第63話 プロ見習いは震え出す
いったん地元に帰る森果と別れ、ホテルに戻ったオレたちは、その場であっさり解散した。
昨日みたいに誰かの部屋に集まって、というのも魅力的だったが、さすがに2日連続で寝オチ朝チュンなんてことになったら言い逃れ不可能だ。
最悪、包丁を持った森果に追いかけ回される羽目になる。
久しぶりに一人きりになったオレは、ユニットバスで汗を流して、ベッドの上に寝転がった。
……会場で聞いた歓声が、まだ頭の中に響いている気がする。
こんなのは初めてだった。
ゲームセンターにも、仮想世界にも、それぞれの魅力はあった――それでも、こんな風に身体が震え続けることはなかった。
ようやく……居場所を見つけたような気持ちがある。
熱気でいっぱいで、無数の視線があって、でも、闘うのは自分ひとり――
こんな場所を求めていたんだ、と心が歓声をあげている気がした。
今日見たものが、頭の中を駆け抜けていく。
闘う人間も、観客も、誰もが没頭している空間と時間。
対戦相手の男に、手を強く握られた感触が蘇った。
月並みかもしれないが……あのとき、何かを託されたような気がした。
オレ自身が負かし、大会から去ったプレイヤーも、まだ、オレの中に息づいているような。
……大違いだな。
あのゲームセンターの夜に打ち破った285人のことは、たった一人だって覚えちゃいないのに……。
だからなのか、殊更に思い出す場面があった。
ケージの1回戦――それが終わった直後のことだ。
ケージのほうはすぐに筐体から出てきたのだが、対戦相手のほうが、しばらく出てこなかった。
観客のオレたちが不審に思い始める寸前――
ガンッ!!
――と、筐体の中から、何かを殴りつけるような音が聞こえたのだ。
いわゆる台パン。
苛立ち紛れの八つ当たりだった。
誰にも見られていない筐体の中とはいえ、まさか、こんな大量の観客が集まる中で、そんなノーマナー行為を働くとは……。
驚くオレたち観客の前に姿を現したそのプレイヤーは、ケージと握手こそ交わしたものの、表情はあからさまに憮然としたものだった。
単に、負けて悔しかっただけではない。
何か、もっと大切なものを踏みにじられたかのような……。
さらに思い出すのは、それに対するケージの表情だ。
勝ったはずなのに、嬉しそうでもなければ誇らしそうなものでもなく。
それは、どこか申し訳なさそうなものだった。
……別に、ケージが何か卑怯なことをしたとかではないだろう。
チートを始めとした反則行為が、こんな大会の舞台で通用するはずもない。
それに、オレたちはきちんと試合を見ていた――あれはただの、プレイヤースキルの差が生んだワンサイドゲームだ。
ケージとの闘いには、実際に仮想世界で向き合ってみなければわからないことがあるのかもしれない。
……こんなにもわからないことが多い人間は、生まれて初めてだった。
「……まあ」
2回戦でケージと当たるのはプラムだ。
あいつが勝ってくれれば、オレが闘う必要はなくなるわけだが。
――思考を停止しては、いけない。
わかってるよ、シル先輩……。
オレは思考を巡らしながら、いつしか眠りへと落ちていった。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「すんすんすん」
翌朝。
森果と合流するなり、匂いを嗅がれた。
「……なんだ?」
「うーん」
森果は首を傾げると、今度はオレの隣にいたプラムに鼻を近付ける。
「ちょっ……あ、あたしもですかっ!?」
「すんすんすん」
「あっ……く、首筋くすぐった――ふぁっ!?」
森果は唐突にプラムの口を開かせ、ペンライトで口腔内を観察し始めた。
「ふむ…………シロ」
「なっ、なんなんですかあっ!?」
プラムは口を覆いながら、森果から飛び離れる。
奇行少女・森果莉々は、『何を当然のことを』と言わんばかりに小首を傾げながら答えた。
「浮気チェック」
「そ、それでなんで口の中を見るんですかっ!?」
「異物が残ってるかもしれないから」
「い、いぶつ……って……」
うぶなプラムはかーっと顔を茹で上がらせた。
っつーか今のはオレも普通に恥ずかしいわ! 無表情でしれっと何してんだコイツ!
「幸いちぢれ毛等は見つからなかったので、今度は本丸をチェックする。パンツ脱いで」
「むっ、無理無理無理無理っ! むーりーでーすーっ!」
「いいから大人しく膜を見せろ。やましいことがないなら見せられるはず」
「やましくなくても無理ですーっ!」
森果とプラムは取っ組み合いを始めて、すっかり男の存在を忘却した問答を応酬する。
女子同士の下ネタは生々しくてキツイ。膜とか言うのやめてくれませんか……。
どうにか森果を引き剥がしたプラムは、オレの背中の後ろに避難した。
「ふぇええっ……ジンケさぁん……! ジンケさんの彼女さんに貞操を奪われかけましたぁ……!」
「またややこしい三角関係だなオイ」
恋愛初心者には処理不可能だよ。
「仕方ない……」
森果は遺憾そうに嘆息すると、今度はオレを見る。
「その女がチェックを拒否するなら、ジンケのほうを調べるしかない」
「は!? ……い、いや、オレを調べるって……む、無理だろ?」
「ルミノール反応を見ればいい」
と言って、森果は薬品が入った試験管を取りだした。
「クロならジンケのが発光する」
「アホかあーっ!! 光と共に死を迎えるわーっ!!」
「そっ、そうですよっ!! それにその方法だと、昨夜あたしが初めてだった場合にしか検出できないです!!」
「はっ……!?」
「確かに、みたいな顔をするな! それとプラム、そのフォローだとすでに浮気の常習犯みたいでヤバい!」
「あっ……!?」
もうオレの自制心に期待して、森果をホテルに泊めてたほうが楽だったんじゃねーか? そんな気すらした。
ともあれ、こんなドタバタも今日で終わりだ。
《RISE》本戦Day2。
2回戦から決勝戦までのすべてが、今日消化される。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「ん!」
シルが力強いサムズアップをして、自分の会場に向かっていった。
応援はできないが、ぜひ優勝してほしいもんだ。
そして先輩らしく賞金で奢ってほしい。
早めに会場入りをしたオレ、森果、プラムは、ひとまず観客席を覗いてみた。
「……人、もう結構いますね……」
「昨日以上の客入りになるんじゃねーか……?」
「1回戦だけの1日目より、決勝もやる2日目のほうが人が多い。セントラル・アリーナも、昨日よりメモリを上げるみたい」
「メモリを上げる? ……って、もしかして増やせるのか、観客席?」
「仮想空間だから」
マジかよ。
昨日でもすさまじい客入りだったのに、今日はさらに増えるのか?
「うわ~……楽しそうですね、ジンケさん……」
「ん、そうか?」
「ジンケ、笑ってる」
ぷにっと森果が頬をつついてきた。
本当だ。
「昨日気付いたんだけどさ、オレ、こういう大会、性に合ってるらしい」
「羨ましいです……あたしなんかもう、緊張で吐きそうで……」
「筐体の中で吐くなよ。たぶんめっちゃ怒られるぞ」
「ううう~……! がんばります……」
森果がむっとした空気を出した。
オレがプラムに優しくしたから拗ねたのかもしれない。
しかし森果は恨み節を言うでもなく、
「……今日はジンケの大事な日だから、束縛するのはやめる」
「えらいな。でもすでに結構やってるから大丈夫だぞ」
「えっ」
えっ、じゃねーよ。人の大事なところにルミノールぶっかけようとしといて。
森果の奇行めいたヤキモチに付き合うのはもう慣れた――それどころか、こいつを早く安心させてやりたいってモチベーションが湧いてくる。
今日、オレはこの大会に優勝し、プロゲーマーになる。
そして―――
―――お前に追いついてやるよ、ミナハ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「おや」
今日も実況解説として《RISE》会場の東京ビッグサイトを訪れたコノメタは、会場の隅のほうで見覚えのある少女を見かけた。
帽子を深めに被り、グラスモードのバーチャルギアをかけて人相を隠しているが、EPSのスカウトも勤めるコノメタの目を誤魔化せるものじゃない。
「ミナハちゃんじゃないか。ジンケくんの応援かな?」
「……コノメタさん」
プロVRゲーマーとしては古参に当たるコノメタは顔が広い。ミナハとも顔見知りだった。
ミナハは軽く頭を下げて会釈すると、
「……別に、応援しにきたわけじゃありません。ただ、見届けに来ただけです」
「ああ、なるほどね。最近、彼の周りには女の子が増えたから」
「ちがっ……そ、そういうことでもありません!」
「ははは!」
若い後輩をイジるのはコノメタの趣味である。
彼女がスカウトする選手が軒並み若かったりするのも、その趣味が影響していないとは言い切れない。
「……ジンケくん、今日は苦戦するかもね」
コノメタは不意に話題を戻しながら、ミナハの隣に並んだ。
ミナハは帽子の奥から、怪訝そうな目をコノメタに送る。
「……あのツルギが、この程度の大会で苦戦?」
「この程度、ね。言ってくれるなあ。これでも国内有数規模の大会なのに」
「ツルギのセンスは本物です。そんじょそこらのゲーマーに後れを取るはずがありません」
「ところがどっこい。運がいいのか悪いのか……今回の《RISE》には、彼と同等か、それ以上のセンスの持ち主が出場していてね。私も予想外だったんだけど」
「……《緋剣乱舞》ですか」
「そんな異名もあったっけね。ともあれ、これはいい機会さ。ジンケくんはこれまで、自分よりもセンスで劣る相手としか闘ってこなかった――格上と闘ったこともなくプロを名乗ろうなんて、烏滸がましい話だからね」
「……この世界では、ゲームがうまいことが、イコール強いわけじゃない」
「その通り。……むしろ、ゲームのうまい、センスだけに頼る選手は、すぐに勝てなくなってプロシーンから姿を消すと言われている」
ミナハはこくりと頷いた。
最前線で活躍する彼女もまた、その事実を身に染みて知っている一人だ。
「君も好きな将棋で例えてみようか。最強のプロ棋士といえば、君は誰だと思う?」
「……羽生善治先生でしょうか」
「まあ、結構な人がそう答えるだろうね。で、その羽生……ええと、最大で何冠だったっけ? 詳しいことは忘れちゃったけど、誰もが最強と認める羽生さんの通算勝率は、確か7割くらいだ。私からすると目ん玉ひんむくレベルの超好成績だけど、でも裏を返せば、3割は負けているということでもある。負けているのさ。それも何度もね。それでも、羽生善治こそ最強だと人々が言うのは、いったいなぜなのか」
「勝ち続けているからです」
ミナハは即答した。
「何年も、何十年も、ずっと勝ち続けているからです――誰かに勝ったとか、すごい能力を持ってるとか、そんな一面的なことは、最強の条件にはならない。『最強』とは、結果の肩書きでもなければ、能力の評価でもありません。在り方の呼び名なんです」
だから、と。
《五闘神》と呼ばれる一人、《闘神アテナ》は、憧れすらも込めて断言した。
「――ツルギは、最強のVRゲーマーだと思います」




