二十九
「嗚、素晴らしい。万事休すだ」
山田秀人は目の前の男達の顔を順に見回しながら、自分の肩に刺さった刃を指でつまむ。
左右に揺さぶり、血を流しながら引き抜いていく彼の眉間に、森元がショットガンの銃口を向けて再度叫んだ。
「やめろ! ひざまずくんだ山田秀人! 妙な動きをすれば射殺する!!」
「僕に命令するのか? 元警部補の、森元君」
平然と刃を抜き続ける相手に、森元は棚主とダレカを射線上から外すため、幸太郎を伴って右に移動する。
山田秀人はその様子を眺めながら漂う白煙を勢い良く吸い込むと、突然大声で笑い出した。
裂けるかと思うほど開かれた口からは、咳と哄笑が交互に火のように飛び出してくる。
ダレカが棚主の体を支えてやりながらに、山田秀人を睨んだ。
「終わりだ。森元の言うことを聞くか、我々に八つ裂きにされるか、二つに一つだ」
「迷うまでもない。撃て!」
山田秀人が白刃を引き抜き、森元の方を見た。
目を細める森元が、引き金に指をかける。しかし山田秀人は銃口を見てはいない。
その向こうの森元の顔を、獣のような目で凝視している。
獣の目に映った森元が、眉間にしわを寄せてうなるように言った。
「……私には撃てないと思っているのか」
「撃てない? 違うね! 撃つしかないんだ! そうでなきゃ僕を止められない! 僕を裁判にかけても公正な裁きなんか望めないぞ! 金と人脈を駆使して無罪を勝ち取る、でなきゃ無実の誰かを身代わりにして逃げ切るさ! そうしてまた今回のような騒ぎを引き起こす! それが嫌なら今すぐに撃て!! 撃ち殺せッ!!」
ダレカと棚主、幸太郎が、森元を見る。
森元は引き金に指をかけたまま、口元をゆがめて敵を睨み続けていた。
額には汗が浮かび、顔がわずかに紅潮している。
山田秀人は素手で日本刀の白刃を握り締め、それで森元を指した。
「何をためらってる? 何を怖がってるんだい森元君? 今回も最後の最後で、一番肝心な黒幕に死なれてしまうことを恐れてるのかい?
事件の首謀者である島田は地下室で舌を噛んだ。その上僕まで殺してしまっては、大事件の犯人と呼べる存在がいなくなってしまう。まるで、山田栄八の時と同じだ」
「……」
「正義のために集った君達が、山田栄八に立ち向かい、打倒した。その見返りは何だった? 君は警察を追われ、君に協力した警官達も幸せにはならなかった。巨悪が巨悪であったことを証明できなければ、君らの戦いの正当性はないに等しい。今回もそうなることを、君は恐れているのか」
ダレカが、森元に鋭く「撃て」と命じた。
森元は唇を噛み、ショットガンを構えなおす。
だが山田秀人は彼を見据えたまま、さらに楽しげに言葉を続けた。
「すでに君や君の仲間達は、各人の権限を越えた違法な行為に及んでいる。義侠心にあふれた大事な仲間達を犠牲にしないためには、彼らのために大義という名の免罪符を用意しなければならない。
即ち僕が許されざる大悪党で、正当な法手続きを無視してでも一刻も早く打倒せねばならなかったという事実だ。
その事実は、地下室にある。悪らつな陰謀の証拠が山ほどある。しかしそれだけでは不十分だと君は思うわけだ」
山田秀人が血の滴る刃を自身の首筋に当て、すっと素早く引いた。
ぎくりと肩を跳ねさせる森元。
山田秀人は襟を指で引き下げ、猫が引っかいた程度の浅い傷をよく見えるようにさらしながら、意地悪く笑う。
「君が欲しい事実は、僕や山田栄八が築地警察署を実際に支配し、欲に目がくらんだ無数の警官達を背信行為に走らせたということだ。
悪しき警官達、警察幹部達と僕らとのつながりを証明できれば、今日この屋敷に踏み込んだ人々の正当性が逆に成り立つ。悪に支配された組織で正義をなしたという図式が示せる。
そのためには何が必要か? 僕本人の告白と懺悔? 僕にすり寄って来た城戸警視達の証言? 少なくとも君は今、そのどちらも確保していない」
森元の目が吊り上がり、ふー、ふー、と呼吸音が鼻から漏れる。
床を焦がす燃焼剤の残り火を靴で踏み消しながら、それまで黙っていた幸太郎が森元の背後から声を上げた。
「ぼくが証言します! その人にさらわれた本人の証言です!」
「あっはっは、幸太郎君、大人の世界では君みたいな子供の言うことなんか通用しないんだよ。裁判での証言としての価値は、皆無だね」
「森元! 法的な決着は諦めろ! こいつは法律で裁ける人間じゃない!」
「分かってるだろう!」と声を飛ばす棚主に、森元は口を開け、震えるような呼気を吐いた。
目の前の敵を倒さねば、幸太郎や棚主や、今回の事件に関わった多くの人が危険にさらされる。
だが森元の脳裏には、自分を裏切り山田秀人の下に走った枝野巡査達の、後悔と恥辱に歪んだ顔が浮かんでいた。
山田栄八の正体を世に暴露できなかったために、自分達の正当性を確保できなかったために、誇りと信念を捨てざるを得なかった仲間達の顔。
その表情が、横山刑事や大西巡査や、新藤署長の顔に重なった。
この事件の黒幕達を一人残らず死なせてしまえば、果たして事件の真実を知らしめる機会はめぐって来るのだろうか。
警察官としての規律を破り、管轄を越えて森元のために駆けつけてくれた警官達を守りきれるのだろうか。
山田秀人の屋敷に重大な犯罪の証拠が見つかったとしても、山田秀人とつながりのあった警察幹部や権力者達が総力を挙げてもみ消しに来るのは目に見えている。
自分達の汚点に追及の手が伸びるのを防ぐため、今回の事件に関連するあらゆる事実を潰しにかかってくる。そしてより立場の弱い誰かを処分することで、騒動の責任の所在を、うやむやにする。
そのための生贄に選ぶのに、最も都合が良いのが、森元達や新藤署長なのだ――
歯を食いしばった森元の目に、額を流れてきた汗が入り込んだ時だった。
にじむ視界の隅で、軍服の色が動いた。急いでまばたきをして汗を散らすと、明瞭になった視界に、山田秀人へ拳を向けるダレカが映った。
「お前達が望んだものは何だ」
ダレカが森元に顔を向けずに、低く言った。
「『やっつけてやれ』と、お前に言った男は、何を託したんだ」
横山刑事の言葉が、耳の奥に蘇った。
「俺なら嫌だ」
山田秀人が、白刃を振りかざした。
「俺なら、許さない!」
ダレカが、その後から棚主が、山田秀人に向かって駆け出し――――
「――――」
森元の目が、舞い散る血液をぼうっと眺めていた。
空中を飛び、炎に吸い込まれる鮮血。床に落ちる、白刃と、指、肉片。
男達は立ち尽くし、銃口からは、煙が上がっている。
指が全て吹き飛んだ右手を抱え、押し殺すような声で笑っている、山田秀人。
森元は頬を涙が伝うのを感じながら、ダレカに言った。
「『正義』だ…………私達は……『正義』を選んだ……」
たとえ、報われなくとも。
そう続けた森元に、山田秀人がこらえきれなくなったように大声で笑い出した。
ぼたぼたと血を流しながら、腹を抱えるように数歩、前へ進む。
幸太郎が「あっ」と声を上げた直後、山田秀人が腹を抱えた姿勢のまま、床に転がっていた火のついた木片を手で弾き飛ばした。
森元が棚主を救うために砕いた床板に、火が燃え移っていたのだ。
それはごく短い距離を飛び、床を跳ね……今現在も大量の燃焼剤を床に流している、噴射機の袋に、接触した。
凄まじい炎が一瞬で音を立てて巻き上がり、ホールを照らし出した。
舞い散る火の粉に棚主があわてて燃焼剤の染み込んだシャツを脱ぎ捨てると、その瞬間にシャツが炎に包まれる。
床をまばらに這っていた燃焼剤が炎の壁を作り、棚主達を分断していた。
手を顔の前にかざしてダレカや幸太郎達を探す棚主の眼前に、山田秀人が地獄の亡霊のように現れる。
「大詰めだ」
楽しもう、と歯を剥いて笑う敵に、棚主は考えるより早く、渾身の力で拳を繰り出していた。




