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40.Victim 3rd & 4th:Town of Nightmare PART Ⅳ

「……う……うう……」


 イゴールは混濁していた意識を徐々に覚醒させ、その瞳を開く。

 彼が最後に見た光景が、すぐさま頭に蘇ってくる。

 空に堕ち、その夜空で異彩を放つ黒ずんだ血痕のような月の相貌を。

 あまりに異様な光景であり普通ならば夢としか思えない記憶であるが、それはどうしても非現実と否定することのできない程に鮮烈な印象であった。

 だが、目を開き今までうつ伏せに倒れていた彼がその目にした光景、そして体から感じる感触はもっと異常であると言えた。

 まず、彼はその肌にドロドロとした粘り気のある水の感触を感じていた。

 倒れた体、地についていた手、そして頬から感じられたそれをその目で確かめると、それは黒く淀んだ液体だった。

 だがその粘性は水というにはあまりにも不快にまとわり付き、しかし緩やかにではあるが絶えず彼の後ろに向かって流れ行く流水でもあった。

 不思議な事にその見た目とは裏腹にその粘性のある黒水(こくすい)は無臭で、むしろそれがあまりにも不釣り合いで不気味さを感じさせる。


「ここ、は……」


 イゴールは立ち上がり顔を上げる。

 そこは、ひたすらに続く黒と赤の水平線だった。

 黒水(こくすい)が流れ来て、そして流れ行く果て、そのどちらも一切の障害物のない一本の線が引かれたような光景だった。

 黒水(こくすい)の地より上に広がるのは、まったく何もない赤い空。

 僅かに濃淡のグラデーションがあるその赤い空はまるで濃い夕焼け空のようだった。

 そして、その他には何もない。

 自分以外何も無い、虚ろな世界だった。


「なんだよ、これ……どこなんだよ、ここは……!」


 彼は怯え周囲を見回す。

 やはり何もなく、その無機質過ぎる風景に恐怖し動けない。

 どう考えても悪夢のような空間なのに、一切の非現実さを感じる事ができず今の自分が覚醒し実際にその場にいるということだけは突きつけられている、そんな考えが彼の頭から離れなかった。


「――やあおはよう。イゴール・エクト・スペンサー」


 突然、彼一人ぼっちだった空間で声がした。

 それは彼の右横からで、先程何も無いのを確認したはずの場所だった。


「えっ……!?」


 すぐさま顔を向けると、そこには先程まで無かったはずの瓦礫――あの壊れた倉庫の崩れた壁が一メートル程の山となっている――があり、その上に片足をもう片方の足の太ももに乗せて座っている不敵な笑みの女性がいた。

 灰色のローブを身にまとい、銀のセミロングから灰色の目を輝かせる美人だった。


「きっ、君は……?」

「ワタシはダリア・ミア・クルーニー。まあ君達の言う“人ではないモノ”で……そうだね、サヤの新しい“同類”だよ」

「さっ、サヤのっ……!?」


 この異常な空間に現れた異常な女性から伝えられる名前に、イゴールは驚く。

 彼の様子を見たダリアは、変わらない笑みのまま軽く頷いた。


「そうそう。本当は彼女が真っ先にお前に会うべきなんだろうけど、アイツちょっとこっち来るまで時間があるからさ。せっかくだしお話したいなってね」

「時間がかかる、って……? いや、ともかくじゃあ、やっぱりサヤが……!?」

「うん? 何だよまだ信じてなかったのか? まあでもそんなもんか。恨む側は一生忘れないけど、恨まれる側からしたらどうでもいい些事に過ぎないもんな」

「……さ、些事なんか、じゃ……!」


 彼女の言葉を否定しようとするも、その続きを彼は言う事ができなかった。

 結局、彼はサヤを見捨てて自分の身の安全を選んでそれまで学園生活を送ってきたのだ。

 その間、日々の暮らしの中でどんどんとサヤとの生活の記憶を思い返す事はなくなっていた。

 いくら罪悪感を抱えようと、勉強や生活が優先され問いただされる事がなかった罪などに割く意識の分配などは必然的に小さくなっていった。

 たまに思い出して心苦しくなり後悔はするも、所詮それはそのときだけの苦しみであり、あのとき動かなかった己が今更なんだととしか片付けられない事柄なのだ。


「ふーん、完全に否定するって訳じゃないんだ……まあいんじゃないか、そういう正直な方がワタシは好きだぞ」

「…………」


 少し小馬鹿にするような声色でダリアが言ってくる。

 彼女がどういった意志でその言葉をその声色で言っているかの理由は人との接触を避けてきた彼には分かるわけもなく、ただイゴールは表情を歪めて押し黙ってしまう。


「ま、そんな事はどうでもいいだ。それよりもだ」


 と、そこでダリアは急に瓦礫の上から飛び降りてきてイゴールの前にすっと近寄ってきた。


「お前にさ、ちょっと聞いてみたい事があるんだよ」

「聞いてみたい……事……?」


 近づいてきた彼女はどうやら一般的な同い年の男子とほぼ同じくらいの背丈なイゴールよりも少しばかり高く、それゆえに軽く視線を上げてイゴールはオウム返しで応えた。

 すると、彼女は「ああ」とニッコリと笑ったかと思うとすっとその顔を彼の右耳に近づけ、囁くように聞いてきた。


「サヤを断罪したとき……スカッとしたか?」

「……えっ?」


 言っている意味が分からなかった。

 誰からも理解されず、研究と家柄両方で後ろ指を支えられていた自分を日の当たる場所に連れ出してくれたサヤ。

 そんな彼女を自らの保身との天秤にかけて偽りの断罪を容認したのが、イゴールにとって心地よい体験だったかと彼女は聞いてきたのだ。

 ありえない、と彼は思った。

 確かに結局は彼女ではなく自分を選んだが、しかしそれは抗えない権力と理由を並べられたせいでありあんな騙し討ちで一人の少女を晒し者にした舞台で気持ちよくなるなどありない。

 イゴールはそういった事を言おうと口を開いた。


「……ぅ……ぁ……」


 だが、彼の口から出たのはただのうめき声だった。

 今すぐそうじゃないと言わないと駄目なのに何故――とイゴールは心の中で自問する。


「うん、回答ありがとう」


 だが、どうやらそれが彼女にとっては答えとなったらしかった。

 ダリアはニッコリとして顔を離して、くるっと背中を向けて数歩フラフラと大げさに手を振りながら歩いてまた向き直る。


「それでこそ人間だ。良いところと悪いところ、綺麗なところと汚いところ、高潔なところと愚かしいところ、そんないろんなところを全部混ぜ込んだ魂のスープ。それこそが人間らしさだ」


 彼女の言い様は、まるで今目の前にいる若く美しい女性から発せられているとは思えないような、達観して、かつ人をずっと離れた場所から見ていて、そして年老いたようなそんなモノの言いようだった。

 まるで、何か大きなモノの一つのような、そんな印象を受けた。


「そんな人間らしい君は、やはり未練を断つ供犠に相応しい」

「……え――」

「――ふう、やっと終わりましたわ」


 凍えるような瞳で言うダリアにイゴールが反応するのを遮るように、今度は高慢さが溢れる声がした。

 またもその声に反応してとっさに振り返るイゴールだったが、そこには誰もいない。

 かと思えば、すぐ横の足元で何かが横切ったのを感じた。

 それを追うように視線を向けると、そこには人形が歩いていた。

 赤いゴシックドレスを着た金髪の人形が、喋り動いていたのだ。そして、その手には何やら縦長の長方形の箱が持たれていた。

 その人形が体いっぱいに持っているその人形は、だいたい十センチ四方で高さは二十五センチと言ったところだった。


「おっ、わりかし時間かかったね」

「ええ。あのシスターより魔力は低かったですが、あの手この手で反抗してきまして……。ですが所詮地力でわたくしに勝てる人間というのは相当な上澄みになるわけですし、何より『ここ』で“わたくしたち”に勝てるわけがないですもの。ただ処理に時間を浪費させられただけですわね」

「…………何を、言ってるんだ?」


 人形がダリアの足元にまで手に持っている箱を運び、それを渡しながら言う言葉を聞いて、イゴールは唖然とした様子で問いかけた。

 彼の言葉に人形はダリアの肩にヒョイと一瞬で移動してその顔を向け、そしてダリアもすっとイゴールを見つめ返す。


「うん? ああ、『ここ』は逢魔ヶ域(おうまがいき)と言ってワタシ達“やまのうみ”と現世の狭間で……あれ、なぁレイ、“やまのうみ”で良かったっけ?」

「ええ。今の人の世では無数を意味しかつ忌み数である八と魔力の魔、そして混ぜ合わさった負の感情を膿と例えて“八魔之膿(やまのうみ)”と呼んでるのでそう“表出”してますわね。とは言え、時代によって呼び名は変わってるらしいですし今向こうでそう認識されてるから音としてそう“表出”されてるだけですからわたくし達にはどうでもいいんじゃなくて?」

「まったく分かってないなぁレイは。人と話すときは相手にレベルを合わせて話すのが商売の秘訣で――」

「ち、違うっ! そうじゃない! 今、その人形が、処理、って……!」


 意味がわからない事を喋っている彼女らにイゴールが割って入る。

 

 ――そうだ、彼女だって……レナさんだってこっちに飛ばされてたはずなんだ。じゃあ……さっきの、処理……って……!


「ああ、こっちの事か。はい」


 イゴールの言葉を聞いたダリアは、まったく勿体ぶらずにその長方形の箱の天面の蓋をズラし、彼に見せてきた。


 その箱の中には、ぐちゃぐちゃに圧縮され敷き詰められている肉塊があって、その中で赤い眼球が、今なお動いていた(・・・・・・・・)。そして、その肉塊の眼球に覆いかぶさるように、よく知った形のメガネが埋め込まれていた。


「ひっ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?!?!?」


 イゴールはすぐさまそれが誰なのか(・・・・)を理解し、悲鳴を上げながら腰を抜かす。

 バシャリと、黒い粘ついた流水で尻と手が濡れる。


「なかなか面白い形で処理したじゃん。でもなんで?」

「いえ、そいつはわたくしが人形ならばこれが一番だからと箱に封じ込めようとしたので、そのまんま返ししただけです。ただまあその後どうするかは考えてなかったのでとりあえず持ってきたのですが」

「結構行き当たりばったりだよなーお前も……。まあでもどうせ、こいつでの秘跡が終わったらあとは総仕上げだろうし、全部終わってから考えるか。忘れて放置してるかもしれないけど」

「まあそのときは彼女(・・)の状態次第ですわね。……と、そろそろ来ますわね」

「ああ……そうだね。やっぱり、半端だと時間が掛かるな」


 そんな会話をしたかと思うと、彼女らは目の前で消えた。

 瞬きすらしていないのに、一人の女性と一つの人形、そして並んでいた瓦礫の山がすべて消え去ったのである。


「……え? ……へ?」


 イゴールは何度しかたも分からない困惑をしつつも、腰が抜けてその場から立ち上がれない。

 ただそのまま周囲を見回す事しかできない。


 ――パシャ……と、波紋を広げる足音がした。


 それは、パシャ、パシャ、パシャ……といくつも聞こえてくる。

 大勢の人間が、とても緩慢な速度で歩いてきているようだった。

 イゴールは、ブルブルと顔を震わせながらとても鈍重に振り向く。


 そこには、影がいた(・・)


 いくつもの影としかいいようのないモヤだらけの黒く不確かな姿が、しかし輪郭ははっきりと人であるソレが、大勢歩いてきていた。


 (こうべ)をダラリと垂らし、顔と黒い水面が水平になるぐらいに背中を曲げ、手をダラリと力なく下ろして歩いてきていた。


「…………あ……い……い……」


 言葉にならず、ただ口から音を漏らすことしかできないイゴール。

 それは、どんどんと彼に近づいてくる。

 彼に顔を向ける事なく、ただダラリと垂れながら何人もやって来る。


「……た……す……け……て……」


 やっと、イゴールは人語をひねり出す事ができた。

 当然の根本欲求。誰かに救いを求める、今際の際の他力本願。


 ――スラリと、そんな彼の言葉に答えるかのように手が伸ばされた。真っ白い、血の通わぬ、美しい手が。


「…………あ」


 サヤが、いた。

 黒いドレスを纏い、手だけではなく髪も白く染まっていたが、その優しい笑みは間違いなくサヤだった。

 イゴールを今までずっと助けてくれた、サヤの手だった。


「……また……僕を、助けて、くれるの……?」


 ――そうだ、いつもそうだった。仲間外れの邪魔者でしかなかった僕をサヤは仲間に入れてくれて、笑いかけてくれて、困ったときはいつも助けてくれた太陽みたいな子で……それがたまらんく羨ましくて……逆に、苛立っちゃうときもあって……でも、そんな僕をいつでも彼女は、助けてくれて……。


「……ああ、サヤ……!」


 イゴールはサヤの手を取る。

 彼はそのまま力強く引っ張ってもらう。

 そして、そのまま彼は優しくサヤに抱かれ――急激に、体が凍りつくようにイゴールの体から体温が奪われていった。


「……えっ、あ、あああ、あああ……サ、サ……ヤ……?」


 自らを抱くサヤの顔を見るために、イゴールは動けなくなるほどの寒さの中で必死に彼女の顔に目を向ける。


「――アアアアアアアアアアアアアア……」


 壊れた金属の風車(・・)のような音を出しながら、裂けた口で笑っているサヤの顔が、そこにはあった。


「…………………ぁ」


 やっとイゴールが自らの勘違いに気付いたときには、もう彼の体は真っ黒になっていた。

 真っ黒な、影の塊に包まれていた。

 もはや、そこにサヤはいない。

 ただ、夕暮れの中で粘液の水面を流れに逆らい歩く影の雑踏の数が、ほんの一人増えただけである。


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