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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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探偵達 六

 必要以上に明るい照明に頬を焼かれながら、東城は這いつくばった床を眼鏡のつるでなでた。


 だだっぴろい、ダンスホールらしい店内。洋風の家具や寝台が壁際に並ぶそこには、今、五人の人間がいる。


 床に倒れた東城のそばに、同じく身を横たえる美耶子。壁際の寝台の上で、手足を拘束されている間宮直子。


 残りの二人は床から一段高くなった石の舞台の上で、七輪を使って火をおこしていた。


 東城はずれた眼鏡越しに、自分の体を確認した。上着を奪われた東城は肌着の上から腕や背中を匕首で切られていて、半身が真っ赤に染まっている。


 ひどい有様ではあるが、傷口に触れると激痛とともにしっかりとした肌の感覚がある。


 拷問はまだ始まったばかりだ。まだ、命に関わるような傷は受けていない。


 目の前の美耶子は、吉原の店で拉致された時に首をしめられたためか、ずっと青い顔で眠っている。わずかに呼吸音は聞こえるので、危険な状態ではないようだが……


 石の舞台から、じゅう、という音が聞こえてきた。東城が目をやると、七輪をはさんであぐらをかいた背広の男二人が、箸を手に大皿に並べた肉を焼いている。


 彼らの手には、乾いた東城の血がこびりついている。拷問の返り血をそのままに、食事をしているのだ。


 東城は美耶子と、寝台の上の間宮直子を交互に見る。


 東城は痛めつけられはしたものの、体を一切拘束されていない。

 気合を入れればすぐに立ち上がり、ダンスホールの出口へ走ることができる。


 だが、二人の女を連れて逃げることは不可能だ。美耶子はどんなに呼びかけても目を覚まさないし、直子は四肢を縄で寝台に縛りつけられている。


 敵の目を盗んで直子の縄をほどき、美耶子を抱きかかえて逃げ出す隙が、あろうはずもなかった。


「かぁっこいいなあ」


 不意に、七輪の方から声が上がった。よく通る若々しい声に顔を向けると、背広の男の一人が箸をちゃきちゃきと鳴らして東城を見ている。


 異様な男だった。背広の上からでも相当に鍛えられていると分かる大柄の肉体の上には、まるで軍隊の将校のような鋭さのある、引き締まった顔が載っている。


 そこまでは良いのだが、男の髪は全てり上げられており、両眉の上からうなじにかけて、二匹の鯉の刺青いれずみが青々と、寄りそうように泳いでいた。


 こけおどし。そう言ってしまえばそれまでなのだが、頭に鯉を飼う男の目はみょうに涼やかで、その目つきと軽薄けいはくな刺青の不調和が、不気味だった。


 鯉の刺青の男は箸を舐めながら、東城に血まみれの人さし指を向ける。


「あんた、まだ女の子達連れて逃げようって考えてるだろ。一人なららくらく逃げれるのに、全員助けようとして逃げそびれてるんだ。かぁっこいいねえ、好きだよ、そういうの」


「……出口は開いているのか? 扉に鍵がかかってるんじゃないのか」


「さあ、どうだったかな」


 鯉の刺青の男の対面に座った別の男が、七輪から肉を取り上げながら口を開いた。


 ぶ厚い生焼けの肉を、がっしりとしたあごに並んだ歯が押しつぶす。


 ぐちゃぐちゃと音を立てて咀嚼そしゃくしながら、二人目の男が東城を振り返る。


「かけたかもしれないが……かけ忘れたかもしれない」


 鯉の刺青の男と、どことなく似た形の目が、東城を見すえた。


 だが似ているのは、確実に似ていると判断できるのは、目元だけだ。

 鼻や、口が似通っているかは、東城には分からない。


 男の顔面は、まるで墨をぶちまけたかのように、ほぼ全体が青黒くまだらに変色していた。短く刈り込んだ髪の黒が浮くほどに、暴力的な青色が顔形の線をゆがめている。


 その異変が、刺青を入れる際の何らかの事故によるものであることは、傍目はためにも明らかだった。


 二度と通常の社会生活を送れぬほどに、二人の男の顔面は変質してしまっている。


 一生を法に背くヤクザとして終えるつもりだとしても、あまりに不都合の多過ぎる形相だった。


 東城は床に手をつき、ゆっくりと身を起こす。両膝をついた姿勢で、赤い眼鏡を中指で押し上げた。


 二人の男が、七輪の肉をつつきながらこちらを見ている。

 東城が何か行動を起こせば、すぐにでも駆け出して、攻撃してくるだろう。


 耳かき店に帰って来た東城と美耶子を、声を上げる間もなく締め上げ、落とした・・・・のはこの二人だった。気配もなく、迅速じんそくに人を襲い、無力化する術にけている。


 暴力の才能を持たない東城が勝てる相手ではない。


「三村達に、何の義理があるんだよお」


 鯉の刺青の男が、肉のかけらのはさまった歯を剥いて笑った。


「あんたが連中と関わってたことは分かってんだ。知ってるネタ全部吐いてくれりゃ、そんな目に遭わずに済むのにさあ」


「三村達に義理などない」


「なら、何でまじめに答えてくれねえんだよ? 知らねえ、分からねえの一点張りじゃねえか」


「私の証言がお前達の気にいるものであろうと、なかろうと、それをしゃべった時点でお前達は私を始末するだろうからな」


 男達の目つきが、一瞬石のように硬くなった。鯉の刺青の男が、小さく奥歯をかりかりと噛み鳴らす。


「あんた、俺達が何者か分かってんの?」


「事実関係を考えれば、間宮百合子の夫の関係者だろうということは想像がつく。獄中にいる彼のために間宮直子をさらい、三村探偵社を追う過程で事件とは直接関係のない私と美耶子を平気で拉致する……そんなマネをするやからは、せいぜいヤクザぐらいのものだ。ヤクザは、他人の命など何とも思っていない」


 青いまだら模様を顔面に描いた男の方が、箸を手にしたまま立ち上がった。


 石の舞台を降り、東城に近づく彼に、鯉の刺青の男が「兄貴」と声を上げる。


「飯食ってる時はみだりに立ち歩くなよ。母ちゃんが昔から言ってたろ、ろくな大人になれないってよ」


「頭の良い野郎だ」


 兄貴と呼ばれた男が、鯉の刺青の男を無視して東城の前に屈み込む。


 まっすぐに自分を見つめてくる東城の顔に箸の先端を突きつけ、ドスの利いた声を吐く。


「お前の言うとおり、俺達は人を殺すことを何とも思っちゃいない。殺人など『ついで』だ。仕事のついでに、何となしにやることだ。しかも、別にお前が三村の居場所を吐かなくとも、金橋が高岡から情報を得てくればお前の価値はなくなる」


「元川の情報は役に立たなかったんだろう。ならば、高岡の情報も望み薄だ」


「お前は自分が価値のある情報を握っているかのように臭わせ、死を先送りしている。だがな、俺達もそれほど今回の仕事に必死なわけじゃない。お前が舐めた態度を取り続けるなら……方法はいくらでもあるんだぞ」


 東城に向けられていた箸が、ゆっくりと向きを変え、床に倒れている美耶子へと向けられる。「良い女だ」と無感情に言うヤクザに、東城はわずかに歯を見せ、笑った。


「代わりに助手がいたぶられるのか。ありがたい話だ。私自身は痛くもかゆくもない」


「俺達を舐めるな、と言っているんだ」


 箸が、美耶子の閉じられたまぶたに近づく。長いまつげをなでる先端に、東城がますます歯を剥き出し、眉間にしわを寄せた獣のような表情でヤクザを睨んだ。


 青黒いヤクザのつらが、ふ、と笑みを浮かべ、箸を握る手に力がこもる。


「舌を噛むわよ!」


 だしぬけに上がった女の声に、ヤクザ達と東城が同時に壁際の寝台の方を見た。


 寝台に拘束されている直子が、引きつった顔で目を剥いている。


 唇をゆがめ、脂汗の垂れる顔でもう一度叫んだ。


「その人達をそれ以上傷つけたら、殺したら、舌を噛んで死んでやる! あんた達の親玉は、私と三村を一緒に捕まえていたぶりたいんでしょ!? だったら三村が捕まる前に私が死んだら都合が悪いんでしょ!!」


「……噛みたきゃ勝手に噛めばいい」


 青面あおづらのヤクザが笑い、膝を伸ばして立ち上がる。寝台に歩み寄ると、必死の形相の直子を見下ろしてあざけるように鼻を鳴らした。


「人間は、舌を噛んだぐらいじゃ死なん。せいぜい口が利けなくなるだけだ。あふれる血液でおぼれても、顔を横に向けてやれば窒息もしまい。お前が痛い思いをするだけで、俺達は痛くもかゆくもない・・・・・・・・・


「うっ……」


「何度も言わせるな。お前ら。全員。ヤクザを舐めるんじゃねえ」


 ぼきりと、ヤクザの手の中で箸がへし折れる。漂う殺気に、室内が静まり返る。


 数秒、誰もが口を閉ざして互いの動きを見張っていたところに、ダンスホールの扉が開く音が響いた。


 ごつりごつりと、重い靴音がだだっぴろい空間に侵入してくる。

 二人のヤクザが起立し、そちらに向き直って頭を下げた。


「お疲れ様です!」


「お疲れ様です組長! 首尾はいかがで!」


「ああ、だめだめ。収穫無しのお散歩だった。まあ金橋が何かつかんでくるだろうから、のんびり待ちましょー」


 巨大な体躯の、エラの張った大男が、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま二人のヤクザに笑いかける。


 小さな目がころころと室内を見回し、自分を緊張した目で見ている東城と直子をとらえた。にかっと歯を見せて笑った大男が、東城に歩み寄ると見せかけて、直子の寝台に大きな手を勢いよくついた。


 顔のすぐ横に突き刺さる手に、直子が短く声を上げる。


 大男がうれしそうに、猫なで声を出した。


「お母さん、面会謝絶だってさ。別にケガしたわけでもないのにな。自分の娘の骨を尻で潰したのがよほど衝撃的だったと見えるね」


「……こ……この……」


「君の生首を送りつけたら、いったい、どうなっちまうんだろう。面会どころか退院もできなくなるかな。正気を失ってさ。一生、病院暮らし」


「いやあ、そんな金かけんでしょ。狂ったまま家に帰されるんじゃねえですか。誰も待ってない、ウサギ小屋みてえなボロ家に」


 食事を再開した鯉の刺青の男が言うと、大男が寝台から手を離して「やっぱりそうなるかー!」と笑顔で大声を出した。


 壁を揺るがすような笑い声を上げながら、顔を怒りで真っ赤にしている直子に背を向け、今度こそ東城に歩み寄る。


 まっすぐに鋭い視線を向けてくる彼に手を伸ばし、赤い眼鏡をゆっくりと奪い取ると、大男はそれを身につけながらやおら表情を消した。


「仲間がいるだろ。違うか」


「……さて」


「あんた、その筋じゃそこそこ有名らしいじゃないか。名探偵……まさか現実にそんな人間がいるとはなあ」


 大きな手が、東城の肩をぽんぽんと叩く。無言の東城に、大男は天井を見上げながら息をつく。


「けどな、俺は小説的な名探偵も、こそこそ浮気調査ばかりやってる現実的な探偵も、ちっとも凄いとは思わない。何でか分かるかい」


「さあ。是非お教え願いたいね」


「探偵の仕事なんざ、全部ヤクザが代わりにやれるからだよ。裏社会に情報網を持ち、組の名前と暴力で事実を洗い出し、標的を追い詰める。名探偵の推理の代わりに、ヤクザは関係者を痛めつけることで真実を吐かせる。頭の中でごちゃごちゃ仮説を積み重ねるより確実だ。だから探偵なんざ、この世にゃ必要ねえのさ」


 大男が東城の肩をつかみ、一気に力をかける。骨がごりごりと音を立て、東城の顔面の筋肉が引きつった。


 痛みに歯を食いしばりながらも、敵の顔を睨むことをやめない東城に、大男は再び笑顔を浮かべて、声を上げて笑った。


「まあいい、まあいいさ! どうせ人生は長いひまつぶしみたいなもんだ! 出会いと別れをゆっくり楽しまなきゃ損ってものさ! あんたの仲間との邂逅かいこうも、楽しみにとっておこう」


「仲間がいると、認めてないぞ」


「いるさ。頼りになるやつが。さもなきゃこの状況でそんな態度は取れないだろうよ」


 いいさ、まあいいさ。そう繰り返しながら大男が東城から手を離し、空いている寝台に腰を下ろした。


 哀れな獲物達の視線を受けながら、仲間が肉を焼く音を聞きながら、大男は手を組み、虚空に夢見るような視線を漂わせる。


「退屈なんだ。寄桜会も、帝都も、昨今さっこんは退屈に過ぎた。退屈だから……俺達は、もっと、無茶苦茶をしたいんだよ。無茶苦茶に、暴れまくりたいんだ」


 無茶苦茶に。


 そうつぶやいた大男は、それから長い間、寝台から立ち上がらなかった。

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