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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
88/110

無名探偵(棚主) 八

 ホテルの二階、黒く塗り上げられた扉を、田所が押し開けた。


 まばゆい光に目を細めながら、広大な空間に踏み出す。


 後から入って来た東城と美耶子が、それぞれ声を上げて部屋を見渡した。


「気持ちの悪い部屋だ。何だ、このテーブルの群は? 寝台も衣装棚も複数ある。……ああ、ひょっとして客用のものを集めて上げたのかな。三村の生活区域に違いない。床もきれいだ」


「先生の読みどおり、電気がきてますね。ちょっとチカチカしてるけど……」


 田所は部屋のどこかに、特にテーブルの陰に三村達が隠れていないか確認するため、床に膝をついて視点を下げてみた。


 人間の姿はなかったが、向こうの方の床に、砕けたワインボトルと、瓶らしき残骸、血痕等が見える。


 眉を寄せる田所の前を通り過ぎながら、東城がハハン、と莫迦にするような声を出した。


「快適な隠れ家というわけだ。暗闇とネズミの糞に囲まれて自分の周りだけ煌々こうこうと灯りをけている。で、住人達はどこへ行った? ついさっきまでここにいたはずだぞ」


 東城がテーブルの一つをバン! と叩く。


 そこには蜂蜜の入った瓶が横倒しになっていて、とろりとした中身は未だ床に糸を引いて垂れ続けていた。


 続いて美耶子が、床に屈んで、落ちていた物を拾い上げる。


 ぬえを抱いたまま、媚びるような視線を上目づかいで向けてくる彼女に、東城が口をへの字にして「何だ」と問う。


「手がかりなら早く報告したまえ肉袋君」


「綺麗な石です。これ金目のものですかね?」


 差し出す美耶子の手には、トパーズの粒が三つ載っていた。


 東城が一瞬田所と顔を見合わせ、自分の頭をガシガシとかく。


「トパーズ……黄玉おうぎょくか……紙幣でなく宝石が落ちているというのは悪い兆候だな。日本の黄玉は世界的に有名で、どの国でもすぐに買い手がつく。大量に持ち出して外国へ高飛びする気かもしれん」


「先生、これもらっちゃっていいです?」


「ネコババか。卑しいやつめ。許可する」


 田所があんぐりと口を開けるのを尻目に、東城は部屋を歩き回って現場を検証する。


 トパーズを胸の谷間に押し込んだ美耶子が、喜々として宝探しを続行する中、部屋を照らしていたシャンデリアがチリチリと音を立てて明滅した。


 電気の供給が、切れかけているのかもしれない。仕方なく自分も部屋の捜索に参加した田所が、部屋の中央にある、最も巨大な寝台に近づいた。


 寝台のそばには空になったかばんが放り出してあり、わずかに火薬の臭いがした。視線を巡らせると、衣装棚の一つに弾痕がある。


 椅子の倒れたような音は、拳銃の発砲音だったのだ。

 嫌な予感に口を引き結ぶ田所に、わきから東城が声を上げた。


「田所探偵、これを見てくれ」


 視線をやると、東城がテーブルの一つに片手を置き、そこに無造作に載せられている封筒を逆の手で示している。


 言われるままに近づき、封筒に目を落とす。

 表面に『金ヅルノ一』と汚い字で書いてあった。


 田所は一瞬躊躇ちゅうちょしたが、思い切って封筒を取り上げ、中身を取り出す。


 出てきたのは数十枚に及ぶ写真で、案の定、無数の女達の情事を撮ったものだった。


 テーブルの上に広げて、写っている顔を確認する。


 女達のほとんどは見知らぬ顔だったが、数枚にあきづき呉服店で会った浮気妻が写っていた。


 彼女らと共に写っている男達の内、何人かは顔の部分を切り取られている。

 東城がその内の一人を指さして「元川だ」とささやいた。


「この体格、体毛の濃さ、おそらく間違いないだろう。解せないのは何故この写真が置き去りにされているのかということだ。書いてあるとおり、これは三村達の金づるそのもののはずだ」


「其ノ二と其ノ三もありましたよ」


 美耶子が声をあげ、同じような封筒を二つ持って来る。


 田所はうなりながら写真を封筒に戻し、東城に差し出しながら辺りを見回した。


「他の場所に複製があるのかもしれないが……ひょっとしたらもう、用なしということなのかも知れないな。

 三村はそもそも殺人事件の関連で銀座を逃げ出している。昼間元川が起こした騒動の報せを聞いて、これ以上東京にいるのは不可能と判断したのかもしれない。警察の追跡を恐れ、浮気妻達への強請ゆすりも足がつくことを忌避して諦めた……」


「だとしたら急いで追わんと身を隠されてしまう。どこから逃げたのか? 私が思うに」


 右手の人さし指を立てた東城が推理を披露する前に、田所が部屋の隅にあった机をいくつか押しのけた。


 出現する穴に、東城が目を細める。


「……何故分かった?」


「さっきかがんだ時に見えたんだが……」


「じゃあさっさと報告したまえ! 行くぞ肉袋君!」


 つかつかと寄って来る東城と美耶子に、田所は肩をすくめて穴に飛び込む。

 巨体が抜けるには少々狭すぎたが、身をゆすって苦労しながら下に落ちる。


 中二階に降り立つと、同属の死骸を食っていたネズミが短く鳴いて逃げて行った。


 月光がそこかしこから差し込み、玄関側よりはるかに視界が良好だ。


 田所は前に進み、東城と美耶子が降りて来る音を背後に聞きながら周囲を素早く観察する。


 ネズミの死骸の一つが、女の靴底の形に押しつぶされ、床に張りついていた。





「いてっ、てっ、足切った」


 素足で歩いていた三村が、石くれを踏んづけて飛び跳ねる。


 中二階を進み、何度か角を曲がった。小さな階段を下った先には、吹き抜けのホールが広がっている。


 三村が、一階に後から降りて来る美津と万佐を振り向くと、美津が自分のかばんを開け、中から雪駄を取り出して差し出した。


 雪駄は三村の足にぴったりと合う。「気が利くねえ」と微笑みもせずに言い、三村は巨大な月光の柱の中へ踏み入った。


 頭上には円形にくりぬかれた天窓があり、鳩の死骸が引っかかっている。


 光の中に落ちた鳩の影を踏みながら、美津が小声で言った。


「足音が聞こえなくなりましたね」


「油断大敵だ。このへんは石材を多く使ってるから玄関側より足音が響かないんだ。……なあ美津、お前、俺に一生ついて来る覚悟があるか?」


「もちろんですわ。社長のお供なら、どこにでも参ります」


「俺がお前にれ込んでるのは、お前が美人で頑丈だからだ。俺は不安の多い人生を送ってきたからさ、時々思いっきり女を抱きしめないと精神が病んじまう。

 全力で締め上げても怪我をしねえ女が必要だった。だからお前がうちの社員になりたいって言ってきた時、口説き落として愛人にしたんだ。柔術の経験アリって言ってたからな」


 三村が、ホールを進みながら後ろを振り返った。薄笑みを浮かべた美津と、居心地の悪そうな万佐の顔がある。


 三村の穴のような目が、美津だけを見た。


「名探偵ホームズに憧れて、女だてらに探偵社の戸を叩いた。小説の絵空事を真に受けた夢見るお嬢ちゃんは、今も夢想の中に生きているのかな?」


「いいえ、社長。社長に見初みそめられた今は、ホームズの役は社長にお譲りしようと思っています。私は、アイリーン・アドラー役を希望しますわ」


「アイリーン……って、ホームズを唯一出し抜いた女じゃねえか。俺を裏切るのか美津」


「ホホホ、アイリーンがホームズに惚れていれば、きっと似合いの夫婦になったでしょう」


「……まあ、社長はこれから探偵をやめるけどね」


 ぽつりと言った万佐を、三村と美津が足を止めて見た。万佐はあわてて視線をそらし、自分の頭を叩いて「なんでもない、なんでもない」と笑みを浮かべる。


 三村は再び前へ足を踏み出しながら、フンと鼻息を噴いた。


 両耳に手をあて、口を開く。


「まあ、いい。美津、お前は小説と現実の区別もつかないガキだったが、俺の精神をその体で長年なぐさめてくれた。俺のあこぎなやり方に口も挟まず、浮気妻の脅迫に協力したりもしてくれた。女だからこそ分かる、女の傷つけ方ってやつも教えてくれた。

 俺もホームズは嫌いじゃねえ、お前が必要なら、もうしばらくお前のために名探偵を演じてやっても良い」


「本当ですか? 私が社長に惚れているのは、昔から……」


「これが目当てなんだろ?」


 三村がホールの端で、不意に左側の壁に張りついた。


 三人の進行方向はT字状になっており、灰色の石壁の手前で廊下が左右に分かれている。


 顔を見合わせる美津と万佐。三村がずりずりと壁に背をつけて移動すると、やがて、廊下の右奥が彼の視界に入ってくる。



 道の真ん中にたたずむ高岡に、三村は鹿撃ち帽の奥で、目を細めた。


「俺は名探偵。お前がいることは分かってたぜ。さっき、そっと唾を飲み込んだろ」


「……耳が良いだけじゃないですか。名探偵とか、関係ないですよ」


「じゃあ名探偵の名推理を聞かせてやろう。高岡、お前なんでここにいる? お前が出て行った後、階段を転げ落ちる音がしたぞ。お前は携帯電灯を部屋に忘れて行ったから、一階から視界の利く裏口を目指したはずだ。

 となると、俺達よりずっと早く建物を出ているはずだ。部屋の抜け道は非常用だから、裏口までえらい回り道になるんだよ」


「……」


「お前はわざわざ俺達の方へ戻って来たんだ。で、廊下で待ち伏せてた。何でだろうな? 宝石がもっと欲しくなったのか? 違うね。だってお前の手には何故か、拳銃がない」


 三村が手にした杖を水平にして、息をついた。壁に背をつけたまま、おもむろに顔を横に向ける。


 高岡が立っている方とは逆側の廊下から、わずかに呼吸の音が聞こえてきた。


 三村が、後方で緊張している美津と万佐を一瞬だけ振り返る。


 すぐに顔を戻すと、ごくりと唾を飲み込んでから、言った。


「大丈夫だ。違う。俺が恐れている相手なら、高岡は今頃生きちゃいない。お前は違う。違うはずだ」


 三村が、違う、違うと、祈るように小さく繰り返す。



 ……ややあって、ハットをかぶった男が、壁の向こうから顔を出した。


「何の話だ」


 言葉と共に、銃口が三村に向けられた。


 三村は仕込み杖を抜き放ち、上体をのけぞらせながら投擲とうてきする。


 距離が近かったこともある。だがそれを踏まえても信じがたいことに、細長い仕込み杖の刃はすぽっと拳銃の銃口に飛び込んだ。


 衝撃に吹っ飛んでいく拳銃が壁に当たり、仕込み杖と共に転がる。

 唖然とする高岡とハットの男の前で、三村自身も驚きながら後方へ跳んだ。


「す、すげえ! 大当たりだ! 信じられねえ! 神様仏様!」


「うわあーッ!」


 隙を突いて、高岡が逃げ出した。三村も美津と万佐に「戻れ!」と叫び、元来た道を走り出す。


 ハットの男は一瞬の驚愕の表情をすぐに収め、取り落とした拳銃から、仕込み杖を引き抜く。


 ゆっくりと振りかぶると、それを、高岡が逃げた方向に向かってもりのように投擲した。


 壁の向こうから、高岡の絶叫が響き渡る。


 三村は一瞬高岡が殺されたのかと思ったが、転倒の音の後も止まない高岡のわめき声と、こちらへ靴先を向けるハットの男に否と判断した。


 ハットの男が、早足で向かって来る。


「罪の代償だ。足の一本ぐらいでわめくな」


 高岡に向けられたのだろうその言葉に、三村は全速力で美津と万佐を追った。

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