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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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探偵達 三

「おい、しっかり走れ! さっきから何回道を後戻りしてんだ!」


「無茶言わないでくださいよ旦那! 夜道の車輪跡をたどって走れなんてそもそも人間業にんげんわざじゃないんだから!」


「やかましい! 車輪跡でもひづめの跡でも、馬糞ぼろでも何でもたどって走るんだよ! てめえ、まかれたら豚箱にぶち込むからな!!」


 ガタガタと土の道を走る馬車。大柄おおがらの御者と口論をしているのは、築地署の刑事達だ。


 森元警部補に田所の尾行を命じられた若い刑事は、二人の同僚を伴って一日中帝都を歩き回っていた。


 警察署を出てから銀座の新聞社に行き、何故か吉原に向かった標的を気配を殺して尾行し、さらには代々木方面に電車を乗り継いでと、振り回された。


 巨大な建物に入って行った田所を一度は見失い、あわてて外に出て出入り口を見張り、すんでの所で再び発見したと思えば、お次はまたもや電車に乗って東京監獄だ。


 同じ失敗は二度としまいと物陰に隠れていたら、突然現れた二台の馬車に標的をかっさらわれた。


 大急ぎで自分達の足を見つけた時には尾行対象は影も形もなく、こうして馬車の通った痕跡を探してさまよっているという次第だった。


 若い刑事は客席から窓の外を睨みながら、同僚二人に苛立ちを隠しもせずに言った。


「やつめ、いったい何をしてるんだ? 立ち寄っている場所に一貫性がない。新聞社に吉原に廃墟に監獄だぞ。しかも行く先々で道連れが増えている」


「とにかく全ての場所を後で徹底的に洗うんだ。最悪尾行不能になっても、何か見つかるかもしれん」


「手ぶらで帰れば森元に何を言われるか分からねえぞ。あいつは前署長にも現署長にも気に入られてやがるからな。面倒な男を敵に回したもんだ」


 かわるがわる言葉を向けてくる同僚に若い刑事が舌打ち混じりにうなずいた時、突然御者が悲鳴を上げ、馬車を大きく傾かせた。


 驚がくの声を上げて座席や天井に手をつく刑事達。数秒後に、がん! と音を立てて浮いた車輪が地面に戻り、馬が大きくいなないた。


 若い刑事が扉を叩くように開け放ち、御者に向かって怒鳴る。


「大莫迦野郎!! 何やってんだてめえ! 殺す気かッ!!」


「ひ、人が飛び出して来たんですよ! でも旦那、いてません! 絶対轢いてないし接触もしてませんから! ただ、石が飛んで頭に当たったみたいで……!」


 野太い声を震わせて御者が指さす方向には、うつぶせに倒れた人影があった。

 ガス灯に足を照らされたその姿に、若い刑事は扉を殴りながらさらに怒鳴る。


「車体が当たってないんならほっとけ! 道で転んだのと同じだ、事故じゃねえ! こっちは急いでんだ!」


「ええっ! で、でもぴくりとも動かないし……それに道の真ん中で倒れてるから進めませんよ」


「……くそっ、ふざけんなよ……!」


 刑事達が馬車から降り、地面に突っ伏している人影に駆け寄った。


 太った男性らしいその者に、「起きろ!」と手をかけた瞬間、若い刑事の指にぬるりと何かが付着する。


 ぎょっとして手を返してみると、赤い血液がガス灯の明かりに照らし出された。倒れている男は、間近で見ると頭どころか全身が血に濡れ、ちぎれた皮膚や細かな肉片らしきものをまとっていた。


 即座に御者を振り返り、若い刑事が夜叉やしゃのように顔をゆがめる。


「てめえ、轢いてんじゃねえか!! 血まみれだぞコラあッ!!」


「なっ! そんなはずないですよ! 絶対かわしましたって!」


「おい、まずいぞ。この状況、御者のせいだけにゃできねえんじゃねえか」


「尾行のことを知ってる森元が色々勘ぐってくるぞ……」


 刑事達は顔を見合わせ、さっと表情をこわばらせた。


 周囲にはガス灯の明かりはあるが、民家の灯りは遠く、離れている。若い刑事が血のついた手を見つめながら、やがて首を振り、御者に向かってやや落とした声を放った。


「悪い、見間違いだった。確かに無傷だ。どうも酒の臭いがするから、酔っ払って寝てるだけらしい」


「! おい……!」


 こわばった声を出す同僚に、若い刑事は倒れている男の背広の襟をつかみながら、小声で言う。


「幸い、俺達は田所の馬車の後を追っている。向こうに連中の車輪の跡もある……やつらが轢いたことにしちまおう。しばらく車輪の跡をたどって、別の道に曲がれば大丈夫だ」


「大丈夫じゃねえよ! これだけの血が出てりゃ馬車に必ず痕跡が残ってるぞ!」


「返り血は洗い流せばいい。どうしても証拠を消せなきゃ、車を処分させよう。あの御者だって豚箱入りは嫌なはずだ……警察の指示の下の隠蔽いんぺいなら、従うし、口も閉ざす」


「本気かよ……」


「いいから手伝え! こいつを道のわきに転がすんだ! 上手くいけば田所の別件逮捕にもつながるだろうが!」


 男の重い体を引きずる若い刑事に、同僚達は顔を見合わせた後、しぶしぶ、男の腕とベルトを取って力を貸した。


 ガス灯から離れた暗がりへ、血まみれの男を引きずる。


 異常に重い男を三人がかりで必死に動かす刑事達。その耳に、不意に足音が届いた。


 こちらに駆けて来る第三者の気配に、若い刑事が切迫した声を放つ。


「誰か来るぞ! もうそこに放り込め! そのくさむらの中だ!」


 がくんと、男の体重が突然若い刑事の腕にかかった。「ここで離すんじゃない、放り込むんだよ!」と同僚刑事の顔を見る。


 彼らは、まるで重大な裏切りにでもあったかのようにぽかんと口を開け、目を見開いて若い刑事を見つめていた。その一人の首には赤黒い亀裂きれつが走っており、一瞬の間の後に、そこから鮮血が噴き出した。


 倒れる彼の隣で、二人目の同僚が血を吐き、なにごとかをうめいてくさむらに没した。そのわきばらからずるずると顔を出す刃に、若い刑事が絶句して、自分がつかんでいる男を見る。


 ぶくぶくと太った血まみれの男は、握った匕首をくるりと返して、若い刑事をめ上げた。


 そのぶ厚い唇から、真っ白な歯が覗いてきりきりと音を立てる。


「ひでえぇなぁああ……! 近頃の警察は……ヤクザより悪質だなあオイぃ……ッ!」


「ぎっ」


 若い刑事が手を離した瞬間、その右手の親指と人さし指が宙を舞った。

 振りながれた匕首が、再びくるりと刃先を返し、そのまま刑事の喉めがけて飛んでくる。


 若い刑事は悲鳴を上げるのも忘れ、脳内に展開される走馬灯そうまとうにただ、水面に浮上した金魚のように口をぱくぱくと開閉させた。





 飛び込むように、蹴りをわき腹に叩き込んだ。


 間抜けに突っ立っていた若者が子供のように吹っ飛び、匕首に肩をなでられながら板塀に激突する。

 そのまま静かになる彼には目もくれず、棚主は金橋というヤクザに左の拳を見舞った。


 伸びきった腕をすりぬけ、拳打が金橋の脂肪の襟巻に覆われた喉に突き刺さる。咳き込む相手の肩をかため、そのまま二度三度と顔面を打ちすえた。


 だがかためていた肩が、こびりついた血液でずるりと滑り、棚主の腕を抜けざまに匕首で切りつける。


 低くうなり一歩退く棚主が、構えを取りなおす金橋と対峙する。金橋が血の混じった唾を吐き、にっとほほえんだ瞬間、背後から緋田が木刀で不意打ちを喰らわした。


 頭頂を一撃されて「ぐわっ!」と声を上げる金橋の腹を、棚主が容赦なく蹴り上げる。





 先の二人にかなり遅れて現場に駆けつけた田所が、ヤクザを前後から挟み撃ちしている彼らに唖然と立ち止まった。


 背後から木刀を金橋のあごの下に挟み、背中を蹴りまくる緋田。棚主は匕首を握る敵の手首をつかんだ状態でさらにその靴を踏みつけ、めちゃくちゃに顔面やら胸やら腹やらを打ちすえている。


 金橋の無法な殺しの作法もたいがいだが、棚主と緋田の暴力にも一切の人間味もなかった。


 まるで害獣の駆除だ。金橋を敵としてさえも、人間扱いしていない。


 いっそ止めに入ろうかとも思ったが、金橋もプロの鉄砲玉らしくこれほどの攻撃を受けても倒れず、匕首をてこでも離そうとしない。


 いずれにせよ、まかり間違って金橋が死んでしまっては都合が悪すぎる。田所は自分の匕首をズボンにはさみ、三人に駆け寄った。


「よこせ!」


 鬼のような顔で金橋の耳を引きちぎろうとしていた緋田に割り込み、田所が金橋のだぶついた首に腕をからみつかせ、締め上げる。


 体重をかけると一気に目の前の皮膚が赤くなり、金橋が異常な声であえいだ。

 田所は太りすぎて位置が分かりにくい金橋の動脈を探り当て、ゆるやかに圧迫する。


 やがて金橋の体から力が抜け、匕首が落ちると、そのまま彼の体を放り出した。


 肩で息をする田所に、棚主が切られたらしい腕を叩きながら首を傾ける。


「やるじゃないか。維新志士流の捕虜の捕り方かい?」


「冗談言うな! お前らが殺す前に落とした・・・・んだ! こんな危険な真似をそうそうするものか!」


「殺らへん殺らへん。素人ちゃいまっせ。せいぜい半殺しや」


 緋田がぬけぬけと言いながら、かたわらで死んでいる二人の男の衣服をあさる。


 手錠を取り出して「刑事かあ」とつぶやくと、それで金橋の両手を後ろ手に拘束した。


 田所は汗を拭いながら、二人の死体から、板塀のそばでのびている男へと目を移す。近づいて顔を確認すると、思わず顔をしかめた。


「築地署で俺を尋問した刑事だ……さては尾行していたな、運の悪い……」


「指を止血してやってくれ。築地署には知り合いがいるから、そいつに後を任せよう。俺達はこいつを……」


「もう冗談じゃないわよ! 棚主ちゃん!!」


 いきなり会話に割り込んできた野太い声に、三人は同時に馬車の方を見た。

 ごつい角刈りの御者が、おびえきった顔をこちらに向けている。


 棚主が「素晴らしい」と白目を剥いてからそちらに声を放る。


女形おやま三人衆の角刈りじゃないか。最近、とみに世間の狭さを感じるよ。また馬車業に戻ったのか」


「そーよ! 例の一件で御者の血に火がついちゃってさ、でも再開したとたんこの始末よ! 何、何なのこいつら! とりあえずアタシ帰ってもいいわね!? 轢き逃げにはならないわね!?」


「面倒ごとには巻き込まれないようにしてやるから、ちょっとこいつを運んでくれ。人の命がかかってる」


 金橋を引きずって行く緋田を横目に、御者は棚主へひきつった顔を向ける。「誰の命?」と訊く彼に、棚主は「そいつ以外の命さ」と、金橋を示して肩をすくめた。

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