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無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵2 ~焔の少年~  三章  焔の少年
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十九

 山田秀人は次々と駆けつけて来る部下の報告を喜々として聞いていたが、やがて棚主達に向き直ると、満足げに深く息をついた。


「どうやらここに僕の敵が大挙して来るらしい。森元に、警察に、新聞記者に、鉄道会社か……君らの策略なら、嬉しいな」


 山田秀人の視線を受けて、しかし棚主とダレカは冷めた目を返す。

 彫刻のような男の拳銃に後頭部をポイントされたまま、棚主が首を振った。


「敵を作ったのはあんただ。帝都中に敵意の種をまいた」


「見事に育ったわけだ。あとは収穫するだけだね」


 このに及んで余裕しゃくしゃくの相手に、棚主は内心舌打ちをする思いでいた。この狂人を相手にしていると、自分の置かれた立場が分からなくなる。


 森元達の到着は、幸太郎を救出するには最高の追い風のはずだ。本来なら彼らと合流できれば、幸太郎も棚主も、ダレカも、おそらく無事に屋敷の外に脱出できる。


 だが、山田秀人の表情を見るととたんに自信がぐらつくのだ。何か重大な見落としをしているかのように、根拠のない不安がわき出て攻撃の決断に踏み込めない。


 山田秀人はじょじょにこちらに近づいてくる喧噪けんそうにくるりと背を向けると、「急ごう」と低く言って廊下を歩き始めた。


 棚主とダレカは、森元達のいる玄関から離れて行く山田秀人に、今こそ幸太郎を奪取する時かと素早く視線を交わす。


 だが、そんな二人の考えを読み取ったように又の字が幸太郎を抱え上げ、その細い首に手をかけた。彫刻のような男も銃口を寸分の狂いもなくポイントし続け、動きがあれば即座に棚主を射殺する構えを崩さない。


 後方で高まる緊張に、山田秀人は背を向けたまま声だけを放った。


「無粋なことはしてくれるなよ。予定は変わらない。地下にいる島田に会いに行こうじゃないか」


 島田を監禁しているのは、地下室か。


 ついて行くのは危険だが、幸太郎を取り戻す隙が見つからない。


 森元達が踏み込んで来たのなら、逃げ場のない地下におもむいている間に彼らが屋敷を固めてくれるはずだ。


 棚主とダレカは、山田秀人の護衛達と、さらに七人ほどの使用人と守衛に囲まれる形で、廊下を先導する狂人の後に続いた。





 一方屋敷に突入した築地警察署の警官達は、制止してくる使用人を振り払いながら家宅捜索を進めていた。


 戸棚や机の中はもちろん、調度品や、床や壁まで念入りに調べる彼らの中を、城戸警視が怒鳴りながら飛び回る。


「貴様らただで済むと思っているのか、警視の俺がやめろと言っているんだぞ!」


 机の中の物品を引き出しごと床にぶちまける刑事に、城戸警視が殴りかかった。固い頬肉を打った拳は、まるで平手を叩きつけたような乾いた音を立てる。


 わずかによろめいた刑事は、しかし城戸警視には見向きもせずに床に膝をつき、ぶちまけた物品を調べ始めた。


 城戸警視はさらに彼の襟をつかむが、刑事は完全にそれを無視する。耳元で罵声ばせいを上げられても、固く口を引き結んで手を止めなかった。


 そんな様子を写真に撮ろうとする記者を恫喝どうかつしながら、城戸警視は歯ぎしりして周囲の全てを睨みつける。


「だいたい……そうだ、ここは貴様らの管轄じゃないだろうが! 深川は築地警察署ではなく西平野にしひらの警察署の領域のはずだ! 向こうに連絡して止めさせてやる!」


 素晴らしい思いつきを口走った城戸警視の背後で、ぶつりと何かが切れる音がした。


 振り向くと横山刑事が、白々しく『しまった』というふうに開けた口に片手をそえていて、卓上電話機のぶら下がったちぎれたコードをつまんでいた。


「いかんいかん、警視殿がおどかすからつい力んでしまったな。これじゃ電話はつながらんなあ」


「横山貴様……!」


「他の電話を探します? もっとも仲間には電話を見つけ次第『力め』と言ってありますがね」


 城戸警視は横山刑事につかみかかろうとしたが、その瞬間横山刑事が電話機を壁に叩きつける。


 騒々しい音を立てて壊れる電話機。城戸警視がぎょっとして後ずさり、彼の取り巻きがその前に駆け寄る。


 電話機を砕いた横山刑事は、そのままあらぬ方向に拳打けんだを繰り出しながら笑顔で「ハエがね、いたんですよ。そこの壁に」とのたまった。


 瞳を天井に向けて歯を剥きながら、さらに「礼はいらんです」とぬかす相手に、城戸警視は頭をかきむしりながら取り巻きに叫んだ。


「西平野に行って応援を呼んで来い、管轄を無視した違法捜査が行われていると言えば飛んで来る!」


「西平野の方にも傀儡かいらいがいるんですか? だとしても、それを使えばあなたにとってもまずいことになると思いますがね」


 新藤署長の横に立つ森元の台詞に、城戸警視が口をゆがめて振り返った。


 かつては彼を理解ある支援者として、尊敬の念すらこもった目で見ていた森元が、いまや汚いゴミを見るような目で見ている。


 城戸警視は森元を指さし、濁った声を出した。


「誰かの下につかねば何もできん青二才が……俺を見下すんじゃない」


「それをあなたが言いますか。ことを大きくすればするほど、山田家に買収されていない警察幹部が出張ってくる可能性が高くなる。私が騒いでも出て来ないような人でも、あなたが事件に関与していると分かれば興味を示すでしょうよ」


「貴様自分をいったい何様だと思ってる!?」


 吼える城戸警視に、森元はそれ以上応えず、床を見た。眼鏡が照明を反射し、鏡のように光る。


 着々と屋敷の中をひっくり返し、奥へ奥へと進んで行く警官の群はもはや城戸警視には止めようがなかった。


 事実、築地警察署以外の署にも城戸警視の部下はいるが、新藤署長と同程度の立場の人間を動かしてぶつければ必ず大ごとになる。

 まして屋敷の中には報道陣と鉄道会社の長もいるのだ。秘密裏に警官達を追い出すことは不可能だった。




 大騒ぎをしている城戸警視を、屋敷の奥から見ている者がいた。


 山田秀人に取り入ろうとしたもう一人の帝都の悪党、ヤクザ組織、寄桜会の会長だった。


 彼は既に屋敷の一室に押し込められていた子分達を連れ出し、現場からの逃走を図っていた。だがむやみに広い屋敷をさまよっている間に、玄関の他には唯一の脱出口である裏口を警官達に固められ、出るに出られなくなってしまったのだ。


 周囲を高い壁や鉄柵で囲み、二つの出入り口を守衛で固めた山田秀人の別荘は、彼の城というよりはまるでおりのようだと会長は思った。


 連れ込んだ獲物を容易には逃がさない、豪奢な檻。さもなくば甘い体液を出すちょうの幼虫を養う、ありの巣を連想させる。


 客に快適な生活を提供する一方で、主人の監視の下でなければ決して出ることができない作りになっているのだ。


 今は山田秀人の守衛の代わりに、警官達が巣の出口をふさいでいる。

 会長は廊下の陰に引っ込みながら、子分達の前で自分の頭を平手で何度も叩いた。


「――冗談じゃねえ、冗談じゃねえぞ! あの署長なんだって今更裏切るようなまねをしやがるんだ! あのおまわりどもや記者どもに俺の顔を見られたら終わりだぞ!」


「俺達が今回の悪事に手を貸してたってことがバレますかね」


 横から問いかけた初老のヤクザを、会長は固めた拳でぶん殴った。

 鼻血を垂らして驚く子分を、会長はさらにもう一発打ちすえる。


「この大莫迦野郎! 寄桜会の系列の組が三吉を襲ったことはとっくに世間に知れてんだ! まずいのはその襲撃が鉄道会社の依頼じゃなく、山田秀人のためだったってバレることだ! まして会長の俺がここにいたら、寄桜会自体が山田秀人に協力してたってことになるだろうが! 末端の鳥毛とりげ組が単独で暴走して協力してたって、言い訳もできなくなるだろうが!!」


「そ、そんなこと、後で山田秀人に情報操作でもしてもらえば……うちはやつのお抱えになるんでしょう。城戸警視もいますし、こんな騒ぎで山田秀人ともあろう者が揺るぎやしませんよ。大丈夫ですって」


「ぶっ殺されてえのかてめえ!! 秀人は本家の跡継ぎのガキをさらってんだぞ!! ガキが警官の手にでも渡ってみろ、下手すりゃ今回の裏のほとんどが明るみに出かねねえ! それが本家に知れればいくらなんでも秀人の当主継承はなくなる! そうなれば秀人自身は助かっても俺達は助からねえんだ!

 山田家当主の後ろ盾がなきゃあ、こんなあくどいことに手ぇ貸した俺達を銀座の他のヤクザが見逃すわけがねえだろうがッ!!」


 そもそもが寄桜会が山田秀人に近づいた最大の動機が、銀座のヤクザ組織同士の力関係を塗り替えたかったからなのだ。


 山田家とのパイプを独占し、他の組織よりも優位に立ち、ひいては先日の四者対談で緋扇組に舐めさせられた辛酸しんさんの借りを返そうというのが、寄桜会会長のたくらみだった。


 そういった思考を、山田秀人のもろもろの行為と、それに寄桜会が関わっていたという事実から他の組織の長達が読み取らないはずはなかった。


 抜け駆けして自分達との協定をくつがえそうとしたことを、今回の事件の様々な汚点に結びつけて非難してくるのは目に見えている。


 下手をすれば、かつての鴨山組と同じてつを踏むことになる。

 四面楚歌しめんそかになり、末端の組から離反する連中も出てくるだろう。


 山田秀人の屋敷に寄桜会の会長が招かれていたなどという事実を、玄関にいる連中に気づかれることだけは避けねばならなかった。


 会長は肩で息をしながら、何とか活路を見いだせないものかと頭をひねった。


 安全な逃げ道はない。強行突破するには警官の少ない裏口からの方が望みはあるが、下手に相手に怪我でもさせればやっかいなことになる。そもそも山田秀人は無事なのか? やつがどういう状況にあるのか、この問題をどう切り抜けようとしているのかもはっきりしない……


 会長はやがて、目の前で自分に殴られた顔をかばい、恨めしそうな視線を床に落としている子分を見た。


 子分とはいえ、彼は寄桜会に属する一つの組の長である。ただ、彼の組は過去に大きな失態をしでかして寄桜会そのものに損失を与え、シマのほとんどを召し上げられていた。


 組自体が会長の、ていのいい使い走りのような扱いを受けていた。


 会長はしばらく考えた後、ねばつくようないやらしい笑みを浮かべ、初老の子分の肩を叩く。


「おい、穴鳥あなどり。ここはひとつ大恩ある寄桜会のために、男になれや」


「へっ。どういうことで……」


「こういうことよ」


 会長はそう言って自分の衣を脱ぎ、穴鳥と呼んだ子分の肩にかけた上で、他の子分達の中にまぎれた。


 子分の一人の背広をひったくるように脱がせるとそれを着込み、「下も脱げ」と命じると、渡されたズボンをふんどしの上から履く。


 最後に廊下の壁に飾られていた清朝の旗を頭に巻き始めた頃には、さすがに穴鳥にもその意図が分かったらしかった。


「俺が会長の身代わりになるんで?」


「別に俺の代わりじゃなくたっていい。俺らの頭は今からお前ってことだよ。上手いこと逃げられりゃあ良し。もし捕まったらてめえは自分の名前を正直に話しゃあいい」


「会長はどうするんで……」


「莫迦。お前らが命がけで逃がすんじゃねえか……いいか、穴鳥。こりゃあお前にとっての好機なんだ」


 穴鳥の両肩をつかみ、会長が優しげな声でさとすように言う。


「お前らがあの天道雨音って女にむちゃくちゃしやがったから、まわりまわって緋扇組なんて、よそ者のヤクザに借りを作ることになったんだ。お前らさえふざけたまねをしなけりゃあ、俺も今こんなひでえ目に遭ってなかったかもしれねえ」


「で、でも『カッフェ一つで借りがなくなるなら安いもんだ』とか言って、緋扇組の要求をのんで、銀座にシマをやったのは会長……」


「しっかり俺を守ってくれや。そうすりゃ、以前のシマを返してやってもいい。ブチ込まれても会の総力を挙げて助けてやるからよ」


 その言葉を聞いた瞬間、穴鳥の目に鈍い光が宿った。「本当ですか?」と微笑しながら問う子分に、会長は心の中で舌を出しながら深くうなずいてみせる。


「二言はねえよ。俺を救うってことは会を救うってことだ。お前だって、死ぬまでに大幹部ぐらいにゃなりてえだろう?」


「お前ら! 会長を隠せ! 機を見て裏口から逃げるぞ!」


 単純な性格の穴鳥は自分の子分だけではなく、一緒に屋敷に来ていた他の組の組長にまで居丈高いたけだかに命令を出した。


 身を寄せ合って会長を埋没させるヤクザ達の一人に、穴鳥はすっかり寄桜会の大幹部になったつもりで人さし指を向ける。


「おう、聞いたな梶野かじの。俺達穴鳥組が再び返り咲く日がやってきたぜ」


「へえ……」


「緋扇組に直接喧嘩売ったてめえのことは、何度川に沈めてやろうかと思ったか知れねえが、若頭から下っ端の草履ぞうり取りに落としただけで済ませたのは正解だったみてえだ。喧嘩に強いごうの者だった手前、活躍してもらうぜ」


 梶野優助かじのゆうすけは、半ばちぎれかけた右耳を指でいじりながらもう一度「へえ」と低い声を返した。


 短く切った髪、切れ長の目、薄い眉毛。

 鍛えられた浅黒い肌の肉体。


 ワイシャツの袖をまくってさらした両腕には、大口を開けている虎の刺青が施されている。




 かつて天道雨音を情婦として囲い、その人生をもてあそび、そのツケに棚主と緋扇組の若頭にヤクザとしての人生を破壊された男。


 彼は同じ屋敷に憎い仇の一人がいることなど知りもせず、やる気のない目で自分の組長を見ていた。

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