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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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探偵達 二

「浮気妻に慰謝料の宝石を配って回ったんだが、その内の何人かが昨日から今日の間に、見知らぬ男達に接触されていた。幸い取り返しのつかない事態になった者はいないが、一人は顔を酷く殴られて尋問じんもんされている。男達が彼女らから聞き出そうとしたのは、そこの三村探偵社の連中の居場所だった」


 大人数がすし詰めで乗った狭い車内で、ハットの男が天井に手をつきながら言う。


 ガダガダと酷く揺れる馬車。早くも酔い始めたミワさんを横目に、田所が座席に片膝を立てた姿勢で口を開く。


「古烏組だな。やつらはひょっとしたら、吉原の上の連中とつながっているかも知れないんだ。万佐の茶屋に連れ込まれていた浮気妻達の素性に気づいたやつがいて、三村探偵社との関わりを告げ口したのかもしれん」


「あ、ああ、ないとは言い切れないね。銀座の大店おおだなの女将とかもいたからね……」


 強面こわもてのヤクザに挟まれた万佐が、青ざめながらうなずいた。


 ハットの男が隣の狐面きつねづらのヤクザと天井をつく腕を交差させながら、眉根を寄せて続ける。


「男達……もう古烏組と断定するが、やつらは三村探偵社の足跡を追うために関わりのある者を手当たり次第に洗っている。あの東城という男がいなくなったのも、間違いなく三村探偵社と関わったせいだ。

 銀座の社屋を捨てて足跡を絶った三村探偵社が、たまり場にしていた茶屋を乗っ取った男……何か知っていると勘ぐられても不思議じゃない」


「東城と、彼の助手はどうなったんだろう?」


「分からん。捕まったのかもしれないし、店を襲われて身を隠したのかもしれない。だが、情報を収集していた古烏組の耳に、代々木での元川の事件の報せが入ったことは間違いない。少し前にやつの素性が割れ、氏名が公表されたところだ。その直後に病院に何者かが忍び込み、元川を殺害している」


 殺害。その言葉を聞いた田所が目を剥くと同時、三村が「うえっ」と妙な声を上げた。


「見張りの警官を殴り倒し、昏倒こんとうさせた上での凶行だ。向こうでは高岡の刑事殺しも相まって大騒ぎになっている。……おい、高岡はどう処理したんだ? 有戸ホテルの近くにいるんだろうな?」


 「この馬車はそこに向かってるんだぞ」と視線を向けられた三村が、ミワさんの足越しに美津の手を握りながら「えっと」と頭をかく。


「万佐が車を用意して、柳生院やぎゅういん病院ってとこに運んだ。ホテルから少し離れた病院だ……最寄もよりの病院だと警察に密告する時、なんとなく心象が悪いからよ」


「トカゲの尻尾切りか。お前らしいよ……とにかく、元川が襲われた以上有戸ホテルの名を出したことは間違いない。口が裂けていようがどうだろうが、筆談でも何でもして確実に吐かせたはずだ。

 古烏組は三村を追って有戸ホテルに向かったか、あるいは元川の時と同じように、高岡を襲いに病院へ行く。俺達はその両方にこれから張り込むんだ」


 田所はハットの男の話を頭の中で整理しながら、苦々しい顔をして言った。


「お前さんは浮気妻が暴行され、間宮家が襲われたことを知って、襲撃者を突き止めるために動いていたというわけだな。察するに元川を問い詰める前に殺されてしまったから、臭いと睨んだ河北正二郎を揺さぶりに来た」


「あんたに会えたのは本当に運が良かった。正直、こいつらは高岡と共にとっくにとんずらしてると思ってたからな」


 ハットの男が三村達を靴先で指す。するとその靴先を果敢かかんに押しのけて、それまで黙っていた美津がじろりと、ハットの男の隣の狐面のヤクザを見た。


「探偵はいい。だが何故寄桜会以外のヤクザがこの件に関わっている? それも千住に本家を構える緋扇組の若頭が……」


「ねえちゃん、ヤクザやのうて、極道や。間違わんといてや」


 狐面の男が、突然恐ろしく低い声で美津に笑いかけた。口角だけを吊り上げた、目の笑っていない表情。


 他の極道からも向けられる視線にわずかに身を硬くしながら、それでも美津はおくさずに言葉を返す。


「そちらは銀座にほとんどシマを持たない、事実上の客人のような立場のはず。今回の一連の騒ぎに顔を出す理由が思いつかないのだが」


「簡単や。ワシらこちらの棚主の兄さんと浅からぬ縁でな。ちぃと東京監獄の中に入りたいと相談されて、看守を説得・・しに来たんやわ」


 説得という名の脅迫であろうことは疑いようもなかった。


 田所はしかし、仮にも帝国の犯罪者を監督する施設が、こうも反社会的組織に舐められている現状に空恐ろしさを感じていた。


 直感だが、厳粛げんしゅくに法の下に業務を行ってきた施設ならば、いかに極道といえどここまでの態度を取れはしない。下手なことをすれば警察に通報され、取り押さえられるはずだ。


 悪人に脅迫されるからには、脅されるだけの弱みがあるのだ。

 三村が話した処刑がらみの不祥事が真実で、それに関わった人間がかの監獄に相当数いる。のかも知れない。


 狐面の男はハットの男……棚主を横目に、ふっと笑った。


「でも、来て良かったわ。ワシら前々から寄桜会には胸糞悪い思いしとったんや。死に体の寄桜会にまぁだ元気なダニが残っとるっちゅうんなら、きっちり潰して指さし笑ったらな、な」


「とにかく俺とこちらの緋田ひださんは、目障りな古烏組を排除したいんだ。俺も、依頼主に危害を加える可能性のある敵を放ってはおけない」


 棚主が義理堅い台詞を吐きながら、田所を見る。


 じっと大きな手を見つめた後、緋田と言う名の極道に何かをささやいた。

 緋田がにやりと笑い、背広の内側をあさる。


 極道が、長めの匕首あいくちらしきものを取り出し、差し出してきた。


 眉を寄せる田所に、棚主が表情も変えずに言う。


「あんたは俺と同じ人種だ。この世には死ぬことでしか人の役に立てないクズが確かに存在することを、よく分かっている」


「……」


「俺は人の言葉以上に、行動を信じる。たかが一期一会いちごいちえの依頼人ごときのために殺人を犯せる大莫迦野郎は、共闘に値する人間だ」


 棚主が、田所を異様な光の宿った目で見た。田所が幕末、人を斬り捨てる血塗れの日々に、毎日鏡の中に見出していた光だった。


「あんたは助けたい人間を助けろ。そのために俺達を利用すればいい。俺達も、そうする」


 田所は棚主に何も返さず、緋田から匕首を受け取った。





「この世には死ぬことでしか人の役に立てねえやつがいる」


 柳生院病院の暗い廊下に、ねばつくような声が静かに響いた。


 木の床の上には喉を裂かれた男達が転がり、赤い水たまりを広げている。その中に、坊主頭の刑事がいた。


 高岡と元川という男達に拉致監禁された自分を、保護するどころか打ちすえて脅迫した、嫌なやつ。


 こいつが高岡の顔を確認させるために自分を病院に連れてきたから、こんなことになったのだと、家出娘は病室の隅で震えながら刑事を睨んだ。


 部屋の入り口に上半身だけを入れ、仰向けに倒れている刑事は、まるでしめられたにわとりのような目で家出娘を見ている。


 時折開きっぱなしの口が細かく震えたが、既に絶命していることは疑いようもなかった。流れ出る血液の反動か何かで、唇が動いているのだ。きっと。


 突然寝台の方から、くぐもった悲鳴が上がった。身を縮ませる家出娘のわきで、ねばついた声が歌うように言葉をつむぐ。


「足、ケガしてんだってなあ、高岡さんよ。この手術跡、匕首で開いたらどうなるんだい?」


「がっ……ぐぁっ……」


「血がどろどろどろどろ流れてくるのか、それともぶしっ、と噴き出すのか。どっちなんだい?」


 家出娘は泣きながら二人を見た。

 高岡、あの卑劣な優男は、今は顔中を腫らして寝台に縛りつけられている。

 彼を縛ったのは刑事達だが、尋問しているのは別の男だ。


 突然暗い廊下を走って来て、突然刑事達を皆殺しにした男……ぶくぶくと太った体の上に、まるで重ねたもちのように段々(だんだん)に盛り上がった頭部を持つ、襲撃者。


 そいつが首も下げられないほどの二重あごを揺らし、大きくて真っ黒な目をゆがめて笑っている。


 返り血を浴びた背広が月明かりに浮かび上がり、その襟にちぢれた髪が垂れている。


「元川さんの遺言に従って有戸ホテルに行ったんだけどさ。いねえんだよ、あんたらの社長さん。隅々まで捜したんだが、もぬけの殻だった。なあ、元川さんはほんと、死ぬことでしか役に立たないアホだったぜ。ヤツがみじめにくたばって俺達はそれはそれは気分が良くなったんだが、それだけだ。最後に嘘つきやがってよ」


「ぐ……」


「言い訳してえか? いいよ」


 襲撃者は高岡の口に突っ込んでいた、本来高岡の足を保護するための包帯を抜き取り、家出娘に投げつけた。


 短く悲鳴を上げて頭をかばう彼女に、襲撃者は引きつるような声で笑う。「後でかわいがってやるからな」と自分の股をむ姿に、今すぐ逃げるべきだと本能が告げた。


 だが、一度抜けた腰は中々持ち上がってはくれない。壁に爪を立てる娘のわきで、高岡がわめいた。


「くそっ! くそがっ!! 社長はとっくにとんずらしたんだろうぜ、ホテルにいねえってんなら俺達にも行き先は分からねえよ!!」


「分かりません、で済まされるのはガキの時分までだろうよ。なあ、頼むよ。吉原の探偵にも訊いたんだがあっちも分かりませんの一点張りなんだよ。分かりませんは聞き飽きてんだよ」


 襲撃者が、高岡の足の裂け目を刃で切り裂いた。凄まじい悲鳴を上げる高岡のあごをつかみ、無理やり声を呑み込ませる。


「何か心当たりねえのかよ。高岡さんよ、あんたも死ぬことでしか役に立たねえクチか? 俺にバラされるために今日まで生きてきたのか?」


「豚野郎……!」


 襲撃者が、高岡の伸びきった腕を刺した。ほとばしる絶叫に家出娘が耐えられずに床をかき、這いずって逃げようとする。


 襲撃者はそんな二人を見て、低く笑う。悪魔のような笑顔で、匕首を引き抜いた。


「抵抗できないやつをいたぶるのって心底楽しいねええ。生物としての優越感をびしびし感じるよ。お嬢ちゃん、どこ行くの? それともお尻向けておじさん誘ってんの? おっきいお尻だねえ。ちょっと小さくしてあげよっか?」


 かつかつと迫って来る靴音に、家出娘は心臓を締めつけられたように声にならぬ声を上げた。襲撃者は彼女の髪をつかみ、床に顔を押しつけてくる。


 着物越しに当たる刃の感触に、悪魔の笑い声を聞きながらとうとう娘は意識を手放した――





 判断が重なった。同時に行動を起こした。まるで、長年の相棒のように。


 病室の入り口に転がる死体と、娘の体を飛び越え、棚主と田所が目を見開いた男の顔面と肩に蹴りを叩き込んでいた。


 匕首を握った男が、床に倒されると同時にごろごろと部屋の奥に転がる。攻撃を受けた反動ではなく、自ら敵と距離を取るために移動したのだ。


 高岡の寝台のわきで立ち上がる男の前に、棚主達の後から緋田と極道達がなだれ込んで来る。三村達とミワさんも一緒だ。


 攻撃を受けた直後には修羅しゅらのような形相をしていた男も、匕首や木刀を手に現れた無数の敵の姿にきょとんとする。


 緋田が男を指さし、こきりと首を鳴らしながら笑った。


「こっちが正解か。古烏組の金橋かなはし、相変わらずきったない殺り方するやんけ」


「緋田? おい、どういうこったよ」


「金橋、三村はこっちが押さえたで」


 緋田に指さされた三村が「えっ」と自分を指さし、顔を引きつらせる。

 ちょうど同じような表情をさらす金橋に、緋田が「どうすんねん」と笑った。


「こいつにヤキ入れたくて暴れとったんやろ。取りに来いや。袋叩きにしたらあ」


「緋田ぁ、どういうつもりだてめえ……よその組の事情に首突っ込んで、タダで済むと思ってんのか!」


「笑わせんな! の後ろ盾のない鉄砲玉なんざごろつきと同じや! てめえら四人八つ裂きにして海に沈めてもだーれも文句言わんわ!!」


 緋田の言葉は脅しではない。事実彼は舎弟から受け取った木刀を勢い良く振りかぶり、殺意を隠しもせずに気合を吐いて構えを取った。


 一斉に金橋を包囲する極道達。金橋は一瞬高岡の首に手をかけて明らかに人質にしようとしたが、迷わずに突っ込んでくる棚主と田所にすぐに判断をくつがえした。


 高岡にトドメを刺していては手遅れになると考えたのか、彼を捨てて窓辺へと走る。


 凄まじい音を立てて肥満体がぎやまんを破り、外へ飛び出した。病室は二階だ。すかさず窓から下を覗き込む棚主達の視界で、金橋が人間離れした見事さで受身を取り、地面に膝をつく。


 そのまま走り出す金橋に、棚主がなんと後を追って外へ飛んだ。金橋が落ちた場所なら安全と判断したのか、全く同じ位置に降り立ち、同じように受身を取る。


「……なんて男達だ!」


 田所は身軽さには自信がなかったが、ここまで来て敵を逃すわけには行かない。匕首を口にくわえ、窓から足を垂らし、わきを走る雨どいに両手をかけ、ずるずると伝い始めた。

 みし、ばき、ととんでもない音が聞こえる。雨どいが外れる前に地面を目指す。


 緋田が舎弟に三村達を任せる声が響くと、一瞬後に彼の背広が視界の端を通り過ぎる。


 若者達に取り残されまいと田所は地面に急ぎ、降り立つと同時に彼らの後に続いた。

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