第69話 プロ見習いは天才たちを向こうに回す
森果やプラムのところに戻るつもりだったが、気付いたら廊下のベンチでぼうっとしていた。
……冷却時間を置きたかったのかもしれない。
あいつらにまでむやみな八つ当たりをし始めたら、オレもいよいよおしまいだ。
目を閉じて心のさざ波が収まるのを待っていると、誰かが隣に座る気配があった。
タイミングの悪い……。
瞼を上げて隣を見ると、見覚えのある顔だった。
帽子と眼鏡で人相を隠しているが……オレが見間違えるはずもない。
2年以上も会っていなかったが、案外わかるものだ。
「……南羽?」
「……久しぶり」
オレの幼馴染みにして《五闘神》の一人に数えられるプロゲーマー・春浦南羽は、眼鏡――というか、バーチャルギアか――を取って、正面の壁を眺めた。
オレも南羽から視線を外して、正面を眺める。
「……来てたのか」
「うん」
「何の用だ」
「……なんか、怒ってる?」
「…………別に」
南羽に愚痴るようなことじゃない。
オレは深呼吸をして心を落ち着けた。
「……で、何の用だ? 今まで顔を見せなかったってことは、こっそり見て帰るつもりだったんじゃねーのか」
「そのつもりだった。……あなたとあの子がイチャついてるのを目の前で見せられるのも腹が立つし」
「森果だって人前なら自制くらいするっつの。……たぶん」
「しないわよ。私のこと目の敵にしてるもの」
「あいつはオレの周りの女子全員を目の敵にしてるから大丈夫だ」
「……………………」
「なんだ?」
「……まさかツルギから惚気られるとは思わなかった」
「のろけ?」
何のことだ。
南羽は「はあ」と聞こえよがしに溜め息をついた。
「耳寄りな情報を教えてあげようと思ってたけど、やめようかしら。ツルギなんて負けちゃえばいいんだわ」
「耳寄りな情報? ……ケージに関することか?」
オレは正面の壁から隣の南羽に視線を戻す。
聞き逃せなかった。
南羽はちらとオレの目を一瞥する。
「……食いつくわね」
「次の対戦相手だからな」
「まあ……そういうことにしておいてあげるけど」
含みのある言い方だな。
南羽はポケットから携帯端末を取り出した。
すいすいと画面を操作して、何かのページを表示させる。
「ケージというより、ケージの裏にいるブレインの話よ」
「ブレイン……。あの馬鹿げた耐久調整を考えた奴か?」
「そう。……名前は、真理峰桜」
「マリミネサクラ……?」
聞いたことのない名前だ。
っていうか、キャラネームじゃなくて本名だよな、それ?
「MAOでのキャラネームはチェリーね」
「あ、ケージの彼女か。あのめちゃくちゃ可愛い子」
「……………………」
「なんで睨む」
「……別に。これ見て」
南羽は端末の画面を見せてきた。
そこには何年も前のネットニュースの記事が映っていた。
ウェブ魚拓か?
「……『最年少女流棋士誕生 10歳11ヶ月』……」
オレはその記事の見出しを声に出して読む。
最年少……女流棋士?
記事の写真には小学生の女の子が映っていた。
「それが、真理峰桜よ」
「……なに?」
南羽に言われて、オレは改めて写真を見た。
言われてみれば……ケージと一緒にいたあの子に、似ている気がする。
似ているどころか本人だ。
記事にも『真理峰桜』の名前が発見できた。
「史上最年少で女流棋士になりかけた、当時の女子小学生では世界最速にして最強だった将棋指し……それがチェリーこと、真理峰桜。ケージについているブレインの名前よ」
「ちょ……ちょ、ちょ、ちょっと待て」
まったく予想外な情報を叩き込まれて、オレは若干混乱していた。
頭の中を整理する。
「女流棋士って、アレだよな? 女性のプロ棋士だよな? プロって、たった10歳でなれるもんなのか?」
おぼろげな記憶だが、小学校に入ったくらいの頃、中学生プロ棋士が云々っつってテレビが騒いでたような記憶があるんだが……。
「まあ、馴染みのない人はそう思うかもしれないけどね……女流棋士とプロ棋士は別物よ」
「え? そうなのか?」
「どういうわけだか、将棋には男女差が存在するの。単純な実力の問題で、プロ棋士が男ばっかりになっているだけなのよ。男だから女だからって呼び分けてるわけじゃないわ」
……不思議な話だな。
筋肉や体格が問題になるスポーツならともかく、頭脳戦である将棋で男女差が出るってのは。
「女流棋士は、棋力――レベルとしてはプロよりもずっと低いわ。真理峰桜以前にも、11歳で女流棋士になった人もいるし」
「そうか……なら、そんなにおかしなことじゃないのか?」
「史上最年少だって言ってるでしょ、馬鹿。女流棋士になる条件はいくつかあるけど、真理峰桜の場合は女流棋戦――大会で一定の成績を収めたことによるわ。当時10歳の真理峰桜は、女流も出る大会で、まさに無双と言っていい活躍をした――棋譜までは見つけられなかったけど、観戦記によれば、どの試合も完封と呼んでもいいものだったらしいわ。彼女よりひと回り以上も年上の大人が、泣きじゃくりながら投了宣言をしたって話もある」
「……………………」
オレは絶句する。
うまく想像できない――わずか10歳の女の子に対して、大人の女性が泣きながら負けを認めるという光景が。
「わかる? ……同じよ、今回と」
オレはハッとした。
「あれだけ何もかも見透かされて、完封試合になんかされたら、私だって多少は心に来るわ――あのプラムって子の様子はどう?」
……泣いていた。
まさに、泣きじゃくっていた。
かつて、真理峰桜――チェリーが負かした、対局相手のように。
「……なんでそんな奴が、ケージのブレインなんかやってるんだ? 本業の将棋はどうしたんだよ」
「本業じゃないのよ。……真理峰桜は、女流棋士にはならなかったの」
「は? でも、さっきの記事――」
「女流棋士になる資格を得ただけ。……真理峰桜は、それを蹴った。せっかく勝ち進んでいた大会も棄権して、いきなり将棋界から姿を消したの……。さっきの記事は勇み足で掲載されたものよ。今や誰も話題にしない、2020年代将棋界最大の黒歴史―――」
……成功を掴み取りながら、それをあっさりと放り捨てた天才少女、か。
「似た者同士のカップルってわけだ……」
「え? なに?」
「いや、なんでもない」
片や、あらゆるゲームのローンチ期で頂点を取り、すぐに姿を消す天才ゲーマー。
片や、史上最速で女流棋士の資格を手にし、しかしそれを投げ捨てた天才少女。
誰よりも才能に溢れながら、なのに、行けるところまで行こうとはしない――まさに、似た者同士の天才どもだ。
――ケージという最強の剣に、チェリーという最強の頭脳。
この最強最悪の二人組と、オレは闘わなければならないのだ。
「……ツルギ。優勝候補のあなたは、きっと真理峰桜によって、隅々まで研究し尽くされているわ」
「だろうな」
「どうするの?」
「……決まってんだろ」
オレはベンチから立ち上がった。
「教えてやるんだよ。オレは、そう簡単に研究し尽くせるほど浅い奴じゃねーってことを」
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そして、時は流れる。
オレは森果やプラムと離れ、今まで欠かさず見ていた他の試合も見ず、控え室で独り、瞑想に耽っていた。
これをやるのは久しぶりだった――EPSに入ってからは、VRゲーミングハウスっつー超便利な場所があったから、必要にならなかったのだ。
人力トレーニングモード、とオレは呼んでいた。
要するにイメージトレーニングのことで、任意の相手との対戦を頭の中でシミュレーションすることを言う。
言葉にすれば簡単だが、相手を自分に都合よく動かさないようにするのにはコツが必要だった。
昔はよくやったものだ……当時のアーケードVR格ゲーにはトレモがなかったりしたからな。
オレは、イメージ上のケージとの対戦を、何十回、何百回と繰り返した。
勝敗は数えない。
勝ち負けを数えると、敵を自分に都合よく動かしてしまいがちだからだ。
一合一合――動きの一つ一つを研ぎ澄ますことに集中する。
そうしているうちに、時は来た―――
「ジンケさん、いらっしゃいますかー!? そろそろ準備お願いしまーす!!」
大会スタッフが控え室に顔を出して、時間を告げた。
3回戦。
準決勝進出を賭けた闘い。
だがオレにとっては、この試合が決勝戦となるだろう。




