第100話 プロゲーマーはわからせる - Part4
「くそっ……!」
肩に突き刺さったクナイをぞんざいに引き抜きながら、オレは悪態をついた。
度重なる《土遁の術》によって、複雑怪奇な渓谷地形と化した闘技場。
岩陰から岩陰へ高速で移動する人影を見つけ、オレはそれを追いかける。
現在の順位は5位。
ドクター・ソルとの対戦だった。
前回、《地形忍者》のオレに対して不利スタイルである《トート・ウィザード》をあえてぶつけてきたドクター・ソルは、今度は《地形忍者》同士によるミラーマッチを挑んできたのだ。
オレは今月、ほとんどの時間をこのスタイルに費やしている。
習熟度では人後に落ちないという自負があった。
しかし。
なのに。
――どうして、オレのほうがHPが減っている……!?
一体、何が違う。
使うスタイルは同じ。
スキル構成も大して違うようには思えない。
だとしたら、この差の原因はプレイヤースキルにしかない――でも、何がどう違うのかがわからない……!
ソルの姿を、左前方に捉えた。
それはほんの束の間の出現。次の瞬間には、奴は岩陰に飛び込んで姿を消すだろう。
オレのアバターは電撃的に駆動した。
手応えがある。
間違いなく最速。
オレの反射神経が許す、これが限界だと。
ソルを視界に捉えてからクナイを投げ放つまで、きっと0.3秒とかからなかった。
一手先を視るオレの感覚が告げる。
これは、当たる。
これを避けられる人間はいない。
なのに。
キィンッ、と軽い音がした。
それは、ドクター・ソルが、携えた小太刀でクナイを弾く音だった。
オレは愕然とする。
反射的に、本能的に、小太刀を振り回して何とか防げた……というのなら、わかる。
だが、今のは違う。
余裕があった。
ヤツはオレの動きをしっかりと見てから、確信的に対応していた。
人間性能の限界に迫ったオレの攻撃を、当たり前のように上回った……!?
オレの脳裏にチラついたのは、小さい頃に読んだ『西遊記』の絵本だった。
孫悟空はお釈迦様から逃げるため、筋斗雲に乗って世界の果てまで飛んでいくが、実はお釈迦様の手のひらからさえ逃れられていなかった――
MAO最強の男と呼ばれたケージは、いわゆる人間性能の塊のような男だった。
最速の反射神経。
最適な行動選択。
最高のアバターコントロール。
ゲームに詳しくない一般人でもわかる、想像しやすい『最強』の形。
だが、こいつは違う。
ドクター・ソルの反射神経は、速すぎるほどじゃあない。
アバターコントロールも、及第点を満たす程度。
行動選択については、たまに最適解から外れることさえある。
なのに、勝てない。
いつの間にか、戦局がドクター・ソルに傾いている。
正面から闘えば、絶対に勝てる――その確信があるのに、勝ちが遠のいていく。
根拠のない妄想がチラついた。
オレは、もしかして。
この男と、まだ闘えてさえいないんじゃないか……?
HPが尽きた。
ドクター・ソルが、オレに2本の指を突きつけた。
――次は、2位まで来い。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
昼食時ってことで、いったん配信も休憩にした。
ログアウトしたオレは、インスタントラーメンを鍋で茹でながら、キッチンに置いた携帯端末でプラムと通話をしていた。
『……は、ふぁ……』
「眠そうだな……」
『ジンケしゃんこそ……』
さすがに17時間ほどもゲームを、しかも喋りながらやっていると、疲れも出てくるというものだ。
ねみぃ……。
ちょっとふらふらする。
まだ意識は明瞭だが、24時間を超えるのは勘弁してくれって感じだった。
寝ない配信って、思ったより10倍くらいキツい……。
『ふにゃにゃ……ジンケしゃぁん……ふええ……!』
「なんでいきなり泣き始めたのお前……」
『だってぇ……リリィしゃんが、あたしの邪魔しゅるんですよぉぉぉ……!!』
「は? リリィ?」
ちょっと目が覚めた。
「リリィがどうしたって? 会ったのか?」
『あたしがいい感じに順位上げてると、スナイプしてくるんですよぉ……! なんとかしてくださぁい……!』
「スナイプぅ? 何やってんだあいつ」
『怒ってんのやろか……。この前ハウスに来はったときに「ジンケさんもらってまうで」って言うたから……』
「ハウスに来たって何!? お前何挑発してんの!? っていうかお前の関西弁初めて聞いたわ!!」
初耳が多すぎる! せめて一つずつ整理して言え!
プラムはふにゃふにゃした声で、リリィによるハウス襲撃事件について話した。
何分ふにゃふにゃしているので要領を得なかったが、どうもちょっとした言い争いになったようだ。
『だってぇ……勝手じゃないですかぁ……!! ジンケさん、本当に心配してたのにぃぃ……!!』
「……まあなぁ。あいつが自分勝手なのは前からだし」
『あんな人と付き合うくらいだったら、あたしと付き合ったほうがまだマシですよぉ……!』
「お前眠すぎて自分が何言ってるかわかってねーだろ!」
『ふにゃ……?』
あっぶねえ! 配信止めててよかったわ!
「大体お前、オレに恋愛感情はねーんだろ?」
『そうですけどぉ……ジンケさんが可哀想で……』
「哀れんでくれてどうもありがとう」
『告白さえしてもらったら渋々オーケーすると思うんですけど……』
「渋々だったらオーケーしなくてもいいっつの!」
『……すみません……。今のは照れ隠しで、実際には慌てふためいた末にお断りすると思います』
「渋々でもいいからオーケーしろや!」
『ええ……? ちょっと、そういうのは、別にいいです……』
「お前さあ、オレを傷付けるの得意すぎねえ!?」
なんで告ったわけでもないのにフラれた感じになってんだよ!
これ以上は目眩が止まらなくなりそうだったので、オレは茹でた麺を丼に移し替えつつ、話題の転換を試みた。
「で? どうだったんだよ、リリィとの試合は」
『ううーん……』
プラムは通話口で唸った。
……前にオレに見せた、例の《仮想発勁》。あの恐るべき戦闘技術を、もしかしてランクマッチでも使っているのだろうか。
だとしたら、オレとドクター・ソルとの対決なんて軽く霞んじまうくらい、話題になっていそうなもんだが……。
『なんか……ジンケさんに似てるなって思いました』
「オレに?」
『ジンケさん、たまに咄嗟の判断でとんでもないことするじゃないですか。《RISE》で《メテオ・ファラゾーガ》を殴り飛ばしたりしたのが代表的ですけど……』
「とんでもないことねえ……」
オレとしては、必死に最適解を探し出した結果でしかないんだが。
『だって、信じられますか……? リリィさん、あたしが撃った《ウォルルード》を、凍らせて殴り砕いたんですよ?』
「はあ? 《ウォルルード》を殴り砕いたぁ?」
なんだそりゃ?
『本当なんですよ! たぶん、すっごく細かいジェスチャーショートカットに氷系の魔法を入れて、パンチと一緒に発動するようにしてるんだと……』
「《ウォルルード》を凍らせるって、考えたことはあるけど試す気にもならなかったな……」
――ん?
頭の端に何かが引っかかった。
水を凍らせる。
液体から固体へ。
物質の状態を――
――状態?
『そちらのお話も聞きたいです』
プラムの声で、オレは思考をいったん中断した。
『ドクター・ソルさんはどんな感じでしたか……? 勝てそうですか……?』
「んんんー……」
できあがったラーメンをダイニングテーブルに運んで、オレは答えた。
「……正直、どうやって勝てばいいかわかんねー」
『えっ……? ジンケさんでもそんなこと、あるんですか……?』
「あるだろ、そりゃあ。そんなことばっかりだよ」
それこそVR格ゲーを始めたばっかの頃は、毎日連戦連敗で半ベソかいてたもんなあ。
《RISE》で一度、ケージに鼻っ柱を完全にへし折られたのもあって、今のところ半ベソはかかずに済んでるが。
オレはラーメンを箸で掴みながら、
「なんか、手のひらの上で踊らされてるって感じなんだよなー……。強いて言えばコノメタに近いんだが……」
『ああ――なんとなく、わかるかもです』
「ん?」
ずず、と吸いかけた麺が、途中で止まった。
『ジンケさんに勝つとしたらそんな感じだろうなって、前から思ってたんです。ほら、ジンケさんって、人間性能が物凄いじゃないですか』
「いや、比べたことないからわからんけど」
『すごいんですよ。アバターコントロール完璧すぎるし、反射神経とか人間じゃないでしょって感じで。ほら、《RISE》のケージさんとの試合も、人間性能の殴り合いって感じでしたし』
「まあ、確かに、そんな感じだったかな……。あの試合は正直、必死すぎて記憶が曖昧なんだが」
『でも……だからこそ、っていうか――ジンケさんって、動きが結構素直なほうなんですよね』
オレは口の中の麺を飲み込んで、ぱちぱちと目を瞬いた。
「動きが素直? オレが? ……マジで? そうなのか?」
『はい。常に最短最速で最善手を選んでくるってイメージです。だから楽しいっていうか……闘ってると自分まで高められていくような感じがあるんですけど……あ、えと、それは関係なくて!』
プラムは恥ずかしげに言葉を打ち消した。
お前……『あたしが彼女になったほうがマシ』発言はこれっぽっちも恥じらわなかったくせに……。
『……要するにですね。ジンケさんって、すっごく強いんですけど、すっごく闘いやすいんですよね。対戦相手からすると』
「……なるほど」
なんとなくわかってきた。
上級者同士になると、一手先を想定しながら闘うのが当たり前になる。
だが、オレはどうやら、その精度が人よりも高いらしく、ほとんどの場合で一手しか思い浮かばない――最善手しか脳裏に浮かばない。
まるで最強の未来視能力みたいに感じるかもしれないが、決してそんなことはない。
これすなわち、あえて最善手以外を選ぶことで奇襲をかけることができないということなのだから。
思い返してみれば確かに、オレはそういうプレイをほとんどしない。
強いけど闘いやすい、というプラムの言葉は、おそらくそこから来るものだ。
最善手ってやつは、自分にとっても相手にとっても自明である。
誰であろうとも、時間さえあれば必ずそこに辿り着く――それが最善手ってもんだ。
だから、最善手しか打ってこない相手は、勝てるかどうかは別にして闘いやすいのだ――自明の展開しか起こらないわけだからな。
ちなみに、これの真逆のプレイスタイルがコノメタだったりする。
環境に影も形もない変態スタイルでわからん殺しをしてくるのはもちろん、奇襲じみた手を呼吸するように使ってくるので、闘いにくいったらない。
主にオレとニゲラに非常に嫌われている。
……思えばこれは、以前、南羽にも指摘されたことだった。
あいつ曰く、オレは『直感』は優れているが『読み』がてんでダメ――
「……そうか……。オレって、コントロールしやすいのか」
『そういう面は、正直あると思いますね……。いくつか試合見たことあるんですけど、ドクター・ソルさんって、ゲームプランを立てるのがすごくうまい方みたいですし……』
ゲームプラン。あるいは『大局観』と呼ぶべきか。
ゲームを最終的にどう決着させるかを捉える感覚。
プレイヤーはお互いに、自分が思い描くゲームプランを実現するべく、一手一手を積み重ねていく。
そこで趨勢に関わるのが、あらゆる可能性を想定して備える豊潤な『読み』。
より読み勝ったほうが、自分のゲームプランを実現する権利を得る。
かつてのオレは、自分の『読み』が浅いなら相手の『読み』の範囲そのものを絞ってしまえばいいと考えた――試合の可能性そのものを狭めてしまえばいいと考えた。
その考えから生まれたのが、徹底的に相手の行動を束縛する《トラップモンク》だ。
だが翻って、今の環境はどうだ?
オレたちが自ら導入した地形アドバンテージ理論で、対戦中に一呼吸入るタイミングが増えた。
以前はひたすらノンストップで体力を削り合っていたのが、『地形を整える』という工程が入るようになったことで、ワンテンポ、ゲームスピードが落ちたのだ。
……そう。
その落ちたワンテンポは、『読み』を重視するプレイヤーにとっては、ダイレクトにアドバンテージになる。
落ち着いて思考を巡らせられる時間が増えたのだから。
繰り返すが、最善手は時間さえあれば誰でも辿り着ける。
だから、その時間が確保できるようになった今環境では、最善手を最速で感覚できるオレの得意技は、無価値化したに等しいのだ。
……今環境、どうにもやりにくさがあるなと感じていたが、ようやくその正体に辿り着いた。
オレは図らずして、自分自身に不利な環境を作り出してしまったのだ――
ドクター・ソルとの試合で感じる、手のひらの上にいるようなあの感覚。
あれはつまり、読み合いに負けていることから生じるものだったのか……。
「……だったら、相手のペースで進ませない。接近戦に持ち込んで競り勝つ。そうするしかない、が――」
そうだ、ケージのときに思い知った。
プロゲーマーの世界は、昔取った杵柄でいつまでも勝てるほど甘い場所じゃない。
――来たのかもしれない。自分の殻を破るべき時が。
「ありがとうな、プラム。ちょっといろいろ試してみるわ」
『……あ、はい。いえいえ』
「どうした? 寝てたか? ボイス集か?」
『絶っっっ対やりませんから! ……ちょっと、あたしも思いついたというか』
「?」
ちょっとからかうような口調で、プラムは言った。
『闘い方がジンケさんに似てるなら、同じ対処法が通じるんじゃないかなって』




