第79話 こうして、プロ見習いは辿り着いた
ステージの真ん中で、オレはケージと握手を交わした。
『素晴らしい試合を見せてくれた二人に、大きな拍手をっ!!』
観戦スペースから耳が割れそうなくらいの拍手が起こって、オレたちを包み込む。
……なんだか、ちょっと照れ臭いな。
オレはただ自分のために必死にやってただけなのに、それがこうも歓迎されるなんて。
オレの手を握ったケージの手に、ぎゅっと力が籠もった。
その感触には覚えがあった。
「……ありがとう」
拍手に紛れそうな声で呟くと、「え?」とケージが顔を上げる。
「ちゃんと……悔しがってくれただろ?」
もう負けても大丈夫、なんて言っていたケージが、それでも本気で闘ってくれた。
何の出し惜しみもせず、精も根も使い尽くして、オレの相手をしてくれた。
それが、何よりも――あるいは勝ったことよりも、嬉しいことだった。
「……はは」
ケージは口元だけで淡く笑う。
それは少しだけ強張っていて、無理やり作ったものであることがすぐにわかった。
彼は言う。
「…………ちくしょう」
この日、ケージと顔を合わせたのはこれが最後だった。
次にこの男と出会うのは、この大会から何ヶ月も後――来年2月の下旬のことになる。
そしてそれは、オレではなく、この男の物語での出来事だった。
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「ジンケさんっ!」
インタビューやらもろもろを終えて、会場の外の廊下に出ると、いきなりプラムが飛びついてきた。
「うおっと! あ、あぶね……。なんだよ、いきなり」
「すごかった……! すごい試合でした、本当にっ!! あ、あたし、もう、なんか、泣けてきちゃって……」
耳元から聞こえるプラムの声は、本当に涙混じりになっている。
大袈裟だな。
オレは苦笑して、彼女の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
「……仇は、取ってきたぜ」
プラムはオレの顔を見て目を見張り……それから、はにかむようにして笑った。
「……はいっ!」
――っと。
プラムの肩越しに、森果の姿が見えた。
いつまでもこうしてると、またあいつがむくれちまうな。
そう思って宥める方法を考えていたが、森果はじっとこっちを見ているばかりで、話しかけてこようとしなかった。
……心なしか、表情も硬いような……?
「余韻に浸るのはそのくらいにしておきなさい、ツルギ」
森果に声をかけようとした寸前、昔馴染みの声が言った。
あれ? 森果の隣に――
「南羽? お前も一緒にいたのか」
「話は後よ。あなた、忘れてない? まだ準決勝と決勝があるのよ?」
「あっ……! そ、そうでした! まだ3回戦じゃないですか!」
言われてみれば、出し尽くしすぎて、もう決勝終わったみたいな空気になっちまってるな。
「……やっべ。思いっきり集中切れてるわ」
「ほら見なさい! 一刻も早く控え室に戻って休むのよ! 昔のバスケ漫画みたいなオチは許さないから!」
「そうですよ! 行きましょう! ほら!」
「わっ、ちょっ、押すなって……!」
プラムに背中をぐいぐいと押されて、結局、森果とは話すことなく控え室に戻ることになった。
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プラムに背中を押されて廊下の向こうへと消えるジンケを、森果莉々と春浦南羽は黙って見送った。
二人きりになったあと、沈黙という名の池に一石を投じるように、南羽のほうがぽつりと言う。
「…………恋人の座、あのプラムって子に譲ったら?」
瞬間だった。
森果莉々の身体が暴風めいて旋転した。
腰の捻りから生み出される力を十全以上に乗せた拳が、南羽の腹部に襲いかかる。
――と、思われた、が。
拳は、炸裂する寸前でピタリと止まっていた。
寸止め。
「…………あなた、今の動き…………」
唖然と目を見開いて南羽が呟くと、森果莉々が蛇さえ身を竦ませそうな眼光を輝かせる。
「ジンケが、強いの」
脅すような……あるいは、すがるような。
「ジンケが、一番強いの。それを、わたしが……わたしだけが、わかってる」
拳を突きつけられた状況で、しかし南羽は臆することなく眉をひそめた。
「……本気で、言ってる?」
「……………………」
「あなたがツルギに押しつけていた理想のイメージと、実際のツルギとが微妙に違っていることに……本当はもう、気付いているんじゃないの?」
「…………っ!」
無表情の仮面が、わずかに崩れた。
その奥から、かすかに覗いたのは――
「……わかってる……こんなの、ただの押しつけ……お父さんと同じ……でも……でも、わたしには……」
ぼやぼやと、ノイズで乱れたゲームのグラフィックのように存在を揺らめかせながら、森果莉々は呟き続ける。
「……わたしには……必要なの。わたしは……《ジンケ》がいないと、生きていけないの……」
ごくりと、南羽は息を呑んでいた。
森果莉々の瞳の奥に、何かが焼きついている。
それは、おそらくはツルギの姿と――
それ以外の、闇のような、炎のような、どろどろと粘つきながらも、魂さえ焼き尽くす熱を持つ、情熱に似た何かだった。
あるいは――そう。
一瞬、森果莉々の瞳に見えたそれを示す言葉を、南羽はたったひとつだけ知っている。
――狂気。
「邪魔をしないで。……邪魔だけは、しないで」
根本的な疑問があった。
それを抱いたのは、きっとこの瞬間だけにおいては、たったひとり、春浦南羽だけだった。
――森果莉々は、どうして竜神ツルギのことが好きなのか?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
そして、準決勝、決勝が恙なく行われた。
南羽のおかげでかろうじて集中力を取り戻したオレは、その両方を危なげなく勝利。
こうして、コノメタに命じられた通り、オレは《RISE》MAO部門本戦を優勝で終えることができたのだった。
「――を讃え、ここに賞します。優勝おめでとう!」
主催者の人からトロフィーと賞金(の額が書かれたでっかい小切手型のアレ)を受け取り、オレはステージ上で掲げてみせる。
歓声と拍手を全身に浴びながら、しかし虚脱するどころか、身体の中は気力で充満していた。
ここは、通過点だ。
コノメタに――プロゲーミング・チーム《ExPlayerS》に提示された条件は、これで両方クリアした。
オレは、ついに見習いを卒業する。
プロゲーマーの称号を手に入れるのだ。
そして――
会場の端っこで静かにこちらを見ている南羽に、視線を送った。
お前に投げつけられた手袋……もうすぐ投げ返してやれそうだな。
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「それじゃあ、本当にありがとうございました! またMAOで!」
「んー!」
大会が終わってすぐにホテルを引き払うと、東京駅でプラムやシル先輩と別れて、森果と二人、地元に凱旋した。
道中、森果とは普通に会話した。さっき様子が変だったように見えたのは気のせいだったらしい。
「ふう~……帰ってきたぁ……」
やっと自宅に戻ってきて一息つく。
両親に賞金で100万円もらったことを報告する必要があるだろうが、慣れない外泊やら大会やらで、気付かないうちにだいぶ疲れが溜まっていた。
今日はさっさと寝ちまうか?
そう思った矢先、携帯にメッセージが届く。
コノメタからの呼び出しだった。
VRゲーミングハウスに来いとのお達しだ。
〈おいおい、大会直後に何やらせる気だよ〉
〈祝勝会だよ。それに、ちょっとした式典もあるから来てね〉
祝勝会か……。
そういえば、森果とも約束してたよな。
まあ、そっちは明日でいいだろう――オレも心の準備とかあるし。
そういうわけで、オレはバーチャルギアを被ってMAOにログインし、アグナポットのEPS専用VRゲーミングハウスを訪れた。
「ハッ!」
玄関扉を開くなり、金髪ツインテールの洋ロリが鼻笑いで出迎えてくれた。
「ずいぶんとギリギリみたいだったじゃない? このアタシが練習に付き合ってあげたっていうのに、なっさけないったらありゃしない! これだからジャップは!」
「その国際的ツンデレも懐かしく感じるぜ、ニゲラ先輩。たかいたかーい」
「きゃあーっ!? 高い高い高いバカバカ!!」
げしげし顔を蹴られたので先輩を床に着陸させ、リビングまで進むと、シル先輩がソファーでカードをいじっていた。
「うわっ、シル先輩すげえな。大会で死ぬほどやったあとだろ?」
口にくわえたチョコ菓子を上下に揺らしながら、謎のサムズアップを向けてくるシル先輩。
頭が下がるな、マジで……。
デジタルTCG界隈で《ラダーモンスター》と呼ばれているだけはある(ラダーってのはランクマッチのこと)。
「ジンケ君がMAO部門で優勝、シルちゃんも優勝こそ逃したけど準優勝の好成績。プラムちゃんも1回戦突破。EPSとしては大勝利の結果だ。これは祝勝会をやらざるを得ない!」
と宣言したのは、シル先輩の向かい側にいたコノメタである。
プラムはまだいない。今頃はようやく新幹線を降りたところだろう。
「社長から予算も降りたし! そのうち普段集まらないメンバーも集まってくるよ! 料理は現在進行形でリリィちゃんが準備中!」
キッチンのほうを覗くと、リリィが忙しそうに動き回っていた。
「でもその前に――真っ先に済ませておかないといけないことがある」
「うん?」
コノメタがにやりと笑うと、ニゲラやシルが納得顔になった。
「やるのね、アレを」
「(こくこく)」
「やるさ。恒例だからね。プラムちゃんがいないのは残念だけど、また後日改めてってことで。リリィちゃんが料理を準備してくれてる間に済ませよう」
アレ? 恒例? ……何のことだ?
「さあ、行くよジンケ君」
コノメタは玄関に歩き始めた。
「――入団式だ」
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コノメタやニゲラ、シル先輩と一緒に夜のアグナポットを歩いていると、気付いて手を振ったりしてくるプレイヤーがたくさんいた。
最初は他の面子に振っているのかと思ったが、どうやらその多くがオレに反応しているらしい。
「そろそろ自覚の持ち時だよ、ジンケ君。今の君はかなりの有名人なんだから」
「そうよ。サイン求められたりするわよ。ちゃんと考えておきなさいね」
「……マジで? シル先輩もあるのか、サインとか?」
「(こくこく)」
シル先輩はストレージから取り出した色紙にさらさらとサインを書いてみせた。
……『しる』と普通に平仮名で、しかも略称で。
二画じゃねーか。
「サインってこういう、小学生の持ち物に書いてあるようなのでいいのか……? もっとこう、カッコいいやつじゃ……」
「この子のは参考にしないように! 恥ずかしがらずにプロにデザインを依頼したほうがいいわよ」
サインを作るプロ……そういうのもあるのか。
まさかオレの人生に、大真面目にサインを考えなければならない局面が訪れようとはな……。
「サインの他にも、取材、解説、番組出演、記事の執筆――ただゲームをする以外の仕事も増えていくよ、プロになればね。まあその点、君はわたしたちという先輩がいるから恵まれている。チームの利点だね」
先を歩くコノメタが言う。
確かに、一人だったらどうすりゃいいか全然わかんなかっただろうな……。
「それもこれも、プロになって《EPS》のチーム名をその名に背負ってからの話だ。……着いたよ」
コノメタが立ち止まったのは、セントラル・アリーナの程近くにある、神殿と教会の中間みたいな建物だった。
商店通りのそばにある割にひと気がない。
こんな施設あったのか……。
コノメタたちの後ろに続いて、中に入っていく。
シンプルなものだった。
ひんやりと冷えた空間の真ん中に、ぽつんとひとつ、石碑が建っている。それ以外には何もない。
「ここは《受名殿》」
コノメタの声が空間に反響した。
「キャラネームを変えることのできる施設さ」
「……キャラネーム……」
思い当たることがあった。
コノメタ、ニゲラ、シル……彼女たちの頭上にポップアップするキャラネームを見れば、一目瞭然だ。
コノメタが振り返って、薄く笑った。
「ジンケ君――これから君はプロゲーマーとなり、我らがEPSの名前を背負って闘っていくことになる。そう……文字通り、ね」
「……そういうことか」
コノメタたちEPSメンバーのキャラネームには、手前に必ず『EPS:』という文字がついている。
これは、EPSメンバーであることを証明する文字であり、他の人間はシステムに弾かれて絶対に名乗ることができない。
「手続きは済んでいる」
先輩たちの視線がオレに集中していた。
「さあ、自分の手で付けるんだ。自分の名前に、わたしたちと同じ冠を」
オレはゆっくりと前に進み出て、石碑の前に立った。
胸くらいまでの高さを持つそれに、そっと手で触れる。
ぼうっと、石碑の表面に、光の文字が表示された。
《ジンケ》。
これが今の、オレの名前だ。
現れたウインドウを操作した。
そこにはしっかり、普通は表示されないはずの記号『:』が姿を見せている。
オレは間違えないよう慎重に、合計4文字を、名前の手前に付け加えた。
石碑に浮かび上がった文字が変わる。
同時に、オレの頭上にポップアップしたネームタグも、新しいものに改められる。
――《EPS:ジンケ》。
ついに、辿り着いたんだ。
南羽の奴と同じ場所――プロゲーマーというステージに。
振り返ると、コノメタ、ニゲラ、シル――本当の意味で先輩になった人たちが、オレという新人を見据えていた。
代表してコノメタが、オレに手を差し伸べる。
新しい世界へと、オレを連れていくために。
「―――ようこそ、《ExPlayerS》へ!」
後にケージは回想する。
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