第77話 プロゲーマー見習い VS MAO最強の男:孤高なる咆哮Ⅲ
1対1。
次が最終ラウンド……。
脳みそが焼き切れそうだ。
熱くなりっぱなしの頭を冷却するように、オレは大きく肩で息をする。
そうしながら、自分のステータスを確認した。
MPが満タンになっている。
ケージとの闘いは、ゲームスピードが速すぎて体技魔法を使っている暇がほとんどない――システムにアシストされた動きでは、遅すぎて隙になってしまうのだ。
――そしてそれは、ケージの側も同じ。
闘技場の反対側にいるケージと、視線が交錯した。
完全なる同条件。
これより後は存在しない。
何もかも出し尽くすべき――最終ラウンド。
インターバルが終わった。
闘技場の上空に、カウントダウンの数字が現れる。
『3!』
数千人の観客が波のように揺れた。
遮断されて聞こえないはずの声が聞こえる。
『2!』
湧き上がったうねるような熱気を、深呼吸で自分の中に取り込んだ。
その熱を、胸の奥底でくすぶらせる。
まるで、爆発寸前の爆弾のように。
『1!』
次いで、波が引くようにして静寂が訪れた。
世界が暗くなって、やがて闇に満たされる。
けれどこれは、絶望の闇ではなかった。
これが、戦場の本来の姿。
かつて来る日も来る日も通い詰めた闘いの場。
誰に助けを乞うこともできない、孤独ならぬ孤高の闇だ。
そう。
孤高の獣は、寄る辺なき闇でこそ真価を発揮するんだ。
『―――0―――!!』
そして、オレは咆哮する。
リミッターが、外れた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
アリーナ全体がビリビリと震えていた。
地震ではない。
爆発でもない。
それは咆哮だった。
最終ラウンドの開始と同時――ジンケが天に向かって、凄まじい声量で咆哮したのだ。
プラムは、この咆哮を知っている。
予選でジンケと闘ったとき――最後の最後に一瞬だけ、彼はああして凄まじい咆哮を放ったのだ。
そして、その瞬間。
彼のアバターは、それまでよりも明らかに速く、動いてみせた……。
今度は一瞬ではない。
自分の中身を絞り尽くすような、全力の咆哮。
プラムはその姿に、夜の山を駆ける狼の姿を見た。
「…………あれ、は…………」
不意にぽつりと、隣のリリィが呟く。
「え?」
彼女のほうに振り向いた、ちょうどその瞬間だった。
『――ああーっとぉ!?』
実況が叫び、観客がどよめいた。
慌てて闘技場に目を戻す――
と。
目を見張る。
ジンケがケージを殴り抜いていたのだ。
「えっ!?」
目を離したのは、コンマ1秒か、2秒か。
ラウンド開始直後ゆえ、充分に離れていたはずの間合いが、たったそれだけの時間でゼロになっていた……!?
ケージが踏み留まって反撃の斬撃を放つ。
瞬きをして――目を疑った。
ジンケがいない。
「消えっ……た!?」
違う。
瞬きをした一瞬の間に移動したのだ。
これだけ遠くから見ていても目が追いつかないほどのスピードで、ケージの反撃を回避した!
ケージが走る。
プラムからすると彼の動きも途方もない速度だったが、しかし、今だけは遅く見えた。
彼の目の前に突如としてジンケが現れたかと思うと、煙るようなストレートパンチが顔面に突き刺さったのだ。
『こ……これは、ケージ選手が……あのケージ選手が!?』
ジンケの姿は反撃する前に再び消える。
ケージはきょろきょろと辺りを見回していた。
直接闘ったプラムはよく知っている。
ケージの圧倒的なスピードを。
そして、それを完璧に制御できる図抜けた動体視力を。
しかし――そのケージをもってしても。
『ケージ選手、ジンケ選手の動きを捉えられなあああああいッ!!! なっ、なんだこのスピードはああ――――っ!!!!』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
こうなってみて、オレは初めて気がついた。
今まで、アバターの能力をどれほど引き出せていなかったのか。
ケージのスピード、あるいはミナハの2Fパンチ。
あれら、人智を超えているとも思えた神業でさえも、限界ではなかったんだ。
AGIというステータスには、もっと凄まじいポテンシャルが秘められていた。
技術さえ追いつくのなら、この数値はどこまでもプレイヤーを連れていってくれる!
普段よりずっとスローに感じられる世界で、オレは縦横無尽に走り回り、完璧に意思の通った拳を乱打する。
――昔から、経験的に知っていた。
思いっきり声を出すと頭の中がスッキリして、普段より集中力を発揮できるようになるのだ。
それがVR世界ではより効果を発揮することに気付いたのは――そうだ、《JINK》の伝説が生まれた、あの夜のことだった。
あまりの連戦で疲れ始めていたオレは、気合いを入れる意味も込めて、思いっきり叫んでみた。
すると、雑念が一気に吹き飛んで、世界がスローモーションに見えたのだ。
いつもより正確にアバターを操作できるようになった。
そのおかげで、オレは何百もの連戦を、集中力を切らすことなくこなすことができたのだった。
あとで調べてみたら、それがいわゆる《ゾーン》と呼ばれる現象だったらしい。
スポーツ選手や、交通事故に遭った人間などが体験する、極限的集中状態。
オレはVR世界でのみ、思いっきり叫ぶことでゾーンに入り、脳の性能を限界まで引き出すことができるのだ。
実行したのは、本当に久しぶりだった。
確か、MAOを始めて初日にPKと戦ったとき以来か……。
もしかすると、心のどこかでセーブしていたのかもしれない。
あの夜の自分に戻ることを、無意識に忌避していたのかもしれない。
でも、本能が告げたのだ。
目の前のこの男は、持てるすべてを尽くさなければ、とても勝てやしない――と。
怯えている場合か。
怖がっている場合か。
こいつに勝ちたいのなら、トラウマすらも使い尽くせッ!!
「うぅおおァァッ!!!」
獣のように吠え立てながら、鋭い拳を繰り出す。
ケージはオレの動きに追いつけていなかった。
ほとんどの攻撃が通り放題。
――勝てる。
スピード自慢のこいつに、スピードで勝ってるんだ――勝算しかない!
悠々と死角に入って繰り出した拳は、まっすぐにケージの頬を狙った。
――はずなのに。
オレの拳が貫いたのは、虚空だった。
……いない?
ケージがいない!
どこに行っ―――
―――ヒュウン。
風を切る音がした。
それが剣によるものであることに気付くのが、3フレームほど遅かった。
オレのアバターに、赤いダメージエフェクトが袈裟懸けに散る。
HPがガクンと削られるのを見ながら、オレは遮二無二距離を取って体勢を立て直した。
なんだ?
どうして避けられた?
どうして反撃できた?
まさか……直感か。
トラップを見抜いたときと同じ、『なんとなく』か?
「……はあ……はあ……はあっ……!!」
正面に立つケージは、肩で息をしながら、オレの目をぴたりと見据えていた。
微動だにすることのない、少し瞳孔の開いた瞳。
それを見て……オレは悟る。
まさか――こいつも!?
ケージは不意に魔法剣を振り上げたかと思うと、その切っ先を地面に突き刺した。
やっていることは真逆だが、その姿は、まるで聖剣を引き抜こうとする勇者のような――
地面に突き刺した魔法剣を握る両手が、鍵を回すように捻られた。
それを見た瞬間、オレは全力で距離を取る。
地面が噴火した。
《メテオ・ファラゾーガ》を地中に撃ちやがった!
でも……そんなことをして、いったい何の意味が……?
またしても大きく穿たれたクレーターを、茶色い粉塵が覆っていた。
警戒してその中を覗き込んでいると――
ボォウ。
と。
緋色の輝きが、人魂のように揺らめいた。
粉塵が縦に斬り裂かれる。
露わになったクレーターの底に、ケージが立っていた。
そして、その手には――
真紅に染まった剣が握られている……!
疑問に思う時間もなかった。
ケージが、真紅の剣を肩の後ろに引き絞る。
間合いは刃渡りのずっとずっと外。
それでも、オレの本能は危険を訴えた。
オレが横に避けようとした刹那、真紅の剣が鋭く刺突される。
その切っ先から――
紅蓮の炎が、槍のように伸びた。




