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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵2 ~焔の少年~  三章  焔の少年
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二十四

 数十分前。ダレカを残して地上に駆け上がった棚主は、森元達と合流すべく、階段先の扉を力任せに蹴破っていた。


 廊下に出た瞬間、離れた位置で待ち構えていたメイドが銃撃してくる。銃弾は棚主のすぐそばの壁に突き刺さり、破片を散らした。


 とっさに抱えていた幸太郎をかばい、銃口を背に走る棚主。


 容赦なく次弾を放とうとするメイドの前に、地下室の闇を引きずった時計屋が蹴破られた扉から勢い良く飛び出す。


 黒い衣の中から鉄の光が飛び、メイドの頬をつらぬいた。


 悲鳴を上げる彼女の顔に刺さったのは、ナイフのようなドライバーだ。メイドは鬼の形相で、身をひるがえす時計屋に銃口を向ける。


 立て続けに銃声が響き、弾丸が時計屋に向かって飛んだ。


 だがその直後、彼を追って廊下に出て来た使用人達が弾道をふさぎ、次々と被弾する。


 壁や床に倒れ込み視界をはばむ彼らに、メイドは絶叫してさらに拳銃弾を乱射した。


「どけ! 莫迦野郎ッ!!」


 枯れ木のようになぎ倒される使用人達の向こうに、廊下の角に消える時計屋の足が覗く。


 駆け出してそれを追おうとしたメイドが、しかし突如響いた銃声と共に後頭部を爆ぜさせ、転倒した。


 彼女の後方から銃を構えた男の使用人が二人駆けて来て、メイドに撃ち倒された仲間を救助する。ほとんどが死んでいたが、かろうじて一人だけ息をしていた。


「秀人様はどこだ!? 子飼いのメイド連中が暴走してるぞ、警官隊を銃撃している!!」


「や、やつらは秀人様の『飼い犬』だ……秀人様の指示でなければ、動くはずがない」


「秀人様が銃を持てと命じたのか!? そんな莫迦な……」


 言葉半ば、銃を持った使用人達に影がかぶさった。


 彼らが顔を上げれば、片耳と片目を失った主が、ほくそ笑みながら立っている。


 地下室から上がって来た山田秀人を、使用人達は当然に保護すべきだった。

 だが彼らは、主のまとう異様な雰囲気に本能的に危機を察知した。


 山田秀人の手には、血に濡れた日本刀が握られている。


 節くれ立った太い指がぴくりと震えた瞬間、銃を持った二人の使用人は、反射的に銃口を山田秀人に向けていた。


嗚呼ああ


 日本刀に斬り飛ばされた二本の右腕が、床と壁に飛沫しぶきき散らしながら空中に螺旋らせんを描いた。


 驚愕する男達の喉を、刃が瞬時に行き来する。


 生きている者を全て切り刻む山田秀人が、廊下の一角を血の海に沈めてから再び「嗚呼」と吐息を落とした。


 彼は拳銃を握ったままの右腕を一つ拾い上げると、棚主達が消えた曲がり角へと歩いて行く。


「武器を取れ。殺し合え。戦場にいろどりを。それが、君達の役目だよ」


 狂人が曲がり角に消える。

 彼が行く先では、刃が肉を裂き、命をこそぐ・・・音が響く。


 死の音が、棚主達を追った。





「……!」


 吹き抜けのホールの一階を走る棚主を見つけた瞬間、梶野かじののどろりとよどんだ目に生気が流れ込んだ。


 階段を上がった二階の廊下の手すりに、ヤクザ達が身を寄せ合って隠れている。梶野優助かじのゆうすけはその中からはじけるように立ち上がり、眼下を睨んだ。


 そんな彼を、すかさず組長の穴鳥が叱咤しったし、座らせようとつかみかかる。


「莫迦野郎! 何立ってやがるんだ、あのイカレ女どもに見つかるぞ!」


「オヤジ! あの野郎だ、あの探偵がいやがった! 雨音を取り返しに俺の事務所に殴り込んで来やがった探偵だ! 俺達の仇だ!!」


「何寝ぼけてやがる! そんな野郎がいるわけ……」


「オヤジ! ヤツをぶっ殺そう!!」


 瞬間、梶野の浅黒い頬を拳が打ちすえた。


 身じろぎ一つしない梶野が、歯を剥いた穴鳥の顔を見る。


 ――小汚い、迫力のえ果てた顔。

 今の拳打にも、なんの痛痒つうようも感じなかった。


 ヤクザになったばかりの頃、毎日のように振るわれた拳の痛さはどこへいったのか。


 年を取ってからシマを失い、おそらく人生最後の名誉挽回の機会に必死にしがみついている組長の顔に、梶野は一気に『親』への敬意が失せていくのを感じた。


「しっかりしやがれ! 今ここでしくじるわけにはいかねえんだ! 会長を無事にお逃がしすることだけを考えろ、弾除たまよけのてめえが勝手に動くんじゃねえッ!!」


「オヤジ、悔しくねえのか? 俺達をここまで転落させた張本人が下にいるんだぜ」


「俺を転落させやがったのはてめえだろうが!! てめえが雨音を囲わなけりゃこんな……」


 穴鳥はそこまで言って、背後から突き刺さるヤクザ達と寄桜会会長の視線に口をつぐんだ。


 頭をかきながら「必ずお助けしますんで」と会長にび笑いを向ける彼を、梶野は、とうとう見限った。


「……あんただって……あんただって、雨音の体を好き放題ほうだい楽しんでたじゃねえか。こんな肉置ししおき(肉付き)の女はめったにいねえって、言ってたじゃねえか! 自分も共犯のくせに被害者ぶってんじゃねェよ!!」


「! 梶野てめえ!!」


「ヤクザは媚びより面子めんつだ! ジジイを守りたきゃてめぇだけでやっていやがれ!!」


 唾を吐いた梶野が、階段を駆け下りて棚主を追った。


 背後の怒号を無視して、金色の柄の匕首あいくちを懐から取り出し、さやを投げ捨てる。


 下っのヤクザとして頭を押さえられ続けるくらいなら、憎い仇を殺して、おたずね者として生きる方がマシだった。


 ヤツをめった刺しにして、内臓を引きずり出し、よその組の保護下で安穏と暮らしている雨音に食わせてやる。


 抱きながらに、犯しながらに、あの女の口を裂き、こぼれるほどに詰め込んでやるのだ――




 廊下を走る棚主が、曲がり角の先にメイドの背を見つけて急停止した。


 鳴り響く銃声のおかげで、足音には気づかれていない。メイドは部屋を挟んだ向こう側の廊下に向けて、ショットガンを連射している。


 棚主は必死に腕にしがみついている幸太郎を抱えたまま、ゆっくりと角まで戻った。


 台の上に飾られた青磁せいじの壷の陰に身を隠すと、入れ替わりに後から来た時計屋が、メイドの背に足音を殺して向かって行く。


「目をつむってろ」


 命じる棚主を、しかし幸太郎はおびえた目で見上げた。棚主のなでつけていた髪がほどけ、額から筋になって落ちている。彼はもう一度、今度はわずかに口端を引き上げて言った。


「まぶたを閉じるんだ。次に開けた時は、屋敷の外だから」


「……」


「見るべきでないものは、見なくていい」


 棚主の手が、握っていた宝刀を手放し、幸太郎のまぶたに伸ばされた。


 瞬間、幸太郎の瞳に『それ』が映った。見るべきでないもの。そう棚主が形容した、災厄。


「後ろッ!!」


 叫ぶ幸太郎の目の前で、歯を剥いて笑う梶野が、匕首を棚主の背に振り下ろした。


 棚主の目がかっと見開かれ、幸太郎の目に伸ばされていた手が、そのまま裏拳となって梶野に向かう。


 裏拳が、梶野の顔面に炸裂した。

 すでに又の字の拍車に縦に裂かれていた棚主の背に、匕首が浅く横の線を引く。


 梶野が壁際に飛ばされ、幸太郎が棚主の腕からずり落ちた。


 一瞬幸太郎に気を取られた棚主に、梶野がさらに匕首を腰だめにして突進する。梶野の腕を寸前で受け止めながら、棚主は敵とともに床に転倒した。


「久しぶりだなあ、探偵ぇえ……!」


 匕首の刃を全身全霊をもって押し出す梶野に、棚主は歯を剥いて対抗する。

 梶野が棚主の膝に膝を乗せ、覆いかぶさるように上になった。喉元めがけて、両手で匕首を握る。


「この時を夢にまで見たぜ! てめえがご執心しゅうしんだった雨音もすぐに後を追わせてやる……! 俺が使い古した、肉布団でよけりゃなあ!!」


 棚主が火を吐くかのような形相で口を開いた瞬間、梶野の頭に青磁の壷が叩きつけられた。


 ごすっ、と音がした後、そのまま壷は床に取り落とされ、騒々しく砕け散る。


 振り向いた梶野の目の先に、唇を噛んで震えている幸太郎がいた。


 目を凶悪な形に吊り上げる梶野。幸太郎は砕けた青磁のかけらを拾い上げ、なおも敵に向かって行こうとする。


「何だ!? クソガキがあッ!!」


 怒号に萎縮いしゅくした幸太郎を、梶野の靴底が蹴り飛ばした。


 軽い少年の体は容易に吹っ飛び、廊下に叩きつけられる。だが片足を上げた梶野の腹を、即座に棚主の膝が打ち上げた。


 ぐっ、とうめく梶野が視線を戻すと、棚主はもはや人の顔をしていなかった。憎悪一色に染まった悪鬼の顔が、匕首を握る梶野の指に食らいつく。


 関節に食い込む歯が、ごきりと音を立てて指を噛み砕いた。

 声を上げた梶野が力を抜いた瞬間、そのあごを棚主の右の掌底しょうていがまともに打つ。


 匕首が梶野の手を離れ、床に落ちた。

 梶野を力任せにわきへ振り飛ばした棚主が、転がるようにして身を起こす。


 遅れて立ち上がろうとする梶野の横顔に、靴底が埋まった。

 壁に叩きつけられると、さらに二度三度と蹴りが襲ってくる。


 必死に壁を背に立ち上がる梶野の腹に、今度は体重の乗った拳が突き刺さった。


 胃がひしゃげ、たまらず嘔吐おうとする。吐しゃ物を靴に落としながらそれでも立ち続ける梶野の顔面に、さらに拳が命中する。


 こめかみを殴打され、腰を折ると髪をつかまれ、顔面に膝蹴りを叩き込まれる。


 うめく梶野が棚主の服に指をかけると、その指をつかまれ、一瞬でへし折られた。

 声を上げると背中に打ち込まれ、息を全て吐き出させられる。


 暴力の嵐にさらされた梶野は、せめて一撃、とばかりに指を折られていない手で拳を握り、最後の拳打を放った。


 だが棚主は情け容赦なくその腕を抱え込み、梶野の体を巻き込むように自ら勢いをつけて転倒する。


 床に倒れた梶野の腕が、棚主の全体重を受けてぼきりと折れた。


「……ッ……!! そんなわけ、ねえ……そんなわけねえ! なんで俺が……剛の者のヤクザの俺が……喧嘩で負けるなん……ざ……!!」


「『喧嘩』のつもりだから、勝てねえんだよ」


 梶野の首を背後から、がっちりと棚主が固める。


 丸太のような腕にホールドされた梶野の顔が、みるみる赤くなり、震え出す。


 棚主はめりめりと梶野の首をひねりながら、最後に別人のように残酷な口調で言った。



「ところで……誰だ? てめえは」



 怒りと驚愕に目を見開いた梶野の首が、ぼきんと音を立てて砕けた。


 そのままぐったりと力が抜ける梶野の体を、棚主はゴミのように放り出す。



 急いで幸太郎の方へ駆け寄ると、倒れた彼に手を伸ばそうとした。


「触らないで!」


 思わずびくりと手を震わせる棚主の前で、幸太郎がうめきながら床に手をつき、這い上がる。


 見れば廊下の先では、時計屋が血に染まったレンチを片手に棚主と同じような姿勢で固まっていた。


 二人の殺人者の間で、幸太郎は汚れた腹を押さえながら、自力で立ち上がった。目に溜まった涙を袖でぬぐい、「平気だよ」と誰にともなく言う。


「立てるから……ぼく、自分で歩けるから……」


「おい……」


「いつまでも抱っこされてちゃ、ダメですよね」


 引きつった笑みを浮かべる幸太郎が、梶野を見て口元に手をやった。


 眉根を寄せて吐き気をこらえているようだが、視線を外さずにまっすぐに死体を見る。


 口を引き結ぶ棚主の前で、時計屋が「急ごう」と小さく言った。


「道は開いた。出口まで、そう遠くないはずだ」


 背を向けて進み始める時計屋に、幸太郎がやや前かがみに蹴られた腹をかばいながら続く。


 棚主は少し沈黙した後、すぐに幸太郎に駆け寄り、その脇を守るようにして共に前へ向かった。

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