42.Victim 5th:国家断罪 PART Ⅰ
――世界の終わりとは、突如やって来て理不尽にすべてを滅ぼしてしまう。
大陸最大の国家の首都で間違いなく今の人の世で最も水準の高い暮らしを営んでいた人々は、形は違えど皆そのような感情を抱いていた。
「やめてええっ! 子供だけはっ! せめて子供だけは助けてええっ!」「ひ、ひいいっ!? みんな、みんな自分から喉をっ……!?」「嘘だっ……モンスターなんて、そんなの作り話の産物じゃ……!」「やまのうみ……やまのうみ……やまのうみ……」「死ねっ! 死ね死ね死ね死ね死んでしまえええっ! 私をバカにした奴らはみんな、死んじゃええええっ! ぐひゃひゃひゃひゃひゃ!」「ふっ、ふははは……全部、全部燃えてしまう……ワシが、この八十年で築いてきたすべてが、一瞬で……」
大陸中のすべての物が集まった商店街も、平民にも貴族にも愛されたレストランも、十人十色の人生が詰まっていた集合住宅も、清濁飲み込み続けてきた伝統ある貴族の屋敷も。
すべてが炎に、腐敗に、汚濁に、血と悲鳴に塗れて崩れ去っていく。
命という命、そのすべてが正体不明の圧倒的な力によって奪われていく。
死という平等があらゆる人々に降り掛かっていっる。
首都ブレアプロは、今そんな厄災に、夕暮れに染まりながら見舞われていた。
滅びゆく人々の心には、不思議と共通した感情が生まれていた。
これは世界の終わりなのだと。
どうしようもない力に飲み込まれて抗う術はないのだと。
この災厄を引き起こしたのは、自分達が悪と断じ追いやったあの「聖女」の「呪い」なのである、と。
誰も、一言もそんな事を話し合ったわけではないのに、なぜだか皆、そう確信していた。
◇◆◇◆◇
「陛下! こちらです! 早――ぐぎゃあっ!?!?」
「ああクソッ! 駄目だまた道が崩れたっ! この路地でも駄目だっ! すみません陛下、もはや道なき道を行くしか……!」
「……仕方ありません! 先導なさい!」
「はっ!」
女王ステファニーは、混沌と混乱渦巻く首都の道を親衛隊に導かれ走っていた。
代々受け継がれてきた居城であるエルメア城の主は、もはや彼女ではなく死であった。
城に人が居座れる事はもはや許されず、彼女とリクリー、そして他の王族達は最優先で逃された。
だが、その最中に彼女達は次々と見えない悪意に襲われ、命を落としたり分断されていった。
その中で息子であるリクリーもはぐれ、今は生きているのかすら分からない。
ただそれでもきっと首都から逃げ出すのだと、逃げ出せればまた会えるのだと信じて彼女は走った。
そして、逃げ続ける中で彼女に付き従って守ってくれていた親衛隊の数は、六人から先程の不自然な建物の倒壊で二人にまで減っていた。
「どうして……どうしてこんな事に……!」
今はなき夫が本来なら統べていた国を彼の突然の死を受け、国内外に潜む奸賊達から国と王家を守るために女王となったステファニー。
そのために彼女はありとあらゆる陰謀、策略、ときには武力を使い、そしてついには類稀なる戦争の才能により国を世界で最も繁栄した国家へと育て上げた。
後はこのまま国を維持し、次の世代へとバトンを渡す。それが彼女の描いた理想図であった。
だが、それがたった一瞬で失われた。
理由も理屈も分からぬまま、たた理不尽に理解できないままに奪われた。
それが、彼女には悔しくてたまらなかった。
「おのれ、おのれおのれ……! まさか、本当に『呪い』などと……!」
あり得ない話だとして切り捨てた噂話。
だがこの状況を見たら、それを認めざるを得なかった。
国の未来のために陥れた聖女の呪い。そんなものでこの国の命が奪われているのだと。
「こんな事が、こんな事があっていい訳が……!」
「陛下っ! こちらへ!」
先に走っていた親衛隊の一人が苦々しい顔で恨み節を吐く彼女に叫ぶ。
彼が手を振って煽り招く先は首都の大通りの一つだった。
そこなら突然の崩落などにも襲われづらいと踏んだのだろう。周囲を伺い頷いたその姿からも、危険は少ないらしい。
「よくやったわ……!」
ステファニーは感謝の言葉を述べながら彼の横を通り過ぎて大通りに出る。
紅色の空の下の大通りには人影は見当たらず、しかし遠くから響く悲鳴や怒号で決して静けさはない。立ち並ぶ集合住宅や大きな店舗はそのままのものもあれば崩れたり燃えたりしているものもあり、元の姿からはかけ離れてしまっている。
目の前の光景に改めて自らの国が失われてしまっている事に唇を噛む彼女だが、ここで諦めてはならない、助けてくれた臣下達にも報いるためと気を取り直す。
「二人とも、次はどちらに……」
毅然とした態度を保ちつつ、大通りに出てそれからの脱出路を相談するために彼女がそう言い振り返ると、そこに二人の騎士の姿はなかった。
あるのは、同じ姿をしたオモチャの人形二つだった。
「……は? 彼らは、どこ……へ……?」
「――お初にお目にかかりますわ、女王陛下」
彼らのいた路地から、声がした。
ステファニーはその声は知らなかったがその高慢で甲高い喋り方はよく知っているものだと思った。
貴族を集めた舞踏会などで、自分の身分を分不相応に勘違いしているようなタイプの令嬢が自分より家格の低い相手に対してよくこう言った話し方をするからだ。
だが、その声の主はそんな彼女のよく知るような横柄な態度の娘などではなかった。
路地の闇の中から現れたのは、自ら歩き喋る、レジン製の人形だった。
「わたくしはチャイルド家の次女、レイ・リー・チャイルドと申します。この度は人間を統べる女王様にお会いでき、恐悦至極に思いますわ」
その人形――レイは、とても綺麗なカーテンシーをしていた。
またその語り口は、貴族の令嬢がお披露目で自分に挨拶してくるものと同じ様式であり、今まであった誰よりもしっかりとしていた。
「なっ……!? 人形が、動いて……!?」
「……やれやれ。挨拶も返せぬとは、陛下もたかが知れますわね。せっかくわたくしがわざわざ来てあげたというのに」
瞬間、レイは一気にステファニーを侮蔑した態度を見せてくる。
見下ろしているのは自分なのに、その人形の表情は無表情だと言うのに、見下されていると自覚できるような紫水晶の輝きをレイは向けてきていた。
「なっ、なんですって……!? この、人形の分際でっ……!」
「ふむ、さすがに下に見ている者に怒るだけの気概はまだありますか。ええ、いいですわよ。それぐらいでなければ張り合いがないというものです。サヤから眼中にもされなかった女とは言え、わたくしが遊ぶのですからこうでなくては」
そのときレイが言った言葉に、ステファニーは息を呑み目を見開いた。
「……サヤが……あの、聖女が……私を、眼中にしていない、ですって……?」
彼女を陥れ殺める計画を企てたのはステファニーである。
リクリーとその友人達は最終的に彼女の計画を受け入れたが、それを考えつき実行するために動き始めたのは彼女が始まりなのだ。
しかし、それを――今の言葉で、この首都の惨状の原因である事が確定した――被害者のサヤが、見ていないと言うのだ。
首都を、国を滅ぼしているというのに女王である彼女はどうでもいいと言うのだ。
あまりにも信じられない言葉だった。
「そうですわよ、ステファニー女王。あなたは彼女の『未練』たり得ていません。故にあなたは秘跡のための供犠と成り得ず、故にわたくしが来てあげたのですわ。サヤは最後の供犠を捧げますし、ダリアはこの惨状で遊ぶのに熱中していますから。なら、わたくしは別の楽しみ方をしようかと」
「……そんな、馬鹿な……私が犯人だと、彼女もあの時、気付いたはずでしょうに……!」
ステファニーは覚えている。
あのサヤの自分を見る目を。絶望し、恐怖し、諦めた顔を。
彼女の胸に訪れた、大きな力に対する恐怖を取り除けたという、かすかな安堵を。
「そうですわね。でも、もっと単純な話なのですわ。彼女にとってはあなたに嵌められた事よりも、大事な友人達に裏切られた、その事の方がよっぽど重かったという話なのです。身近な者に対する執着……それこそが強い『未練』を生むのですわ。そう、わたくしが姉を失ったときのように」
瞬間、目の前の人形が消える。
「『未練』とはこの世に命を失おうとその存在を歪めてでもしがみつく力の根。憎悪と悪意を育む肥沃な死灰」
かと思いきやレイはステファニーの右横に現れて言う。
ステファニーはその声に反応し横を向くと、既にそこには姿はない。
「あなたはその『未練』にはなれず、代わりにサヤの友への『未練』が、そして『未練』を乗り越え“同類”となったダリアの悪意が、今こうしてこの国を飲み込んでいるのです」
直後に聞こえてくるのはステファニーの背後から。
振り返ると今度は姿を消す事なくそこにいた。ペッキリと折れた魔法灯の上に座り、ちょうどステファニーと目を合わせられる位置にいた。
「まあ、残念でしたわね。本来なら安全に排除できたでしょうに、まさかここまでなるなんて運が悪かったようで。まあこれも宿命と思い受け入れてください」
「……ふざけるなっ!!」
突き放すようなレイの言葉に、ステファニーは怒鳴った。
並大抵の貴族どころか、歴戦の騎士ですら体が竦み動けなるなるほどの怒気であったがレイは動じる様子がない。
「何が宿命かっ! ああ、私やその息子達の友人だけならその破滅もまだ納得できただろう! だが、何故関係ない民達まで巻き込む!? 彼ら彼女らは確かに私達の嘘に騙されたが、日々を生きるだけの罪無き命なのだ! 関係ない無辜の民を巻き込むなど、もはや復讐の道理が通らないではないか!」
「……なるほど」
ステファニーの言葉に、レイは指を顎に当てて軽く頷いた。
そして少しだけ間をおいてから、彼女は言う。
「もし今のあなたの言葉を聞いたのがサヤなら彼女は人の部分がまだこびりついてますから一定の同意はしたでしょう。もし聞いたのがダリアならむしろあなたの論理の身勝手さを突いて悪辣に反論したでしょう。ですが……わたくしは、元より人ではないのでこう答えましょう」
レイは、そのまま変わらぬトーンで軽く言い放った。
「別にどうでもよくなくて?」
と。
「……なん、だと?」
「だから、どうでもいいと言っているのです。あなたはその力で彼女を殺した。それにサヤはより大きな力で国を滅ぼした。それだけで済む話なのに他の命どうこうなんて、なんで気にする必要がありますの?」
「なんだ……その、あまりにも他者を……世の民草を顧みぬ答えは……!」
「顧みる必要、あります? だってあなた達人間だって自分の幸せのために他の不幸を容認するではありませんか。全体の幸せだのみんな仲良くなどと言いますが、それは結局自分が幸せになるための手段であり、そこで切り捨てられる不幸が絶対に存在するというのに、なぜそれで他人のためと言えるのでしょう? わたくしには不思議でなりませんの」
再び、レイは姿を消した。
かと思いきや、次に現れたのはステファニーの肩の上だった。
突然の事に驚く声も上げられず、ステファニーは動く事もできなくなる。いわゆる金縛りの状態だった。
「もっと単純に言ってしまえば、あなた方が楽しく食事をするために野菜が次の命を残すための果実を奪う事と、あなたがサヤを殺した事、そしてサヤがこの国すべての人間を殺している事、そこに根本的な違いはないのです。だってどれも同じ命ですし、価値の差なんてあるわけない。ただ、人はそこで恨み憎しみ悲しみという感情を抱く存在ですから結局は自分の幸せ不幸せが大事なわけでして、その結果互いに力を行使してこうなっている。それだけじゃありませんか」
「…………っ」
ステファニーは、金縛り関係なく言葉が出なかった。
目の前の人形が語っている事が、理屈は理解できても感情が、そう考えるに至る思考回路が理解できなかったからだ。
明確に、人間性が欠如していると言える言葉。
それが彼女に目の前の存在は怪物なのだと教示しているようだった。
「……はあ、喋り過ぎましたわね。さ、前座はこれぐらいにして、そろそろ楽しませてもらおうかしら」
軽くレイがため息をついてそう言った。
直後、今度の彼女はステファニーの足元に現れた。そしてそのまま、それまで持っていなかったはずのナイフを取り出し、彼女の足の腱を切断した。
「ぎゃあああっ……!?」
汚い悲鳴を上げながらその場に倒れるステファニー。
当然、足の腱を切られたわけだから立ち上がる事ができない。
「あなたで遊ぶに際し、どうやろうか考えたのですがきっとコレが一番おもしろい感情が引き出せるかと思いまして。では存分にわたくしを楽しませて、そしてそのままわたくし達の一部をなす苦痛と恐怖となりなさいな」
その言葉を最後に、レイはステファニーの前から消える。
レイがいなくなった後も苦痛に小さな悲鳴を上げつつ、なんとか彼女はそこから動こうと必死に手を動かす。
が、すぐさま彼女の目の前に、絶望が降りかかる。
「うわああああああああああっやだやだ死にたくないっ!」「助けてええっ!? 誰か、誰かああああ!」「騎士様が束になっても敵わなかったんだ……逃げるしか、逃げるしか……!」
何十人もの群衆が、彼女のいる方向に走って逃げてきていたのだ。
その背後には、木製の手足が何十本も生えた人形のハリネズミとでも言うべき巨大な怪物が人々を襲い追いかけていたのだ。
簡素な丸い穴と四角い切込みの口から血が流れ肉片がこびりついているその姿は、とても不気味だった。
だが、そんな怪物の事はどうでもよかった。
まずいのは、その逃げる群衆が勢いを衰えさせる事なくそのまま道を這いずり回る彼女の方に向かってきている事である。もしそのまま彼らが道を逸れなければ、結果は自明であった。
「あっ、あなた達!?!? やっ、やめてっ!? 来ないで!? こっちに、逃げてくるんじゃありません! 私は、女王ですよ!? あなた達のためにこの国を大きくして、その人生をすべて使って国を富ませてきた、女王なのですよっ!? だからお願いっ! せめて私の声に耳を――」
彼女の叫びは、そこで人々の靴裏に消えた。
誰も彼も、自分達の国を繁栄させてくれた女王を踏みつけ道の染みにしたことに気づくことはなかった。
◇◆◇◆◇
「…………これは……どういう事、なんだ……?」
女王である母からはぐれ、そして彼を守っていた親衛隊達ともはぐれたリクリーは、目の前の光景に思わずそんな間抜けな声を上げてしまっていた。
それまで首都はどこへ行っても死に包まれていた。
建物は崩れ、人々は悲鳴を上げ、見たこともない化物がそこら中にうろつき、常に誰かが死んでいた。
だけれども、そこは静寂に包まれていた。
それどころか夕暮れですらなく、穏やかな青空の下で眩しい太陽の光が輝き健やかな空気が流れていたのである。
そこは、教室だった。
彼が、彼の友人達が、サヤと共に学びを修め、笑い合い、青春を過ごした王立ケドワード学園の教室。
とにかく外を走っていたはずなのに、いつの間にか彼はそこにいた。
あの日々と変わらない、輝かしい姿のままで。
「もう、リクリーったら遅いよぉ……」
困ったような、でもどこか気の抜けるような可愛らしい声が聞こえてきた。
そこに目を向けると、よく知る声の主がいた。
「どうしたのそんな顔して? ほら、席に座って! せっかく久々に二人っきりなんだしさ」
サヤ・パメラ・カグラバが。
黒髪に白いドレスの、思い出の姿とまったく変わらない彼女が。
はにかみながらその懐かしい深紫の瞳を彼に輝かせて、席に座って待っていた。




