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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵3 ~探偵賛歌~
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人斬り探偵(田所十吾) 一

 湯気の立つ大根を、そのままはしでつまんで口に放り込む。


 「あちっ」と小さくもらしながら、それでも美味そうにブリ大根を食う男を、女は茶をすすりながら眺めていた。


 東京、銀座の一角。『木蘭亭』と看板の出た店に入った二人は、飲み客の喧騒けんそうの中カウンター席に並んで座っている。


 男の膝の上には新聞紙で包みなおされた日本刀があり、女はそのことが、気が気でなかった。


「おじいさん、廃刀令はいとうれいってご存知ですか?」


「警官、軍人、ごく限られた者以外の帯刀を禁止する法律だな」


「だから、その……それ……」


「お前さんは探偵って人種をよく理解してないようだな。シャーロック・ホームズを読まなかったのか? 探偵は、悪いことはなんでもやるもんだ」


 ブリの肉を口に運ぶ男の言葉に、カウンターの奥の女将がちらりと視線を向けた。


 女は周囲をきょろきょろ見回しながら「勘弁してよ」と眉を寄せる。


「名探偵だって聞いたからあんな場所まで行ったのに、刃傷沙汰にんじょうざたなんか起こさないでくださいよ」


「言われずとも、めったに起こさん。しかし名探偵? 誰だそんな不名誉なことを言いふらしてるのは」


「不名誉って」


「探偵なんてのは人様の尻を追い回したり、暴かんでいいことを暴く生業なりわいよ。それの名人ときたら、とびきりのクズ野郎ってことになる。俺はそんな罵倒ばとうを受けるほどこの仕事が長いわけじゃない」


 飯をかっ込みながらの男の台詞に、女はこれまた面倒な探偵を選んだものだと息をついた。


 浮浪者のたまり場に名探偵がいると教えてくれたのは、女が女給として働いているアイスクリームパーラーの店主だった。


 よわい、七十。幕末の時代を駆け抜けた帝都一老獪ろうかいな探偵だから、腕は確かだと、そう言ったのだ。


 店主の言った『腕』が探偵としての能力なのか、剣術使いとしての技量なのかは、今思い返せば判断がつかない。


 探偵を探す人間が求めているのがチャンバラの腕前などではないことぐらい、誰にでも分かりそうなものだが。


田所十吾たどころじゅうごである」


 七十歳とは思えぬほど並びの良い歯を楊枝ようじで掃除しながら、男が名乗った。


 女は湯飲みをカウンターに置き、「間宮直子まみやなおこです」と返す。


「間宮直子。なおちゃんか」


「やめてください。初対面で」


「代わりにじっちゃんと呼ぶことを許す」


「じっちゃん? 嫌ですくだらない」


「直ちゃん、それで依頼の方は?」


 「だから!」と顔を向けると、田所十吾は涼しい顔で女将にみつ豆を注文している。


 直子は深くため息をつき、湯飲みを数秒睨んでから、口を開いた。


「田所さんに、探偵をさがしてほしいんです」


 眉を寄せる田所に、直子は目を細めながら続ける。


「探偵である田所さんに、同じ探偵の仕事をしている人物の所在を探ってほしい、という意味です」


「……ほう、探偵に探偵を捜させる、と。なにやらややこしいが、手がかりはあるんだろうな」


 直子が田所の前に、一枚の封筒を差し出した。


 田所が手に取って開けてみると、中に入っていたのはしわくちゃの広告で『探偵業請負、浮気調査カラ失セ物探シマデ』『三村探偵社』と文字が並んでいる。


「ミムラ探偵社……広告を出しているなら、新聞社に問い合わせれば分かるかもな。ところで、なんでこの三村探偵を捜すのか、わけを訊いてもよいかな」


「姉がこの探偵社に、自分の夫の身辺調査の依頼をしたんです。ひどい男で、毎晩お酒を飲んじゃ姉に手を上げて。何とか別れられないかと考えて、きっかけを探すために探偵を雇ったんです」


「妻に暴力を振るうような男なら、外でも何かやらかしてるかもしれないと思ったわけか」


「はい。それで……調査の結果、予想以上のものが出てきたんです。三村探偵社の話では、姉の夫はつとめ先の会社の人事を決める時、部下から賄賂わいろを受け取っていると」


 そいつはすごい、と田所が女将からみつ豆を受け取りながら目を丸くした。


 つまり、その夫というのは会社でもかなり高い地位にいる幹部なのだ。人事の決定権を持ち、彼が左右するポストは社員が賄賂と引き換えに手に入れたいと思うほどの、うまみがあるものということになる。


 だが、賄賂を受け取っていることが探偵に簡単に知られるようでは、社員達の間にそういった話がかなり浸透していたということでもある。


 きっと黙っていてもいずれ社長の耳に入り、自滅しただろう。


 うなずきながら眉を寄せる田所に、逆に直子は首を横に振って、言葉を続ける。


「三村探偵社は確実な証拠を手に入れるからと、姉に待機を指示しました。でも、その日の夜に姉は夫に殺されたんです」


「! 殺された……?」


「三村探偵社が、無断で姉の夫を脅迫したみたいなんです。逮捕された彼の供述によると、賄賂のことを黙ってる代わりに、姉が払った依頼料の十倍の口止め料を払えと言われたと……激昂げっこうした彼は、帰宅するなり姉を拳で……」


 後半は涙交じりに、嗚咽おえつしながら話した直子の言葉に、田所は口を引き結んで目をとがらせた。


 つまり、依頼主の素性と調査の結果を、そのまま調査の対象者にもらしたということだ。


 その結果依頼主が殺され、調査対象者も逮捕された。


 供述から事件への関与を疑われる前に、三村探偵社の連中は姿をくらました。その結果残された遺族である直子が、悔し涙を流しているのだ。


 田所はポケットからハンカチーフを取り出して直子に差し出したが、それには何故かどんぐりが包んであった。


 ぽかんと口を開ける直子の前で咳払いをすると、田所はハンカチーフを戻しながら「つまり」と口を開く。


「お姉さんが殺害される遠因となった三村探偵社の人間を捜し出し、警察に突き出したいと。そういうことでよろしいか」


「そうです。このままじゃ姉が、あまりにかわいそうです」


「よし、では早速明日から調査を開始する。ところで調査費用だが、すでに頂いた一円は依頼料だ。探偵は調査をするにも、当然だが飲み食いが必要だし宿もとらねばならない。これに依頼料を使っていたらすぐになくなっちまう。だから別途、調査費用をもらうわけだが……」


「お金、あんまりないんです。でもごはんと宿なら任せてください、うちに来れば母が喜んでご用意しますよ」


「うち!? は!? 探偵を家に招く気か!?」


 目を剥く田所が、みつ豆に手をつけるのも忘れて訊き返した。


 大声を出したので、直子とは反対側の席に座っていたハットをかぶった男が電気ブランを気管に入れてしまい、むせている。


 直子は両手の人さし指をこね合わせながら、上目づかいに田所を見た。


「だめですか? もう話はつけてあるんです。うちはお父さんが早くに亡くなって、今はもう母一人娘一人ですから、気兼ねしなくて済みますよ」


「気兼ねするわ。女だけの家に得体の知れんジジイを入れる阿呆がどこにいるか。だいたい、探偵に裏切られてこんなことになったのに何を性懲しょうこりもなく……」


「でもそれじゃないと調査費用なんて払えません。警察もなんだかやる気がないし……このままじゃ、姉があまりにも……」


 田所は眉間に指を当て、深くため息をついた。


 無用心というか、無鉄砲というか。直子の提案はあまりにも、世間知らずだった。



 その後しばらく押し問答を続けた二人だったが、結局直子の意志は変わらず、田所はのこのこと彼女の家について行く始末となったのだった。

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