第88話 プロゲーマーは宇宙を見る
「なんじゃこりゃあーッ!!」
ニゲラがキレた。
「なんなのこの魔法祭りはーっ!! MAOをシューティングゲームにするつもりなの運営は!?」
「う、うう~ん。そう来たかぁ~~~~~」
わかりやすく怒りを露わにするニゲラに対して、コノメタの表情は微妙だ。
笑っているような困っているような、そんな顔で首を傾げ、
「確かに《ブロークングングニル》登場以降、ウィザードが環境から消えてたからなあ~。でも、まさか《ハイ・ウィザード》まで引っ張り出すとは……」
正直、オレはまだピンと来ていなかった。
公式から調整内容が発表されるや、オレたちはすぐにハウスのリビングに集合した。
そして猛り狂うニゲラを目撃したわけだが……それまでは、そう騒ぐようなものとは思っていなかったのだ。
「オレは正直、《ブロークングングニル》と《ビースト拳闘士》が微ナーフに留まってホッとしてるんだが……そんなにヤバい調整なのか?」
首を傾げるオレに、プラムがおずおずと言う。
「あの、ジンケさん、言いにくいんですけど……」
「そんなスタイルもうオワコンに決まってるでしょわかんないの!?」
「え!?」
オワコン!?
……って、どういう意味だっけ?
相変わらずピンと来ていないオレに、ニゲラは詰め寄って唾を飛ばす。
「ヤバいのはバフじゃないのだわ! ナーフのほう! 《ハイ・ウィザード》のナーフがとんでもないの!」
「……《ハイ・ウィザード》って見たことねーんだけど。なんで環境に出てこねークラスがナーフ喰らってんの?」
「だーかーらー!」
「《ハイ・ウィザード》は今まで使えなかったんだよ、ジンケ君」
対照的に落ち着いた調子で、コノメタが言った。
「あらゆる大会とランクマッチでは合計補正値8.6以上のクラスは禁止される。一方、《ハイ・ウィザード》は合計補正値8.8の上級職。つまりPvE用のクラスであって、PvPでは基本的に使えなかった。……それがナーフ対象に入っている、ということは……」
「補正値を下げて対人でも使えるようにしようってコトよっ!!」
ああ~。
なるほど、納得した。
ふう~ん。そういうのもあるのか。
でもまあ上級職とはいえ、0.3も下がるんだし――
「知らないようだから教えてあげるわ……」
白雪姫に毒リンゴを手渡す女王みたいな、ほの暗い笑みを浮かべるニゲラ。
「《ハイ・ウィザード》のMAT補正値、いくつだと思う……?」
「あん? そうだな……。《ウィザード》の補正が1.3倍だから……1.5くらい?」
「1.8」
宇宙が見えた。
意識が遙か成層圏を突破し、冥王星の傍を通り過ぎ、ヘリオポーズとヘリオシーズを突破して、M78星雲で光の戦士に会釈した。
「いっ……いってんはちいいいいいいっ!?!?」
ほぼ2倍じゃねーかよ!?
「ままま、待て、落ち着け。それ、仮に極振りしたら……?」
「素で1400超えるのだわ」
「せんよんひゃっ……!?」
「《限界突破》で全振りしたら2400ちょっと」
「――――――――――――」
失神しそうになる。
2400って。
オレら普段、1000くらいがマックスの環境で闘ってるんですけど?
「んなもん一発でHP吹っ飛ぶだろうが!」
「だから騒いでるんでしょ!?」
んな火力の魔法がぽんぽん飛んできたら、槍で刺したり拳で殴ったりしてる場合じゃねーだろ! 近付く前に蒸発するわ!
「……まあ、MAT補正値は多少下がるだろうけどね」
コノメタが頭痛をこらえるようにこめかみを指で押さえた。
「それに、回避の難しい範囲攻撃魔法は軒並み弱体化されているし、太刀打ちできないってほどじゃあないだろう。
……でも、意思は透けて見える。MAOの主役は魔法だからもっと使ってくれってね。見た目にも派手だし」
うう~~~ん。
まあ確かに、今の対人戦は殴り合いと斬り合いが主だからな。
格ゲーってそういうもんだろと言ったらそれまでだが、絵面が地味だ、RPGっぽくないと言われたら特に言い返せることはない。
ケージの《メテオ・ファラゾーガ》連打みたいな例外中の例外はあるが。
「……次の環境は、みんなして《ハイ・ウィザード》を使うでしょうね……」
プラムが真面目な声で呟いたあと、「あっ」と声を上げてオレのほうを見た。
「そういえばジンケさん、《ハイ・ウィザード》に必要なスキル、持ってないんじゃないですか? 今すぐ取りに行きましょうよ! 1日頑張れば何とかなりますから! あたし、付き合います!」
「んぐぐ……まあ自分が使うかどうかは別にして、検証のためにも必要だな……。頼めるか、プラム?」
「はいっ! ……あ、その……代わりと言ってはなんですけど……」
プラムはもじもじと指を絡ませながら、ちらちらと上目遣いの視線をオレに送る。
「は、配信してもいいですか……? ジンケさんが出てくれたら、みんな喜んでくれると思いますし……」
「ん? 別にいいけど……面白いことは何にも言わねーぞ?」
「大丈夫です! 普通にしててください!」
ぱっと表情を明るくするプラムに、他の女子二人がしらっとした目を向けた。
「……敵がいないうちに外堀を埋めるつもりなのだわ、この女」
「大人しい顔してムーブが腹黒いよね、プラムちゃんって」
「いっ、いやだから、そういうのじゃないですからーっ!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
学校から帰ってきたあと、日課の練習をひと段落させたミナハは、《闘神ネットワーク》にアクセスした。
直径5メートルほどもある大きな円卓が置かれた薄暗い部屋に、彼女は入室する。
ここは《五闘神》と呼ばれるプロゲーマーたちだけがアクセスできるVRチャットルームだ。
雰囲気はまるで悪の組織の会議室のようだが、実際にはただの溜まり場でしかない。
闘神たちはいつもここで情報を交換したり、あるいは意味もなく屯したりしているのだ。
チームに所属しているとしても、基本的に個人事業主であるプロゲーマーにとって、横の繋がりは重要である。
それもミナハほどの人気プレイヤーとなれば、対等の立場で相談できる相手は稀だ。
だから彼女も、暇があればこの部屋に顔を出すことにしていた。
円卓には、やたらと背の高い椅子が5つ配されている。
闘神の一人が『四天王っぽくてよくねえ?』という理由で選んだものだが、そのひとつに、青年が一人、腰掛けていた。
青年はミナハが入ってきたのに気付くと、人懐っこい笑みを浮かべて片手を挙げる。
「やあやあミナハちゃん。今日もカワイイねえ」
「……それ、誰にでも言ってますよね、ソルさん」
「おっとバレてた。ははは。20を過ぎるとね、10代の女の子と喋るってのはそれだけでイベントになるのさ」
軽薄な口振りはまるでいかがわしい店のキャッチのようだけれど、いやらしさをあまり感じないのは一種の才能だろうか。
事実、彼の国内人気はミナハのそれとも伍する――あるいは凌駕する。
動画サイトに投稿された彼の動画は、どれも1000万再生を軽く超え、1億超え動画も複数存在する。
これは国内ユーチューバー(バーチャル含む)の歴史上で見ても有数のレベルだ。
突発的なストリーム配信で、同時視聴者数が10万人を超える日本人は彼くらいのものだろう。
彼の名は《Dr.Solu.》。
国内最強プロゲーマーの称号、《五闘神》の一角を占める男。
またの名を《闘神トート》――
「よかった。他の連中も来なくてさ、ちょうど暇してたんだよ。どうだい、一局?」
そう言ってドクター・ソルが細い指で円卓を軽く叩いた。
円卓の表面に、9×9のマス目が表示される。
将棋盤だ。
「……それじゃあ、一局だけ」
ミナハは控えめに応じると、ソルの対面の席に腰を下ろした。
先手番はミナハ。
角の右上の歩を進め、角道を開けた。
ソルもまた嬉しそうにニコニコ笑いながら、同じように角道を開ける。
「まったく、他の連中は格ゲーの息抜きで他の格ゲーをやるような奴ばっかでさ、つまらないったらないよ。たまには他のジャンルに手を出したってバチは当たらないのにね」
「ソルさんは、何だかっていうデジタルカードゲームで全日本まで行ったんですよね」
「まあね。プレイオフでEPSのシルちゃんに負けちゃったけど。
……っと、急戦か。積極的だね。どんなゲームでもプレイスタイルってのは出るもんだ」
そう言いながら、彼は銀と飛車をうまく使ってミナハの攻めを捌く。
彼のほうこそ、駒を使う手つきにプレイスタイルが滲み出ていた。
相手の武器を引きずり出し、取り込みながら逆撃する……。
「MAOのバフ・ナーフが発表されたらしいね」
角を交換しながらソルが言う。
「なかなか波乱の内容だったそうじゃないか。チェックしたかい?」
「……ええ。《ハイ・ウィザード》がスタン入りしたそうですね」
スタン入り、というのは、強力すぎて使えなかったクラスやスキルが、ナーフによってスタンダード・レギュレーションの範囲内に入ってくることを言う。
環境が硬直したときによく使われる手だ。
今回は《セルフバフ》系統がティアー1を占めてしまったので、必然のテコ入れだと思う。
「シーズン最終月にぶち込んでくるとは、運営もなかなか殺生なことをするねえ。でもまあ、僕は嫌いじゃないよ。MAOの運営は、本気であのゲームの対人戦をeスポーツにしたいらしい」
「……どういう意味ですか?」
「藤井聡太を知っているだろう?」
自分の飛車を細い指で撫でながら、ソルは言った。
「それは……もちろん。将棋のルールを知っている人なら、誰でも知っていると思いますけど」
「将棋のルールを知らない人でも知っているさ。10年前、僕は小学生のガキんちょだったけれどね、それでもあの藤井フィーバーのことは覚えている。何せ、金将銀将の動き方さえ知らなかった僕が、プロ棋士になってみたいと思わされたくらいだからね。1日で諦めたけど」
つまり、と。
ソルは指で撫でていた飛車を、ずずいとミナハの陣地まで走らせた。
「――スポーツの成長ってのはね、たった一人のスターによって起こるものなんだよ。話題になり、騒ぎになり、それまで縁もゆかりも興味もなかった人の目に触れる。何か一つ、頭の飛び抜けたものの存在によって、レベルをいくつも上げてしまうんだ。ドラクエではぐれメタルを倒したときのようにね」
「それが今回の《ハイ・ウィザード》だと?」
ミナハは持ち時間を使って、自分に詰みがあるかどうか考えた。
「正確には、それを生むための地盤作りさ。スターは、常に混沌から生まれる。整然と凪いだ秩序から生まれることはない。件の藤井聡太だって、将棋ソフトが急速に棋力を伸ばしたことによる混沌が生んだ才能だろう?」
「……必ずしもそうとは言い切れないと思いますけど、まあ、そういう考え方もあるとは思います」
「MAOの運営は、混沌が生じる気配を感じたんだろう。だからそれを後押しした。……次の全日本選手権で、MAOというスポーツを次のステージに押し上げるつもりだね」
「あなたが、なるつもりですか? ……MAOのスターに」
「まさか。僕がその役割を期待しているのはね、キミだよ、ミナハちゃん」
将棋盤から対面に視線を移すと、青年はニコニコと感情の読めない笑みを浮かべていた。
「《五闘神》なんてのは結局のところ、VRゲーム界隈の内輪ネタさ。だけどキミなら、それを外野にまで拡大することができる。キミにはその素質がある。今がその絶好の機会なのさ――もうすぐ、アレがあるからね」
「…………オリンピックですか」
「そう。次のオリンピックの正式種目に、VRゲームが選ばれる。それにMAOでスター選手になったキミが出て優秀な成績を収める。ついでに国民栄誉賞でももらってくれたら言うことなしだな」
「……ゲームで国民栄誉賞なんて、現実感がありませんけど」
「他のスポーツでもらえるんだからVRゲームでもらえない理由はない。そこまでやって、日本はようやく韓国やアメリカに追いつくんだ。違うかい?」
ソルの落ち着いた声音の裏には、確かな情熱が宿っている。
日本のVRゲームを、eスポーツを、世界に誇るものにするのだという情熱が。
その情熱には心から共感するが……ひとつだけ、引っかかっていることがあった。
「ソルさん……前から、ひとつだけ訊きたいことがあったんですが」
「なんだい?」
「あなたにとって、eスポーツってなんですか?」
「簡単な質問だね。今、日本という国に最も必要なものだよ」
「つまり?」
気さくな親戚のお兄さんのような笑顔で、ドクター・ソルは告げた。
「カネだ」
それを聞いて、ミナハは得心した。
やっぱり――この人とは、心の底から仲良くなることはできない。
自分の飛車を相手陣地に突っ込ませる。
自陣深くに切り込んだ相手の飛車は無視した。
「……ふふ」
懐に入ってきたミナハの飛車を見て、ソルは含みのある笑みを浮かべる。
「いいなあ、若々しくて――僕ももうしばらく、そんな風に生きられたらよかったんだけどね」
ソルは持ち駒の銀を打ち込み、ミナハに王手をかけた。
「もうやめなよ、ミナハちゃん。ありもしない伝説を追いかけるのは」
「伝説ではありません。ただの事実です」
対するミナハはノータイムでその銀を取る。
「無駄なことをしているつもりもない。……きっとソルさんもわかりますよ、彼と闘えば」
「……妬けるねえ」
読み通りの手順を辿った末、ソルの攻めは途切れた。
ソルの駒のほとんどは、今やミナハの駒台の上にある。
敵陣に突っ込ませた飛車を使えば、玉が詰むのは時間の問題だ。
「……やれやれ。ビビってくれると思ったんだけどね。負けました」
ソルが潔く頭を下げると、円卓上の将棋盤が感想戦モードに切り替わった。
「将棋では、まだ私のほうが強いですね」
「うーん。もう半年も勉強しているのになあ」
頭を掻きながら、ソルはああでもないこうでもないと駒を動かし始める。
……将棋は年単位の時間をかけないと上達しないゲームだ。
なのに、彼はたった半年で、将棋歴10年のミナハとハンデなしで指せるレベルになっている―――
「あ、ここで悪くなってるのか。うーん、なるほど! 勉強になった!」
ソルは晴れ晴れとした顔で言うと、盤を消して立ち上がった。
「それに、モチベーションももらえたよ。ミナハちゃん――僕はやっぱり、キミにスターになってもらいたい。過去の幻影に囚われずにね。そのための混沌を用意することにしよう」
人懐っこい笑みの奥に秘められた確かな情熱。
それに入り交じって砂金のように輝くのは、学者めいた知性の煌めきだ。
「恨まないでね、ミナハちゃん――これはキミと、ひいては日本eスポーツ界のためなんだから」
ドクター・ソル。
またの名を《闘神トート》。
知恵の神の名を異名に持つ男。
しかし、ことMAOにおいては、彼には別の異名があった。
その驚異的な頭脳。
その圧倒的な拡散力。
それらをもってプレイヤーを煽動すれば、対戦シーンには大いなる変化が起こる。
否――大きすぎる変化は、破壊のそれとさして変わらない。
ゆえに、誰かがこう呼んだ。
地に犇く人間たちに、変化という破壊をもたらす者。
天を仰ぐ人間たちに、新たな環境を創って見せる者。
破壊と創造をもてあそびし天上の神が一柱―――
―――《環境破壊神》ドクター・ソル。
メタ・ゲームという世界を支配する、世界最強のスタイルビルダーである。




