第73話 プロゲーマー見習い VS MAO最強の男:最強の証拠Ⅰ
《ブロークングングニル》。
《トラップモンク》。
《ビースト拳闘士》。
三つのスタイルの間で、指がさまよう。
次は……次は何を使えばいい?
ケージの片手剣のスタイル……《オールラウンダー》は打ち破った。
ここから先は未知の領域。
今まで表に現れなかったヤツの第二スタイルがそのヴェールを脱ぐのだ。
未知。
……未知。
脳裏にケージの瞳の輝きがチラついた。
まったく、勝った気がしない。
あの瞳には、一片の悔しさもありはしなかった。
かといって、投げやりかと言えばそうでもない……。
オレは、本当に勝ったのか?
3つのスタイルが選択可能になっているこの状態が何よりの証拠だって言うのに、そんなことすら考えてしまう。
「……くそっ!」
こんな幻影にかかずらっている場合か!
オレは頭の中の光景を強引に振り払い、ままよと2セット目の使用スタイルを決めた。
何が来るかわからないなら、自信のあるスタイルで勝負すればいい。
《トラップモンク》なら、ヤツも容易には対応できないはずだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
『さあ、2セット目! 予選も含めて初めての敗北を喫したケージ選手! ついに第二のスタイルが明かされます!』
アリーナ中の観客の視線が、闘技場の端にいるケージに注がれる。
今まで、彼は片手剣1本ですべての試合を戦い抜いてきた。
その彼が、果たしてどんな武器を使うのか……誰にも予想がつかなかった。
ケージの姿が切り替わってゆく。
右手に握られていた剣は消え、代わりに――
――何も、現れなかった。
『おおーっとぉ!? ケージ選手、武器を持っていません! これは!』
『徒手空拳……《拳闘士》だねえ』
にやりと唇を歪めながら、解説のコノメタが言う。
『《拳闘士》は最もAGIに補正がかかるクラスだ。武器を持てないとはいえ、ケージ選手のスピード偏重戦法とは相性抜群だろうね』
『ということは、もしや《ミナハ型最速拳闘士》でしょうか?』
『さてね。今更、彼がティアー・ランキングに載ってるようなスタイルを使うとも思えないけど』
『注目していきましょう! さて、対するジンケ選手は――おっと! 杖を持っています! ジンケ選手、スタイルを《トラップモンク》に切り替えてきましたぁー!!』
『いいね。有利マッチじゃないかな、これは。《拳闘士》はスピードと引き替えに、遠距離攻撃の手段をほとんど持たない。できるのは牽制程度だ。頼みの綱である足をトラップに潰されたら何もできなくなってしまう』
『《トラップモンク》の恰好のエサ、ということですね!』
『うん。考え得る限り最高の相手だろう』
『相性がはっきりしているこの2セット目! 果たしてどのような試合が展開されるのか! 間もなく第1ラウンド開始です!』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
とにかく序盤が勝負だ。
まだトラップを仕掛けきっていない序盤さえ凌いでしまえば、あとは相手の足を潰しておしまいだ。
ラウンド開始のカウントダウンを聞きながら、オレは正面に立つジンケの挙動に意識を向ける。
セルフバフはしない。
そんな暇はくれやしないだろう。
代わりに、いつでも仕込み刀を抜けるように準備しておく。
一瞬先を視ろ。
ヤツのAGIは、さっきよりもさらに上がっているのだ。
目で見てから動いているようじゃ、絶対に間に合わない――!
2セット目―――開始。
ケージは、その場から動かなかった。
――いや、残像だ!
オレは仕込み刀を抜き放ち、向かって右に牽制の一太刀を入れる。
たっ――と、それからようやく足音が聞こえた。
オレの牽制に反応したケージが、一歩だけ後ろに戻ったのだ。
その数フレームの隙に、オレは間合いを取りながらショートカットを発動する。
一つ目――トラップ設置!
ケージはトラップがある床を綺麗に回り込みながら、再び間合いを詰めてきた。
やっぱり一つや二つじゃ避けられる。
オレが通った場所さえ覚えてしまえば、トラップを踏むことはありえないのだから!
しかしそれも、試合が長引き、トラップが四つ五つと増えていけば話が変わる。
オレがトラップを仕掛けた可能性のある座標は無限に増殖していき、回避することはおろか覚えておくことすら不可能になるのだ。
もっとだ、もっとバラ撒け。
MPに糸目はつけない……!
オレは追いすがってくるケージを刀で牽制しながら、次々とトラップを仕掛けていく。
焦る必要はない。
いずれ必ず踏む。
その前に決着をつけようと、前のめりな攻めを仕掛けてくるはずだ――それにだけ気をつけろ!
四つ、五つ、六つ。
ケージが迫ってオレは逃げる。
七つ、八つ、九つ。
ケージが走って間合いを詰める。
一〇、十一、十二――
ケージが、トラップに引っかかる様子はない。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「な……なんで……なんで引っかからないのっ!?」
観客席にいるプラムが悲鳴のように叫んだ。
他の観客たちもざわめいている。
なんだこれは、と。
おかしくないか、と。
ジンケはすでに、二桁に上る数のトラップを仕掛けているはずだった。
なのに、ケージが一向にそれを踏む気配がない。
いや、それどころか。
トラップを気にして足を緩める様子さえなく、ずっとトップスピードで闘技場を駆け巡っている!
『こ、これはいったい……!? ケージ選手、トラップを踏まない! す、すべて回避しているんでしょうか!? あんなに全力疾走なのに……?』
実況キャスターさえもが声音に戸惑いを乗せた。
確かに、ケージが駆ける軌道は、最初の頃に比べると複雑怪奇に屈折している。
その事実が、何よりも示しているのだ。
ケージは、トラップを回避している。
まるでその位置が見えてでもいるかのように……!
『これはまさか、ケージ選手! 覚えているのでしょうか!? ジンケ選手が仕掛けたトラップの位置を、すべて!?』
『まさか……できるわけないさ、そんなこと。ジンケ選手もうまくカムフラージュして、トラップ設置の瞬間を誤魔化している。覚える以前に、どこに仕掛けられたかわからないはずだ……』
『コノメタさん! では一体!?』
『可能性があるとしたら……それは、ひとつっきりしかないよ』
コノメタの声は、ほとんど呻き声だった。
認めたくない。
言葉以上に、声音がそう告げていた。
それでも彼女は、解説としての役目をまっとうする。
『――勘、だよ』
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
――ありえないっ!!!
いくら仕掛けても、いくら誘導しても。
ケージはトラップのある位置には近寄らない。
器用に、間を縫うようにして走り抜けてくる。
まるで、頭の中を覗かれているみたいだ。
いや、あるものか、そんなこと。
オレが仕掛けたトラップの位置はわからないはずだ。
わかるはずがねーんだッ!!
「……どう、やって……ッ!」
刀で拳を受け止めながら、オレは噛みつくように詰問した。
「どうやってんだ、あんたッ!! トラップの位置っ……! 何のスキルだよ、それッ!!」
何かカラクリがあるはずだ。
オレだって、《ビースト拳闘士》で一般には知られていない新スキルを使っている。
それと同じように、トラップの位置を見抜くスキルを、この大会のために用意してきたのかもしれない!
それに……そうだ、癖だ!
うまくカムフラージュできているつもりで、実はオレには、トラップを設置するとき特有の癖があるとか……それを一瞬で見抜いているとか……!
とにかく、何かあるはずだ。
理屈が存在するはずだ!
だったら、それをさらに対策できれば――
「え?」
弾かれた拳を素早く引き戻しながら、ケージはきょとんと首を傾げた。
「いや――わかるだろ、なんとなく?」
――――――――。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
は……ああ?
いや……ああ、はは。違う。違うよな?
そりゃ言うわけねーよな。自分の手の内、自分から明かすわけねーよな。だから、なんとなくわかるなんて、クソいい加減なことを――
その顔は、本気だった。
目の前のそいつは、心から何の衒いもなく、『なんとなく』と告げていた。
不幸にも……オレには、それが直感的にわかってしまった。
「……ざッ……!!」
――ふざけるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!
なんとなく?
なんとなくだと!?
ふざけんな、許されるか、そんな理由ッ!!
オレがどれだけ時間を費やしてこのスタイルを作ったと思う!?
何度も何度も試行錯誤して、使いこなせるように練習して練習して練習して練習して!
そうやって作り上げた戦法を、てめえは『なんとなく』で打ち破るのかよ!?
認められるか、そんな無法!
誰も彼もが、この大会で勝つために研究してきた。
経験則と理論を積み上げて、自分なりの最強の姿を練り上げた!
そういうルールでやってんだよ、こっちはッ!!
練り上げられた戦法を打ち破るのは、同じく練り上げられた戦法であるべきだろうがッ!!
「……ッぐ……!?」
ケージの拳が胴体に入る。
吹き飛ばされたオレを、ケージはすいすいとトラップを避けながら追いかけてくる。
なんでだ……。
なんでだよ……?
こんなのって、アリなのかよッ……!?
オレがMPのほとんどを注ぎ込んで設置したトラップは――結局、そのすべてが不発に終わった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……おかしい……っ」
プラムの隣で、不意にリリィが呟いた。
「こんなの、おかしいっ! ジンケがこんな、一方的に……っ!!」
プラムは、リリィがこんなにも動揺を表に見せるのを初めて見た。
プラムに嫉妬心や警戒心を向けるときだって崩れない無表情が、淡々とした声が、今は歪み、荒れている。
まるで大切なものを踏みにじられたかのよう――には、見えなかった。
そんな痛切なものじゃない。
リリィの様子から感じるのは、もっと攻撃的な――
「こんなはず、ないっ! ジンケがこんな風にやられるはず――!」
「ふん」
不意に、鼻で笑う声が後ろからした。
VRのアリーナから聞こえた声じゃない。
リアルの会場のほうから聞こえた声だ。
プラムはバーチャルギアをずらしながらそちらに振り向くと、「えっ!?」と声を上げる。
そこにいた少女の顔を、プラムは見たことがあった。
それも当然だ。
MAOの中でも、1、2を争う有名人なのだから。
《五闘神》に数えられるプロゲーマー、《闘神アテナ》ことミナハが、見下げ果てたような目でリリィのことを見据えていた。
「キーキーやかましい子がいると思ったら……そんなにおかしい? ツルギよりセンスのあるゲーマーがいることが」
コノメタから、それとなく教えられたことがある。
彼女――ミナハとジンケの間には、ちょっとした因縁があるのだと。
ジンケは、彼女と闘うために、プロの道を選んだのだと……。
しかし今、ミナハと対峙しているのはリリィだった。
彼女は感情の浮かびにくい目で、しかしミナハをはっきりと睨みつける。
「……おかしい」
そして――ほんの少しも迷いのない声で言うのだ。
「ジンケは、最強だから」
まるで、1足す1は2だとでも告げるような言い方だった。
疑問の余地のない真理を口にしたかのような調子だった。
少なくとも彼女の中では、それは揺るぎのない真実なのだ。
「ふうん」
ミナハは表情を変えない。
「だったら訊くけど、『最強』って、なに?」
一瞬の沈黙があって、リリィは答える。
「誰よりも、強いこと」
「そう。それじゃあ、それはいつの時点で?」
「…………え?」
リリィは長い睫毛をぱちぱちと瞬かせて、初めて戸惑いを見せた。
「10戦して10勝したら最強? 100戦して100勝したら最強? 確かに、誰よりも強いかもね。その瞬間は」
プラムはミナハの言わんとすることを察した。
10戦10勝。
100戦100勝。
確かに、それらは素晴らしい成績だ。
誰にも負けていない――だから、誰よりも強い。単純明快なロジックで、疑問を挟む余地がない。
しかし。
そのロジックには、時間制限がある。
なぜなら、100勝したあとには101戦目があるからだ。
それが終われば102戦目が、それも終われば103戦目がある。
そうして続けていけば、いつかは――
「連勝記録だの無敗記録だのは、単なる勝率の上振れに過ぎないわ。10連勝、20連勝、あるいは200連勝? 確かにすごいわね、賞賛されるべき記録よ。でも、そんなのは、運や相手によっては初心者だってできるかもしれないのよ。……そっちのあなたならわかるでしょ?」
「えっ!? あ、あたしですか!?」
いきなり話を振られて、プラムはわたわたと慌てて答える。
「え、……えっと……。連勝記録や無敗記録が、プレイヤーの強さの指標になるか、ってことですよね? えっと、その……あ、あたしの、大して多くもない経験則ですけど……いいですか?」
「それが聞きたいの。『ゲーマー』の見解をね」
「何十連勝もするのって、すごいことだと思います。さっき、ミナハさんは、その……初心者でもできる、って仰りましたけど、確率としては、決して高くないと思いますし……。――でも」
リリィが振り返った。
「それが強さの証拠になるかっていうと、それはまた、違うんじゃないかと……。だって、何連勝もしたあとに、それ以上の数、連敗しちゃうことなんて、ざらにありますから。連勝中は、たまたまノッてるってだけで……瞬間最大風速っていうか、本質的な実力とは違いますよね?」
ミナハは淡く微笑んでうなずく。
「そうね。それじゃあ、『生まれてこのかた負けたことがない』って吹聴してる奴がいたら、あなたならどう思う?」
「『回線切断でもしてるのかな』って思います。……だって、ゲームって、勝ったり負けたりするのが当たり前じゃないですか。その大前提の上に、強い弱いがあるんだと思うんです。だから、『負けなかった』っていうのは……記録としてはすごいですけど、それがそのまま実力の証明になることはないと思います」
「その通りよ。ゲームは勝ったり負けたりするのが当たり前。私だって、他の《五闘神》だって、ランクマッチに潜るとその辺の人に負けたりするもの。でも私は、それを恥だとは思わない」
ミナハは再び、リリィに視線を戻す。
リリィは無表情のまま剣呑な雰囲気を放っていた。
視線と視線が、静かにぶつかり合う。
「私はあなたと違って、ツルギより強いゲーマーなんていくらでもいると思ってるわ」
リリィの目つきが、ほんの少し鋭くなった。
「何度でも言うけど、そんなの当然のことなのよ。必ず誰かより誰かが強い。誰よりも強い人間なんて、この世には存在しないわ。バトル漫画じゃないんだから」
「……でも」
「――それでも、誰かが頂に立つ」
真摯な思いのこもった声が響いて、プラムの背筋がぞくりとした。
「誰よりも強い人間なんていない世界で、それでも、ただ一人が頂点に立つ。……だから尊いのよ、『最強』という言葉は」




