無名探偵(棚主) 一
数時間前、ハットの男はあきづき呉服店の主から電話を受けていた。
主と面識はない。ただ、彼の呉服店は知っている。
行きつけの旅籠、木蘭亭の窓の外にいつも見えているからだ。
主は電話口で、その木蘭亭の女将の紹介だと告げ、至急会いたいと言って来た。
女将の顔を立て、ハットの男はすぐにあきづき呉服店へ向かった。
途中見覚えのある、明らかに真っ当な人種ではない面構えをした老人とすれ違いながら、彼は店の中へ入って行く。
店員に通された洋間では、既に厳しい顔をした中年の主が待っており、椅子に彼の妻と思われる、若い美女が座っていた。
主はハットの男に挨拶をすると、店員を追い出し、洋間に鍵をかけた上で事情を話した。
自分が商売のために遠方へ出張している間に、店を任せていた番頭と妻の間に過ちがあったらしいこと。
最初はそのことに気づかなかったが、帰宅後、妻の様子がみょうによそよそしいことが気になり、浮気の疑いを持ったこと。
真偽を確かめるため、新聞に広告を出していた三村探偵社に、妻の素行調査を依頼したこと。
十日後、探偵社から妻の詳細な、それでいて完璧な生活記録が提出され、疑いが杞憂であると告げられ大いに恥じ、安心したこと。
主はそれらを早口で話すと、椅子に座ったままの妻に近づき、そのむっちりとした体を抱いた。
妻の方は目をつぶり、夫をしっかりと抱き返している。主は窓際に立つハットの男に厳しいままの表情を向け、言った。
「しかし妻のよそよそしい態度は日増しに酷くなり、しまいには私の目もまともに見なくなりました。そのくせひんぱんに小遣いを欲しがり、顔を背けたまま甘えてくるのです。
結婚以来、遊ぶ金を欲しがったことなどない妻でした。絶対におかしい、そう思い、私は三村探偵社に再調査を依頼しようとしましたが、彼らは何故か妻は潔白だと繰り返すだけで取り合わないのです。
それどころか何度も自分の妻を調査させるのは男らしくない、恥ずかしい行為だと説教までされました」
ハットの男は窓の外を眺めながら、胸元の蝶ネクタイをいじっていた。
顔を向けず、低く「ぐるだったんですね」と声を返す。
主は妻を抱きながら、少し迷うそぶりを見せてから、うなずいた。
「ある意味では、そうです。三村探偵社は妻の浮気を突き止めていながら依頼主である私に黙っていました。しかし……それは自分達が妻を脅し、口止め料をせしめ……体を、むさぼるためだったのです」
苦しげな声で言う主を、ハットの男が振り向いた。
背広のポケットに両手を突っ込み、首を傾けて言う。
「あなたに浮気を黙っておく代わりに、奥さんに金と体をよこせと言っていたわけですか。奥さんはそれに応じていたから、小遣いが必要だったと」
「……妻は、ずっと苦しんでいたようです。ある晩遅くに帰って来て、突然全てを打ち明けました。失望しましたし、憎くもありましたが……罵倒している間、もうどうにでもしてくれとばかりに呆けている妻を、それ以上責めることもできませんでした。
妻はすでに十分罰を受けている。違いますか」
同意を求められ、ハットの男は主の妻を見る。
彼女は夫にしがみついたまま、低くうめいていた。形の良い目鼻が、羞恥にしわくちゃに歪んでいる。
主は妻の頭をなで、着物の袖で顔を隠してやりながら続ける。
「三村探偵社は、妻と姦通していた番頭も別口でおどしていたようです。ヤツは口止め料を払うため、店の金に手をつけていました。警察に突き出してやろうかと思いましたが、妻の浮気の事実が世間にもれる危険は犯したくありませんでした。
番頭はクビにして叩き出し、私は妻を守るために三村探偵社に口止め料を払い続けました。ただし、二度と妻を慰み者にはできません。三村探偵社の人間と直接会わせることだけは避けていました」
「問題を先送りしているだけですな。いずれ口止め料が払えなくなれば、結局やつらは奥さんの体の方を要求してくる」
「……おっしゃる通りです。いつまでもこんなことは続けられません。事実口止め料の額は莫迦にならず、店の経営にも支障が出てきました……それで、つい木蘭亭で飲んでいる時に……ふだんは別の店で飲んでいるんですが、酒代も節約しなければなりませんからね、値段の安い木蘭亭で飲んでいる時に、悪らつな探偵につきまとわれて弱っている、とこぼしてしまったんです。すると女将さんが」
「私を紹介した、と。しかし探偵に搾取されている人に探偵を紹介するとは、女将さんも無茶なことをする」
「狂犬を退治するには猟犬を使うのがいっとう(一番)良い、探偵をこらしめるには探偵を使うのが一番だと……そう言われました。
あなたは腕も良いし、義理堅く秘密を守る人だと。それに、その、とても手が早いとも」
「それでも、よく私を雇う気になったもんだ。三村探偵社と同じようにあなたを裏切るかも」
ハットの男の言葉に、主はすがるような目を向けてくる。
「その時は、もう諦めます。警察に頼れば妻の浮気も露見するでしょうが、これ以上どうしようもありません。
ですが……できるならば、妻をこれ以上不幸にしたくありません。愚かで、莫迦な女ですが、長い出張で寂しい思いをさせてきたのも事実です。それに私が三村探偵社を利用しなければ、妻が辛く恥ずかしい思いをすることもなかった……」
「違う! 私が全部悪いんです! あなたを裏切って……留守をいいことに、他の男と……!」
着物の袖の奥から叫ぶように言う妻を、主は抱きしめる。
ハットの男はあごをなでながら、「誰が悪いかはそちらで決めてもらうとして」とわずかに口端を持ち上げて言う。
「具体的な指示を頂きましょうか。事情は分かりましたが、結局私は何をすればいいんです? 三村探偵社の人間を痛めつけて、病院送りにでもしてやりますか」
「頼もしいお言葉ですが、依頼は復讐ではありません。そもそも妻が連中の言うことを聞かざるを得なかったのは、番頭との浮気の証拠を握られていたからです。
妻が番頭の家で、番頭と一緒に布団に入っている現場を写真に撮られています。その写真を取り戻して欲しいのです」
「写真……複製されていたらやっかいですな」
「どうか、最大の努力をお願いします。証拠さえなければ妻の浮気の過去は消えます。これは……次回三村探偵社に払うはずだった口止め料ですが……」
妻から手を離し、主が懐から、封筒を取り出して差し出す。
ハットの男は受け取った封筒の中を確認し、顔をしかめた。
主と妻は不安そうな顔をするが、ハットの男は封筒をポケットに突っ込んで、言う。
「庶民にとっては大金だ。女性からこんな額をふんだくった上に抱かせろとは、ずうずうしいにも程がある」
「それでは」
「引き受けましょう。連中とはどうやって連絡を取り合っているんです?」
「全てお話します。連中は今、代々木練兵場の近くに潜んでいるはずです……どうか、どうか宜しくお願いします。棚主さん」
頭を下げる主夫婦に、男はハットを取った上で、礼を返した。
「――写真の奪還だけで済ますにはゲスに過ぎるな。やはり病院送りもつけてやる」
あきづき呉服店でのやりとりを思い返しながらそうつぶやいたハットの男が、気合と共に元川を追って平屋の屋根に飛び降りた。
木板がきしみ、一抱えほどもある重石がわずかに屋根を滑る。
前を走る元川は長身のくせに身軽で素早く、一メートルほどを跳んでさらに隣の家の屋根に渡る。
着地した場所の瓦がずるずると流れ、一つが地面に落ちた。
逃げる元川を追って、ハットの男もまた、屋根から屋根へ飛び移る。
恐怖に絶叫する元川の声が、空砲の音にまぎれて耳に届く。
三村探偵社の調査員、元川五助。こいつがネズミのような特徴的な面構えをしているおかげで、潜伏先のアジトを突き止めることができた。
安い菓子を土産に失踪人として『ネズミのような顔の大男』の聞き込みを行った途端、すぐに周囲の家の住民が情報を提供してくれた。
尻を半分出してうろつく大男が、口止め料の受け取り場所のすぐそばの空き家に住んでいると。
空き家の管理人として派遣されたと言っていたそうだが、嘘に決まっている。
ハットの男は元川と違い、瓦を一つも落とさずに屋根に着地した。
その目は猟犬のように、元川の毛の生えた背中をまっすぐに睨んでいる。
ぎやまんの割れる騒々しい音に、丘にいた田所達が一斉に立ち上がった。
屋根の上を、誰かが走って来る。木板を騒々しく鳴らし、屋根から屋根へ飛び移る影が、二つ。
屋根から滑り落ちた瓦が、音を立てて地面に砕け散る。
先に行く影を追い、空中を跳ぶ男の姿を見た瞬間、田所の口が無意識に言葉を吐き出していた。
「『ハットの男』!」
「追えッ!!」
東城が田所のわきをすり抜け、美耶子と、ミワさんと共に走り出す。
田所もすぐに後から続き、草を蹴りながら東城に叫んだ。
「おい、いいのか!? しげみを見張ってないと……」
「追われてる方は三村探偵社の社員だ! 元川五助! 『直立歩行ネズミ』だ! 何が起きてるか知らんが逃がすとまずい!」
田所は目を見開き、屋根の上に再び視線をやった。
元川はネズミと言うよりは猿のように器用に屋根を飛び越え、あまどいに飛びつき、建物を超えて行く。
それを追うハットの男の動きも相当なものだ。元川ほど身軽ではないが、多少ルートを代えながらもしっかりと屋根の上を追跡している。
建物群に駆け寄りながら、田所はハットの男の横顔を遠目に見た。
元川を追う形相は、一目見てそれと分かるほど殺気に歪んでいる。
人殺しの目だ。直感的にそう悟った。
元川の向かう先をある程度予測し、側面から路地に侵入する。
若い東城達と、足で稼ぐ記者のミワさんに中々追いつけず、田所は最後尾から東城へ声を放つ。
「危険だ! 不用意に近づくな! やつら様子がおかしいぞ!」
「だ、そうだ肉袋君! 抵抗したら容赦なく殴れ!」
「がってんでい!」
東城と美耶子のやりとりに「莫迦かッ!」と吐き捨てるように叫んだ直後、田所の頭上を影が通り過ぎた。
顔を上げると、追われている方、即ち元川が転がるように長屋の上を駆けている。
元川は長屋の端までたどり着くと、すでに尻が丸出しになるほどずり下がっていたズボンを素早く脱ぎ払い、長屋に隣接している煉瓦造りの建物の窓に押し当てた。
直後にズボンの上から拳を叩き込み、窓を割る。そのまま腕を突っ込むと、窓の鍵を開けて、建物の中に侵入した。
普段やり慣れているとしか思えない、鮮やかな手並みだった。
ハットの男もすぐに窓にたどり着き、後を追う。
「あの建物に入ったぞ!」
「玄関はどこだ! 向こう側か……いや待て!」
建物の向こう側に回ろうとした東城が足を止めた直後、再び窓が割れる音がして、玄関とは別方向の窓から元川が飛び出していた。
ズボンを履く暇も惜しんで逃げる元川は、全裸だ。しかし割れたぎやまんで足を切ることを警戒してか、抜け目なく建物の中で見つけたらしい雪駄を履いている。
建物内から悲鳴が上がらないところを見ると、住人は留守なのだろう。
元川に続いてハットの男も同じ窓から飛び出して来る。
路上を走り出した元川達を追いながら、ミワさんがぜいぜい息をしてあえいだ。
「け、獣かあいつら! 跳んだりはねたり……つ、ついて行けねえ……!」
「疲れたならそこで寝ていたまえ! どうせ記者などいても役に立たん!」
辛らつな東城の台詞に、ミワさんは「ちくしょう!」と歯を剥いて力を振りしぼる。
元川が行く先には通行人がいるらしく、「うわっ!」だの「きゃあ!」だの悲鳴が聞こえてきた。
街中を全裸で疾走する男がいれば、取り押さえようとする者もいるかもしれない。
田所がそう思った瞬間、一際高い悲鳴が上がった。全速力で角を曲がると、走り去ろうとする元川のすぐ後ろに若い男が倒れている。
倒れた男の手を握る少女が「あいつが殴ったのよォ!」と元川を指している。
目を剥く田所と東城達の前で、ハットの男が元川の背中めがけて飛び蹴りを放った。
振り返りかけた元川が肩で蹴りを受け、つかんでいたズボンを放り出し、飯屋の看板を巻き込みながら板戸に突っ込んだ。「うげっ!」と悲鳴を上げる元川に、ハットの男が息を整えながら歩み寄る。
彼らにようやく追いついた田所達が、騒ぎに集まってきた数人の野次馬の間を抜け現場に立ち入る。
だが、直後、元川に近づこうとするハットの男に「動くな!」と声を向ける者がいた。見れば、野次馬を押しのけて軍服姿の男が二人やって来る。
その内の一人は、なんと拳銃を構えていた。
演習中の練兵場が近くにあるのだから軍人がいても不思議はないが、街中で堂々と火器を出すのはさすがにやり過ぎだ。
野次馬がくもの子を散らすように屋内に逃げ込み、先ほど元川に倒された男と、寄り添っていた少女が取り残される。
ハットの男に銃口を向けながら、軍人達が前に出て行く。
その射線上のすぐわきには、倒れた男と少女がいる。
とっさに少女の方へ駆け出す東城と美耶子が視界に入った瞬間、銃を持った軍人が彼らに「動くなと言っている!」と怒鳴った。
田所は立ちすくんでいるミワさんより少し前に出て、軍人二人の様子をうかがった。中年の軍人達だが、あまり地位の高い人間ではないらしい。
大日本帝国の現役軍人の割には服が小汚く、髭も伸び放題だ。体つきも、妙にたるんでいる気がする。
彼らに怒鳴られた東城はその場に立ち止まったが、美耶子は足を止めない。
倒れた連れを引きずろうとしている少女に駆け寄り、手を貸そうとする。
軍人の銃口が美耶子に向けられた時点で、田所は悟った。この二人は、現役の軍人ではない。おそらく退役済みの元軍人だ。
彼らがたやすく民間人に向けた銃は、軍の正規の装備ではなかった。
外国製……おそらく、亜米利加の銃だ。
個人で手に入れたと思われる銃を振り回す彼らが口を開くと、とどめに風に乗って酒の臭いが漂ってくる。
演習に参加せずに昼間から酒を食らっている彼らが、軍の規律に縛られた存在であるはずがなかった。
「こら! 女のくせに兵隊様に逆らうか! 貴様! 我々はそこの、天下の往来を裸で走り回り帝国の風紀を乱す痴れ者をこらしめるべく勇猛果敢なる態度で……」
「だったら私を狙わないでよ!」
「そうだ、下手人はそっちだぞ」
さりげなく美耶子と銃口の間に入った東城を、拳銃を持っていない方の軍人がいきなり殴った。
右の頬を打たれた東城は腰を折るが、田所にされた時のようには倒れない。
地面に血の混じった唾を吐きながら「よく殴られる日だ」とうめく。
田所は見かねて軍人達を抑えようとしたが、同時に軍人達も東城達にそれ以上構わず、ハットの男と元川の方へつかつかと歩いて行く。
美耶子は一瞬、彼らを射殺すような凄まじい形相を浮かべたが、かたわらの少女に急かされて仕方なくそのまま倒れている男を引きずって行った。
妙な展開になってきた。軍人達はまずはハットの男の足を蹴り、元川から引き離す。
銃を持った軍人は元川を狙いながら様子を調べ、もう一人の軍人はハットの男をじろじろ見ながら尋問を始めた。
「名前は!」
「鴨山正一」
「そこの変態との関係は!」
「全裸で走り回っていたから取り押さえようと。人を殴っていたし」
「勇敢だな! 気に入ったぞ! 軍に入らんか! 我々は日露にだけ参加した戦時義勇兵だが、日常に戻っても戦場が忘れられなくてな! こうして練兵場の近くで戦のにおいを嗅いでおる! 一緒にこの全裸男を突き出して勲章をもらおう! お前が取り押さえたと証言してやるぞ! がはは!!」
場違いな台詞を言いながら笑う軍人の顔は、改めて見るとゆでだこのように真っ赤だ。
ハットの男と田所は、離れた位置にいながら同時に顔をゆがめていた。こんな連中に関わっている場合ではないのだ。
突然、東城が「伏せろ!」と叫んだ。直後に銃声が響き、弾丸が田所の腕をかすめる。
元川を調べていた軍人が、その元川に殴打されていた。立ち上がった元川の手には軍人が握っていた拳銃があり、その銃口からは、煙が立ち上っている。
後方で、ミワさんのうめき声が聞こえた。だが、田所は振り向かない。
握った新聞紙の塊を手に、元川に突進した。ハットの男も目の前の軍人を突き飛ばし、元川に走る。
東城だけがミワさんの方へ走り、田所とすれ違う。
元川は向かって来る敵二人に、倒した軍人の頭に拳銃を突きつけながら叫んだ。
「寄るな! こいつを撃つぞ!! 俺を……」
台詞が終わる前に、ハットの男の靴底が元川の顔面にめりこんでいた。
元川は、銃の扱いには慣れていないらしい。彼の握る拳銃は撃鉄が起こされておらず、次の弾を発射できる態勢に入っていなかった。
だが元川は地面を転がりながらも、敵が躊躇なく襲ってきたことでそれに気づいたのだろう。
今度こそガチリと音を立てて撃鉄を起こし、銃口を振り上げる。
「てめえ!!」とハットの男に向かって引き金を引く。その指が、次の瞬間、抜刀と共に振り上げられた田所の刃に斬り飛ばされていた。
人さし指の先端とともに、中指が根元から切断され、その衝撃で銃の狙いがそれる。
弾丸は地面に命中し、拳銃も支えを失って地に落ちた。
激痛に絶叫する元川を、田所が抜き放った日本刀の柄で叩き伏せる。
巨漢の田所に合わせて作られた日本刀は、通常の物よりも長く、重い。
こめかみを打たれた元川は地面に倒れ、長いうめき声をもらした後、おとなしくなった。
「――ミワさんは!?」
日本刀を新聞紙で拭い、納刀しながら田所が叫ぶ。
倒れたミワさんのもとに、東城と、いつのまにか戻って来た美耶子が屈み込んでいて、何やら処置をしていた。
田所はすっかり萎縮してしまった軍人達と、ハットの男を見る。
ハットの男は田所に何を言うでもなく、黙ってミワさんの方へ向かってあごをしゃくった。
行ってやれと言っているのか。田所は少し迷ったが、地に落ちた拳銃を拾ってベルトの隙間に差し込み、ミワさんの方へ走った。
ミワさんは顔面蒼白になって、右の腋の下あたりから血を流していた。
がたがた震えながら、田所を見るとうっすらと口端を持ち上げる。
「じいさま……撃たれちまったよ……」
「ミワさん」
「『真実』は……墓前に、報告するように……」
ミワさんの頬をつぅ、と涙が伝った。
直後に東城が、無言でミワさんの傷口をぐりっ! と指でえぐる。
凄まじい形相で絶叫するミワさんの腋から、弾丸らしきものがぽろりと落ちた。美耶子がそれを拾いつつ、向こうで腰をぬかしている軍人達を睨む。
「見てこれ。ひっどい粗悪品。弾の金属を限界まで節約して作ってあるから、撃った瞬間ほとんど砕けてバラバラになってるよ」
「被弾したというより、かけらが当たったという状況だな。ミワさん、これじゃ死なんよ。真実には自分でありつけ。……とりあえず、傷口を焼いておこう。それを貸してくれ」
東城が田所の拳銃を指さす。手渡すと、弾丸を一つ抜き、火薬を取り出し始めた。
東城はそれをミワさんの傷口にまぶし、火をつけるつもりらしい。
田所は抵抗するミワさんの手足を美耶子とともに押さえつけながら、「本当に大丈夫なのか?」と問う。
東城は懐からマッチを取り出し、答える前に点火した。ごく少量の火薬が一瞬で燃焼し、ミワさんが悶絶する。
「この東城蕎麦太郎のすることにケチをつけるのか? 私が死なんと言ったら死なんし、死ぬと言えば死ぬのだ。後で医者に見せればいい。肉袋君、ミワさんを連れて行ってくれるか」
「えー、イヤですよ、先生といたいです。ミワさん一人で帰れますよね?」
「貴様ら……!」
震えるミワさんの様子に、田所は苦笑して息をつく。
だが、はっと後ろを振り返ると、瞬時に眉間にしわを寄せて顔をゆがめた。
東城がミワさんの傷口に、美耶子から奪ったバンダナを巻きながら、静かに舌打ちをする。
「あの男、何者なんだ? 追いつけると良いがな……」
ハットの男は、倒れていた元川と共に、その場からこつぜんと姿を消していた。




