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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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無名探偵(棚主) 五

 三村は美津と呼んだ女をしばらく抱きしめていたが、やがて喉をのけぞらせると、彼女の肩を押して床に倒した。

 ぜいぜいと息をする愛人を放置して、三村は立ち上がる。


 素足でぺたぺたと床を歩くと、ワインが一本だけ置かれたテーブルに近づき、それをじっと見つめた。


「飲むか、高岡?」


「ええ、確かに一杯やりたい気分です」


「女は?」


 問われて高岡は、床に倒れたままの美津を見る。顔をしかめると、三村の顔を睨んで言った。


「あいにくメスブタにまたがる趣味はないです」


「正直だな。お前が正直なのは、悪い兆候だ。同僚の元川相手ならともかく、俺に正直にモノを言う時は、お前はいつもあせってる。余裕がなくなっている証拠だ」


 三村はワインを右手の人さし指と親指でつまむと、持ち上げて高岡の前に差し出した。「開けてくれ」と言う三村に、高岡はワインを受け取り、栓を歯ではさんで抜く。


 美津が「下品な開け方」と床で吐き捨てるようにつぶやくのを無視し、高岡はコップを探して周囲のテーブルを回り始める。


「部屋の無駄遣いですよ。テーブルの上に物を一つしか置かないなんて」


「美津の趣味だよ。それより高岡、元川は誰に、なんで襲われたのかな?」


 高岡は小さなかめの置かれたテーブルを見つけると、瓶の中を覗き込み、取り上げた。瓶にワインを注ぎ、三村の元へ戻りながら答える。


「よく分かりません。俺が社長に定期報告をしに出ている間にやられたみたいです。隠れ家を飛び出して、裸で町を走り回り、通行人を殴って銃を撃った。その後、火の見やぐらでぶっ倒れてるところを捕まったようです。……元川さん、足をベルトで縛られて大怪我してたって。真山のヤツが」


「ちょっと待て。元川は、まあいい。隠れ家の方は、今どうなってる?」


「……警察が来てますよ。運の悪いことに、その……」


 高岡は言いよどみ、三村に瓶を差し出す。三村は受け取りながら、唇を剥いて歯をかりかりとこすり合わせた。


 高岡は、うつむき、観念して答える。


「元川さんが、女っ気がないって騒ぐもんですから。ちょっと町で引っかけた女を、その、飼ってたんですけど……そいつも、警察に保護されたみたいで」


「女? 飼ってた? 娼婦か?」


「いえ、ただの……家出娘です。仕事で詰めてる間、退屈だから……二人で、遊んでたんですけど……」


「遊んでた? 合意のもと?」


「……いえ……嫌がって暴れたんで、殴って、縛って……そのまま、その……隠れ家の……」


「なァるほど! 玩具にしてたわけかあ! お前らも男だもんなあ!」


 声高に笑う三村に、高岡はすかさずワインを握った腕を顔の前に構えた。


 瓶を叩きつけられると思ったのだ。だが、次の瞬間高岡を襲ったのは、床から立ち上がった美津の膝蹴りだった。


 むき出しの腹に、骨の浮いた膝が叩き込まれる。ひしゃげる胃に高岡がうめくと、美津はそのまま高岡の髪をつかみ、拳を左目に叩きつけた。


「てっ、てめえ! ……!」


 反撃しようと振り上げた高岡の腕を即座に美津が取り、そのまま柔術の技で投げ飛ばす。


 テーブルを巻き込み、悲鳴を上げて床に叩きつけられる高岡に、瓶からワインを飲む三村が低い声を放った。


「高岡、この瓶、青磁せいじと言ってね。ものすごく高価な高麗こうらいの美術品なんだよ。知らなかった?」


 床でうめく高岡の股間を、美津が靴のかかとで踏みにじった。

 まるで女の子のような声を上げる高岡の整った顔に、美津が笑顔で唾を吐く。


 高岡の持っていたワインは床に砕け散り、四散している。そのぎやまんの破片を拾い上げて、三村が、不意に絶叫した。


 高価だと説明したばかりの青磁の瓶を床に叩きつけ、ぎやまんの破片を握り締めて血を流す。


「莫迦じゃねえのォ高岡ぁ―ッ!! それじゃお前らの隠れ家に行った警察は婦女誘拐暴行の現場を押さえたってことじゃねえか! 何回ヤった!? ねえ何回ヤったの!?」


「し、社長……!」


「嫌がる女を暴力で監禁二人がかりで獣欲のはけ口にするって最っ低の下策じゃねえか! 俺のやり方見てなかったのか! 女を奴隷にするには弱みを握らなきゃダメなんだよ! 恥ずかしくて後ろめたくて警察に頼れませんって状況を作って初めて女を好き勝手できるんだよ!

 お前らのやり方じゃ、女は警察に涙ながらに全部話すぜ! そしたらお前らの上司である俺まで標的にされるじゃねえか! どうすんだよ高岡! どうしてくれるんだよ!!」


 三村は自分で握り締めたぎやまんを見て悲鳴をあげ、手を振ってそれを床に落とすと、高岡を踏んでいる美津に突進した。


 愛人の胸に顔を埋めながら、高岡を蹴りまくる。


 そうして彼らが狂態をさらしていると、不意に部屋の扉が開き、男が一人、入って来た。


 三村がぴたりと動きを止め、そちらを見る。


 男は腹の突き出た大柄の男で、コートをまとい、ステッキ(洋杖)をつきながらふうふう息を吐き、歩いて来る。


 三村探偵社に吉原の茶屋を提供していた、万佐だった。

 三村が美津を放し、万佐に問いかける。


「万佐、何だ? また悪いしらせか?」


「また?」


 万佐が立ち止まり、虫の息の高岡を見た。顔をしかめると額の汗をぬぐい、首を振る。


「いやね、社長に貸してもらった金で、新しい商売ができそうなんだよ。銀座の寄桜会ってヤクザが、資金繰りに困ってびるぢんぐを売りに出しててさ。

 元々客を下着姿の女給と遊ばせるダンスホールとして開いてたみたいで、買い取ればそのまま常連客を取り込める。びるぢんぐの買い取り価格に多少色をつけりゃヤクザに貸しを作れるし、いい商売になると思ってさ、社長に相談をと思ったんだけど……」


「寄桜会って、銀座で一番落ち目の組織じゃないか。今にも別の会に潰されそうって連中だぞ。そんな連中に貸し作ったって回収できないだろ、万佐……お前は、本当に……本当に商売の才能がねえな!」


 危機的状況で下らない話を持ってきたいとこ・・・に、三村が八つ当たり気味に高岡を蹴りつける。


 万佐は顔を引きつらせ、「ご機嫌ななめだね」と目をそらしながら懐をあさった。


 太い指が取り出したのは『サクマ式ドロップス』の赤い容器で、カラカラと振りながら中身を取り出すと、万佐は宝石のようなドロップを口に放り込む。


 美味そうに舌で転がすその表情に、三村は深く息をついてそばのテーブルに腰を下ろした。


「頼りにならない男ばかりだ。なんでこんなことに……俺は決して無能な人間じゃないのに、表の社会にいた頃も、探偵になってからも、人に足を引っ張られてばかりいる。頼りになるのは女のお前だけだ、美津」


「社長、とにかく対策を考えましょう。さしあたり今の問題は、高岡達がしでかした婦女監禁および暴行を警察が捜査しているということですわ。これは社長の知らぬことですから、元川と高岡に至急責任を取ってもらいましょう。

 犯人さえ差し出せば、警察が他の案件……浮気妻をはじめとする依頼人への脅迫にまで勘付くことはないでしょう。高岡、隠れ家の写真は回収してきたんだろうな?」


 美津の言葉に、高岡は床に這いつくばったまま沈黙した。


 他の三人の視線が、彼に集中する。高岡は体を丸め、さらなる蹴りに備えながら口を開く。


「真山を使って、回収させようとしたら……既に、なくなってたと……」


「は?」


 美津と三村が、同時に声をもらした。高岡は脂汗を流しながら、続ける。


「待ってくれ、これは俺のせいじゃない……社長、よく考えてください。確かに俺と元川さんが勝手に家出娘を飼ってたのは悪かった。でも、そもそも元川さんが襲われたのは別の理由からだったはずです。家出娘は、地方から一人で上京したと言ってた……彼女を助けるために誰かが元川さんを襲ったなんて、考えられますか?」


「考えられないこともない。お前らがやったのは、それぐらいずさんな犯行なんだよ」


「元川さんが隠れ家を飛び出して、警察が来るまでの間に写真はなくなってるんです! 襲撃者が元川さんを締め上げて、寝台の裏の写真を持ってったに違いない! 敵は浮気妻に関係あるヤツですよ!」


 叫ぶ高岡に、三村は長い髪を揺らしながら屈み込む。


 髪の間から、穴のような目が、高岡を見た。


「なあ、高岡……お前、部屋に入って来た時、上着を脱いでたな。背広、血まみれだった。お前が留守の間に元川が襲われたのなら、なんでお前が血を浴びてんだ?」


「……」


「……真山は……どうした?」


 ささやくような三村の声に、高岡は少し間を空けて、目をわずかにそらした。


 それを合図に、三村が高岡の首をつかみ、嵐のように殴打する。


 美津と万佐が飛び退き、体をかばった。三村は骨のような体からは想像もできないような勢いで、高岡の整った顔を変形させていく。


「莫迦かてめえ莫迦かてめえ莫迦かてめえッ! いったい俺の下で何を学んでやがったんだ!! デカを手にかけたら終わりだってことも分かんねえのかクソガキがぁ!!」


「社長! もう気を失って……!」


 止めに入ろうとした美津を、勢いあまって三村が拳の裏で叩いた。声を上げて床に尻をつく美津に、はっと三村が我に返る。


 頬を押さえている美津に、三村は「ああー」と悲しげに声を上げながら這い寄る。


 高岡は血を流しながら、泡を吹いていた。


「ごめんよぉ美津ぅ、そんな気じゃなかったんだ……高岡のクズが俺を激高させるからあ……大丈夫だったかい、痛かったろお」


 三村は美津の頭をなでながら、涙を流す。


 美津はそんな三村に、震えるように微笑み……その後頭部から生える髪を、無造作につかんで引き上げた。


 「うおっ!」と声を上げて喉をのけぞらせる三村を、美津が叩く。頬を数度平手で打ってから、「ふざけんなよ」と男のような声で凄んだ。


「大丈夫なわけねぇだろ! お前らのきたねぇツラと違って大事な商売道具なんだよ! 他の場所はまだしも顔だけは大事にしろっていつも言ってんだろうが!」


「ああぁごめんよ美津ぅ、気が済むまで殴っていいから捨てないでおくれよぉ」


 激高した美津の口汚い台詞と、三村のすがるような声に、万佐は顔を引きつらせて数歩後ろに下がった。


 平手の乾いた音がするたびに、彼の肩が小さく跳ね上がる。


「……何か知らないけど、差し迫った状況なんじゃなかったのかね……」


 冷静な人間が他に誰一人いない室内で、万佐は口の中のドロップを、極力音を立てないように噛み砕いた。

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