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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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鬼畜

 全てが片付いた頃には、朝日が昇っていた。


 浮気妻の写真をはじめとする、三村達の脅迫の材料は、ハットの男がそのことごとくを魔法マッチで灰にした。


 彼は三村達を念入りに脅し上げ、被害者全員の名前と住所を聞き出すと、逃走資金のかばんの中から無造作につかんだ紙袋を一つ、田所に手渡した。


 それは田所の依頼主である直子の取り分であり、残りの紙袋はハットの男が責任をもって、三村探偵社に関わった被害者達に届けると言う。


 田所はハットの男を信用すべきか悩んだが、結局は彼の言うことに同意した。


 火の見やぐらでの元川に対する彼の口上には、浮気妻達の身を案じる態度が表れていた。


 依頼主のために犯罪者まがいの連中と対決するような男なら、最後まで仕事上の義理は通すはずだ。


 田所はそう判断して、浮気妻達のことはハットの男に一任した。


 すっかり意気消沈した三村一党を有戸ホテルに残し、田所達とハットの男は、朝もやの中で言葉少なに別れた。


 その後近くの駅まで歩き、田所達三人は始発の電車に乗る。

 一晩を明かしたため、三人とも口を利かなかった。疲れた体を座席で休め、横たわる。


 彼らが再び言葉を交わしたのは、東城と美耶子が吉原に帰るため、別の電車に乗り換える時になってからだった。


 プラット・ホームに降り立った二人が、車内の田所に言った。


「今回はこういう結果になったが、三村達の頭を完全に押さえたわけじゃない。連中が今後どうなるか、どのように振る舞うか、見届ける必要がある。今後、君と君の依頼主を訪ねることもあるだろうから、そのつもりで」


「田所さんお疲れ様! ミワさんにもよろしく!」


 隣の車両の扉が閉まる音を聞きながら、田所は二人に、最後に頭を下げる。


「色々世話になった。あんたらに出会えていなかったら、三村達の隠れ家までたどり着けなかったかもしれない。また、銀座に遊びに来てくれ」


「浮浪者のくせに偉そうだな」


 苦笑する田所に、東城が少し遅れて薄笑みを返した。


 直後に駅員が三人の間の扉を閉め、発車の笛が鳴り響く。


 二人に窓越しに手を振り、田所は一人、銀座へと帰って行った。





「結局、誰も殺さなかった」


 田所はつぶやく。新聞紙の塊を抱えながら、その奥に眠る鉄の重みを感じながら、吐息とともに言葉を吐く。


「獄中の三十年を生き延びたのは、いつか仇に刃を振り下ろすためだった。俺達を裏切った、見捨てた連中に、報いを受けさせるためだった」


 雑踏の中、周囲の騒音に声をかき消されながら、田所は誰にも届かない台詞をつむぎ続ける。


「ならば……出獄後、仇の死を知った後は、何のために生きていたのか。未練がましく、刀を抱え続けたのは何故だろう。……きっと、まだこの世に刃を振り下ろす先があると、思っていたから。思いたかったからだ」


 銀座を、老人が歩く。頭上の陽に片手をかざし、目を細めた。


「あるいは、三村がそれだったのかもしれない。俺が憎悪に狂っていたら、きっと三村を、喜々として斬っていたのだろう。……泉妻は、ヤツの父親は、そうなることを危惧していた」


 だが、それは結局、ただの八つ当たりだ。


 父の因果で息子を斬る。そんなことをしても、誰も救われない。


 田所は周囲を通り過ぎる人々に目もくれず、前を見て歩いた。

 その言葉は、生きている者には届かない、雑音でしかない。


 田所が、ふっとほほえんだ。


「まこと、下らぬ男よ。泉妻……俺達を……たばかった男は」


 幕末以降、枕元に立ち続けた始末組の同士達の顔を思い描きながら、田所は笑った。


 彼らの無念を晴らすことは、とうとうできなかった。だが自分達始末組の存在は、裏切り者の人生を狂わせ、日々を恐怖に塗り込めていたのだ。


 ……少しは、溜飲が下がったか。


 田所はふと立ち止まり、視線をめぐらせた。


 道の端には電柱があり、そのわきには、壊れたタンスや自転車等のゴミが詰んである。


 田所の目が、新聞紙の塊に落ちた。


「――刃で人を斬る時代は、終わった。これを振り下ろす相手も、幕末に斬り残した敵も……もはや、いない」


 深く息を吸い、ゴミ捨て場へと歩いて行く。


 背後に人の流れを感じながら、田所は道端で、一人壊れたタンスの引き出しを開け……刀を放り込み、封印した。


 目を閉じ、息を吐く。頭の中に残っていた憎悪の火種が、霧散していくのを感じた。


 田所の物語は、幕末の因縁は、決着したのだ。


 少なくとも仇の最期を、その業苦の様子を、実の息子から聞くことができた。


 自分にとりついていた始末組の無念が、それで報われるかは分からない。


 だが田所は、明治という時代を迎えられずに果てた仲間達に、静かに、報告する。


今生こんじょうでの因果は果てた。俺も……じきにく」


 手ぶらになった田所が、再び雑踏に歩き出した。 






 平屋の木造家屋。本屋と豆腐屋にはさまれた直子の家に到着すると同時に、午砲が鳴り響いた。


 田所はハットの男に渡された紙袋を、家の前で開けてみる。

 中から出てきたのは、ざらついた金の棒が数本。

 まるで輝くお骨のようだと、ついよけいなことを考える。


 姉の命の代償に、金と三村の前歯を持ち帰る。直子達に悲しみの上塗りをしてしまいそうで、戸を叩くのがためらわれた。


 どう報告したものかと腕を組んでいると、不意に家の中から物音がした。


 次いで戸が開き、中から、見知らぬ男が顔を出す。


「……おや、どちら様?」


 大きな男だった。背丈も横幅も、田所とほとんど変わらない。目は小さく、エラが大きく張っている。背広と革靴をきちんと着込んでいて、右手にはかばんがさがっている。


 田所は家を間違えていないことを確認してから、男に口を開いた。


「間宮さんの知人だが……あなたは?」


「俺も間宮さんの知人です。ハハハ」


 何がおかしいのか、男は歯を剥いて大きな声で笑った。


 表情筋を動かすと、もりもりと頬のあたりがふくらむ。張ったえらは、顔の筋肉が膨張しているせいだ。


 男は田所をじろじろと見ると、一つうなずいて一歩前に出て来る。


「ちょうど良かった。あなた、これから間宮さんちに入りますね?」


「ああ」


「今、奥さん、入浴の最中なんですよ。今行けば覗けますよ」


 田所が目を剥き、あんぐりと口を開けた。

 男はそんな田所の横を通り過ぎ、あごをなでながら笑う。


「なんてね。冗談ですよ冗談。あんなオバサンの裸なんて見てもしょうがないしね。あ、いや、そちら様にとっちゃ娘みたいな年ですか。ハハハ」


「おい、あんた」


「台所ですよ。間宮さんは。それじゃ」


 高く笑いながら去って行く男に、田所は眉を寄せた。


 数秒の間の後、開けっ放しの戸をくぐる。玄関には直子の母親の靴だけがあり、直子のき物はない。「お母さん」と声をかけてみる。


 返事はない。


 田所は背後を振り返り、男の姿がすでに消えていることを確かめてから、靴を脱いで居間に上がった。


 視界に人影はない。ただ、奥の台所の方から、がらがらという音がする。


 無数の、何か硬いものが転がるような音。


 田所はもう一度「お母さん」と声を上げてみた。返事はない。返事はないが、台所から新たな別の音がした。


 ずりずりという独特の、何かがこすれるような音。田所はその音が、壁に髪と頭をこすりつける音だと気がつくと、一足飛びに台所に飛び込んだ。


「どうした!!」


 台所に踏み込んだ瞬間、田所の足の下で何かがぐしゃっと潰れた。ざらりとした感触に足を上げると、床の上に白い粉末が広がっている。


 ずりずりと、音が田所の左後方から響く。台所の入り口の、すぐわきの壁だ。


 振り向いた田所の目が、音を立てて歪んだ。


 何が起きているのか、理解できなかった。


 目の前には直子の母親がいて、さるぐつわをされている。両手と胴を柱に固定されていて、へたり込むような姿勢で、床に置かれたたらいの中に、尻を入れていた。


 そのたらいの中から、おびただしい量の白いかけらがあふれている。様々な大きさの、様々な形の、白いかけら。


 がらがらと、ばりばりと、直子の母親が身じろぎするたびに砕けながらあふれる白いそれらは、人間の、おそらくは、遺骨だった。


 かろうじて眼窩がんかの形をとどめた頭蓋骨の一部が、母親の腿に押しつぶされて粉々になる。田所は頭を振り、目の前の女を縛っているさるぐつわを外しにかかった。


 唇があらわになると、彼女は狂ったように叫び出す。縄を外そうとする田所の前で全身を震わせ、直子の母親は別人のように取り乱した声でわめいた。


「助けて! 誰か!!」


「落ち着け、大丈夫だ! すぐほどいてやる!」


百合子ゆりこが!」


 百合子。

 田所は母親の口から飛び出した名前が、直子の殺害された姉の名前であることに、すぐには気づけなかった。


 泣き叫ぶ母親の前で数秒沈黙し、それからゆっくりと、足元の遺骨の山を見る。


 とうてい、一つの骨壷に収まる量ではない。


「百合子の骨が、お寺に預けた百合子が! 他人と混ざって……あ、ああ! ああ!!」


 田所はさあっ、と頭が冷えていくのを感じながら、半狂乱の母親の縄を解き、台所を飛び出した。


 あの男はどこだ。この家から出てきた、大男はどこに行った!


 田所は革靴を履くことさえ忘れ、開け放した戸から、外へ……


「動くな!!」


 飛び出した田所を、三人の男が取り囲んでいた。


 目を剥く、刀を持たぬ老人に、制服を着てサーベルを携えた、警官達が怒鳴る。


「膝をつけ! 隣の家から悲鳴が聞こえたと通報があったぞ!」


「女だけの家に押し入るとは太えジジイだ! 貴様物取りか! それとも強姦魔かッ!!」


「抵抗すると一生足腰が立たなくなるぞ!!」


 警棒を突きつける警官達に、田所は歯軋りして視線をめぐらせる。


 周囲に大男の姿はなく、道の向こうから野次馬が数人、こちらを見ているだけだ。


 後方では直子の母親が、泣きながら骨を転がす音が響いている。


 田所は両手を握り締め、ぶるぶると肉を震わせた後……何も言わず、両膝を地についた。


 警官の一人が田所の背後に回り、後頭部を警棒で一撃する。

 田所は血をしたたらせながら、ぐっと奥歯を噛んだ。


 微動だにしない彼に警官達が目を丸くした後、やがて田所の両手に、重い手錠がかけられた。

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