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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵2 ~焔の少年~  三章  焔の少年
63/110

二十五

 屋敷から響く銃声と悲鳴に、近隣の住民達が集まり始めていた。


 離れた場所で様子を見ていたお近や木蘭達よりも、ずっと近くへ寄って行こうとする野次馬を、通報を受けて駆けつけた西平野警察署の警官達が引き戻しにかかる。


「下がれ! 下がるんだ! 流れ弾に当たるぞ! 死にたいのかッ!!」


「お巡りさん何ごとです? ここは山田の旦那の別荘じゃないですか」


「この音、爆竹じゃないんで? 旦那は悪ふざけが好きだから、俺達はまた宴会でもやってんのかと……」


 微塵みじんの危機感もなくのほほんと言う人々を、警官達は毒づきながら排除にかかる。


 腕や襟をつかみ、屋敷から遠く避難させようとするさなか、門の内側で立て続けに二回、ショットガンが空に向かって火を噴いた。


 間近で上がった銃声にようやく悲鳴をあげ、逃げ始める野次馬達。

 身を低くして振り向いた警官の一人に、鉄柵のすぐ向こう側に立ったメイドが、ショットガンを抱えたまま薄く微笑んだ。


「ボケた民衆のおりは大変だな、巡査」


「……何だ貴様! この莫迦騒ぎはいったい何のつもりだ!?」


「戦争だ、巡査。屋敷の中にお前の仲間がいる。……助けないのか?」


 つややかな長い黒髪を揺らして首を傾けるメイドに、警官は唖然として、自分の腰に目を落とした。


 たずさえているのは、細いサーベルが一振りだけだ。

 顔を上げる警官に、メイドが逆の方向に首を傾けて、また微笑んだ。


「パーティーに参加したいなら、いつでも受け入れよう。門に鍵はかかっていない。押し開けて入れる。そのサーベルで私を倒し、屋敷の中に入り、剣林弾雨けんりんだんうをかいくぐって築地警察署の連中を救えれば、お前の勝ちだ」


「ぱーてぃー……築地警察……!?」


「日比谷焼き討ち事件や、革命家気取りが起こす暗殺襲撃事件。農民の反乱。近年の社会情勢を踏まえれば、警官のお前がこういった騒動に巻き込まれることは当然予想できていたはずだ。今日の趣向は我が主があつらえた最高のうたげだ……英雄になる好機だぞ、巡査」


 警官達が身を低くしたまま、鉄柵の向こうのメイドの口上に顔を見合わせた。


 最初に話しかけられた警官が、凶悪犯を説得するように言葉を選んで口を開く。


「いいか、今すぐ銃を下ろし、中の連中を表につれて来るんだ。こんな街中で発砲騒ぎを起こして、逃げられるはずがない。山田秀人氏と話をさせてくれ。彼は東京の名士だ、力になる」


「我々は逃げる気などないのだよ、巡査。主とともに、より面白い戦争がしたいだけなのだ。命のかかった絶望的なゲームを楽しむ器は、お前達には備わっていないのか?」


「……説明してくれ。山田秀人ともあろう人物が何故こんな無謀なことを……」


 メイドは瞳をあらぬ方向へ転がし、警官を無視して口を閉ざした。


 反応のなくなった相手に、警官は仲間達を振り返り、とまどいながら言う。


「署に応援を……俺には理解できん。上の判断を仰ごう……」







 一方屋敷の中では横山刑事と警官達が、犠牲を出しながらも何人かのメイドを倒し、ようやく部屋を封鎖していた敵の包囲網を後退させていた。


 中庭の方へ、敵を追う横山刑事達。新藤署長は負傷して確保されたり、射殺されたメイド達の武器をかき集め、実質非武装だった警官達に装備させた。


 食ってかかって来ようとする城戸警視に、新藤署長は狙撃銃の薬室に弾丸を送り込みながら、ぎろりと目を向ける。


「一般人と負傷者を脱出させる。あんたは邪魔だが、逃げられても困るからな。一緒にいてもらおう」


「逃げる!? 逃げるだと!! 貴様の独断専行を最後まで目に焼きつけて必ず責任を取らせてやるからな! 逃げるものかッ!!」


「まだ山田秀人があんたを守ってくれると思ってるのか? ヤツもあんたも終わりだよ……おい!よせッ!!」


 顔を真っ赤にした城戸警視の前で、新藤署長はきゃめらを持った記者の一人をつかまえ、引きずり倒した。


 きゃめらの向けられていた方には、蒼白な顔色で腹から血を流している警官がいる。


 彼を、家具を解体して作った即席の担架たんかに乗せる部下達を尻目に、新藤署長は記者に向かって怒鳴った。


「負傷者や死体を撮るな! 薄汚い鼠どもめ! 記事に俺の部下の写真を一枚でも載せてみろ、まとめて牢にぶち込んでやるからな!」


「いや、それは殺生せっしょうですよ署長さん。これぁ俺達記者の権利なんで」


 きゃめらを片手に提げたまま立ち上がる記者に、新藤署長が目を吊り上げた。「権利だ!?」と凄む署長に、記者は伸ばしっぱなしの髪をかきながらうなずく。年配の、痩せた記者だった。


「事件が起きた後でけが人や仏さんを撮ったんなら、殴られてもしかたないですがね。事件の渦中かちゅうに飛び込んで、命がけで現場を撮るんなら、そこは人情として許可してもらいてぇもんです。俺達は自分の命で、真実を持ち帰る権利を買ってんです。これが報道人の精神ってやつで……」


「いいか、よく聞けよダニ野郎。人の生き血をすする新聞屋なんぞがいっぱしな口を利くな。貴様らは普段どおり、便所紙に嘘八百を書き散らしてりゃあいいんだ。真実なんざダニにはもったいない!」


 頭を小突いてくる新藤署長に、記者は厚い唇をもぞもぞと動かし、頬をかきながら言った。


「でも、このままじゃあんたら、まずいんじゃないかね」


「……何だと」


「実際、俺達ダニが配る新聞が世論を動かすんだろ。今回の事件だって俺達が真実を広めなきゃ、誰もあんたらの戦いを正しく伝えられねえ。そしたら大手新聞と仲の良い権力者が、自分に都合のいい真実を捏造しちまう。そこのゲスが守られて、あんたらが悪党にされたらどうすんだよ」


 ペンだこのできた指で城戸警視を指さす記者に、城戸警視も、新藤署長も同時に目を剥いた。


 記者は頭をかきかき、はれぼったい目で新藤署長を見る。

 微妙に焦点の合っていない、ぼうっとした眼差まなざしだった。


「何が悪で、何が正義だったのかは黙してちゃ伝わらねぇんで。そしてそれが秘されるのは、世間にとっちゃ害なんで。俺達記者は間違いもするし、嘘つくヤツもいる。ろくでもねえ記事書いて人を不幸にするクズもいる。

 でも真実を伝えるって行為だけは、尊いんで。それをしようって記者だけは、絶対に正義なんで」


「クソ野郎が」


 うなるような声が、城戸警視と新藤署長の口から同時に落ちた。


 新藤署長は今にも殴りかかっていきそうな城戸警視をはばむように狙撃銃を横に突き出すと、年配の記者に歯を剥いて怒鳴る。


「人間の写った写真は使うな、記者ならペンだけでも仕事をしてみせろ! 身を低くしてとっとと失せろ、ダニめ!」


 記者は頭をかいたまま「はいはい」と、脱出準備をしている警官達の方へと下がった。


 そしてひしめき合う人々の中に津波とマスターを見つけると、そちらへ近づきながら唇をゆがめてみせる。


「津波よ、あの署長石頭だなあ。俺てっきり避難せずに奥へ行けるとばかり思ってたのに」


「なんでだよ。格好の良いこと言ったからか? 警察はそこまで甘くねえだろ」


「俺が署長だったら感心して随行ずいこうさせるけどな。やっぱり人情が足りねえよ、警察は」


「そんなこと言ってるからお前らは大手の新聞社に行けねえんだよ。……今まで撮った写真で我慢しな。ほら、動くぞ」


 ショットガンで武装した警官が三人先行し、玄関への道をたどり始めた。


 その後から充分距離を取って、新藤署長が狙撃銃を手に、撤退する人々を率いて部屋の外に向かう。

 殿しんがりには確保されたメイドを連行する警官達と、拳銃を持った大西巡査がついた。


 彼らが移動を始めて一分と経たない内に、前方から銃声が響く。

 新藤署長が群から飛び出て、援護に向かった。


 残された津波達が身を低くして廊下の壁に張りついていると、ややあって、今度は後方から、壁を震わせて爆発音が聞こえてきた。






「――下がれ! 下がれーッ!!」


 中庭で叫ぶ森元の声が、降り注ぐ瓦礫がれきと崩れ落ちてくる屋根の音に吸い込まれた。


 突如火を噴いて爆ぜた回廊の二階部分が、そのまま中庭に落ちてくる。


 メイド達の銃撃が一瞬途切れたと思った直後の、爆発。逃げ遅れかける枝野巡査に駆け寄り、わきを抱えて走る森元のすぐ後ろに、屋根のへりが突き刺さり、土がえぐれて舞い上がった。


 衝撃に吹き飛ばされる二人を、仲間の警官達が必死に屋内に引きずり込む。


 開いた扉の向こうに立ち込める土ぼこりの中に、一瞬赤い光がきらめいたと思うやいなや、ごうごうという風のような音が押し寄せて来た。


「……狂気だ……」


 つぶやく森元の目の前で、消滅した二階部分から伸びてきた炎の線が屋敷中に広がった。


 雨どいを中心に走る炎は窓や煙突から屋内に入り込み、みるみる屋敷内を満たしていく。どう見ても、可燃性の油に燃え移る炎の動きだった。


「雨どいに油を流してあったんだ……山田秀人め、いったいどうするつもりなんだ!?」


「森元!」


 後方からやって来た横山刑事達が、森元に駆け寄る。


「何があった!? 火の手が……」


「爆弾が仕掛けられていたらしい! 軍の装備か……そこら中に油が引いてある! すぐに火の海になるぞ!」


「くそ! 幸太郎君が! 山田秀人も! このままじゃ取り逃がしてしまう!」


「君はみんなを連れて外へ出ろ! 屋敷の周囲を固めるんだ!!」


 森元は警官の一人からショットガンを奪うように取ると、立ち上がって再び中庭の方へ走り出そうとした。すかさず横山刑事がその腕をつかむ。


「何をするつもりだ!? 莫迦はよせ!」


「もめているひまはない! 山田家は私が挑み続けてきた敵だ、私には残る義務がある! 山田秀人から幸太郎君を取り戻す!」


 横山刑事の太い腕を振りほどこうとしながら、森元は炎の音を裂くように叫んだ。


「私は『大丈夫ですよ』と言ったんだ! あの子に警官として、無事を約束したんだッ!!」





 横山刑事の腕がゆるんだ。


 森元が振り払うまでもなく、それはぐったりと垂れ下がり、床に落ちて行く。 



 炎の音にまぎれた小さな音が、横山刑事の体を倒していた。



 目を見開く森元の前で、うつぶせに倒れた横山刑事が「くそっ」と小さくうめく。


 彼の背中から広がる赤い染み。


 唖然とする警官達が目でたどる白煙の先には、銃口。


 横山刑事が連れて来た警官の一人が、拳銃を森元に向けて構えていた。


 さらに四人の警官が銃を構え、他の警官を取り囲むように扇形に展開する。


「……やはり……まぎれていたか……!」


 新藤署長は、森元を援護するために築地警察署の警官達を連れて来た。


 もともと山田栄八に支配されていた、いわば山田派の警官の多く属する警察署の警官達を。


 新藤署長には、山田派とその他の警官を見分けるすべも、時間もなかったに違いない。警官隊に紛れた敵は、この混乱に際して本性をさらけ出したのだ。


 横山刑事を撃った警官が制帽を親指で突き上げ、森元を見る。


 にやつくその顔は、以前は伸びていたひげがばっさりと剃られているものの、河合雅男の替え玉が移送される際、築地警察署の裏口で横山刑事に蹴りを入れていた刑事のものだった。


 森元はショットガンを握ったまま、周囲の味方に素早く目を走らせる。

 メイドと銃撃戦を繰り広げた警官達は、その多くが負傷し、銃の弾丸を撃ち尽くしていた。


 拳銃を構える彼らの表情から、残弾のある者は、二名と見た。

 それ以外の者の表情には自信がなく、恐怖に震えている者もいる。


 一方山田派の刑事達は、全員が余裕の表情で森元達に銃口を向けている。

 ひげを剃った刑事が、もがく横山刑事を見下ろして唾を吐いた。


「だから言ったんだ。自分がどんな扱いを受けたいか、よく考えろってな」


「地獄に落ちろ……!」


 うなる横山刑事が、取り落とした自分の拳銃に手を伸ばそうとした。


 彼に銃口を向ける刑事に、森元が叫びながらショットガンを振り上げる。



 引き金を引く前に、鮮血が上がった。音を増す炎のうねりの中、金属の光が肉に埋まる。


 他の警官達が発砲する中、森元は引き金を引けなかった。森元の両脇の警官が撃ち出した弾丸は一発は壁にそれ、一発は敵の一人の胸に命中する。


 敵側の放った弾丸は、三発。

 その内の一つは床に向けて放たれ、もう二発は発射の瞬間に射撃者が後ろに視線をそらしたせいで、森元の髪と腿をかすめて後方に消えた。


「――――」


 ひげを剃り、横山刑事をあざむいた刑事が、首筋を押さえて硬直していた。


 指の間からあふれる血液が制服を染める間に、彼の周囲で金属の光が舞い散る。


 逆手に握られたナイフが、拳打の速さで繰り出され、刑事達の太い動脈を裂き、喉笛をかき切った。襲撃者に銃口を向ける刑事の指が落ち、その心臓に刃が突き刺さる。


 ナイフを敵の胸に残した軍服の男が、最後に残ったひげの無い刑事を横目にちらりと見、赤く染まる胸元を指先で突いた。


 首筋を押さえたまま、刑事が仰向けに倒れる。


 森元はショットガンの銃口の先に現れたダレカに、銃を下ろすことも忘れて震える声を投げた。



「……来てくれたのか」


「世話の焼ける男だ。心底」


 二人の会話を聞き、ダレカが敵ではないのだと察した警官達が息をつく。


 彼らはすぐさま横山刑事の手当てと、倒された敵の銃の奪取にかかった。


 ダレカは森元のショットガンの銃身をつかむと、それを天井に向けさせて「俺の後ろから撃つなよ」と低く言った。


「これは散弾銃だ。敵を狙ったつもりでも、俺の頭が吹き飛ぶ」


「一緒に行く気なのか?」


「ありがたく思え。この護衛は無料奉仕だ」


 薄く笑うダレカに、森元は少し間を置いてから、頭を下げた。


 そうしてうめく横山刑事に屈み込むと「死ぬなよ」とその目を覗き込む。


「行ってくる。山田栄八の下にいた我々が、山田秀人を倒す。決着をつけるんだ」


「……頑固なヤツめ……」


「外で会おう」


 約束だ。


 そう言って差し出される森元の右手を、横山刑事は苦労して、しかし万力のような力で握り返した。


 横山刑事の唇が動き、森元に後を託した。『やっつけてやれ』と力強く見つめてくる目に、森元は黙ってうなずく。



 警官達に脱出を命じると、森元はダレカとともに回廊へ走り出した。


 這い広がる炎と煙の中に、二人の影が、消える。

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