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オフライン最強の第六闘神 <伝説の格ゲーマー、VRMMOで再び最強を目指す>  作者: 紙城境介
ブラックメイド跳梁編――最強にして最愛の挑戦者

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第86話 プロゲーマーは誓いを立てる


 書斎の大きさは学校の教室より一回り大きい程度。

 すなわちおよそ10メートルの距離を、オレはバルコニーに立つ莉々を目指して走る。


 漆黒のメイド服に身を包んだ彼女は、何の構えも取らなかった。

 なのに……なんだ、このチリチリとした感覚は。

 まるで槍の穂先を首元に突きつけられているかのような、鋭い圧迫感――


 オレは出所不明のそれをぐっと噛み潰す。

 わからないなら引きずり出せばいい。

 威力偵察だ。先手必勝――!


第二ショート(セカンド)カット発動(・ブロウ)!」


 引き絞った拳が紫電を放つ。

 拳闘系突進型体技魔法《蛇電手(だでんしゅ)》――!


 アバターがシステム制御に委ねられ、ぐんと加速力に押された――そのときだった。


 パン! と。

 莉々が、自らの両手を打ち合わせたのだ。




「――――《仮想発勁(・・・・)》――――」




 その瞬間。

 オレは、バーチャルギアのハッキングを疑った。


 知覚の間隙に踏み込まれた。

 そんな感覚だった。

 オレの認識していない時間で動き出し、そして動き終わったかのような――何らかの手段で、オレの知覚力がコンマ数秒、奪われていたかのような。


 だが、事実はおそらく違った。

 オレの知覚力が、単純に遅れただけだった。

 理由も一瞬で察する。


 予備動作がない(・・・・・・・)


「体技魔法になんか頼ってちゃダメだよ、ジンケ」


 気付けば、耳元から莉々の声がした。

 ふわりと、甘い匂いが香る。

 夏からこっち、毎日のようにオレの傍にあった匂いが、すぐ近くから。


 テレ、ポート?

 いや違う。

 これは、そうだ、コノメタの足運びにも似た――


「――――《虚の型・阿頼耶識(アラヤシキ)》」


 腹部に軽く触れられた。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「んぐッ、ぅううッ!?」


 一瞬、雷に打たれたのかと思った。

 死んだ、と――本気でそう錯覚するほどの衝撃が、全身に駆け巡った。

 足が浮く。

 地面に身体を削られ、背中から本棚にぶち当たり、無数の本の下に埋もれた。

 だが、そんなのはどれも些末だ。


「うぐッ……げあっ!」


 猛然と吐き気が込み上げた。

 痛みがあるわけじゃない。

 そもそも仮想世界で痛みなんて感じるわけがない。

 なのに、胃液がせり上がってくる感覚がある。

 まるで、本当に殴られたかのような……!


 きつく目を瞑り、そこで気がついた。

 瞼の裏には自分のHPやMPを表示した簡易メニューが存在する。

 そのうち、HPを示すゲージが――


 ――()()()()()()()()()()()


 そんっ……馬鹿なっ!?

 これだけ派手にぶっ飛ばされて、なんで……!?


「仮想世界は、全部人間の意識で作られてる」


 温度の低い莉々の声が、頭の上に降りかかる。


「知覚。認識。言い方はなんでもいいけど、要は脳味噌の中の働き――その影響が占める割合が圧倒的に多いのが、リアルとバーチャルの決定的に異なるところ」


 吐き気をこらえながら顔を上げると、黒いメイド服が歪んで見えた。


「ジンケ。あなたのアバターを制御しているのは、あなたのシナプスから信号を読み取ったバーチャルギア。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 誤った、信号……?

 それって、つまり――


「――つまり、()()()()()()()()()()()()。……仮想世界なんて錯覚の塊なんだから、当然の話」


 ……冗談だろ……?

 オレの『腹を殴られた』という錯覚をギアが本物として読み取ったことで、アバターがそれに従った動きをした……?


「……おま、え……! こんな、もの……!」


「わたしだって勉強した。この3年、あなたという最強を完成させるために」


 抑揚のない声で莉々は言う。


「仮想世界での戦いを成立させるものは二つ。

 一つは、いま言った『意識』――脳内のニューロン間で取り交わされる信号。

 そしてもう一つは物理エンジン――オブジェクトの動作や接触に応じて、それらしい相互作用を算出するもの。

 この両方を完全に管制できたとき、初めてアバターは最大効率の性能を発揮するの」


 バルコニーから吹き込んだ風が、莉々の銀髪をふわりと揺らした。

 その風を、掴むように。

 莉々は軽く、左手を挙げる。


「――それに比べたら、体技魔法なんて、自ら手足に錘を付けるのに等しい」


 ヒュンッ、と莉々が挙げた左手を振り下ろした。

 軽い動作だった。

 まるで蠅でも振り払うかのような。


 なのに直後、バルコニーのカーテンが散り散りに引き裂かれた。


 次々と光の欠片になって消滅するカーテンの断片を、オレは愕然と見やる。

 露わになった掃き出し窓の外。

 バルコニーの向こう側。

 

 そこを埋め尽くしていたはずの濃霧が、一片残らず霧散していた。


「物理エンジンの出来が悪いと、ここまで自在に扱うことはできないけど、その点、MAOはすごく優秀。コンマ1パーセントの取り漏らしもなく、すべての仕事量を管制できる。

 MAOのトッププレイヤーは、結構な割合が、これに近いことを感覚的にやってる。発生2Fのパンチを使うミナハさんに、ステータス以上のスピードで動いていたあのケージって人……それに、脳のリミッターを意図的に外せるジンケも。

 わたしはお父さんから教わった中国武術の考え方を応用して、彼らが感覚に任せてやっていることを体系立てて整理し、意図的に利用するための技術を編み出したの。

 アバターと仮想世界の間を巡るデジタルな力の流れ――シナプスと物理エンジンが生み出す《仮想の氣》を操る技術。

 だから、《仮想発勁》」


 仮想――発勁。

 仮想の氣……だって?


「さあ立って、ジンケ。《仮想発勁》は、きっとあなたが最強になるのに役に立つ」


 オレは吐き気を噛み潰して立ち上がる。

 ばらばらと床に落ちた本を荒々しく踏みつけた。

 なんだよ……最強、最強って……!

 オレがゲームうまくなかったら、好きになってくれなかったのかよ、お前は……!


 ……ああ、くそ。

 そうだよな。そうだよ。

 オレの取り柄なんて、その他には何もないもんな。

 でも。でもさあ……!


「ちくッ……しょおぉああッ!!」


 床よ割れよと強く踏み込む。

 今度は遅れない。

 どんな動きにも反応してやる。

 そういう思いで、オレは莉々の姿を視界中央に捉えながら肉迫した。


「《仮想発勁》は、5つのフィジカル系ステータスが生み出す《仮想氣》を操るもの。だからその極意は、突き詰めれば5種類に集約される」


 パン! と莉々が両手を打ち合わせる。

 また予備動作なしで動く気か。

 事前にわかっていれば反応のしようもある。

 さあどう来る?

 そう問うように、オレは握り締めた拳を振りかぶった。


 以前なら仮想世界とはいえ莉々に拳を向けることなんてできなかっただろう。

 だが、胸の奥にくすぶる気持ちが抵抗感を凌駕する。


 こっちを見ろ。

 オレを見ろ。

 ここにいるオレを見ろ!


「――――《仮想発勁》――――」


 繰り出した拳が、莉々の腹部に突き刺さった。

 ……突き刺さった?

 避け、ないっ―――!?



「――――《命の型・色即是空(シキソクゼクウ)》」



 オレの拳が触れるのとほぼ同時、ダン! と莉々の足が床を叩く。

 吹っ飛ばされないように踏ん張ったのかと、そう思った。

 だが、違う。

 手応えがない。

 相手のHPを削ったとき特有の、貫いたような手応えがない。


 莉々は細い身体を微動だにさせず、オレの顔を見つめていた。


「くっ……!?」


 オレは続けざまに次撃を放つ。

 首を刈り取るようなフックが弧を描き、莉々の肩に当たった。

 だが、やはりその瞬間。

 莉々の拳が自らの脇腹を叩き、手応えが消える。


 なん、だ……これ……!?

 当たっている。当たっているはずなのに。

 まるで、攻撃を払いのけられたような――


「アバターの命であるHPには、仮想の肌と肉、骨の奥にもう一つ、最後の防衛線があるの」


 連打。連打。連打。

 打った拳はすべて正確に突き刺さる。

 なのに手応えだけがない。

 他プレイヤーを攻撃しているのにも拘わらず、オレのネームカラーもオレンジにはならない。


「すなわち、《相殺判定》。受けた衝撃を、最適のタイミングで迎撃できたときだけ、ダメージは対消滅して存在しなかったことになる。格ゲー風に言えば……ジャストガード、あるいはブロッキング」


 まさか――

 こいつ、身体の中で攻撃を相殺してるのか!?

 肌が拳を受け、肉を伝い、骨を伝い、(HP)に届く前に――まるで、拳に拳を当てるように!


「これをさらに手前の段階で応用すれば、もっと威力のある防御になる」


 パン! と。

 またしても莉々は両手を打ち合わせる。


「――――《仮想発勁》――――」


 オレが繰り出した拳に対して、初めて莉々が防御の姿勢を取った。

 盾のように構えた腕で拳を受け。

 瞬間、ズン! と床を踏む足に力を込める。



「――――《体の型・他力本願(タリキホンガン)》」



 肩が吹っ飛んだかと思った。

 いや、それは錯覚だ――実際には、突き出したオレの拳が、凄まじい勢いで弾き返されただけだった。


 完全に前に寄っていた体重が、後ろに押し戻される。

 一歩、たたらを踏んだ。

 まるでデカいバネでも殴りつけたかのような、異様な反発(ノックバック)……!


「元の防御力に《仮想氣》による迎撃力を上乗せすれば、当然、こうなる。そして――」


 パン!

 強烈なノックバックにアバターを縛られたオレの目の前で、四度、掌を打ち合わせる音がした。


「――攻撃に転用すれば、その威力は体技魔法なんて比較にならない」


 まずい、と思った。

 それは、負けるかもしれない、という危機感じゃない。

 HPがなくなるかもしれない、という警戒感じゃない。


 死ぬかもしれない。


 魂ごと消し飛ばされるかもしれないと、そのとき、本気でそう思った。


「――――《仮想発勁》――――」


 ゆらりと構えた莉々の掌底に、オレはドラゴンのアギトを幻視した。

 食い破られる。

 このアバターに宿るオレの精神、それを根こそぎ――!!




「――――《破の型・厭離穢土(オンリエド)》」




 直後。

 世界のすべてが呑み込まれた。


 振り抜かれた一発の掌底。

 見た目には少女の細腕でしかないそれに。


 知覚が消し飛ぶ。

 認識が消し飛ぶ。

 意識が消し飛ぶ。


 掌底が空気を貫く――ただそれだけのために、何もかもが消費される。


 数瞬。

 オレは、時間を失った。

 気絶していたわけでは、たぶんない。

 記憶を失ったわけでも、たぶんない。

 ただ、知覚力が悲鳴を上げた。

 脳味噌のキャパシティが、目の前の現象を受け入れきれなかった。


 空が、見える。


 今にも雨が降りそうな灰色の曇天。

 それが見える、ということが、奇妙であることにさえ、気付くのに数秒かかった。


 屋根が、ない―――!?


 オレは慌てて起き上がった。

 倒れていたことにも、起き上がってからようやく気付いた。


 ……書斎が、なくなっている。

 オレと莉々が戦っていた大きな書斎が、跡形もなく消し飛んでいる。

 いや、それどころか。

 3階建ての洋館が、いまや2階建てになっていた。


 曇天の下。

 漆黒のメイドが、鈍い日光の中に佇んでいる。

 距離は20メートルほども離れていた。

 これほどの距離を、知らないうちに吹き飛ばされていたのだと、まったく現実感がないままに理解した。


「ジンケ」


 と。

 ただの掌底で、奥義級魔法にも勝るとも劣らない現象を引き起こした少女は、昼休みに昼食に誘うような、なんでもない声音で言った。


「とりあえず、わたしはここまで辿り着いた。でも、まだ足りない。この程度じゃ『最強』とは言えない。

 ジンケなら、もっと先に行ける」


 少しの揺れもなかった。

 欠片も迷いのない声音で、彼女は断言した。


「《JINK》なんてどうでもいい。伝説なんてくだらない。誰もが褒めそやす285連勝、()()()()()()()()の286戦目で、わたしは本当のあなたの可能性を見たの」


 終わりきらなかった286戦目。

 その戦いのことを、オレは覚えている。

 その夜、初めて地に這いつくばらされたあのとき、不意に視野が広がった感覚があった。


 あのとき……確かに、オレは見たはずだ。

『最強』という名の地平線。

 強さを求めた彼方。

 すべての闘争者が目指す終着点の姿が、おぼろげに。


「わたしは、その可能性を現実にする。そのためにこれまでやってきた。そのために、あなたの糧になる敵を探していた。

 ケージがあなたを一段上のレベルに引き上げたように、強敵だけがジンケ、あなたを最強に近付ける。

 もう、恋人(わたし)という飴は必要ない」


「……違う……」


 血を吐くように答えながら、オレは立ち上がる。

 ダメージはない。

 HPは1ポイントも減っていない。

 だってのに足元はふらついて、視界はちかちかと明滅していた。


 それでも、顔を上げる。

 世界で一番好きな女の子の顔を見据える。


「オレは……オレは、お前さえいてくれたら、強くなんてなれなくてもよかったんだ……。プロになったのは、ミナハへのリベンジを誓ったのは、過去にケリをつけたかっただけで……それさえ終わったら、ゲームができなくなったって別によかったんだ! お前が! お前が傍にいたからっ……!!」


 思い出すのは、この世界に来た最初の一週間。

 プロなんて目指すことなく、莉々と二人きりで気ままに遊び回った、最初の一週間。


「オレは、強くなりたくてお前を好きになったんじゃない!! お前に傍にいてほしくて強くなっただけだっ!!

 なのに、なのにどうして、自分をただの道具みたいに言うんだよっ……!?」


 丸っきり子供の泣き言だった。

 何も格好良くない。

 みじめでダサくて、とてもじゃないが彼女に見せていい姿じゃない。


 きっと本当は、もっと早くにこの姿を見せるべきだったんだ。

 オレはお前の思ってるような人間じゃない、って。

 最強なんてものには実のところ何の興味もない、ただの弱っちいガキでしかないんだ、って。


 それでもし、フラれたとしても。

 お前に、自分のことを飴だなんて、そんな風に言わせることだけはなかった。


「……やっぱり」


 と。

 小さく流れた呟きは、初めて、かすかな揺れを帯びていた。


「好きだなんて、言うんじゃなかった。もっと、我慢しておくべきだった。……そうしたら、きっと、あなたに不純物を混ぜずに済んだ……」


 風にそよぐ銀髪の奥に垣間見える表情は、いつもの波のない、凍ったような虚無のそれ。

 それでも、オレには悲しそうに見えた。


「楽しくて、嬉しくて……つい、一週間も、遊んじゃった。あなたを強くするために、この世界に呼んだのに……貴重な時間を、一週間も、無駄に使っちゃった……。だから……」


「違う……違うッ!! オレはあの一週間が永遠に続いたってよかった!!」


「ダメなの」


 氷のように硬く。

 けれど、氷のように溶け落ちそうな声で。

 森果莉々は言う。


「お父さんが言ってるの。

 お母さんが言ってるの。

 ――『最強』を見つけろ、って。

 何者にも脅かされることのない、確固とした、厳然とした、絶対的な『最強』を見つけ出せ、って。

 そうしないと――お前もこっち側(・・・・)に落とされるぞ、って」


 その瞳には、狂気(のろい)があった。

 理不尽に命を奪われた母親の。

 理不尽に妻を奪われた父親の。

 その理不尽に立ち向かおうとし、しかし無惨に敗北した者たちの。


 莉々の背後に、奈落の穴を幻視した。

 そこから伸びる、いくつもの青白い手を見た。

 その指先が、彼女の白い首にかかり、真綿のように絞める。

 ゆっくり、けれど確実に。

『最強』に巡り会えなかったそのときは、と。


「だからね……だからね、ジンケ?」


 いつも凍ったように動かない表情を。

 今だけは、不器用に笑みの形に変えながら。


「本当の本当に、わたしのことを好きでいてくれるなら―――」




 莉々の首に、銀色の刃がひたりと添えられた。




 …………は? と、オレは一瞬混乱する。

 錯覚じゃない。

 幻視じゃない。

 本物だった。

 突然、莉々の背後に現れた影が、ナイフのようなものを細い首に据えたのだ。


「――《ブラックメイド》ことリリィ殿とお見受けする」


 黒い影が、低く押さえた声で告げた。


「《赤統連》が第五席《命部太夫(みょうぶのだゆう)》――貴女のお命、頂戴仕り候」


《赤統連》――《赤名統一連盟》。

 酒場の女マスターが言っていたPKクランの総元締め――その直属暗殺者《ブラッディ・ネーム》か!


 莉々は瞳から感情をふっと消した。

 興が冷めたように。

 そして、無粋な闖入者に横目で一瞥をくれる。


「…………邪魔」


 冷え冷えとした声で呟くや、

 パン!

 と、両手を打ち合わせた。

《仮想発勁》――!


「―――ッ!?」


 吹き荒れるのは、直感無視の衝撃波。

 莉々本人は微動だにしていないのに、その身体を中心に大気が震撼し、黒い影を吹き飛ばした。


 それは、忍者のような姿をした少女だった。

 ナイフだと思ったのはクナイ。持ち手のある菱形の手裏剣だ。


 少女は群青色のスカーフを棚引かせながら、驚愕の表情を露わにしていた。

 さぞ混乱していることだろう。《仮想発勁》――こんなデタラメをその身に受ければ。

 硬直している間に莉々の追撃を喰らって終わりだ。

 オレはそう思った。


 だが、莉々が追撃の第一歩を踏み出す前に、忍者の少女が動く。

 地面に手をつき、身体を縦に回転させて衝撃を殺しながら、手に持ったクナイを投擲したのだ。


 そんな体勢から反撃だと……!?

 さすがの莉々もこれは読んでいない。

 すでに追撃に入ろうとしている身体は今さら回避に入れるわけもなく、クナイの切っ先がその眼前に迫り、


 手で掴み取った。


 理解が追いつかない。莉々は掴み取ったクナイをすぐさま忍者少女に投げ返す。


「ぐっ……!?」


 少女の黒い忍者装束をクナイが貫いた。

 位置は左胸。心臓の位置。

 これはクリティカル――


 少女の姿がポンと煙を出して消える。


「なっ……!」


 変わり身!?

 体技魔法の一種か……!?


 そこから先の展開は――オレには、目で追うのがやっとだった。


 消えた忍者少女の姿はいつの間にか莉々の背後に。莉々もすぐに気付くがそのときにはクナイが繰り出されている。莉々はそれを脇で挟んで止め、そのまま腕を決めてへし折ろうとする。少女が再びぐるんと回って天地逆さに。曲芸のような体勢変更で極めが外れる。莉々もすぐにアプローチを切り替えた。極め技から投げ技へ。忍者少女の足がブウンとダイナミックに弧を描く。彼女はそのまま床に叩きつけられようとしたが、ダン! と足で受け身を取ることで回避した。


「――プッ!」


 間近の莉々に、忍者少女が口から何かを飛ばす。莉々は首を振って回避。その頬にダメージエフェクトが一筋走った。


 当たった……!?


 さらに忍者少女の腕が伸びる。莉々の首に絡みついたかと思えば、お返しとばかりに投げ技をかける。漆黒のメイド服が錐揉み回転した。


「……なんだ……こりゃ……」


 普段から戦い慣れているオレですら、目で追うのがやっと。

 なんだ……この異次元めいた近接戦は……。

 人間って、こんな戦い方ができるのか……?


 それは、ゲームでの独学では決して辿り着き得ない境地だった。

 本物の訓練を積んだ者だけの領域。

 ――リアルチーター。


「……ふ、ふ」


 投げられた莉々は、床を転がって間合いを取りながら起き上がり――かすかに、笑みを漏らした。

 それをチャンスと見たか、忍者少女が距離を詰める。

 両手に握られたクナイが左右から莉々の首を狙い、二人の間合いがゼロになった、その瞬間。


「――あなたは、合格」


「――――っ!?」


 莉々の掌底が、少女の鳩尾にめり込んでいた。

 ……今のは、目で追うことすらできなかった。

 予備動作一切なし。

 先読み不可能の神速の掌打。


 忍者少女の背中から、ドウンッ! と衝撃波が突き抜ける。

 それから思い出したかのように、小柄な身体がぶっ飛ばされた。

 一度、二度と床で身体を削り、かろうじて残っていたバルコニーの柵に激突する。


「ぐっ……うっ……!」


 忍者少女は苦悶に顔を歪めていた。

 オレと同じだ。

 意識に直接叩き込まれたダメージの錯覚に蝕まれているのだ。

 それでも彼女は、戦意の漲る瞳で莉々を睨み――


 ――そのまま、バルコニーの向こう側に身を翻した。


 屋根がなくなったとはいえ、ここは3階。

 相当な高さがあるはずだが、着地音すらも聞こえてこなかった……。


「……やっぱり、よかった。ここに探しに来て」


 莉々は黒いメイド服についた汚れを軽く払うと、唖然と突っ立っているオレのほうに振り返る。


「それじゃあ、ジンケ……そういうことだから」


「は……!? お、おい、待て! まだ話は――」


「わたしは、あなたという最強を完成させる」


 断ち切るように、莉々は一方的に告げた。


「そのための舞台も決めてる。MAO全日本選手権大会――それに、わたしも出る」


 MAO全日本選手権大会。

 年に一度の、対人戦最強プレイヤーを決める大会……!


「ジンケも、絶対に出てね。そして――」


 柔らかに。

 森果莉々は、不器用ながらも恋人らしい微笑を浮かべて言った。


「――きっと、わたしを殺してね」


 その一言が、最後だった。

 淡い光を放って、莉々はログアウトした……。


 屋根をなくした洋館に、オレは一人取り残される。

 ただ一人、拳を握り締め。

 ただ一人、莉々が消えたその場所を見た。


「…………わかったよ。やればいいんだろ」


 圧倒されるばかりだった莉々との闘い。

 唖然と見守るしかなかったリアルチーターの戦闘。

 それらを思い返し……だからこそオレは誓う。


「プロだろうが、ワンダリング・ビーストだろうが、五闘神だろうが、PKだろうが――恋人だろうが。誰もかもをぶっ飛ばして――」


 握った拳を、消えた莉々に向けた。

 この仮想世界の各所にいるだろう、多くの敵に向けた。


「――お前を、惚れ直させればいいんだろ、莉々」


 かくして、最大の闘いが幕を開ける。

 MAO全日本選手権大会。

 それぞれ最強を誇る選りすぐりの猛者たちが、それでもたった一人の頂点を決める闘いが。



次章『混沌の新環境編――神逆のメタ・ゲーム』

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