第81話 プロゲーマーは訪れる
フォンランド地方東方の山間にひっそりと佇むその町には、冷たい風が吹いていた。
西部劇風の年季の入った町並み。人通りはなく、一見すればゴーストタウンにも見える。
だが、一歩踏み出すごとに視線を感じた。
窓の隙間。あるいは建物の間に積まれた木箱の向こう。
町のそこここから、警戒と敵意をない交ぜにした剣呑な視線が、全身に突き刺さってくるのだ……。
オレは《匿名フード》を目深に被り、それに気付かないフリをしながら、酒場のスイングドアを抜けた。
「……いらっしゃい」
カウンターの中にいる女マスターが、ダウナーな調子で言う。
NPCじゃなかった。プレイヤーだ。
店内をざっと見渡すと、いくつか並んだ丸テーブルのひとつに、男が3人、昼間からバーチャル・ビールをかっ喰らっていた。
オレはカウンター席に座り、「ミルクティー一つ。ホットで」と注文する。
「……いいのかい?」
女マスターは表情を変えないまま確認した。
「オレはミルクティーが飲みたいんだ」
「そうかい。なら勝手にするんだね」
女マスターはカウンターを離れていく。
それを見計らっていたかのようだった。
「おいおいおい! 今、ミルクティーって言ったかぁ!?」
ダンッ! と。
空のジョッキが勢いよく、目の前のカウンターに叩きつけられたのだ。
「……お子ちゃまはお呼びじゃねぇよ」
酒臭いゲップが顔に当たる。
じろりと視線だけ動かせば、いつの間にやら、遠くのテーブルで飲んだくれていた3人の男が、オレを取り囲んでいた。
一人は大柄。2メートル近くある。
一人は痩せぎす。おそらくウィザードか。
一人は小柄。腰に短剣を提げている。
「迷惑してんだよぉ。てめえみてえなガキが蔓延ったせいでよ、MAOの民度は下がる一方なんだよぉ! なあ!?」
「ああ! MMORPGは大人のゲームだぜ!」
「ガキは排除するべきだよなぁ!!」
オレは心中で溜め息をついた。
アホくさ。
男どもから視線を外す。ミルクティーまだか。
「―――シカトこいてんじゃねぇぞッ!!」
大柄な男が、岩のような拳を轟然と振り上げた。
その腕はまさに筋骨隆々。STRの数値も、おそらくは見た目通りに備わっているんだろう。
だが、致命的なものが足りていない。
オレは片手を上げて、振り下ろされた拳を受け止めた。
「んなっ……!?」
「――あんたの拳には誇りがない」
座ったまま、男の腕をぐるりと捻る。
大男の天地がひっくり返った。
重力に引かれるまま、大男は首を床に突っ込み、ぐったりと動かなくなる。
「う……嘘だろ……?」
「こ、こいつのSTRは1000超えだぞ……!?」
愕然と呻く残りの二人の前に、オレはゆっくりと立ち上がった。
二人の男はオレを見て、ずり、と数センチ後ずさる。
そのまま逃げてくれればオレとしても手間が省けたが、そこまで腰抜けではなかったみたいだ。
「な……ナメんなァッ!!」
男の片方――痩せぎすの男が手のひらをかざし、バスケットボールほどの火球を射出する。《ファラミラ》だ。
それと同時、もう一人――小柄な男が高速で動き、オレの側面に回った。
多角攻撃。手慣れた連携だ。
だが、そのすべてが、完全にオレの読み通りだった。
正面から迫る《ファラミラ》を、《魔力武装》の加護を得た拳で横に弾く。
火球が弾かれたその先には、側面攻撃を仕掛けようとしていた小柄な男がいた。
「んごっ……!?」
顔面に仲間の火球を喰らって仰け反る男。
その首を引っ掴み、爪先立ちになるくらい持ち上げる。
「たとえステータスの数値が低くても、どこをどう攻撃するかでダメージは別次元だ」
爪先を踏んで身体を固定しながら、鳩尾に拳を叩き込んだ。
ダメージがどこにも逃げられない。
小柄な男は苦鳴さえ上げられないまま、白目を剥いて沈没する。
「ふぁ……《ファラゾー》――」
「先に《ファラミラ》を撃ったのは《ファラゾーガ》を温存したからだろ?」
カウンターのナイフスタンドから1本抜き取り、クナイのように投げ放つ。
切っ先がステーキよりも簡単に男の首に突き刺さり、詠唱がストップした。
これで小柄な男、痩せぎすの男、共に戦闘不能。
ほんの数秒の出来事だった――
「――死ね、クソ野郎ッ!!」
だがそのとき、最初の大男が立ち上がった。
狸寝入りだったのか、今の今まで気絶していたのか。事実は定かじゃあないが、その手にはさっきと違い、大振りな棍棒がある。
棍棒が振り下ろされた。
ニゲラ先輩とは似ても似つかない雑で粗暴な一撃。鋭さはなく、これでは蠅も叩き落とせないだろう。
だがそれでも、岩にヒビを入れる程度の威力はある。アバターの頭蓋骨は言うまでもない。
「第三ショートカット発動」
だから脳天を砕かれる前に、小さく呟いた。
全身がシステムに支配される。
握った拳が炎をまとい、竜のように立ち上った。
振り下ろされる棍棒を、炎の拳が真っ向から迎え撃つ。
拮抗は、一瞬もなかった。
大振りな棍棒は、1フレームと保つことなく、粉々に四散した。
「なっ……ぁ……」
大男が愕然と目を見開く。
大して面白くもないその顔に、オレは狙いをつけた。
「迷惑な子供は排除するんじゃなくて躾けるもんだろ、おっさん。――こんな風に」
ズォンッ!! と強く床に踏み込みながら、大男の顔面に拳をめり込ませる。
2メートル近い上背が宙を浮いた。
木の床に跳ね、転がって、そのまま酒場の外にまで飛び出していく。
「ふん」
オレは拳を軽く振って、わずかに付着したダメージエフェクトのポリゴンを払うと、カウンター席に座り直した。
「あいよ、ミルクティー」
ちょうどそのとき、女マスターがミルクティーを出してくれた。
「ああ、ありがとう。……お、美味いな」
一口飲むや、優しい甘さが口の中に広がる。
既製品じゃねーな。どうやらいい店みたいだ。客層を除けばだが。
女マスターは頬杖を突いて、オレの顔を覗き込んだ。
「あんた……もしかして、《ブラックメイド》の仲間かい?」
不意に飛び出した単語に、オレはミルクティーを味わう手を止めた。
「……《ブラックメイド》?」
「最近、ここらのPK領を潰して回ってるイカれた女さ。突然現れては殺戮の嵐を吹かせる、死神みたいなPKK。なんでも黒いメイド服を着てるとか」
「さて。そんな可愛いファッションの友達はいねーな。……けど、その話は気になる。詳しく聞かせてくれ」
「いいよ。ゴミ掃除の駄賃だ」
仮にも客をゴミ扱いかよ。
苦笑するオレに、女マスターは気だるげな口調のまま語る。
「って言っても詳しいことはわかりゃしない。わかるのは、ここ1週間で大小合わせて5つのPKクランが潰されたってこと。史上最速で《赤統連》のブラックリストに入ったってこと。それに、《ブラッディ・ネーム》の《殺人予告状》を、すでに3枚もはねのけてるって噂もあるさね」
「《ブラッディ・ネーム》の《殺人予告状》?」
「MAOのほぼすべてのPKクランを束ねるのが《赤名統一連盟》――略して《赤統連》。《ブラッディ・ネーム》は、その連中直属の凄腕PKのことさ。奴らはPKを働くとき、常にターゲットに対して《殺人予告状》を送りつける。私がお前を殺す前に、お前が私を殺してみろ――ってね」
「へえ。面白えことをやってる連中もいるもんだな」
「《ブラッディ・ネーム》は最前線の廃人どもでも手に負えない腕っこきさ。それを3人も退けた。《赤統連》の面目は丸潰れさね」
「んじゃ、今この辺のPKクランは、そいつを倒すために躍起になってるってわけだ」
「ああ。まるで戦争だよ……」
「だったら、次の戦場がどこになりそうかわかるか?」
すかさず訊くと、女マスターはオレに胡散臭そうな目を向けた。
「……賞金稼ぎのつもりならやめておきな。逆にデスペナルティですっからかんになるよ」
「なら大丈夫だな。オレはただ、恋人を迎えに行くだけだ」
女マスターは少しだけ目つきを変える。
オレを値踏みするような視線だった。
その視線を堂々と受け止めて、しばらくの間、口を閉ざす。
「……ここから東に、霧深い森がある」
さんざん勿体ぶって、女マスターはようやく、低い声でそう言った。
「その途中途中に、案内板が立てられてる。それが示す方向の逆の道をひたすら進んでいくと、《殺人妃》って名乗ってる女PKの屋敷に辿り着くはずさ。次はそこだろうって専らの噂だよ」
「ふうん……《殺人妃》ね……」
クソ安直な名前だな。20年くらい前のセンス。
「わかった、ありがとう。ミルクティー美味かったぜ。釣りは取っといてくれ」
硬貨をカウンターに置いて、オレは席を立った。
東……霧深い森。
そこに、あいつが来る――
店を出ようとスイングドアに手をかけたとき、女マスターの声が背中にかかった。
「兄ちゃん!」
「あん?」
振り向くと、銃口がこちらを向いていた。
……お?
女マスターが引き金を引く。
バンッ!! という炸裂音が、酒場の木材を震わせた。
しばらくの間、残響が空間を満たす。
女マスターの手に握られた拳銃から、白い硝煙が棚引く。
1秒、2秒――3秒経っても、オレが倒れることはなかった。
「釣りはとっとけって、言ったはずだけどな」
オレは顔の前で握っていた手を開く。
コロン、と、一発の銃弾が、砂っぽい床に転がった。
「……参った。降参だよ」
女マスターは苦笑して肩を竦める。
この辺りはPK領。ほとんどPKしか住んでいない地帯だ。
つまり、このマスターもPKだということだ。
親切な情報提供は、おそらくいつもの手口なんだろうな――ったく、PKってのはどいつもこいつも。
「釈迦に説法かもしれないけど、気をつけるんだね」
拳銃をカウンターに置いて、女マスターは今度こそ真面目な顔で言った。
「あの女は、ヤバいよ。まるで何かに取り憑かれているようだった……」
「……ああ。肝に銘じとく」
女マスターに背を向けて、今度こそ酒場を出た。
冷たい風が、肌に吹きつける。
陰鬱な曇天を見上げて、オレは女マスターの言葉を反芻した。
息をするように罠に嵌め、食事のように暴力に手を染めるPKをして、『ヤバい』と言わしめる女――《ブラックメイド》。
その正体を、オレは知っている。
そいつに会うために、オレはアグナポットから遠く離れたこの土地を訪れた。
「……どういうつもりなんだ、莉々……」
冷たい風に乗せた言葉は、そのまま曇天に吸い込まれて、どこへともなく消え去った。




