその瞳にさらなる言葉を叩きつけようと、プラムは腰を浮かせた。
「あなたなんて、ジンケさんの彼女でいる資格っ―――」
そのとき。
部屋が薄暗くなった気がした。
ひやりと、全身を冷感が覆う。
おかしい。クーラーがあるわけでもないのに、窓が開いているわけでもないのに。
対面のリリィは、少しも動いていないのに。
まるで縛り付けるように全身にまとわりついた寒気は、自分の内から湧き起こってくるものだった。
その証拠に、プラムの姿勢は、腰を浮かせた状態から、一向に動こうとしない。
否、動けないのだ。
背後に立つ誰かが、ひたりと、首筋に刃を当てている。
ナイフではない。剣でもない。
菱形の刃を備えたそれは、カテゴリとしては投擲武器に当たった。
最近、プラムも自分で使っている。
ジンケたちと共に作り上げたスタイルが、それを主要武器のひとつとしているからだ。
クナイ、だった。
いつの間にか背後に立った黒い影が、クナイをプラムの首筋に添えているのだ。
「――耳に余ります」
恐ろしく冷たい声が、耳元から頭の中に吹き込まれた。
「我が師範への、数え切れない無礼の数々。もはや看過できるものではありません。――お覚悟あれ。仮想現実といえども、五感があるのなら十二分」
VRだから。
仮想だから。
痛みはないから。
ゲームだから。
すべての言い訳を、囁くような声が粉々に打ち砕いた。
喉がひくつく。
涙が滲む。
何をされるのかはわからない。
だが、恐ろしいことであることだけはわかった。
全身を硬直させ、思考さえも諦めたように手放しかけたそのとき。
「ミョウブ」
淡泊な、しかし咎めるような声で、対面のリリィが背後の何者かに告げた。
「必要ない。下がって」
「……御意」
首筋に当たった刃と背後にあった気配とが、嘘のように消え失せる。
水中から顔を出したように荒く息をして、恐る恐る、後ろを確認した。
「…………???」
誰も、いなかった。
ほんの少しの名残さえ、そこにはなかった。
まるで白昼夢のように。
「……出直すことにする」
プラムがきょろきょろと辺りを見回して混乱しているうちに、リリィが立ち上がった。
「ジンケ、来ないみたいだし。スタイルの調整が終わったから、お披露目しようと思ったんだけど」
「……スタイルの調整が、終わった……??」
聞き逃せない言葉を聞いて、プラムは眉を潜めながらリリィを見上げる。
「環境はまだ荒れ放題なのに、この状況で調整なんてできるわけ――」
「環境なんか関係ない」
冷然と、断ち切るように、リリィは宣言した。
「本当の最強なら、相手が何であろうと、状況がどうであろうと、必ず勝つ」
(……本当の、最強?)
その言葉に、プラムは激しい違和感を持った。
本当の最強。
何が相手でも決して負けない、不動の強さ。
短くはないプラムのゲーム経験が、それによって培われた無意識の矜持が、リリィの言葉に反駁する。
「そんなの、存在しません」
立ち上がり、同じ目線の高さで、真っ向から。
「本当の最強なんて――そんなものがあるゲームは、クソゲーです」
リリィは静かに、無感情な瞳のままで、プラムの目を見返した。
まるでロボットのようなその目つきは――
しかし確かに、プラムという一人の人間を、敵意を込めて睨んでいた。
「……そう」
素っ気なく言って、リリィは背中を向ける。
「だったら、証明してみればいい」
そのまますたすたと、彼女はリビングを出て、玄関に向かった。
……本当に、自分勝手な人だ。
このまま帰してしまうのが何だか悔しくて、プラムは彼女の背中を追いかける。
「リリィさん!!」
玄関ドアのノブに手を掛けていたリリィは、その声にぴたりと静止した。
「あ……あんまりジンケさんを放っておいたら……あた、あたしが、もらっちゃいますよ?」
リリィは目線だけで振り返る。
その目は相変わらず、ロボットめいた無感情だったが――
口元にはかすかに、嘲るような笑みが滲んでいた。
「噛まないで言えるようになったら、もう一回言ってみて」
冷然とした言葉だけを残して、バタンとドアが閉じる。
誰もいなくなった玄関を見据えながら、プラムはへなへなと廊下に座り込んだ。
そして、
「――あああああ~っ!!! もおおお~~~っ!!!」
いろんな意味での悔しさを、床に向かって爆発させた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
11月27日土曜日。
ついにこの日がやってきた。
21時開始予定の『ゴッズランク1位になるまで寝ない配信』に向けて、オレとプラムはハウスのリビングでいったん集合した。
「よおプラム。ちゃんと仮眠は取ってきたか?」
「なんとか少しは眠れました……。あのう、実際のところ、何時間くらいかかると思います?」
「今のランクは?」
「125位です」
「オレは109位だ。内部レート的には大差ねーだろうな。まあ、この内部レートってのが問題なんだが……」
「見えないんですもんね……」
ゴッズランクの順位付けは、非公開のレートによって決定していると言われている。
レートってのは、勝敗によって上下するポイントのことで、強い相手に勝つほど大きく上がり、弱い相手に負けると大きく下がる。
だから、一桁順位の人間が900位くらいの相手と当たって負けたりした日には、レートががくんと下がっていきなり80位くらいになったりすることもある。
これが非公開であることの何が厄介かといえば、どれだけ勝てば1位になれるのかわからないことだ。
例えば、現在109位のオレのレートが1000だとすれば、現在1位の人間は1200かもしれないし1300かもしれないし、もしかしたら2000かもしれない。
1位と109位の間にどれだけの距離があるのかは、実際に1位になったときにしかわからないのである。
「ぶっちゃけ、どれだけ時間が掛かるかはわかんねーな。そんなに連敗してるイメージはねーから、そんなに離れてはいないと思うんだが……」
「そう思いたいですよ……。明日の夜まで続くとか、本当に勘弁ですからね……」
「そういや寝ちまったときの罰ゲームどうする?」
「……やっぱりやんなきゃダメですかね? 罰ゲーム」
「なんかすげー辛いもんでも食う?」
「イヤですよそのユーチューバー的発想! そういうのやり始めたら終わりです!」
「まあプラムの場合、寝たら寝顔と寝息を全世界に生配信することになるわけだから、それが罰ゲームっちゃ罰ゲームだよなー」
「うあああっ……!! ホントじゃないですかっ!! ね、寝オチだけは絶対しません……!!」
「えー? 是非してよ。録音して売ろう!」
と、いきなり商魂たくましい茶々を入れてきたのはコノメタである。
ソファーに座ったポニーテール女は、足を組み頬杖を突いて、にやにやと詐欺師めいた笑みを浮かべている。
「プラムちゃんの寝顔&寝息ボイス集。これは売れる。ビッグビジネスの予感……!」
「ほんっっと無理ですからねそういうの! 前にもボイス集打診されましたけど!」
「打診してんのかよコノメタ……」
呆れ気味に言うと、コノメタの横にいたニゲラがさらに呆れた風に言った。
「この女、何かにつけて女性メンバーにボイス集出させようとするからね。心がおっさんなのよ」
「失敬な。私はむさい男よりは可愛い女の子のほうが好きってだけだよ?」
「だったら自分で出せよコノメタ。自分だって綺麗な声してんだから」
「おっと」
コノメタを自分を抱くようにして、オレに意味深な流し目を送った。
「ついに私にまでコナをかけるとは。リリィちゃんがいなくなったからって、持て余した若さを私にぶつけるのはやめてくれないかな! いやらしい!」
「言っとくけど、綺麗なのは声だけだからな! 声だけ!」
きゃっきゃと嬉しそうにはしゃぐコノメタを、ニゲラがじとりと半眼で見る。
「……ねえコノメタ。そうやって軽々しく下ネタを口にしてしまうところ、もう若くない証だからやめたほうがいいわよ?」
「ぐうッ!? 言葉のナイフが!」
「ご、ごめんなさい、コノメタさん……。あたしも、そういう冗談は、ちょっと……」
「ぐううッ!! ……じ、自分たちがまだ10代だからって……!! 私だって業界ではすごく若いほうなんだぞう!!」
ニゲラはぷりぷりといきり立つコノメタから視線を外して、カップの紅茶に口を付けた。
給仕役のリリィがいなくなってからは、ニゲラはMAO内の紅茶には口を付けなくなっていたのだが、どういうわけか今日は美味しそうに飲んでいる。
「それにしても、よくやるわよね、アンタたち」
「うわ、ニゲラちゃんにスルーされた!」
「コノメタうるさい。今回の寝ない配信って、あれでしょう? ドクター・ソルの奴を釣り出すのが目的なんでしょう?」
拗ねたコノメタが隣のニゲラをぎゅうーっと人形のように抱き締めたが、ニゲラは表情も変えずにそれを無視した。
「これ見よがしに寝ない配信をしておけば、ドクター・ソルは必ずいいところで乱入してくる。それを返り討ちにしてしまえば、あの闘神サマの影響力を削ぐことができるってわけかしら」
「そう都合良く行けばいいけどな。実際のところ、ドクター・ソルが乱入してくるかどうかも、はっきり言ってよくわからん」
「来ると思うけどねえ、私は」
ニゲラの金髪に頬ずりをしながらコノメタが言う。
「彼は徹底的なタレント気質だ。注目を集められると踏んだら必ず実行する。10先を挑んでくるくらいのことは平気でするんじゃないかな」
「10先か。だとしたら願ったり叶ったりだな」
10先。つまり10本先取。
何か格付けをするときには最適の、伝統的な形式だ。
そしてゴッズランクの上位では、レートの関係でマッチングする相手がそもそも少ない――お互いに時間を置かずにマッチングすれば簡単に連戦になる。
「ジンケ君を狙ってくるかプラムちゃんを狙ってくるかは不明だけどね。……でも、ジンケ君を狙ってくるとしたら、これはなかなかの好カードだよ」
「《RISE》優勝者と《五闘神》ってことか?」
「いやいや、そうじゃなくてね。ドクター・ソルは、動画配信を使って大上段から対戦環境を支配する――つまり、ゲーム内外を包括した『オンライン環境』をフル活用することで最強の座に居座るタイプのプレイヤーだ。対して――」
コノメタの目が、ニゲラとプラムにちらりと向いた。
……この二人の前で言わないってことは、つまり《JINK》のことか。
《JINK》が生まれたのは、インターネットの繋がらないゲームセンターの中だった。
技術的な問題で、あの頃のVRゲームはネット対戦ができなかった――ゲームセンターという檻の中に放り込まれた獣どもが、外のことはまるで意に介さず、ひたすら互いの肉を喰らい合って生きる世界だった。
そんな中で生まれたのが、《JINK》という伝説だ。
いろいろと尾ヒレや脚色も付いてるから、オレ個人とはもはや別物の部分もあるにせよ、それは伝説上においては、『オフライン最強のゲーマー』とでも言うべきものに成り果てている。
だから、オレとドクター・ソルが戦う、ということは。
―― オフライン最強 VS オンライン最強 ――
……と、いうことになるんだろうな、コノメタの中では。
さすが解説仕事を大量にこなしているだけはあり、盛り上がりそうな文句を考えるのが得意な奴だ。
「……まあ、何にしたって、ドクター・ソルがこっちの挑戦に気付いて、しかも乗ってくれなきゃ意味ねーんだけどな。あと、向こうもそこそこランク上位じゃねーとうまくスナイプできねーだろうし――」
「――あっ!」
そのとき、オレの隣でプラムが大きな声を上げた。
プラムは唖然とした顔をして、何かのウインドウを見つめている。
なんだ? ……SNS?
「じ、じ、ジンケ、さん……。こ、こ、これ……」
震えまくった声で言いながら、プラムはそのウインドウをオレに見せてきた。
それは、SNSの、ドクター・ソルの投稿だった。
1枚の画像が添付され、一言のメッセージが付記されている。
画像は、マッチング・ルームの扉上部にある、ゴッズランク順位の表示だった。
堂々と輝くその文字は、最もシンプルにして最も短い。
『1位』。
そして付記されたドクター・ソルのメッセージもまた、短くシンプルなものだった。
〈頂点にて待つ!〉
……その投稿は、すでに何百回も拡散されている。
どうやら、オレたちは……逆に、挑戦されてしまったようだった。
コノメタじゃあないが、おもしれえ。
おもしれえじゃねーか。
これは叛逆だ。
高き神座に居座る神に、オレたちただの人間が反旗を翻す、神逆のメタ・ゲーム。
この月末――ランクマッチを支配するのは、神か人か?




