第94話 プロゲーマーは一巡する
「やってくれたなあ……」
《環境破壊神》の異名を取る男、ドクター・ソルは、持ち前の爽やかな(しかしどこか胡散臭い)笑みを浮かべて、MAO公式攻略Wikiを眺めていた。
開いているのはティアー・ランキングのページだ。
普段は毎週更新されるティアー・ランキングは、新環境直後に限っては掲載を様子見することが多い。
ひとえに環境が荒れに荒れて定まらないからだが、今回は割と早めの掲載になった。
11月第3週、アップデート後初めてのティアー1を飾ったのは、《トート・ウィザード》、そして《地形忍者》。
ドクター・ソルの予定では、《トート・ウィザード》のみになるはずだった。
「『地形アドバンテージ理論』ね……。大胆なことを考えるものだ。こんなのが流行ったらゲームが丸っきり変わっちゃうよ。選手権まで1ヶ月しかないのに、参るなあ」
弱った風に言いながら、しかし彼の口元には薄い笑みが広がっている。
攻略Wikiの横には、ある動画が再生されていた。
配信者は《プラム》という名前だ。
「《ExPlayerS》もついに広告塔を手に入れたってわけだ。……いやいや、面白くなってきた」
ドクター・ソルはマウスを操作し、攻略Wikiと動画のウインドウをどちらも消す。
代わりに立ち上げたのは、動画編集のためのソフトだった。
「――動画配信者同士仲良く、いい混沌を作ろうじゃないか、プラムちゃん」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
《地形アドバンテージ理論》は一気に広まった。
《地形忍者》の大流行によって《トート・ウィザード》が環境から駆逐されると、自然の成り行きで、今度は《地形忍者》に対するメタが始まった。
最初に流行の兆しを見せたのは、全身を鎧で固めてどっしりと構え、《地形忍者》の攻撃を凌ぎきる重戦士型のスタイルだ。
しかし、《地形忍者》には通用しなかった。
鎧をすり抜けて急所を突く方法が広まって、あっという間に対策されちまったんだ。
そもそも、《地形忍者》に有利な地形を作らせるのがよくない。
一部のトッププレイヤーがこの結論に至るのにかかった時間は、わずかに1日だった。
《地形忍者》にとって有利な地形とは、すなわち高低差があって視界を取りにくい、いわば《山岳型》の地形である。
《地形忍者》はAGIの数値をかなり上げているから、足が速いだけじゃなく跳躍力もある。
自分で作った山を跳んだり跳ねたり登ったり降りたりできる《地形忍者》側に対して、さほどAGIを上げていないスタイルだと山に沿って移動することしかできない。
つまり動線が絞られてしまうわけで、敵の姿が見えないのに自分の動きはバレバレという最悪の状況になってしまうのだ。
これを回避するには、地面の起伏をなくしてしまうしかない。
均してしまうしかない。
だったら凹凸の凹部分を、さらなる凸で埋めてしまえばいいだろう――というわけで、土属性魔法《ジクバーナ》を使った新たな《地形支配系》スタイルの研究に、プレイヤーたちが血道を上げていた、まさにそのときのことだった。
とんでもない変態スタイルが登場したのだ。
「……マジか、これ」
対戦室の大モニターに映された動画を見ながら、オレは半笑いになっていた。
ぶくぶくぶく、と泡の音がする。
動画が映した闘技場にも、オレたちがいる対戦室にも、本来、水なんてどこにもないはずなのに。
「ど……どういう頭してるんですか……?」
プラムが愕然と呻いた。
「と――闘技場を水浸しにして水中戦をしようなんて、どういう頭してたら思いつくんですかあっ!?」
ざぱあっ、とカメラが勢い良く水中を飛び出した。
水飛沫と共に正面に映ったのは、小太刀を構えた忍者――対戦相手。
多量に散った飛沫が不意に水弾に変わり、対戦相手を蜂の巣にした。
『――という感じです』
マッチング・ルームに戻った画面の中央に、清潔感のある青年――ドクター・ソルが映り、どこか詐欺師めいた笑みを浮かべる。
『「水は方円の器に随う」っていうことわざがあるんですけどね、水っていうのはリアルでもゲームでも、器の形に従って自分の形を変えてしまうものなんです――つまり、起伏のある地形に流し込めば、ヘコんだところを勝手に埋めて均してくれるというわけですね。ってことは、自分で闘技場を水浸しにできて、しかも水中で動けるスタイルがあったら《地形忍者》に有利が取れるんじゃないか? と思って考えてみました。名付けて――』
ドクター・ソルは。
恐るべきことに――足首まである袴を履いていた。
『――《洪水シャーマン》です! ぜひ皆さんも使ってみてください!!』
画面に大きく映されたスタイル内容を、オレ、プラム、ニゲラは愕然と眺める。
《洪水シャーマン》。
それはウィザード寄りプリースト系クラスの《シャーマン》が使える魔法、《大雨乞い》を核としたスタイルだった。
その名の通り、《大雨乞い》は局所的に大雨を降らせる魔法だ。
特定スキルとのコンボによって範囲対象のバフ魔法にもなるほか、降り注ぐ雨自体が地形に無視できない影響を与える。
地面はぬかるみ、あるいは浸水し――窪んだ場所には水溜まりを作る。
そう、《地形忍者》が作った起伏の中に、人工の川を作ってしまうのだ。
こうなると、《地形忍者》側は高低差を使った動きができなくなる。
この時点で超絶不利である。
先述の通り《シャーマン》はウィザード寄りのプリースト系クラスだ――大した遠距離攻撃手段を持たない《地形忍者》には、川越しに攻撃魔法をバンバン撃たれて削り切られるか、川に落ちて溺れ死ぬかの二択しか待っていない。
その上に。
このスタイル、なんと泳ぐ。
『移動系』に属する魔法《バブマリン》。
全身を泡で包み込んで、水中での移動を可能にする魔法だ。
これは本来、普通に――つまりVRMMORPGとしてプレイしているときに、水の中を突っ切ったり潜ったりする必要が生じたときに使う魔法で、少なくともこれまでは対人戦とは無縁だった。
ドクター・ソルはこれを対人戦に導入したのだ。
《バブマリン》の採用は、オレたちはおろか、おそらくドクター・ソル以外のあらゆるMAOプレイヤーに、凄まじい衝撃を走らせていた。
プレイヤーの死角に隠れているスキルや魔法を使って新スタイルを開発する、というと《ブロークングングニル》が思い出されるが、これはそれ以上の衝撃だ。
何せ、オレたちはほんの1週間前まで、真っ平らな地面で斬り合ったり殴り合ったりするゲームをしていたんだぜ?
なのに、水中戦って。
別ゲーにも程があるだろ。
「……あ、頭が痛くなってきたのだわ……」
ニゲラが眉間を指で揉みながら、金髪ツインテールを振り振りした。
「《地形アドバンテージ理論》でゲーム性が変わるだろうとは思ったのだわ。思いはしたのよ? でも、まさか、こんな、いきなりなんて……んんっ、んんぅんー……」
「ちょっと今真面目に考えてるから喘ぐのやめてくれねーか洋ロリ先輩?」
「誰が喘いでるるるるるるっしゃああああっ!!!」
突如として人類を脅かす異世界のエイリアンみたいになったニゲラが、がじがじとオレの腕に噛みついてくる。
オレはエイリアンとの共存を求める主人公のようにそれを宥めつつ、
「とりあえずさ、この《洪水シャーマン》って、《地形忍者》が作った起伏に水を流して川を作っちまうってコンセプトなんだろ? だったら起伏作るのやめて、普通に真っ向勝負したらダメなのか?」
「それ、あたしも一瞬思ったんですけど……」
おとがいに手を添えて考え込みながらプラムが言う。
「……たぶんですけど、それだと普通に《忍者》側が負けちゃうんじゃないかなって。起伏がないと《シャーマン》の攻撃魔法を躱しきれませんから。《大雨乞い》で地面がぬかるんで、頼みの敏捷性も削られちゃいますし……」
「なーるほどな……。となると、何なら勝てるんだ?」
「《トート・ウィザード》なのだわ」
正気を取り戻したらしいニゲラが、なぜか不機嫌そうな声で言った。
「《トート・ウィザード》なら、《洪水シャーマン》との攻撃魔法勝負で殴り勝てる。《大雨乞い》で《ファラミラ》の威力が下がることを考えても余裕よ。《地形忍者》対策にスキルやショートカットの枠を割り振っている分、純正の魔法職に勝てなくなるのは至極当然なのだわ」
「……って」
「ことは……?」
「――メタが一巡、したね」
静かに言ったのは、今日も今日とてソファーの隅でカードをいじっていたシル先輩だった。
オーバーオール少女は仮想のカードをシャカパチとシャッフルしながら、再生終了状態で放置してあるドクター・ソルの動画を見た。
「たぶん、ソルさんは、今頃《トート・ウィザード》を使って、勝ち星を荒稼ぎしてると……思う。自分の動画の影響で、その、《洪水シャーマン》っていうのが、流行るって、わかってるから……」
「は? それって、お前……」
「ま……マッチポンプじゃないですかっ!」
「そういうの、やる人だから」
チッ、とニゲラが舌打ちした。
こいつもこいつで、ドクター・ソルの目的がわかっていたらしい。
自分でスタイルを流行らせて、自分でそのスタイルをメタる。
《環境破壊神》なんて異名を持っているらしいが、そのプレイスタイルは、むしろ《環境支配神》とでも呼ぶべきものだった。
対戦環境を好きに生み出し、好きに制御し、向こうから勝ち星が転がり込んでくる状況を作ってしまう。
オレたち普通のプレイヤーとは、丸っきり生きている次元が違う……。
「……神の名は伊達じゃねーな」
闘神トート。
知恵の神の名を持つ男。
「別に、闘神サマより上の順位に行かなきゃいけないってわけじゃないのだわ」
仕切り直すようにニゲラが言った。
「アンタたちの目標は50位以内でしょう? 闘神サマがたとえ1位に居座ろうと、アンタたちには大して関係ないのだわ」
「そりゃあそうなんだけどな……」
なんだろう、この違和感は。
オレは心のどこかでこんな風に思っている。
対戦環境さえ支配してしまうこの男が、選手権ポイントのランキングを支配できないはずがない――と。
50位以内に入れば日本選手権に出られる、というのは、過去のデータと現在の状況から類推したものに過ぎない。
決して保証されたものじゃないんだ。
だから例えば、オレたちよりポイントの少ないプレイヤーが、軒並みゴッズランクの上位を占めたりしたら――たとえ50位以内に入れても、選手権出場圏内から外れてしまう可能性がある。
それを、このドクター・ソルという男なら。
人為的に、起こせるんじゃないか――?
……考えすぎだってのはわかってるんだけどな。
それじゃあまるで、オレたちが個人的に狙い撃ちされているみたいだ。
でも、どうにも感じてしまうのだ。
オレたちがプラムの名義で《地形アドバンテージ理論》を発表してからの、この対応の早さ――
まるで、喧嘩を売られているみたいだと。
「……プラム。27日と28日の土日、時間空いてないか?」
「ふぇっ?」
プラムはなぜか、顔を赤くしながらあたふたした。
「な、な、な、何の御用、でしょうかっ……! いや、あの、あたしは別にいいんですけどっ、リリィさんが知ったらどう思うか――」
「配信やろうぜ。生放送。オレも付き合うからさ」
「ふぇっ?」
今度はぴたりと停止するプラム。
頭がついていっていないご様子だった。
なんだ? そんな突拍子のないこと言ったつもりないんだが。
「……ねえ、アンタ、わざとやってるの?」
ニゲラがしらっとした目でオレを見た。
「わざとって、何が?」
「『土日時間空いてるか?』なんて訊かれたら、このファッキン生娘は勘違いしちゃうわよ、『えっ? デートに誘われてる!?』って」
「はあ? んなわけねーだろ。月末だぞ? 一番気合い入れてランクマしねーといけねーのにデートなんてするわけねーだろ。プロゲーマーとしての自覚足りなさすぎだろ。さすがにそんな勘違いありえねーよ。なあプラム?」
「……は、はい……そ、そう……ですよね……あはは……ははは……あははははははははは」
空虚な笑いだった。
……あれえ? おおーい。プラムさーん。マジですかー?
「――えっと! 何の配信をするんですか!? 気になりますあたし!」
「豪快な誤魔化し方だな……」
「何の話ですか!? わかりませんあたし! 27日も28日も暇ですよ!!」
しょうがないのでさっきの失言はなかったことにして、オレは続けた。
「暇ならよかった。29日や30日は平日だし、下手したら手遅れになるかもしれねーしな」
「手遅れ……っていうと、じゃあやっぱりランクマッチやるんですか?」
「ああ。せっかくだし企画にして、リスナーを集めまくっちまおうじゃねーか」
「企画?」
「題して――『ゴッズランク1位になるまで寝ない』!」
「……………………」
プラムは目を見張ったままの笑顔という器用な表情で凍りついた。
そして、明朗にして快活に、はっきりくっきりすっぱりと。
全身全霊、万感の思いを込めて――渾身の答えを叫んだ。
「――――イヤですっ!!!!!!」
「はっはっは」
オレは聞かなかったことにした。




