鬼畜ども
暗い部屋だ。
小さな窓から注がれる光は、室内にこもった闇を追い払うにはあまりにも細く、弱々しい。
光の筋は椅子に座った田所の頭と、肩にのみ降り注いでいる。周囲には二人の刑事と一人の坊主がいるはずだったが、彼らの姿は暗がりに沈み込み、淡い人型の影としてしか視認できなかった。
「被害に遭った骨壷は、全部でどれくらいだ?」
「はい、なくなった物を合わせますと、十を超える家のお骨が盗まれました。今朝、私がおつとめを終えて朝食の準備をしておりますと、廊下から足音が聞こえまして……不審に思い見に行きますと、角から現れた男に突然突き飛ばされまして。庭に転げ落ちている内に逃げられてしまいました」
闇の中で、刑事と坊主が声を交わす。坊主の影が頭を押さえ、うめくように言った。
「仏門に入って三十年になりますが、今回ほどひどい体験をしたことはありません。戦争直後の騒乱でも、骨壷を盗もうとする者などおりませんでした。
それを、お骨をたらいにあけて混ぜ合わせ、ご家族の方にあのような残酷な仕打ちを……とても、人の所業とは思えません」
「うむ、おそらく、間宮家に恨みのある者の犯行だろう。本当に狙われたのは間宮百合子の骨で、他の骨は混ぜ合わせるために盗まれた、いわば巻き添えだ。あんたの寺が間宮家の骨を預かっていることを知ってる者は、どのくらいいる?」
「お葬式をうちで上げましたので……なんとも言えません」
「犯人だが、確かに男だったんだな? 顔は見なかったのか」
「あいにく顔は見えませんでしたが、確かに男です。とても大きな人物で、かばんにあふれるほど詰め込んだ骨壷を片手で持っていました。相当な力持ちです。とても女とは……」
「体が大きい。力持ち。さぞや腕も太いのだろう」
刑事の影が不意に田所に近づき、手錠をはめられた腕をつかみ上げた。
手に余るほど太い腕を指さし、「この腕か?」と坊主に問う。
坊主の影は首を傾け、もう一人の刑事の影を見た。しゃべっているのは田所の腕をつかんでいる刑事だけで、二人目の刑事は闇の中で口を閉ざしている。
「……なんとも、言えません。一瞬の出来事だったもので……」
「大きな男だったんだろう。こいつと同じくらいに」
「背丈は、同程度ですが」
「体格は」
「非常にがっしりしていたと」
「こいつと似ている」
「……まあ」
「顔を見ろ。こっちに来てよく見るんだ」
坊主の影が、ゆっくりと田所に歩み寄ってくる。気弱そうな痩身の坊主の顔がうっすらと浮かび上がると、わきから若い刑事の顔が田所の視界に入ってくる。
眉間に深いしわを刻んだ刑事は田所を指さし、坊主に言った。
「間宮家の玄関先で捕らえられた。浮浪者だ。こいつが骨壷を盗み、間宮親子に危害を加えたのは間違いない」
「あの……間宮さん……いや、奥方様は?」
「病院だ。興奮状態で手がつけられん。娘の方は行方不明だ。こいつがからんでるのは間違いないんだ」
刑事が田所の腕を放し、坊主の肩に手を置いた。
「なあ、よく思い出せ。この男が犯人だろう? こんな巨漢はそうそういない。あんたがこいつが犯人だと証言してくれれば、間宮の娘の居所を吐かせられるんだ。あんたがぐずぐずしてると、娘がどんな目に遭うか分からん。仲間がいたら殺されるかもしれん」
「し、しかし……顔を見ていないのに、断定するわけにも」
「顔じゃなくてもいいんだ。手がかりを思い出してくれるだけでもいい。どうだ、この手の形、あんたを突き飛ばした手に似てないか? 体毛の濃さでもいい、何か覚えてるだろう」
坊主は田所の手をしげしげと見つめ、うなる。刑事が田所の髪をつかみ、「これはどうだ」と示す。
「白くて長い髪だ。毛先がちぢれている。犯人の髪と一緒じゃないか」
「あっ! 思い出しました!」
ぽんと手を打つ坊主が、自分を見る刑事に人さし指を立てながら答えた。
「私を突き飛ばした男は、黒髪でしたよ! ええ、確かにそうです! 後姿を見たんですが、白髪ではありませんでした! そういえば、肌ももっと若々しかったような……ああそうだ、体毛で思い出したんですが、犯人の指はもっと毛深くて、黒々と」
まくし立てるように証言していた坊主が、はっと口をふさいだ。
若い刑事の目元は細かくぴくぴくと震え、眉間のしわが数本増えている。
刑事は田所の髪をぶちぶちと引きちぎりながら、「てめえ」と低く坊主に歯を剥く。
「一瞬の出来事だって言っただろうが。なのになんでそんなにぽんぽん証言が飛び出て来るんだよ。ああ?」
「い、いえ、刑事さんが思い出せとおっしゃるから……」
「落ち着いて思い出せって言ってんだよ。記憶違いってもんがあるだろうが。てめえ、間宮の娘が殺されてもいいってのか! 坊主のくせに殺人に加担してんじゃねえよ!! ボケナスがッ!!」
「解放だ」
不意に、闇に沈んでいた二人目の刑事が声を発した。
坊主とともにそちらを振り返った若い刑事が、両腕を広げて『信じられない』という仕草をする。
「待ってくださいよ森元警部補。絶対にこのジジイが犯人ですって。よく考えてください、女だけの家の母親が乱暴され、娘がいなくなり、その家から浮浪者が飛び出して来たんだ。
考えられる答えは一つじゃないですか。骨壷を盗んだやつが別人だとしても、そいつと共犯ってことも考えられます」
「この事件の核は、まず寺から大量の骨壷が盗まれたこと。その骨壷が間宮家の住人に対する嫌がらせに使われたことだ。つまり実質的な被害は、骨壷の盗難と損壊、間宮家への第三者の侵入、それぐらいしかない」
「何言ってるんです! 間宮家の母親への暴行と、娘の誘拐があるでしょうが!」
「母親は骨の入ったたらいに入れられただけで、特にけがをした様子もない。娘の居所が分からんというのも、現状では誘拐の可能性がある、というだけに過ぎん。もちろん、犯罪は犯罪だ、犯人は追う。だが、その老人を捕らえ続ける正当性がない」
「何をゆうちょうなことを……! 怪しいやつを捕らえたら徹底的に締め上げて手がかりを吐かせるべきだ!」
「君のやり方では彼を犯人に仕立て上げることはできても、手がかりを得ることはできない。捜査は過程はどうあれ、事実を積み上げることが基本だ。捏造された事実などいらない」
若い刑事が歯を軋ませ、闇を睨んだ。闇の中の刑事は眼鏡を指で押し上げ、低く、しかし鋭く続ける。
「私のやり方はゆうちょうかも知れないが、君のやり方はそれ以下だ。本当に娘が誘拐されているのなら事実解明を急ぐべきだし、犯人にしやすい人間を犯人らしく飾り立てている場合ではない。
その老人は指の型を取り、解放しろ。骨壷の件はそちらの御坊の証言を元に犯人を捜す」
「……あんた、署長に気に入られてるからってえらそうに……このジジイの言ってることを信じるってんですか。被害者、間宮親子に雇われた探偵だなんて、どう考えても虚言だ!」
「間宮直子の勤め先の上司が、探偵を紹介したと証言してる。近隣住民も、その老人が間宮家の人間と歩いているところを見たと言っている。数ある証言を無視してわがままを言ってるのは君らの方だ」
君ら、という言い方をした相手に、若い刑事が拳を握り締めた。
闇の中の刑事が、ため息をつく気配がする。
「間宮家に関しては、色々といざこざがあったそうだな。長女の殺害事件に関連して、君ら担当刑事は遺族である彼女達を煙たがっていたと聞いている。現場では間宮親子の訴えや通報は無視しろと指示が出ていたと言うが、事実か」
「終わった事件のことでぐだぐだ注文をつけてくるのは、警察に対する妨害行為だ……実際、面倒な女どもだった」
うつむき気味だった田所が、無言で顔を上げた。若い刑事はその動きに気づいた様子もなく、頭をかいていら立った口調で言う。
「おかわいそうな遺族様にいちいち同情してたら、仕事にならない。だから、何だ……今日、間宮家から悲鳴が上がったと通報があったのも、俺達の気を引く悪戯だと……」
「そうして何度も通報を無視して、ようやく警官を行かせた時には手遅れだったわけだ。最初の通報があってから、君らが警官を行かせるまでにかかった時間は? 君は、自分の失態を隠すために、唯一捕らえられた『怪しいやつ』に必死に固執しているだけじゃないのか」
「間宮家を無視したのは俺だけの判断じゃない!」
「そうだとも。だがこのままこの老人、田所十吾を冤罪で捕らえれば、真犯人が見つかった時、責任は全部君一人に降りかかる」
闇の中の刑事が、音を立てて扉を開いた。廊下からの明かりが、室内の闇を切り裂く。
眼鏡をかけた刑事は、もう一度「解放だ」と口にした。
「田所氏を拘束するための客観的な証拠がない以上、今日のところはお帰りいただくしかないだろう。ただし、捜査の進展によってはまた築地署に来て頂くことになる可能性もあるので、そのつもりで。……御坊は別室で改めてお話をうかがいます」
廊下から、数人の警官が室内に入って来て、坊主を連れ出し、田所の手錠を解いた。
田所はそのまま椅子から立ち上がらされ、警官に前後を挟まれて部屋を出て行く。
「……くそっ……一般人の前で恥をかかせやがって!」
部屋に残った若い刑事は、目の前の森元警部補を睨み、抗議した。
鉄のような硬い表情の相手に、人さし指を向けながら怒声を放つ。
「あのジジイは絶対に怪しい! 戸籍情報を取り寄せて調べるべきだ! だいたい、あいつが金の棒を何本も持ってるのを見ただろう! どう考えても犯罪で得た金だ!」
「君が……いや……お前が本気でその主張を通したいなら、今すぐ部屋を出て行け。そして間宮家に対して、間抜けをさらした仲間と一緒に、田所を尾行しろ」
森元警部補の言葉に、若い刑事は一瞬眉を寄せる。森元警部補は相手の眼前まで進み出て、自分の肩を揉みながら続けた。
「本来の警察とは、証拠主義だ。田所十吾が確かに事件に関わっていて、間宮家に害を与えたという証拠をつかめ。田所を署に拘束していても、それはかなうまい。ヤツを泳がせ、尻尾をつかむんだ。尻尾があれば、の話だがな」
「尾行捜査か……」
「それと」
森元警部補が、おもむろに若い刑事の肩に手を置いた。「あ?」と声を上げた刑事の頬に、何の前触れもなく拳が打ち当たる。
短く声を上げてよろめく若い刑事を、森元警部補は拳をさすりながら刃のような目で見下ろした。
「私はまがりなりにも警部補だ。格下のお前が、敬語を忘れていい相手じゃない」
「うっ……」
「さっさと行け」
若い刑事は頬を袖でこすると、何も言わずに扉の外へ駆けて行った。
森元警部補は光と闇の間に立ち、拳を何度もさすりながら、やがて息をついて口角を上げる。
「……慣れないことはするものじゃないな。腫れなければいいが……」
警察署を出ると、時計は午後四時を回っていた。
田所はすぐに駆け出し、道路を走り出す。
間宮家が襲撃された今、事件に関わった人々の身が気がかりだった。全速力で帝都を走り、まずはミワさんの新聞社へ向かう。
冷え始めた空気を肺に満たしながら足を動かし、やがて目的地にたどり着くと、息を整えるのも忘れて扉を押し開けた。屋内は相変わらず雑然としていて、物があふれかえっている。
「ミワさん! いるか!!」
奥に向かって大声を上げると、すぐに男が顔を出した。
以前会ったこの会社の社長だ。彼は眉を寄せ、廊下に散乱する物を避けながら歩いて来る。
「また君か。今度は何の……どうしたんだそれは」
言葉半ば、社長は田所の顔を指して唖然とする。警官に一撃された時に流れた血がそのままになっていたらしい。
田所は顔を手でぬぐいながら、荒い息とともに問う。
「ミワさんは今どこに?」
「どこにって、奥にいるが。食事中だ」
ほっと胸をなでおろす田所を、社長が案内する。
廊下の先の扉をくぐると、木椅子と机が無秩序に置かれた部屋に無数の男達が集って騒いでいた。
その最奥、窓際の机の上に座ったミワさんが、天丼をかき込みながら田所に顔を向けた。
「ミワさん……無事だったか」
「やあじい様。無事って? 撃たれた傷なら今のところひどくは痛んでねえよ。ところで、この天丼美味ぇんだよ。えびの他に鯛の天ぷらが載ってんだ。徳川家康の死因は鯛の天ぷらだっつーけど、これ食って死ぬんなら悪かねえ最期だよな」
「俺の依頼主が襲われた」
つまらない話をしていたミワさんが、その言葉に箸を止めた。
唖然とする彼に、田所が顔を寄せる。
「行方不明だ。今警察が捜してる。……みんなの安否を確認したい。東城達の連絡先は分からないか?」
「例の東城専門耳かき店か……電話が置いてありゃ分かるはずだ。ちょっと待ってろ」
それからミワさんが耳かき店の電話番号を調べ、社の電話から東城達を呼び出したが、つながらなかった。
時間を置いて数度かけても結果は変わらず、二人は午後六時に新聞社を出て、直接吉原へ向かった。
夜の吉原の門をくぐり、遊女達の手をくぐりながらお歯黒どぶへ急ぐ。
そうして東城専門耳かき店へたどりついた時、店の扉は、外れて道路に倒れていた。
「遅かったか!」
うなる田所が、店の中に飛び込む。瞬間、異様な臭いが鼻をついた。
それが床に散乱した無数の香水の瓶から発せられるものだと気づいた直後、荒らされた室内で、何かの影が動いた。
ミワさんが、壁に埋め込まれた、特注らしい電灯のスイッチを入れる。
小さなシャンデリアが光り輝き、室内の惨状と、その真ん中でたたずむ女を照らし出した。
顔面に走る刃物傷。最初に田所達がここに来た時、声をかけてきた遊女だ。
頬をかきながら自分を見つめてくる彼女に、田所は散乱した家具を踏み越えながら問いかけた。
「何があった? 東城達は?」
「あたしじゃないよう。知らない変な男どもが荒らしてったんだよう……美耶子にごはんおごってもらおうと思ったのに。これじゃ、何も食べらんないよう」
どこか呆けたような声で言う遊女に、ミワさんが「よしよし」と何度も繰り返しながら近づいて行く。
彼はポケットから、ちゃりちゃりと安い硬貨をたくさん取り出して、反射的に笑顔を浮かべる遊女に握らせながら言った。
「ほーら、ほら、こんだけありゃうどんでも蕎麦でも腹いっぱい食えるだろ。なあ、その変な男どもってどんなやつらだった? 東城達はどうなったんだい?」
「見るからに危なそうな四人組だよ。みんな背広着て、体が大きかった。でも変なんだ。いくらお歯黒どぶの店だからって、こんなめちゃくちゃに壊して荒らして、誰も止めに来ないなんてさ。あたし怖くて自分の家にこもってたんだけど、誰も来なかったんだ。誰も。凄い音立ててたのに」
遊女の話を聞きながら、ミワさんが田所に顔を向ける。「四人組の男……三村達じゃねえな」とつぶやく彼に、田所は室内を見回しながらあごに手を当てる。
三村探偵社にいる男は、三村と、元川、高岡の三人。万佐を入れれば四人になるが、元川は警察に捕まっているはずだし、高岡もハットの男にやられている。
何より、元々この場所にあった茶屋にたむろしていた三村達や万佐を、近くに住む遊女が知らないのはおかしい。
吉原の外からやって来た連中が、東城の店を襲ったのだ。
時期を考えても、直子の家を襲撃した犯人と無関係なはずはない。
遊女が、硬貨を「一日分、二日分」と、おそらく食費に換算して数えながら話を続ける。
「美耶子と東城先生がどうなったか知らない。見てなかったから。でも二人の声は聞こえなかったし、まだ帰ってないんじゃないかと思う。男どもが帰ってから、あたしずっとここにいたもん。ごはんおごってほしくて。ずっと中で待ってたもん」
「じゃ、運良く難を逃れたのかな。でもこのまま帰って来たら危ないよな。どっかで落ち合わないと……じい様? 何してんだ?」
ミワさんが、倒れたクラヴィコードのそばに屈み込む田所に声を投げる。
田所は楽器の陰に落ちている、動物の死骸をつなぎ合わせた奇妙な物体を拾い上げながら、低く答えた。
「だめだ……戻っている」
首を傾げるミワさんに、田所はぬえを床の上に立たせ、言葉をつなげる。
「東城達は、一度ここに帰って来ている。間違いない」
「じゃ……じゃあ、どうすんだよ……」
「何者かが動いている。連中は、俺の依頼主と、東城達を襲った。だが俺の存在は知らず、ミワさんのことも放置した。俺とミワさんに深い関係がなく、俺の依頼主と東城達に深く関係していること。あるいはそう見えること。それが敵の動機だ」
「……ええっと……つまり何だ?」
「三村探偵社だ」
田所が立ち上がり、玄関に向かう。
あわてて追いすがるミワさんに遊女もついて来て、彼の腕を取りながら無言でにこにこしている。ミワさんは「もうないよ!」とポケットをはたきながら、田所へ声を投げた。
「どういうことだよ! 東城達を襲った四人組が、三村のために動いてるってことか? やっぱり三村の手先か!」
「違う。三村じゃない、三村探偵社だ。ミワさんには話してなかったが、俺と三村には因縁があったんだ。それも浅からぬ因縁だ。……だがそのために三村が動いたとも思えん。時間的にも少し無理がある。俺が有戸ホテルを出てから銀座に戻るまでの間に、直ちゃんのお姉さんの骨壷を奪い犯行に及ぶのは……」
「因縁? 因縁って?」
「とにかく、敵は三村の手先じゃない。三村探偵社と深く関わった人間を襲っている。
俺の依頼主は三村探偵社に身内を死に追いやられたことを恨み、俺を雇った。犯行の手口、意図を考えても、敵は依頼主の事情を良く知っているやつらだ。依頼主の姉の死は公になったが、三村探偵社が関わっていたことはほとんど取りざたされていない。つまり、依頼主と三村探偵社の関わりを知っている人間。間宮百合子殺害の裏事情を知っている人間が、敵の中にいる」
田所は空を見上げ、雲に乗った月を睨みながら続けた。
「そして東城達は、三村達のたまり場だった茶屋を乗っ取った人間だ。三村探偵社の公的な足跡は、銀座の探偵社をたたんだ時点で途切れている。探偵社を捨てた三村達を追う人間が次に目をつけるのは、彼らが日常的に利用していた吉原の茶屋の存在だ。
俺とミワさんのように、敵は三村探偵社の足跡を追ってここに来たんだ」
「四人組が、三村探偵社を捜してるってことか? なんのために」
「くわしくは分からんが、そうとしか考えられない。俺は昨日三村探偵社と接触したばかりだし、ミワさんも三村探偵社の広告を担当しただけだから標的からあぶれたんだ。
直ちゃん……俺の依頼主の事情を知っていて、三村探偵社を追う必要がある人間……俺には一人しか思い浮かばない」
ミワさんが、いつの間にか自分と一緒に田所を見つめている遊女と同じ顔で「誰だ?」と訊いた。
田所は空から視線を下ろし、月光のぎらつきを目に宿したまま答える。
「間宮百合子の夫。現在獄中にいる、妻殺しだ。彼は妻に雇われた三村探偵社に脅迫され、激高した末に妻を撲殺した。殺人事件の当事者だから全ての事情を知っているし、三村探偵社への恨みもある。
やつの因縁を受けて四人組が間宮家を襲撃し、さらに三村探偵社を追っている。そう考えれば筋道が通る」
「……獄中にいる人間に、どうやってそんなことができるんだよ。間宮百合子の旦那って言や……ただの勤め人だぜ。でかい会社の幹部だったけど、それだけだ。普通の人間だぞ。こんなことしでかす四人組を、間接的に動かせる男じゃねえ」
「三村に会いに行こう。ヤツの安否を確かめる。まだ有戸ホテルにいればいいがな」
歩き出す田所に、ミワさんは遊女の手をほどき、引きつった笑顔で手を振ってから、その場を後にした。




