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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵2 ~焔の少年~  三章  焔の少年
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二十六

 まるで生き物のように這って来た炎が瞬時に行く手に広がり、棚主達をはばんだ。


 銃を持ったメイド達の集中している道を避け、なるべく交戦しないようにと回り道をしたのが仇となった。


 屋敷の構造を熟知している敵は、脱出のために必ず通らねばならぬ要所を押さえており、彼女らを倒さずに外を目指すことは不可能だったのだ。


 幸太郎を守ることを考えれば、棚主と時計屋のどちらかが彼のそばについていなければならない。

 必然的にメイドを倒す役目は、二人の内のどちらか一方だけが負うことになる。


 いかに殺人に慣れた棚主達といえど、複数人を一度に相手にするには、メイド達はあまりに手ごわすぎた。


 特に交戦中でない者は広い場所で互いに距離を取り、フォローし合うように陣取っている場合が多く、三人以上が集まっている道ではどうしても襲撃に際して、いずれかの敵に背を向けねばならなかった。


 棚主は地下室から持ってきた宝刀を捨て、時計屋が倒したメイドの拳銃を拾っていたが、それを使って敵を狙撃したところ、発砲の瞬間に物陰に立っていた別の敵が飛び出して来て銃撃戦になった。


 遮蔽物しゃへいぶつを利用しての撃ち合いに手こずると、銃声を聞きつけてさらに敵が駆けつけて来て、泥沼になる。


 メイドの数が六人を超えたところで棚主達は来た道を引き返し、別の脱出経路を探してさまよっている内に、炎に追いつかれたのだ。


 また、それまでにメイドと交戦したと思われる警官の何人かと出遭であったが、その全てが死亡していた。

 家宅捜索で屋敷を手分けして進んでいた時に、戦いが始まったのだろう。一人二人が廊下や小部屋の中で、ばらばらに息絶えていた。


 ……つまり、メイド達さえ邪魔をしなければ、比較的近くに警官隊がいたはずなのだ。


「くそっ……ここはどこだ? 莫迦でかい屋敷だ、方向感覚がなくなってきた」


「今の炎の広がり方、河合の燃焼剤と同じだったな。放火が生きがいだった男……主人の屋敷も燃やすつもりだったか」


 炎を皮手袋でなでる時計屋が、仮面の奥でぐるぐると喉を鳴らした。

 幸太郎が煙に咳き込みながら、涙をぬぐって首を振る。


「その人は、もう死んでるって秀人が言ってました」


「……ならば、河合が放火の仕掛けをこさえていたとしても、今日火をつけたのは違う人間だってことだ。一番怪しいのは山田秀人だな。あの狂人なら何だってしかねない」


 棚主が言いながらズボンのポケットを探り、ハンカチーフを取り出して幸太郎の口にあてがった。


「とにかく、さっさと脱出しないと三人とも焼死だ。危険だがでかい道を突っ切って玄関を探すか」


「やむをえん。火が出る前に聞こえたのは爆発音だった。屋敷に残っていれば何が起きるか分からん」


 棚主と時計屋はうなずき合い、廊下を走り出した。時計屋が先行し、棚主が幸太郎のわきを固めて続く。


 炎は着々と屋敷をあぶり、中にいる者をさいなむ。雨どいにそって発生した炎の壁は屋敷の外周をすっぽりと囲み、じわじわとその中心へ這い寄って来ていた。


 所々(ところどころ)道を分断している炎を迂回うかいしながら進むと、大きな階段のあるホールに出た。階段を上ると、赤い絨毯じゅうたんの敷かれた広大な空間が前方に伸びている。


「渡り廊下か」


 時計屋が壁に空けられた窓に駆け寄り、赤く染まる外を覗いた。


 すぐそこに爆発で崩壊した回廊の二階部分が見え、眼下には中庭が見える。火勢は強くないが、屋根が突き刺さった地面が破れて、地下室が大きく露出していた。


「この方角なら、玄関の西側に続いているはずだ。行くぞ」


 手にしたレンチで棚主と幸太郎をうながす時計屋が、渡り廊下を進み始める。


 絨毯が敷いてある以外、何もない廊下だった。何が置いてあるわけでも飾ってあるわけでもなく、ただひたすらに長く広い道が続いている。


 棚主は時計屋の背を追いながら、高い天井を見上げて眉を寄せた。


 何か、違和感がある。


 美術品や高価な家具で飾られた屋敷の中で、この廊下だけがいやに殺風景だった。


 曲がり角も部屋もなく、まっすぐに玄関の方へと続いているだけの廊下。


 何よりこんなに見晴らしのいい場所に、メイド達がいない。


 天井から視線を戻した棚主は、隣を走っていた幸太郎が不意に立ち止まったことに気がついた。「どうした」と彼を振り向いた瞬間、反射的に体が動いた。


 壁の窓の向こうから、狙撃銃を抱えたメイドがこちらを見ていた。

 幸太郎は微笑む彼女の右手に目を奪われていた。白い指には、火のついた、魔法マッチ。


 棚主は躊躇ちゅうちょなく拳銃を窓に向けて撃った。弾痕だんこんがぎやまんに刻まれると同時にメイドの眉間に穴が空き、しなやかな女体が中庭の方へ倒れていく。


 だがメイドは微笑みを消すこともなく、死にゆく肉体で魔法マッチを放った。棚主と幸太郎の目が、火を輪のように引いてあまどいに落ちる魔法マッチを追う。


「戻れ時計屋! 罠だ!!」


 時計屋がこちらを振り向く間に、あまどいを火が走る。


 渡り廊下の先の屋根の上に炎が這い上がった直後、凄まじい爆発音が響き、天井を爆炎が突き破って降り注いだ。


 燃焼剤を爆裂弾と合わせて用いた、いわゆる焼夷弾しょういだんだ。

 溶けた鉄のようなねばつく炎が瞬時に絨毯に燃え広がり、時計屋と棚主達を炎の壁で分断した。


 炎の向こうで、時計屋の叫び声が上がった。幸太郎は彼の名を呼んで手を伸ばしたが、棚主がその襟をつかんで引き止める。


 焼夷弾の炎は有害な煙を放ち、こちらへ伸びて来ていた。


「燃える! 時計屋さんが燃えちゃうよ!!」


「行くな! ヤツなら自分で何とかする!」


 保証はなかった。だが時計屋の無事の前に、このままでは棚主達が炎にまかれる。


 燃えやすい絨毯の上を舌のように伸びてくる炎から、棚主は幸太郎を抱えて逃げ出した。


 泣き叫ぶ幸太郎を抱きすくめ、走る。すると元来た方の階段から、メイドが数人上がって来た。


 銃口を向ける彼女達に、棚主も拳銃を振り上げる。リボルバーの残弾数は、彼女達の人数とくしくも同じだった。


 メイド達と棚主が咆哮し、弾丸が交錯する。







「…………」


 ドライバーの刃で引き裂いた黒衣が、時計屋の足元で完全に炎に包まれた。


 炎の雨に焼かれた帽子も、わきに転がっている。


 火が燃え移った衣を脱ごうとせずに、切り捨てたのは正解だった。全身を覆う黒衣を脱ぎ捨てるのに手間取れば、首筋の皮膚と髪先が焦げるだけではすまなかったはずだ。


 時計屋は床に手をついたまま、仮面の奥で歯軋りした。彼の後方には炎の壁が、絨毯が途切れたすぐそこでたたずんでいる。


 そして頭上には、騎兵用拳銃を持った巻き毛のメイドの、無表情な顔が見下ろしていた。


 渡り廊下の先端。奥に階下に下りる階段のあるそこには、二人の他には誰もいない。


 巻き毛のメイドの銃口が、時計屋の海草のような黒髪を一束すくい、もてあそんでこぼした。


 仮面の穴から血走った目を向ける時計屋に、彼女はほんのわずかに唇をゆがめて笑う。


「誰もが『分からない』となげく。莫大な財産と地位を持つ秀人様が、こんな地獄を現世に再現なさることに。凡庸ぼんような連中は、結局『狂っている』としかあの方を評価できないのだ」


「……」


「お前はどうだ?」


 言葉が終わる前に、メイドが時計屋のあごを蹴り上げていた。転がるように立ち上がった時計屋が、手にしていたドライバーをメイドに向かって突き出す。


 ふくよかな胸に刃先が届く寸前、その柄を拳銃の底がはじき飛ばす。


 銃口が鳥の仮面にそえられ、火を噴いた。

 身をひねった時計屋の顔から、砕けた仮面が剥がれ落ちる。


 衝撃に白目を剥く時計屋の顔面に、メイドが肘鉄を入れた。

 硬いとがった骨が、的確に鼻を打ちのめす。


 時計屋は倒れなかったが、同時に顔のすぐそばで行われた発砲のショックで体が動かなかった。

 メイドは自分の巻き毛を熱い銃口でとかしながら、嬉しそうに時計屋の腹に体重の乗った蹴りを入れる。


 まるで屈強な男に蹴られたような衝撃だった。

 だが時計屋も身を折りながらも、うめき声一つ上げない。


 メイドはそんな彼の様子に、銃口を巻き毛から自らの頬に移し、笑みを消した。


 拳銃に精通した射撃のプロなら、どんなことがあっても自分に銃口を向けることはない。


 世の射撃を愛する者達が今の彼女の行為を見れば、彼女を拳銃使いとして、プロ意識のないド素人だと評価するだろう。


 だが時計屋が見る限り、目の前のメイドの銃の取り扱いは相当なものだった。


 一瞬ながらも披露ひろうされた身のこなしは、日々訓練を重ねた人間にしかできないものだ。


 銃口を自分に向けるような、初歩的な過ちを犯す人間には見えなかった。


「死は快楽」


 低く言ったメイドが、時計屋から靴底を離して距離をとった。


 炎に横顔を照らされながら、彼女の細くしなやかな体が揺れる。

 時計屋を見つめたまま腰を折ると、メイドは自分の足を覆う布を引きちぎり、腿の上まで裂いた。


「財と権力を極めた人間は、この世のあらゆる快楽を味わい尽くすと最後は禁忌きんきに走る。危険なもの、忌まわしいもの、法の下では拝めないような、汚らしい欲望に溺れるようになる。死と苦痛、戦争を鑑賞して喜ぶ、秀人様の領域に踏み込もうとする」


 白い足が、床を高く鳴らした。


 きめの細かい美しい足は、しかし山田秀人の護衛、又の字と同じ形をしていた。やわらかい肉の中に、力強い筋肉の膨らみがある。


 身を折ったまま静かに視線をくれる時計屋に、巻き毛のメイドは首を傾ける。


「だがそれは、所詮興味本位の横好きに過ぎない。法治国家で法を犯す背徳感はいとくかん、平和な世ではなかなか目にすることのない人の死、血肉や、破壊された内臓の内側を覗き見る興奮に酔っているだけだ。

 未知の興奮を味わい尽くしたら、やつらはまた別の道楽を探して離れて行く。……だが秀人様は、決して飽きることなく、死を見続ける」


 不意にメイドの口調に、うっとりと、恍惚こうこつの色が混じった。


 時計屋は身じろぎ一つせずに、静かに息をする。呼吸を整え、メイドを殺す力をたくわえた。


「まるで、死神だ。あの方は純粋に死を愛でておられるのだ。あの方の財力、権力、一生を通じてつちかわれた全てのものは、ただ死と戦争を味わうためだけに費やされる。あの方は今、天にも昇る心地でおられるだろうよ。こんなにも多くの人間を、得がたい殺人鬼をも巻き込み、楽しい『戦争』を作り出せたのだからな」


「よくしゃべる、メイドだ」


 静かに、鉛のように床に落ちた時計屋の台詞に、巻き毛のメイドは眉を寄せて笑った。炎の壁は絨毯から、床に燃え広がり始めている。


「――私は秀人様の戦争の一部だ。あの方が味わう戦争を演出するために、育てられた。直属のメイドはみなそうだ。あの方に兵士にされた」


 時計屋がベルトのバックルに指を伸ばす。人さし指ほどの長さの刃を音もなく引き出す彼に、巻き毛のメイドは少女のように笑い、拳銃を床に落とした。


「秀人様の価値観は、我々の価値観だ。私もこの戦争を楽しんでいる……死は快楽。苦痛は喜び。そう変えて・・・下さった秀人様は私の第二の父親だ。あの方のお供ならばこそ、この忌まわしい土地も楽園のように思える。あの孤児院でさえも」





 メイドの顔を見た。



 ぺらぺらとよく喋る、自分の世界に浸っている頭のおかしい女の顔を見た。



 時計屋の表情の変化にも気づかず、女はオペラを歌うように炎に手をかざす。



「あの自習室でさえ」



 孤児院。



「輝いて見えるのだ」



 深川。



「知ってるか? ここには、地獄があるんだぞ」




 メイドが楽しげに吐く口上が、時計屋の意識をぐるぐると不安定に、断片的に飛び交った。



【深い深い闇がある】


【孤児が入れられる穴倉がある】


【まるで墓穴のような】


【深川の孤児院には地獄がある】


【電球が切れたらまっくら闇】


【秀人様は女の子が大好き】


【きれいな子だけ】


【ここに別荘があるのは】


【こんなに広いのは】


【引き取った女の子を育てるため】


【小さい頃から大事に大事に】


【思い通りの兵士に】


【戦争ごっこをするために】


【覚えの悪い子は】


【必死にきれいに】


【必死にかしこく】


【必死に強く】


【死は快楽】


【愛してくれるから】






 気がつけば、時計屋はメイドの肩に刃を突き立てていた。


 驚いたようなメイドの顔が目の前にある。


 だがその表情は痛みではなく、人間離れした時計屋の踏み込みの速さと、形相に対して向けられたものだろう。


 時計屋は鍛えてもなお華奢きゃしゃな線の残る肩をえぐりながら、まるで別人のように弱々しい声で言った。



「僕を救ってくれ――――『時計屋』――」



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