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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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人斬り探偵(田所十吾) 三

 嘉永かえい六年の浦賀うらが

 当時少年だった田所はペリー提督率いる四隻の黒船を、悲鳴を上げる群集の中から見ていた。


 亜細亜あじあの片隅でひっそりと鎖国さこくしていた日本に、圧倒的な武力の差を見せつけて一方的に開国を迫る異人達。


 田所はそんな世界の列強の態度に恐怖するではなく、怒りを抱いた男の一人だった。


 この時代、開国とは単に他国と文化的、経済的交流を持つという意味ではなく、世界の覇権争いに否応なく参加することを意味していた。


 強国が、武力で劣る国を積極的に支配し、植民地化していた時代のこと。


 軍艦である黒船に脅された形で開国した日本は、亜細亜に植民地を欲しがる国の格好の獲物だった。


 鎖国によって自国だけで文化と秩序を育んできた日本が生き残るためには、植民地支配をはねのけるだけの、国際レベルの知恵と武力が不可欠だった。


 そのためには海外、特に西洋列強の文化と技術を得る必要がある。


 速やかな、そして効果的な西洋化が、日本という島国には求められていたのだ。


 国を守るために様々な立場の人間が、様々な主張で行動を開始した。

 それはやがて派閥はばつを作り、国内の争いの種へと発展していく。


 それまで国を治めていた幕府と共に国を強化するという者もいれば、弱腰の幕府に任せておいては手遅れになる、倒幕、即ち徳川家を排斥はいせきして幕府を潰し、新政府を作ることによって国の強化を果たすべし、という者もいた。


 この時代に名をとどろかせたのが新撰組や維新志士という人々であり、田所は後者の陣営に身を置いていた。


 ただし、維新志士と言ってもその思想は様々で、一枚岩というわけではない。


 あくまで日本を守るために現体制を変えようとする者もいれば、本心では単に幕府に外様とざまとして虐げられ続けたうらみをぶつけているだけの者もいた。


 さらには国をうれう者の仮面をかぶり、新しい時代のためと民に向かって剣を抜き、命と財を奪う不届き者も志士の活動の最中には発生する。


 田所が後に人斬りと呼ばれたのは、正にこのような連中の存在に端を発していた。


 幼少の頃より父から自分達の名字が入った剣術を叩き込まれていた田所は、その巨大な体躯たいくに似合わぬ素早い剣の一撃で仲間内からも一目置かれていた。


 田所家の剣術は江戸以前の戦国時代に発生した、いわば実戦力である足軽のための剣であり、鎧をまとった相手を殺すための技術だった。


 貴重な名刀ではなく、量産されるなまくら同然の数打ちを使うことを想定したものなので、その技はどれも荒々しい。


 本来刃を傷める未熟者の証拠とされるような刃の打ち合わせ、つばぜり合いのような技法も躊躇ちゅうちょなく使う。


 襲い来る一撃をはね飛ばし、力で屈服させ、鎧の隙間から刃を突き立てる。


 美しく勝つことに一切こだわらない、とにかく敵を殺すためだけの泥臭い剣術だった。


 敵に反撃させずに一瞬で殺す域にまで達しなければ、刀をいくつ持っていても足りない。


 より速く、より猛々(たけだけ)しく。殺人的な所作を極めることだけを目的とした、獣の剣だ。



「その剣で、何人までなら斬れる?」


 後に新政府の中枢ちゅうすうに入ることとなる男が、ある日田所に訊いた。


 まだ若かった田所は「家の中なら三人、外なら五人」と答えた。

 男は鼻で笑いながら「二人を確実に斬れ」と言う。


「大義に酔い、世直し、天誅てんちゅうと称して悪を働く仲間がいる。敵だけを襲っているうちはまだいいが、たやすくよく知らぬ人を斬ったり、活動のための金を勝手に民から巻き上げたり、家に入り込んで他人の妻を犯したりするようになったら、始末せねばならん」


 「そのような者がおりますか」と田所が問うと、男は「おるのだ」とうなずく。


「義を掲げ戦いを始めれば、必ずくない味方が増える。お前はたとえば俺が、どこそこに危ない家がある、よく金を巻き上げられている店があると教えたら、仲間を何人かつれてそこに行くのだ。うまく不届き者が現れて悪を働いたなら、その場で斬れ」


「斬っていいのですか」


「ああ、しかし斬ったらすぐに逃げろ。斬ったことを隠すつもりはないから、いつまでもそこに残っていれば縄を打たれるぞ。

 ――お前の役目は、連中に『勝手に悪を働いたら処罰が下る』と暗黙のうちに教えることだ。何度か斬れば莫迦でない者は悟るだろう」


「志を忘れた仲間を、元の道に戻すために、見せしめに斬れと」


「連中の手綱をしっかり束ねておかなかった上の尻拭いだが、頼む。新時代を作るためには、こういうことをする男も必要だ」



 田所は最初は気乗りがせず、多少の悪さをしている程度の者は拳で打ちすえるに留めたり、説教をして密かに逃がすようなことをしていた。


 だがやがて男に指定されて守りに行った家で、住人に対して野獣のように横暴を働き刃を抜く仲間を見るや、自分達志士の本来の理想に泥を塗る彼らに、怒りが爆発した。


 問答無用で斬り伏せることにも、複数人で追い詰め、囲み殺すことにももはや抵抗はなかった。


 新しい時代を生きる民を脅し、犯し、その子らを泣かす獣に明日は必要ない。


 害獣は徹底的に斬るべし。そう考えるようになるのに、時間はかからなかった。



 田所はそうした仲間の志士の始末を数人の同士と担いながら、幕末を過ごした。悪しき標的は絶えず、刀は何本も使い潰した。


 仕事はいつも完璧にこなしたが、他の志士よりも飛びぬけて巨漢である田所の風体ふうていは、守った家の住人の口からひそひそと世に広まっていった。


 必然的に志士達の田所を見る目も白くなり、やがて捕縛の危険を感じた田所は身を隠し、仕事をする時のみ呼び出される暗殺者のような存在になってしまっていた。



 ――ご一新(明治維新)が成る直前、田所はいつも仕事を命じてくる男ではなく、同じ刺客の仲間、いわば『始末組』の同士から呼び出しを受けた。


 近所の小僧に文を託した同士は、志士にも関わらず妻帯者で、とおも年の違う嫁をお姫様のように可愛がっているふざけた男だった。


 始末組に入ってから何年も会うことができないとしょっちゅう嘆いていたその男がよこした文には、ある寺で重大な話があるから、他の始末組の面々をつれて来てくれとあった。


 その頃、すでに田所達が個人の意志で出歩くことは全くなくなっていた。


 それぞれの隠れ家に貝のように閉じこもっているはずの同士の呼び出しに、田所は胸騒ぎがして、文を受け取った瞬間外に飛び出していた。


 文をよこした男以外の者をかき集めようとしたが、なんと誰一人つかまらない。


 隠れ家はいずれももぬけの殻で、その内のいくつかにはおびただしい血痕が残っていた。


 田所は刀を片手に、まるで山の獣になったように呼び出された寺へと走った。その頃にはすでに陽は落ちて、幕末の真に暗い夜が世に満ちていた。


 廃寺となって久しいそこにたどり着くと、田所は刀を抜き、境内けいだいへと入った。


 闇を飛ぶ蛍の光が、夜に足跡のように色を浮かび上がらせている。

 そしてその光は、開け放たれた障子から屋内にも舞い込んでいた。


 草鞋わらじで板を踏み、上がり込む。同士の男の名を呼ぶと、わずかに声が上がった。



 押し殺した、笑い声だった。



 突然左の頬に風を感じ、田所は刃を振りなぐ。

 充分すぎる手ごたえと音を立てて、闇の中で血しぶきが舞った。


 草鞋のほんの三寸先に田所のものとは違う刀が突き刺さり、首を骨ごと、半ばまで切断された男が足元に倒れ込んだ。


 蛍がその顔に止まり、明滅する。


 見覚えのある顔だった。はるか昔、言葉を交わした志士の仲間だ。


 また、笑い声。


 闇に蛍以外の火が次々と灯り、部屋の景色を一気に浮上させた。


 提灯ちょうちんを持った志士達が、何人もそこに整列していた。その真ん中には、田所に呼び出しの文を書いた男の死体が、飛び出たはらわたにまみれて大の字になって転がっている。


 鬼の形相をさらす田所に、その場で一人笑みを浮かべている志士が、部屋の奥であぐらをかいたまま拍手した。


 無言で刃を構え続ける田所に、その志士はゆっくりと手を叩き続けながら口を開く。


「これはな、西洋で人を賞賛する時にする手つきだ。すごいすごい。さすがは鬼畜、田所十吾よ」


「どういうことだ、木田きださん!」


 既知きちの志士にえる田所が、腸にまみれた同士に近づいた。


 凄まじい形相で息絶えている彼を一瞥いちべつしてから、周囲の面々を睨み、怒鳴る。


「他の同士を殺したのもあんた達か! 何故こんなことをする!?」


「よう言うわ。仲間殺しが専門の狂犬どもが」


 木田と呼ばれた志士はゆっくりと立ち上がり、闇に映える白鞘の刀を持ち上げ、刃を抜き放って言った。


「良いことを教えてやろう、徳川幕府最後の将軍は、今日をもって朝敵となった。つまり朝廷が幕府を拒んだのだ。元々幕府にたて突く反逆の徒であった我々ににしき御旗みはたが与えられ、逆に幕府側が世の敵とされたのだ」


 その言葉が本当なら、志士達の悲願が叶ったことになる。


 旧幕府が倒され、新しい政府が日本に作られ、新しい時代が来る。

 西洋列強に負けない強い国が作られ、四民平等をはじめとする民との約束事が実現される。


 なのに、今、田所の前には地獄が広がっている。


 長年背中を預け合ってきた友が、同じ志士に惨殺されている。


 そして居並ぶ志士達は、提灯を持ったまま、すでに自らの刀に逆の手をかけている。


 八人。木田を合わせて八人の志士達が、田所に殺気立った目を向けていた。


「自分の所業をよぅく振り返ってみるがいい。勝てば官軍とはいえ、お前のような志士が新時代を生きられると思うか? ここにいる連中は、みなお前達に親しい仲間を斬り殺された者達だ。みな、お前達がのうのうと生き延びることが、気に入らないのだよ」


「俺達が斬ったのは獣だ。志を忘れ、民を苦しめた人ならぬ者だ。逆恨みもたいがいにしろ!」


「お前達の悪行に目をつむっていたあの方も、もうかばいきれぬとおっしゃったぞ」


 あえて名前を伏せた言い方をする木田が、刃で口元を隠してほくそ笑んだ。


 あの方……田所は目を剥き、身震いした。


「お前達が、勝手に結託し、仲間殺しを繰り返したのには本当に呆れ果てると。『自分は家の中なら三人、外なら五人斬れるのだ』と脅され、泣く泣く見逃したと。心底あの鬼畜は、人を斬ることを楽しんでいるのだと」


 田所の肩が壊れるかというほどに震え、握った刀が小刻みに音を立てた。


 田所達に人斬りを命じた男は、幕府が倒れるとみるや、用済みになった田所達を使い捨てる気なのだ。


 目の前で死んでいる同士は、きっとそれを察知して始末組の仲間に報せ、逃げようとしていたに違いない。だがその前に、木田達に他の仲間もろとも、斬られたのだ。


「近しい者を処罰された恨みを持つ貴様らに、俺達を生贄として差し出したか。それで納得する貴様らも、まっこと、愚かな」


「誰を斬るか判断し、実際に斬ったのはお前達だ。まあ、あの方の言葉を全て信じるわけではないがな……しかしいずれにせよ、お前達は新時代を前に消えるさだめだったのだ。

 我々は官軍になるのだぞ? 官軍にはそれにふさわしい者と、ふさわしくない者がいる。たとえば卑しい身分の出の者が必要以上に目立つのはよくないし、倒幕の立役者たてやくしゃである薩長土肥さっちょうどひ以外の土地の者が大きな面をするのはみんな我慢ならんだろう。

 そして、仲間を斬り殺すような臭い者もまた、官軍にいてはならぬ輩よ」


 木田が刃を構えると、居並ぶ志士達が提灯を床や障子に叩きつけた。

 燃え上がる火の中、八人の敵が次々と抜刀し、田所ににじり寄る。


 田所は完全に囲まれる前に、背後の闇へ飛び出した。「追え!」と木田が叫び、すぐに無数の足音が背に迫って来る。


 蛍の火が飛び交う中、最初に田所の背に追いついた志士が、刃を振り上げる。


 瞬間田所が全体重を片膝に移し、背後の敵に振り返りざま、飛蝗ばったのように飛び込んだ。


 刃が心臓に突き立ち、志士が声もなく目を剥く。その体を、田所が大きな足で蹴り飛ばす。


 志士の体が吹っ飛び、後続の仲間に激突する。


 あわてて死体を放り捨てる二人の志士の喉と手首を、田所の刃が一瞬にして斬り飛ばした。


 喉を裂かれた志士が白目を剥いて倒れ、手首を飛ばされた方は絶叫しながら地に膝をつく。


 残る五人の志士達はぎょっとしたように立ち止まり、鮮血を噴水のように噴き出す仲間を凝視した。


 やがて彼が全身を震わせながらうずくまり、絶叫が絶えた時、唖然としていた五人のうちの一人が悲鳴を上げて飛び上がった。


 いつの間にか田所が志士の背後に回り、背中のど真ん中を刃で貫いていた。「おのれ!」と声を上げた別の志士が刃を振りかぶり、田所に斬りかかる。


 しかし田所は片手を刀から離して背を貫いている志士の襟首をつかむと、その体を向かって来る刃の前に押し出した。


 ずぶりと刃が志士の腹に埋まり、反吐へどのような色の血が噴き出す。


 自らの刃に貫かれた仲間の姿に唖然とする男の顔面が、瞬時に引き抜かれていた田所の刃に叩き割られた。


「……なっ……」


 木田は目の前で次々と倒れる仲間達に、信じられないという目で田所を見た。


 蛍の火に照らされる巨漢の顔は、血に染まってまさに赤鬼のようになっている。


 さすがにいたんできた刀を敵の死体に残すと、田所は血に落ちた別の刀を取り、残る三人に進み出る。


「べっ、別々に戦うな! 一気にかかれ!!」


 木田が白鞘を捨て、両手で刀を握って二人の仲間に叫んだ。


 彼らは左右に展開し、田所を取り囲もうとする。だがそれを待っているほど田所はにぶくはなかった。


 向かって右側、わずかに仲間達から離れすぎた志士に突進する。


 仰天ぎょうてんした志士が突き出した刃を、田所が凄まじい腕力で刀の腹ではね上げる。

 返す刀で首を斬りつけると、そのまま骨まで刃を押し進めた。


 背後から、逆側に回っていた志士が斬りかかって来る。田所は咆哮を上げ、骨を削りながら刃を引き抜き、そのまま後方へ斬り返した。


 田所の腰を切り裂いた敵の刀が、そのまま肉の内部へ進むことができずに、着物を突き破って空中に飛び出した。


 絶望に染まる敵の顔が、次の瞬間うなじから背中を斬りつけられて硬直した。


 膝を折る彼の背を、田所が倒れ込むように刺し貫く。


 地面に重なるようにして倒れる二人に、木田は大きく口を開けて荒く息を吐いていた。


 田所もまた引きつるような呼吸音を上げ、殺した敵の肩に手をつき、ゆっくりと体を起こす。


 巨大な男の体重を受けた肩がぼく、と音を立てて外れた。


 刃を引き抜きながら背を伸ばし、残る最後の敵を見る田所。


 最初に闇の中で斬り殺した男を合わせれば、田所自身にとっても信じがたい、八人斬りだった。


 全身が、草履から総髪そうはつのてっぺんまで真っ赤に染まった田所に、木田がますます呼吸を荒くしながら叫ぶ。


「化け物か貴様ッ!! 何故……」


 九人斬り。


 言葉半ば、木田の首は猛然と斬り込んで来た田所の刃に、完全に切断されていた。




 翌朝、田所は自分達に人斬りを命じた男の前に現れ、木田の首を差し出した。


 数え切れぬほどの仲間に囲まれた男の前で田所は神妙に座し、「恥あらば自ら死ね」とだけ言って、縄を打たれた。


 その後倒幕が完全に成り、新政府が組まれると、新しい国の体制作りの中で幕末の罪人達の裁きが始まった。


 田所は裁判では何一つ口を利かず、木田達の殺害以外にも見に覚えのない様々な犯罪行為の罪を問われ、三十年の幽閉を言い渡された。


 斬首にならなかった理由は分からないが、田所にとってはもうどうでもいいことだった。


 田所の罪の数は驚異的であったが、しかしどれもご一新という歴史的大事件に際してはあくまで個人的で、小粒と言わざるをえなかった。


 特に同士達と長年続けてきた人斬り行為に関しては決定的な証拠がなく、ほとんど追及されなかった。


 田所の罪の中心を占めるのは、あくまで木田達九名の志士を斬り殺したという事実だ。


 さらに木田達の遺族に対する後処理を忌避したのか、維新志士達は木田達が田所達を襲撃したという経緯を隠さなかった。


 身内の素行の悪さを自分達で裁こうとした木田達が、田所に逆に返り討ちに遭った。世間への発表は、そうした形で行われた。


 結局、田所達も木田達も双方けしからんやつらとされ、世間の注目はさらに派手な罪人達の裁判と、新時代の幕開けへと移っていったのだった。

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