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35.秘跡に誘う妖華の香り

「おー、久しぶりだなーここに来るのも」


 サヤの数歩前に立ち、腰に手を当てながらダリアは何の変哲もない普通の街並みを見て笑顔で言った。

 口調は以前と変わらぬ男性的なモノであるが、見た目はすっかり実年齢に相応しい、いやそれ以上に成熟し女性的な魅力に溢れたものになっているため、今度はその口調がとてもアンバランスなものになっていた。


《あら、ここに訪れた事があるのダリア?》


 と、そこで彼女の腰に吊るされる形になっていたレイがダリアに聞く。

 さすがに人混みがある中で喋るわけにはいかないので念話である。


《ああ。ワタシが商人としての身分を手に入れたのって、この町だからね》


 今彼女がいる町の名はヴューチック。

 オールスピリットからも近く、山と大きな川に囲まれた田舎町である。

 町の規模としては立地の厳しさにしては大きい方だが他と比較すると普通より少し小さいぐらいという塩梅で、往来する人の数もそれほど多い訳ではない。

 そんな町にダリアは一人生き残ったときに訪れ、この町にある商人連合の支部で商人としての認定を受けていた。

 海岸に流れ着いてからいくつか町をさすらった末の事だった。


《いやぁあのときはとにかく生きるために手段選んでなかったからね、不利な契約でも結ぶしか無かったよ。あんときのワタシの根っこじゃそんな気全然なかったのにね。フフッ》


 まるでちょっと恥ずかしい子供の頃の思い出を語るような言い方で話すダリア。

 だけれど、サヤはそこに強がりのようなものは感じなかった。

 本当に彼女にとっては遠い過去の日の出来事、まだ未成熟な幼年期の日の今の自分とは切り離された朧気な記憶となっていたのだ。

 ただの人であったときの自分と、人の体は持っているがもはや実態はそうではない今のダリア。

 過去の彼女と今の彼女は連続した時間のラインに存在するが、存在としては切り離されている。

 どうやっても同一視はできないのだ。

 それはサヤにとってはよく知る感覚でありながら、同時に完全に彼女が至れていない世界であった。


《……んー? どうしたサヤ?》


 と、サヤがそういったような事を思っているとくるりと回ってダリアがサヤの顔を覗いてきた。

 往来のある町の通路の真ん中で、である。


「……怪しまれるわよ。そんな事したら」

《ハッ、別にどうでもいいよ。人間にどう見られようとワタシはワタシだ。どうともならないさ》


 実際、急にくるっと回って上半身を横に曲げて覗き込む姿勢になっているダリアは通行人から怪訝な目で見られているのだが、それを彼女が気にする様子は一切なかった。


《あら、じゃあわたくしも普通に喋っていいかしら?》

《レイは駄目だ。さすがにそれは面倒臭さが勝つ》

《あら残念。せっかくダリアが面倒を見てくれると思いましたのに》

《個人の面倒事は個人で頼むよご令嬢》


 楽しげに会話をするダリアとレイに、やはり彼女は変わったのだなという感覚が再びサヤの胸に訪れる。

 それは彼女らが互いに“同類”という同格として認めあったからなのだろう。

 “同類”であることはサヤも一緒だ。けれども、やはりサヤはどうしても生前の自分との連続性――復讐と憎悪という大きなチェーンが今にも繋がっている。

 それがサヤ・パメラ・カグラバという亡霊の誕生の発端であるし、尋常ならざる力を得た根源であるのだが、目の前のダリアとレイはそれを踏まえならもそこを越えた存在であるのをサヤは理解していた。

 悲劇と憎悪をきっかけとしながらも、もはや別のロジックで動いている“人ではないモノ”、それが彼女らなのであると。


《まっ、そんな考え込む内容じゃないよ。ただ後ろから走ってたワタシがちょっと追い越しただけだ。最後はみんなで手を繋いでゴールできるよ》

「……まったく、さっきから人の心を読んだような事を言うのね。もう魂の共有はされてないと言うのに」


 ちょっと不満げな感じでサヤが言った。

 すると、ダリアは彼女に向けてちゃんと声を出して笑った。


「フフッ!」


 やはり突然笑い出したわけだから周囲の人間はビックリする。

 人々のそんな視線を感じるとダリアはとりあえず程度に「おっと失礼」なんて言いながらくるっと回って歩き始める。

 あまりにもその所作が堂々としていて、しかも見た目がとても良いせいか、そもそも人々が他人に興味がないからか、ダリアがそうすると周囲のざわめきは一瞬で落ち着いた。


《ああごめんごめん。でも、こうしてお前らと同じ存在になってみると、結構お前って可愛く見えるんだなって思ってね。ワタシが人だった頃から見たお前は余裕たっぷりの怪物だったけど、いざ実態を知るとね》

「はぁ……まったく、急に先輩風みたいなモノを吹かせてくるようになったわね」

《それが嫌ならあなたも早くそのうっすらと残った人間らしさなんて捨ててしまうことですわね。だからこそイジられるのですわ》


 レイがピシャリと言い放った言葉は間違いなく正しい。

 目の前でからかって来る二人よりもずっと強大で計り知れない無尽蔵の力を有した存在だと言うのにその存在は未だ半端というのが、今のサヤを二人が面白がるところなのだろう。

 ダリアは元々二つに分割されていたのが一つになり、そしてそこに無数の他の双子達の怨念も混ざり、かつそのすべての恨みの原因であった村そのものを滅ぼした事によって誕生したそのときに彼女は人であることを完全に捨てられた。

 それは特殊な事例と言ってもいいだろう。

 けれど現実として今が一番強いけど未だ人間臭いサヤとそうでない二人という構図なのだから、純粋に数的に不利なのである。

 こればっかりはどうしようもならないと、サヤは皮肉気味に鼻で笑った。


《ま、安心しなよ。少なくともお前の秘跡はこのワタシがよりやりやすく力を貸してやるから。そのために……この町を舞台にして、お前の憎悪すべき相手を釣り出そうか》


 ダリアの声が一気に低く、冷酷になる。

 表情は笑顔であるが、その笑顔は純粋な楽しさから来る笑顔ではなく、嗜虐的な嗜好と純粋な害意から出てくる穢れた笑みだった。


《お前の力は最初に出会った頃よりもずっとずーっと強くなっているし、今はこのワタシもまた“同類”だ。ならば、ワタシ達の意志によって相手を誘い込むのも可能だからね。 実際、二人目をその手中に収めたあたりから相手の動向はなんとなく見えるようになってた訳なんだろ?》

「ええ、そうね。……ただ、イゴール君には途中でマーキングを外されたけど。いえ具体的には彼の横に現れた、強い魔力を持つ女のせいでね」


 イゴールが王国の南側に行き、そこで強い魔力持ちの女と出会ったのは察することができていた。

 だけれどもその直後にイゴールの大まかな行動を感じる事ができなくなり、きっとその女に気づかれ魔力を祓われたのだとサヤは理解していた。


《まあでも問題ないんじゃないかしら? この町を落とし、露骨に魔力を出せば嫌でもその女が気づくでしょう。そして、あなたの呪いを止めようとするのなら必ず来るはず》


 サヤの言葉に対しレイがそう返した。

 結局サヤの呪いに対抗するにはサヤをどうかするしかない。強い魔力を持つものなら、結局はそこに行き着いてしまうのだ。

 いくらサヤが強い力を持って能動的に動く呪いだとしても、いや、だからこそ相手はそこから逃げられない事を理解しているはずだから。


《まあそういう事だよ。んじゃ、そうと決めたらやろうか。まずはいつも通りこのワタシが起点を作ってやる。あとは、三人全員でお遊びの時間だ》


 歪に口角を釣り上げながらダリアは念話で言う。

 そしてその直後、彼女はより足を早め、とある場所に出る。そこは町の一番大きな入口から見て手前側にある広場だった。

 噴水がその真ん中にあって、キラキラと陽の光を反射する水を神話の女神をかたどった彫像から吹き出させているそれを囲むように露天が囲んであった。

 どうやらそこは商人達が活用するスポットの一つだったようだ。

 ダリアはその中でざっと人混みを眺め、そしてある男の背中を見つけたかと思うとそこにすっと走っていた。


「よう! 久しぶり!」

「へ? あー、えっと……どこかで会ったっけか……?」


 気さくに笑い手を軽く上げながら近づいていくダリア。

 だが、彼女が近づいて振り返った男性は怪訝な顔をしてダリアを見ている。

 移動に適した服装をし大きなリュックを背負っている彼もまた商人のようだった。


「あー、そっか。そりゃあワタシが誰だかわかんないか。五年前と比べるとそりゃ成長したもんな」

「五年前……?」

「そうそう。ほらいただろ? 金もなくて知識もないくせに商人になりたがって、結局ほぼ奴隷みたいな条件で商人にさせてもらったガキがさ」

「え? ちょっと待て……お前、もしかしてダミアンなのか!?」


 男は目を見開いて驚いていた。

 ダミアンというのはダリアが男と自らを偽るために使っていた偽名である。

 彼女が女だと知っているのは商人連合においても当時契約した担当の職員ぐらいで、みんな彼女が自分を男だと名乗ったのをそのまま信じていたのである。


「そうそう、そのダミアン。いや、実際はダリアって言うんだけれどねワタシ。いやー当時は悪かったね騙してて。でもほら、分かるだろ? 性別偽ってた理由」

「あ、ああ……まあな……」


 女よりも男のほうがずっと生きるのに便利である。だから名乗れるなら男を名乗るのは彼からしても、そして世間でもよく話のネタとしてわりと聞く話ではあった。

 そしてそういう話にはオチとして成長して男を騙れなくなった、というのもおなじみのセットであり、下世話なトークへと繋がるお約束でもあった。

 だがそれが現実に現れた事に、彼はどうしても驚きを隠せなかったのだ。


「はははっ、面白いぐらい驚いてら。まあでも分かるよ、ワタシも随分と女らしくなったもんな……」


 ダリアはそう言いながらゆっくりと左の指を二本、胸が開いた黒いシャツの部分に持っていく。

 美しい白肌の胸と黒いシャツのコントラストに視線を誘われた男は、いつしかそこから目が離せなくなる。


「なあ、どう思う? ワタシ、すっかり女らしくなっただろう……?」

「あ、ああ……」


 口調は変わらず男性的であるが、それもまた男にとっては興奮の材料になっていた。

 ダリアがそのまま指をそっと胸からお腹の部分へと動かしていき、鼠径部より少し上あたりの部分でゆっくりと円を描くように移す。

 男は、それを見てもはや人前だからというギリギリの部分で理性を保っている状態にまでなっていた。

 ダリアの体から、それまではしていなかった香しい匂いがし始めていたのに、気づく事は当然できていなかった。


「ククク……」


 ダリアは暗くかつ楽しげな様子で鼻で笑っている。

 サヤにはその笑いの意図を理解できていた。

 彼女は、純然に楽しんでいるのだと。そして同時に、そうして人を貶める行いは自らの本能、当然の習性として行っているのだと。

 人間の男という存在は浅ましく愚かで傲慢だ。

 女性という存在を本能的に下に見ていて、ただ性欲を満たし日々の生活で男を悦ばせるための奴隷、引き立てるためのトロフィーとしか思っていない。

 そんな無自覚的な選民意識が根付いた男性という生き物を、穢れた獣性による性欲を起点にその魂を束縛して支配する。

 それがダリアにとってはあまりにも面白く、それこそがダリアがとりわけ強い力を持つ部分でもあるのだ。

 ダリアは、人の欲望の隙を突いて支配するのに長けた“同類”である。レイという人形の同類が人の母性本能や父性本能、家族愛と言った部分に入り込む存在なのに対し、ダリアは性欲や支配欲、暴力への欲求や金銭への欲など、そういった社会生活に根ざした欲を隙とするのである。

 オールスピリットで村人達に殺し合いをさせた起点も、圧倒的な恐怖を前にして自分だけは生き残りたい、横にいる相手を出し抜きたいという根本的にして社会においては忌諱されがちな欲求からだった。

 少しでも心に隙を見せればそこに入り込んで人を支配する。

 そういった点において、ダリアとレイは同じ性質を持った“同類”であるのだ。


「なぁ……ワタシ、お前に頼みたい事があるんだ……」


 ダリアはいつの間にか男に体を密着させ、その手を彼の腰に回しながら耳元で囁いていた。

 男の目からは、もはや正気が失われている。


「あ、ああ……なんでも言ってくれ……」

「そっか。ありがとう……じゃあ、ここの商人組合の偉い奴のところまで一緒に行ってくれるか? ちょっと今の立場を変えたくてね……ワタシ一人だと無理だろうけど、お前が一緒なら……な?」

「……わかった……連れて行く……」


 もはや男の魂は男のものではない。

 彼の魂は完全にダリアのものになり、自由も何も消え失せてしまった。もはや、彼は生きながら死んでいる肉人形なのだ。


「……ククク」


 ダリアはそんな彼に歩かせる後ろについていきながら、軽く振り向いてサヤに笑ってみせた。

 これまでサヤがダリアに見せてきたような、おぞましく邪悪な微笑みだった。

 特にこれといって特筆すべきところはなかったはずの町に今、人を堕落させる妖華の根が拡がり始めた。


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