探偵達 四
棚主と緋田が眉一つ動かさずに惨劇の後始末をするのを、田所はどこか苦々しい思いで見ていた。
何人もの刑事が惨殺された血みどろの殺人事件。当然大事になるのは避けられないのだが、それを棚主達は現場から加害者を連れ去り、しかも数本の電話と、極道達を病院の関係者に挨拶に行かせるだけで自分達と事件との関係をもみ消そうとしているらしい。
自働電話の受話器を置いた棚主が、ボックスの外で待っていた田所に薄笑みを浮かべて口を開く。
「一時間だ。一時間で金橋から情報を聞き出し、警察に引き渡す」
「警察の知人とやらが時間をくれたのか?」
「まさか、さすがに金橋を拉致したとは言えんよ。ただそれ以上時間をかけると警察に現場を突き止められる恐れがある。一時間でここを離れなければならないってことさ」
棚主がボックスの扉を閉め、包帯を巻いた腕をさすりながら目の前にある木造の倉庫を見た。
馬車を乗り入れたのは、金橋を確保した地点から二十分ほど馬を走らせた、工場跡だった。周囲に民家や商店はなく、だだっ広い草原が広がっている。
倉庫の向こうに立つ工場の看板には大きな文字で『熊笹第三製鉄工場』とあった。
「人気のない、廃工場。尋問にはおあつらえ向きだ。……ところであんたの連れの新聞記者だが、頭の悪い男じゃないだろうな」
「どういう意味だ?」
「三村はクズだが莫迦じゃない。あんたや極道達が関わったこの事件のことを他言すれば、どんな目に遭うかぐらいは心得ているだろう」
「ミワさんが今夜のことを記事にするとでも? ……あの人には俺からきつく釘を刺しておくから、心配するな」
責任は持つ。
そう続ける田所に、棚主は素直に「分かったよ」と返し、倉庫へと歩いて行く。
田所はその背に続きながら、そっとため息をついた。
倉庫内の全ての窓が古新聞で目張りされているのを確認し、田所は電灯のスイッチを入れた。
頭上の電球が一斉に点灯し、いくつかがすぐに消える。閉鎖された工場を誰が管理しているのか知らないが、外の自働電話同様、倉庫内も未だ通電しているようだ。
だだっぴろい倉庫には埃にまみれた鉄材や、何故か無数の看板が転がっている。「労働者ノ権利」だの「公平ナ会社運営ヲ」だのの文字を見るに、工場に勤務していた人々が何らかの社会運動のようなものを展開していたらしい。
三村が看板の一つを持ち上げ、美津と万佐に向けておどけるような仕草で掲げて見せた。「もっと酒代をよこせ~」とふざける彼に万佐が笑い、美津が白けた顔で目をそらす。
へっ、と口をひん曲げて看板を放り出す三村に、ミワさんがそわそわと手をこすり合わせながら声を向けた。
「おたく、労働運動はお嫌い? 一時期流行りかけてたけども」
「俺は社長だからな。支配者側だ。こういう騒ぎが好きなわけねえ」
「あっそ……」
「権利だの平等だのは幻さ。資格と競争が世の本質だ。だろ?」
気安く同意を求めてくる三村を、棚主は無視する。彼の視線の先には部屋の中央で半裸で作業台に縛りつけられている金橋がおり、その周囲に立つ極道達がいた。
窓辺から歩いて来る田所を振り返りもせず、棚主が首を傾けて声だけを向ける。
「始めよう。緋田さんが尋問するから、訊き出したいことがあったら声を挟んでくれ」
「……尋問……ね……」
田所がうなるように言った瞬間、緋田が持っていたバケツの水を作業台にぶちまけた。
冷たい水をかぶせられた金橋が、獣のような声を上げて覚醒する。生命反応は馬車内で何度も確認していたが、万一目覚めなかったらと危惧していた田所は、わずかにほっと息をついた。
だが、金橋にとっては、二度と目覚めなかった方が幸せだったかもしれない。
「緋田ぁ……! てめえ、ぶっ殺してやる……!」
喉を痛めた金橋が、濁った声を出すのを、緋田はにこにこと眺めている。緋田は上着を脱ぎ、シャツのそでをまくっていた。太くふくれ上がった腕が、隣に立つ極道へ伸ばされる。
極道は緋田の手に下がった空のバケツに、無言で手にしていた袋の中身をあけ始める。ごろごろという音に、金橋だけでなく、ミワさんや万佐の顔にも不安の色が広がった。
「あのぅ、それ……何です?」
遠慮がちに訊く万佐に、緋田が張りついたような笑みで、バケツの中身を一つつまんで見せる。
それは小さめの、レモン色をした石鹸だった。丸みをおびた石鹸が、バケツいっぱいに詰まっている。
金橋が、一瞬きょとんとした後、莫迦にするように鼻を鳴らした。
「何かと思えば、石鹸だあ? 俺達と同じ武闘派で鳴らす緋扇組にしちゃ、ずいぶんかわいらしい道具じゃねえか。それで俺を拷問するってのかよ」
「てめえなら何を使う? 金橋よ」
緋田が石鹸を、バケツの内側に残った水で泡立て、鼻歌まじりに訊く。金橋は大の字になったまま、また鼻を鳴らして答える。
「刃物に決まってんだろうがよ。薄刃で皮を剥ぎ取って赤剥けにするのさ。耳をそぎ目玉をえぐり心臓に突き立てて殺すのさ! やってみやがれ!! 根性なしが!!」
「汚いなあ。やっぱりお前の殺り方、汚いわ」
緋田が、ちらりと田所と棚主を見る。口の動きだけで『始めまっせ』と言う彼に、棚主はうなずき、田所はただ、眉根を寄せた。
「汚いてめえは、この上等な石鹸できれーにしたらなあかん。体の隅々まで、体の、中からな」
「…………『中』……?」
突然金橋の頭部を、三人の極道が押さえつけた。髪をつかまれ、あごを取られ、無理やり口を開かされる金橋に、緋田がつまんだ石鹸を近づける。
「石鹸ってな、ちょっと前まで下剤代わりに使われとったっちゅう話や。これは色々変な材料混じっとって、口にするのには向いとらんそうやが……まあ、死にはせんやろ。多分。多分な」
うめく金橋の口の中に、緋田の指が石鹸を差し入れる。とたんにむせ返る金橋を極道達が容赦なく押さえつけ、石鹸が、ぐりぐりと喉奥にこすりつけられる。
田所にも、そしておそらく金橋にも、緋田の拷問の恐ろしさが理解でき始めていた。脂でできた石鹸は泡をまとい、狭い穴も容易に滑り抜ける。
緋田が指を引き抜くと、小さな石鹸は消えていた。激しくむせ返る金橋は、石鹸を呑み込んでしまったのだ。
アルカリ液を含む石鹸の塊が、どれほどの刺激を金橋の喉に与えているのか、想像もできない。
極道達が金橋を放すと、緋田はバケツをひじの下に下げ、あごをいじりながら言った。
「どんなもんや? 石鹸を呑むっちゅうのは、意外と辛いもんやろ?」
「……く、くだらねえ……屁でもねえ!」
「そら、アカン。も一個いこか」
言うが早いか、緋田が新しい石鹸を再び金橋の口に突っ込んだ。極道達も金橋を押さえつけ、作業台がガダガダと壊れんばかりに揺れる。
ミワさんや、万佐が、流石に気分が悪くなったのか顔を背け、口元を手で押さえ始めた。三村は頭上の電球を見上げてぼけっとしているし、美津は小さな手鏡を取り出して、興味なさげに前髪をいじっている。
拷問の様子をまっすぐ見守っているのは、田所と棚主だけだ。
二つ目の石鹸を呑まされた金橋が、ごぼ、と泡を吹いた。緋田が笑いながら、空中を漂うシャボン玉を指で指す。
「ええあんばいや。石鹸はほとんど脂でできとるから、胃の中で簡単に溶けてまう。ぎゅぅっと固められた脂の塊が、どろどろに溶けて腹に溜まるわけや。気分も悪なりゃ、腹も下すわな」
「……こんなんで、俺が参ると思ってんのか……! 切った張ったの殺し合いで生きてきた、古烏組だぞ!」
「そこよ。金橋。お前ら鉄砲玉は、相手に負けて殺されることを常日頃から覚悟して生きとる。せやからヘマこいたら仲間を簡単に始末するし、自刃もしよる。命が軽い者同士でかたまっとるのが、古烏組っちゅう連中や……死ぬことを、恐れとらん。そこは大したもんやけどな」
話しながら、緋田が三つ目の石鹸を金橋に食わせる。だんだん、ペースが早くなってきた。
「この世で本当に怖いんは、死ぬことやない。死ぬほどの苦痛を受けても、死ねずに生きとることや」
「――!!」
「暴れて、殺して、都合が悪なったら償いもせずに自害してハイさいなら。それが常のお前ら鉄砲玉には、刃よりも石鹸の方がよーぅ効くんやわ。おら、腹がぐるぐる鳴って、喉がふくれてきたやろ。石鹸の怖さはここからやで。溶けた脂が胃にあふれて、吐こうとすると泡になって気管に入る。呼吸がしづろうなって、アルカリ液が口と鼻にあふれかえる」
言葉通り、金橋が大量の泡を吹き、飲み込んでは吐き出して、異常な音を立て始めた。石鹸水が飛び散り、呼吸音とも水音ともつかぬ粘着質な音が響く。
さらに石鹸を突っ込もうとする緋田に、流石に田所が手を伸ばして声を上げた。
「おい、大丈夫なのか! 窒息するんじゃないか!?」
「それが醍醐味でんがな。これぐらいせんと、百戦錬磨の金橋さんは音ぇ上げまへんで」
容赦なく拷問を続ける緋田の手元で、金橋が天井を向いたまま泡と共に怒号らしき吼え声を上げた。顔を真っ赤にして苦しむ金橋を、極道達は無表情に押さえ続ける。
数分後、金橋は無惨にも自分が吐いた泡に溺れ、動かなくなった。
空中をかいていた指がぱたりと落ちると、緋田が「蘇生や」と軽く言い、舎弟の極道達が作業台を持ち上げて、金橋を逆さ吊りにする。
極道の一人が、まるで普段からやり慣れているかのように金橋のむき出しの腹を数度強く押すと、金橋がごぼりと溶けかけの石鹸と泡を大量に吐き出し、身も世もない声であえいだ。
残酷に過ぎる光景に、とうとう万佐が耳をふさぎ、震え始める。人をまるで息を吸うように血の海に沈めてきた金橋が、今、一滴の血も流すことなく、地獄を見ていた。
泡にまみれた喉や鼻や、耳や目に激痛が走っているだろう金橋が、再び元に戻される作業台の上で天井に悲鳴を噴き上げる。
「殺せ! 殺してくれ!!」
「殺してくれ? お願いしとるんか、金橋。まだ一回窒息しただけやのに、もう降参するんか。殺してくれ……めんどくさいわあ。自分で舌でも噛んだらどない?」
伝承などではよくある自害の方法だが、実際には、人間は舌を噛み切っても死に至らず、生き延びることが多い。
おそらく分かって言っているのだろう緋田に、金橋がぴかぴかになった顔を向けて石鹸水を飛ばしながら叫ぶ。
「何でだ! 何でお前ら緋扇組が、俺を捕まえて拷問する!? 同じ銀座のヤクザじゃねえか!」
「……何でって、そりゃあ……」
緋田が一度棚主を見て、それから首をすくめ、金橋に視線を戻す。
「なりゆき? やな」
「ふざけんなてめえッ!!」
「ああ、つまりや。お前らが今回しでかしたことが気に入らん人が、ワシらの知り合いにおるわけよ。その人の頼みで首を突っ込んだわけやが……まあ……何やな。ワシらもお前ら嫌いやったし。ちょうどええかな、ってな」
さらに吼えようとする金橋をあごをつかみ、ぎりぎりと締め上げる緋田。その顔から笑顔が消え、す、と両の目が、剃刀のように細く研ぎ澄まされた。
「お前ら、寄桜会が嫌いで嫌いで、なあ。今や完全な死に体で、自然に崩壊しそうやけど、古烏組だけは元気に暴れまわっとる。何や独立するみたいやが……寄桜会の殺しを長年担ってきたてめえらが野放しになるんは、面白うない」
「……お、俺達がお前らに、何かしたのかよ……」
「今夜死んだ刑事連中は、お前に何ぞしたんか?」
緋田が、再びバケツに手を伸ばす。引きつった声でやめろと叫ぶ金橋。
優れた刺客として今日まで生きてきた金橋は、きっと敵に捕まるようなヘマはしなかったに違いない。拘束され、窒息させられ、無理やり蘇生されて再び死に追いやられるなどという経験は、してこなかったはずだ。
緋田が低く笑いながら、くるりと田所と棚主を振り返り、告げた。
「頃合ですわ。どうぞ質問なさってください。抵抗したらすぐ石鹸食わせますさかい」
田所は、額に浮かんだ汗をぬぐい、棚主を見る。
棚主は落ち着き払った涼しい顔を田所に向け、一度、にぃっと、恐ろしく酷薄な笑い方をした。




