第25話 プロ見習いはライバルを潰しにかかる
プラム/簾原スモモは、久しぶりに通っている女子校を訪れた。
別に不登校だったわけではなく、単に今は夏休みの真っ直中だからだ。
部活もやっていない彼女が夏休みに学校を訪れる機会は、今日のように夏期講習がある日だけだった。
夏期講習は、希望した生徒と成績不良の生徒だけが参加する。
スモモは前者だったが、授業が始まってすぐ、受講を希望したことを後悔していた。
早く帰りたい。
うずうずする。
学校では真面目だけが取り柄である彼女は、それでもきっちり授業を受けきったが、正直、内容はあまり頭に入ってこなかった。
今日は何をしよう。
どんな戦法を試そう。
何をしたらみんな喜んでくれるのかな――
そんな思考が頭の中を埋め尽くしてしまって、数式や年号の入る隙間なんて、これっぽっちもありはしなかったのだ。
お昼になって、講習終了のチャイムが鳴ると、スモモはそそくさと帰り支度を始める。
「簾原さん」
席を立とうとしたとき、長い髪の女の子が話しかけてきた。
いかにもお嬢様然とした綺麗な女子で、スモモのクラスメイトだ。
名前は確か、永雲揚羽。
頭がよくて、スポーツもできて、お姫様みたいに綺麗――
まさに勝ち組を体現したような人なのに、生来の人見知りであるスモモにも根気強く話しかけてきてくれる、女神みたいな人である。
「お昼はどうされるんですか? よかったら一緒にいかがでしょう?」
永雲アゲハの手には、お弁当らしき包みがある。
夏休み中、学食は閉まっているから、中庭や屋上で食べようということだろう。
教室の入口では、ツインテールの女の子が待っていた。
彼女もクラスメイトだ。
空川海月だ。
確か、永雲アゲハと一緒に何とかという部活をやっている、快活な印象の女子だ。
家族以外と一緒に食事する機会なんてほとんどないスモモにとって、永雲アゲハの提案はとても魅力的なものだった。
しかし――
「すいませんっ」
スモモは鞄を持って立ち上がった。
「今日は用があるんです! 先に帰らせてもらいますね!」
「え……? は、はい」
「それではっ」
スモモはできる限りの早足で教室を飛び出した。
(ちょっと強引だったかな?)
廊下を歩きながらスモモは思う。
(でも、言えないもんね、永雲さんみたいな人に……)
駆け下りたい気持ちを抑えながら、階段を下りる。
(早く家でゲーム配信がしたいから帰ります、なんて)
――そして、教室に残された永雲アゲハは、入口に待たせていた空川ミヅキと合流した。
「フラれちったねー、アゲハ」
「別に気にしてませんよ。でも……」
からかうように言う空川ミヅキに柔らかに答えつつ、永雲アゲハは簾原スモモが消えた廊下を見やる。
「……簾原さんって、あんなに明るい人だったでしょうか?」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
【現在のジンケ:75位】
重厚な鎧を身に纏った対戦相手から、強化を意味する光がフッと消えた。
今だ――!!
「第五ショートカット発動!」
オレが持つ《獣王牙の槍》が稲光を帯びる。
投擲型体技魔法《雷翔戟》。
大砲めいた轟音と共に投げ放たれた槍が、相手の鎧を一撃でぶち抜いた。
相手のHPがガクンと減ると同時、麻痺エフェクトが出た。
勝負ありだ。
すぐに手元に戻ってきた《獣王牙の槍》で、オレは続けざまに《炎翔戟》を放つ。
必殺の勝ちパターンで対戦相手が消え散り、オレの勝利が決まった――
【現在のジンケ:43位】
「―――ッしゃあ!!」
マッチング・ルームに戻るや、オレはガッツポーズする。
ついに50位以内!
コノメタから出された条件に、ついに手をかけた。
とはいえ、月末まではまだ時間がある。
このまま放置しても、50位以内で終われはしねーだろうけどな。
「はー……疲れた」
ずっと気を張ってランクマッチを回し続けていたので、どっと疲れが出てきた。
いったん休憩しよう。
オレはマッチング・ルームから控え室に戻る。
と、相も変わらずメイド姿のリリィが待ちかまえていた。
「お疲れ様、ジンケ」
「ああ。ありがとな」
「いつもいつでも完全回復。あなたの心のラストエリクサー、リリィです」
「…………なんだ、そのキャッチコピー」
「考えた」
「いや、そうなんだろうけども。だろうけども」
なんで考えたんだってことを聞きたかったんだが。
まあリリィの突拍子のない言動は今に始まったことじゃない。
差し出されたドリンクを何事もなかったかのように受け取って、オレはソファーに移動した。
リリィが隣に座ってくる。
肩にもたれかかってくる。
横に移動して避ける。
ぽてっとソファーに倒れるリリィ。
「むー。いじわる」
「今はそういうんじゃねーから。年中発情メイド」
仮想のスポーツドリンクに口を付けながら、正面の大型モニターを見た。
映っているのはリアルタイム・ランキングだ。
「13位か……。結構連勝してる感覚だったけど」
「今月はみんな妙に回してる。まだ月末じゃないのに」
起き上がりながら言うリリィ。
「月末はこれ以上の地獄なのかよ……」
ゴッズランクの最終的な成績は、月替わりの際にどの辺りの順位にいるかで決まる。
だから順位争いは月末が一番熾烈だ……と、いうのはわかるんだが。
「なんだっけか。ポイント? とかいうのが、上位でフィニッシュすると入るって、ニゲラが言ってたよな」
「《選手権》に出るためのポイント」
「《選手権》?」
「公式でやってる全国大会みたいなもの。予選がなくて、ポイントをいっぱい集めた人だけが出られる。ランクマッチで上位に入ったり、公認大会で勝ち上がったりするともらえるポイント」
「……普段のランクマや大会それ自体が予選を兼ねてるってわけか。一発勝負で決められねー分、なかなかヘビーだな。
んじゃ、ミナハの奴がランクマに姿を見せねーのは?」
「もう今季はポイントが足りてるんだと思う。クラスチャンピオンの防衛にも成功したし、他にも何回か大会で優勝してるはず。
彼女は他のゲームとも掛け持ちしてるから、普段からあんまりアリーナには顔を見せないみたい……」
「……なんかちょっと声固くね?」
「べつに」
やっぱり固い。
……ははーん。
「そういや、お前にオレとミナハがどういう関係か話したことあるっけか?」
「……わかる。大体」
「へえ。言ってみ」
「元カノ」
「くくくっ!」
元カノと来たか!
まあな、確かにそう見えたかもしれん。
「なんで笑うの」
無表情ながら憮然とした雰囲気を漂わせるリリィに、オレは教えておくことにした。
「小学生んときに連んでた幼なじみだよ、あいつとは。それ以上でもそれ以下でもない……っていうか、最近は全然連絡取ってねーな」
「…………幼なじみ」
「ああ」
「つまり、結婚の約束してるってこと?」
「お前それ、全国の男女の幼なじみが全員やってると思ってんのか?」
漫画の読みすぎにも程があるだろ。
「してねーよ。そもそもオレには、そういう概念自体が、ごく最近までほとんどなかった」
厳密には、森果に告られるまで。
「だから三角関係の心配はない。安心してくれ」
「……ん」
かすかに頷きながら、リリィはそっと寄ってくる。
さっきみたいにもたれかかってきたりはしない。
ソファーに突いた手の指先が、ほんの少し触れるくらいの距離で止まった。
つんつんと指をつつかれたので、つんつんとつつき返す。
まあ、これくらいならいいか。
「おっ」
大型モニターのリアルタイム・ランキングが更新されて、上位に見覚えのある名前が出た。
「コノメタにニゲラ……。そういや今日はイースト・アリーナでランクマ回すって言ってたな」
もしかして、今やったら当たるか?
ゴッズランクの上位になってくると、同じ奴と何回も当たったりするからな。
「……いいね。先輩方の連勝を止めに行くか」
休憩は終わりにしよう。
オレはソファーから立ち上がった。
「ジンケ」
「悪いなリリィ。もっかい行ってくる」
「じゃなくて、一番下。20位」
「ん?」
リアルタイム・ランキングの一番下。
リリィが指さした20位に。
《プラム》というキャラネームが表示されていた。
「……へえ?」
調子の良さそうな奴が多くてよろしいこった。
「ジンケ、楽しそうな顔してる」
ソファーに座ったままのリリィが言った。
「そうか? ……そうかもな」
一ヶ月前の自分が、もう思い出せない。
そうか、こんな気分だったのか。
やりたくてやりたくてしょうがないことがあるってのは。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
今日は調子がいい、とプラムは自覚していた。
身体が思い通りに動く。
頭が混乱しない。
どうやって戦えば勝てるのか、直感的にわかる。
〈リアタイ入ったぞ!〉
〈リアタイ20位!〉
〈おおおおおおおおおおおお〉
「えっ!? ほんとですか!? リアタイ載ったの初めてなんですけど……!」
〈おめ!〉
〈おめでとう!〉
〈おめでとー!〉
「あっ……ありがとうございますっ。ありがとうございますっ!」
打てば響く。
思った以上の反応が返ってくる。
夢見心地だった。
数字に向かって喋っていた頃では考えられない。
とても追いきれない量のコメントが流れていくのが、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
もっと喜ばせたい。
もっと驚かせたい。
そんな欲望が際限なく湧いてきてエネルギーに変わる。
強くなっている。
確信があった。
誰に見られることもなく、一人きりで闘っていた頃に比べて、明らかに強くなっている。
まさか自分に、ゴッズランクでここまでやれる力があったとは思っても見なかった。
もしかしたら、と期待が起こる。
初めて、ゴッズランクの1桁順位に手が届くかもしれない。
たぶん一瞬の天下だろうけれど、もしかしたら攻略サイトで記事になったりして――
もしかしたら、《選手権》にも出られたり?
(危ない危ない!)
気持ち悪い笑い声を配信に乗せそうになり、かろうじて堪える。
代わりに、
「まだまだ行きます!」
学校ではとても出せないハキハキとした声で宣言し、マッチングを始めた。
十数秒の後に表示された対戦相手の名前は――
「あっ……!」
その名前に、プラムは目を見張る。
なぜなら、それは――
〈おっ、ジンケだ〉
〈JINKEじゃん〉
〈JINKEきた!〉
〈ブログ対決だあああああああああああ!!〉
コメント欄が高速で動き始めたのを見るなり、プラムの思考にある言葉がよぎる。
彼女の配信者としての素養を証明する、ある言葉が。
(――あ、これおいしい)




