十七
山田秀人の口上が終わったのは、彼が口を開いてから十分ほどが過ぎてからだった。
その内容は昨夜、又の字や、彫刻のような男に話したのと同じものだ。口上を聞き終えた幸太郎の肩は小刻みに震え、その怒りが肩をつかんでいる山田秀人の手にも伝わってくる。
蛇のような目をした来訪者が、深く息を吸って、ため息のように言葉を吐き出した。
「……つまり……今度の騒動の根源は、あくまで島田という男であって、あんたはヤツに担ぎ出されただけ……と、いうわけか?」
「そうだよ。島田が幸太郎君一家の殺害と遺書の処分を画策し、その手段を僕に頼ると同時に、僕に山田家本家を託そうとした。僕は彼の依頼を面白半分に受け、その動きに帝都東京のヤクザや、城戸警視といった奸物が同調したわけだね」
「面白半分!? 面白半分で僕らをッ!!」
大声を上げた幸太郎が山田秀人につかみかかったが、逆に山田秀人に抱きすくめられ、締め上げられる。
肺から息をしぼり出され、あえぐ幸太郎。来訪者が即座に「やめろ」と二人のどちらにともなく命じる。
「幸太郎に傷一つつけるな……殺すぞ」
「それは楽しみだ」
低く笑う山田秀人が、ほんのわずかに腕の力を緩めた。
息を吸い込む幸太郎が悔しげに睨みつけてくるのを無視して、話を再開する。
「僕はてきとうな所で手を引いて、混乱に陥った山田家や銀座を鑑賞するつもりだったんだ。他人の計画や人生をかき乱すのは大好きだからね……だが、幸太郎君を始末する過程で君の存在に気付いた。そこからは、ただ君とめぐり合うことだけを最優先に考えた」
「推理できるわけがないな。あんたの犯行動機は、価値観は、常人に理解できる範疇を超えている」
「殺人鬼に会うことがどれほど難しいか分かるかい? 君や僕のような異常殺人者は、世間の追及を逃れるために自分の正体を隠して生きている。まっとうな人々の中に溶け込んでいるんだ…………唯一殺人鬼が殺人鬼として堂々と振る舞える場所は、この世には戦場しかない」
彫刻のような男が、小さくうなるのが聞こえた。山田秀人はその声をも楽しみながら、来訪者に笑顔を向けて語り続ける。
「僕は昔から、生き物の死を見るのが好きだった。犬猫や人が、もがき、苦しみ、ただの肉の塊に果てていくさまを見るのが一番の娯楽だった。でもね、所詮娯楽は娯楽。その時点での僕はただの『愛好者』に過ぎなかった。他者の不幸と死を愛でる、異常性癖の持ち主だ」
「今も変わらない」
「いや、微妙に違う。死を愛好する若者だった僕は、やがて自分の手で死を作り出したいと思うようになった。動物を生きながら解剖することを楽しみ、親父に頼み込んで女中をさばいたこともあった。ただの見物客から、死刑を実行する執行者になったわけだ。だが殺人の衝動は返り血を浴びれば浴びるほど深まっていく。
最終的には更なる娯楽を求めて、日清戦争に行った。好きなだけ人を殺せると思ってね」
楽しげに自らを語る狂人を前に、棚主は奥歯を噛んで冷ややかな視線を送っていた。
棚主は確かに殺人者であり、両の手では数え切れないほどの命を奪ってきた。だが、目の前の男のように殺人それ自体を愛したことはなかった。
憎い敵を殺害する時に、笑顔を浮かべた記憶はある。だが何の因果もない相手を殺して、楽しいと笑ったことはなかった。
相手も自分も同じ人殺しの鬼畜だが、その差異は無視できるほど小さくはない。
そう信じたかった。
山田秀人が、笑顔で言葉を吐く。
「僕は実際、戦場で数多くの人間を殺害できた。英雄なんて評価されるほどにね……日清・日露戦争で生まれた英雄は何人もいるが、みんなまっとうな美談でもって英雄になった男ばかりだ。勇敢で、国と仲間のために命を張った英傑達。だが僕は違う。
誰よりも早く敵陣に切り込み、けっして退かず、常に前線で戦い続けた勇気の人なんて言われるが、実際は敵の顔がご馳走に見えていただけの殺人狂さ。自分が傷つこうが死のうが、一人でも多く殺して楽しみたかった。撤退の合図が何より嫌いだったよ」
「そんな人間が五体満足で帰還するなんてな。善人は死に、救いようのない悪党ほど生き永らえる」
「その通り。だが、戦場が僕にもたらしたのは殺しの快感だけではなかった。同属とめぐり合う、喜びさ」
山田秀人のよどんだ沼のようだった目が、異様な光を帯び始めていた。
歯を剥き、楽しい思い出を語るように、声をうわずらせる。
「戦場で彼らが視界に入った時、敵味方を問わずにすぐにそれと知れたよ。表情を見るまでもなく、その仕草で同属だと分かった。嫌々戦っている者や、使命感と愛国心で精神を麻痺させている者、惰性で戦っている者とは、動きが違った。
死への恐怖も敵への同情による躊躇も一切なく一撃を放つ動作は、光り輝くほどに美しかった。殺人を愛している、戦場に快を見出している者の動きだった」
「……」
「僕は彼らと出遭った時、愛好者から崇拝者へと変わったのさ。優れた同属達に、その生き死にに触れ、崇拝する者……自分と同じ人種の殺人を他者の視点から見た時、その美しさに震えが来た。
狂った殺人鬼が大衆の中で光を放ち、殺人こそが功績となる戦場を蹂躙し、戦死する。そういった者達が何人も何人もひしめく戦場はまるで――――まるで、地獄の遊園のようだった」
もはや、棚主は山田秀人という人間を理解することを諦めていた。
悪しき精神を持ち、歪んだ成長を遂げた彼は、戦場から他の誰とも分かち合えない狂気の価値観を持ち帰ったのだ。
野の獣が笑うことができたなら、こんな表情になるのだろうか。
醜悪に歪んだ笑顔をさらして、山田秀人は棚主に言う。
「戦場では同属と存分に交わり、殺し合った。彼らを殺すのも、彼らに殺されかけるのも楽しかった。我々の殺人が戦争の行方を、時代を変えているのだと思うとそれだけで達した。
……戦争が終わった後、どんなに良い女を抱いても、どれほどの財を成しても、あの時ほどの喜びは味わえなかった。本当は日露戦争にも行きたかった。だが当時は色々忙しくて国内を抜け出せなかったんだ。惜しいことをした。後悔の極みだ」
「それで、うちらの収集ですか」
腕を組んでいた又の字が、不意に話に割り込んだ。山田秀人が笑顔を向け、何度もうなずく。
「以前から河合を護衛に雇ったりはしていたが、当時は単に彼という人物を面白がっていただけだった。今は、彼のような同属を見つけて『遊ぶ』ことが最大の喜びだ。友達になってもいいし、殺し合ってもいい。
優れた殺人鬼は鑑賞しているだけでも充分に愉快だ。君らを捜し出し、関わるためならいくら金をかけても惜しくなかった」
「島田もとんだ男を当主に選んだものだ……ヤツはどうなったんだ」
棚主の問いに、山田秀人が答える。表情は変わらないが、声がわずかに低くなった。
「この屋敷にいるよ。彼が愛した山田家が取るに足らん分家連中に切り分けられていくのを、歯軋りしながら見ている。さっきも幸太郎君に彼を見せてやろうと思っていたところでね」
山田秀人が、ふと思い立ったように手招きをして又の字を手元に呼んだ。
そして幸太郎を又の字の手に預けると、彼女の筋肉質な尻を勢い良く叩いて「出て行け」と命じる。
不機嫌そうな又の字が歩き出す前に、棚主が椅子から立ち上がった。
「誰もこの部屋から出るな。幸太郎は俺が連れて帰る」
「ダメだと言ったら?」
「誰かが死ぬだけだ」
入り口に立った彫刻のような男が、既に拳銃を抜いて棚主の頭を狙っていた。
又の字も幸太郎の襟をつかんだまま、引いた右足の拍車で床を叩く。
棚主を部屋に案内した使用人も、遅れて懐から、警棒を取り出して構えた。
「実に命知らずだ。蛮勇、無謀……しかし虚勢を張っているとも思えん。君は事実、この部屋の幸太郎君以外の全員を殺す気でいるのだろう。勝機がどの程度あるか、そんなことは二の次なわけだ」
山田秀人は依然長椅子に座ったまま、棚主を見上げて言う。
「目的のためには他人の命も、自分の命も下に置く。生粋の殺人者とはそういうものだ……実にけっこうだが、焦るんじゃない。僕が何のために君に真実を話していると思っているんだ」
「知ったことか。俺にはあんたの歪んだ趣味にも、計画にも興味がない。幸太郎ももはやあんたには用のない人間のはずだ」
「僕にとって用がなくても、君が彼に固執しているのだから仕方ない。君はけっして頭の悪い男じゃないはずだ……交渉の秘訣はね、自分が本当に欲しがっているものを相手に悟らせないことだよ。その点では君は、がっつき過ぎだ。何が何でも幸太郎君を助けたいと、そう顔に書いてある」
ようやく、顔から笑みを消した山田秀人が、長椅子から立ち上がる。
緊張した室内を悠然と歩き、棚主に無防備に顔を近づけた。
「心配要らんよ。幸太郎君は部屋を出て行くが、我々も出て行く。話に出てきた島田を見に行こうと言うのだよ。この事件の火付け役にして、真の黒幕である、先代当主の秘書殿をね」
ゆっくりと棚主の横を通り過ぎ、部屋の入り口に向かう。銃を構えたまま、彫刻のような男が扉を開放した。
「君達もこの物語に決着をつけたいだろう? 全てを仕組んだ男がどんなやつで、何を考えて多くの人を巻き込み、僕に寝首をかかれたのか。それを知っておきたいと思うのが人情だ……ついて来たまえ。案内しよう」
棚主は一瞬迷ったが、山田秀人と、幸太郎を連れた又の字が部屋を出て行くのを見て、仕方なく後に続いた。
とにかく幸太郎から離れるわけにはいかない。
目の前の又の字のうなじに蹴りを食らわせてやろうかとも思ったが、彫刻のような男が絶妙な距離をとって銃口を向け続けている。
又の字を襲えば即座に銃撃され、彫刻のような男に向かえば幸太郎が危険にさらされる。そんな距離だ。
廊下に出て少し歩いたところで、山田秀人を見つけた背広姿の使用人達が慌てた様子で駆け寄って来た。
首を傾ける主人に、使用人達が玄関の方を指さして言う。
「秀人様、問題が……鉄道会社の代表が、秀人様と一連の事件に関して話をしたいとやって来ています。記者連中を引き連れて玄関に……」
「鉄道会社? ……ああ、河合に濡れ衣を着せられた連中か」
山田秀人は無言で棚主を振り返る。さめた目で肩をすくめる棚主。
使用人達はさらに、幸太郎を指さしながら言った。
「連中はそいつのことも嗅ぎつけています。ど、どこから情報がもれたのか……山田家本家の、当主の座をめぐる諸々さえ口にして秀人様を出せと騒いでいます!」
「へえ、そりゃ大変だね。けれど山田家の事情を知っている森元が動いていることだし、特に不思議でもないだろう」
山田秀人があごをなでながら答えると、さらに別の方向から靴音が響き、屋敷の門を固めていた守衛達が歩いて来る。
彼らの中に混じっているダレカを見て、山田秀人と棚主、そして又の字の顔色が変わった。
「秀人様、この男が……」
「久しいねえ! 君! 直接会ったのはいつ以来だろう? 又の字の誘いを蹴ったそうだが、刺客の到着を待てなかったらしいね! 死にに来たのかい!? それとも靴でも舐めて謝りに!? まさかね!」
守衛の台詞をさえぎって声を弾ませる山田秀人は、きっと先代当主の護衛であったダレカに対しても、棚主と同じような興味を抱いていたのだろう。
主人の喜色満面の笑顔に気圧された使用人達を置き去りにして、ダレカが前に出た。
「あなたの側につかなかったからと言って、俺があなたの靴を舐めるいわれはないだろう。山田家の人間の中で俺が唯一義理があるのは、亡くなった先代だけだ」
「その先代が目をかけていた幸太郎君を、僕の魔手から救いに来たとでも? だからこちらの紳士と共に幸太郎君の側についた? それとも船上で先代の息子と孫を守りきれなかった罪滅ぼしかい? いやいや、そんなタマじゃないか、君は!」
ダレカは一瞬棚主と視線を交わし、それから自分を狂犬のように睨みつけている又の字を見た。小さく唇を吊り上げ、首を横に振る。
「……俺は、戦の気配を嗅ぎつけて来ただけだ。先代も山田栄八もいなくなった今、俺と山田家との関係は切れている。あとは山田秀人、あなたさえ死ねば、俺の居場所を見つけるようなヤツもいなくなる」
「こそこそ逃げ隠れしていたところを突き止めて悪かったねえ。でもお互い帰還兵同士、しかも同じ家に通じる者同士となれば、君が潜みそうなところぐらい目星がつくんだよ。一流の兵士同士、洞察が働くというものだ」
「秀人様、実はこの鉤縄が……」
守衛が会話に割り込もうとした瞬間、玄関の方でざわめきが起こり、さらに使用人が一人駆けて来た。
自分の名を叫ぶ使用人に、山田秀人は「今度は何だね!」と喜びに胸をかきむしった。
事件に関わった人々の思惑が、一挙に屋敷に押し寄せていた。
「お引き取りください、主人はお会いになりません!」
「お会いになりません、ということは、屋敷にはいるということですね」
記者に囲まれた鉄道会社の社長と押し問答をしていた守衛達は、新たな来訪者の出現に顔を引きつらせていた。
私服の刑事達と、制服警官達を引き連れて現れたのは、かつて山田栄八の腹心として本家に出入りしていた、森元だ。
小奇麗な以前の格好と違い、髪もひげも伸び、くたびれた風体になってはいるが、その目つきは完全に犯罪者に相対する警察官のものだった。
「いえ、実はこちらのお屋敷に凶悪犯が逃げ込んだ可能性がありましてね。大変危険な男ですので、我々が確保いたします」
「き、凶悪犯……?」
「河合雅男です。ご存知でしょう、例の放火魔の。こちらの屋敷の誰かが、彼をかくまっている疑いが、ありまして」
挑むように守衛の顔を覗き込む森元を、記者の一人が写真に撮った。
森元は自分の隣に立つ鉄道会社の社長と、その向こうにいる津波とマスターにちらりと視線を送る。
河合雅男の名は屋敷に踏み込むための口実として出したにすぎなかったのだが、悪名高き放火魔の名が出たことで、まず鉄道会社の社長が興奮して口を開いた。
「それは本当ですか刑事さん! 実は私、河合を雇って事件を起こした黒幕の濡れ衣を着せられた、鉄道会社の長の一人なんですが……今日はこちらの屋敷の主人が、事件の真犯人であるとの報告を受けて来たのですよ!」
「何を莫迦なことを!」
守衛の一人が怒声を上げたが、鉄道会社の社長は臆さなかった。
津波を見て「そうでしょう!?」と声を上げると、ハンチング帽をつまみながら、津波がうなずく。
「ああ、間違いないですよ。しかも刑事さん、そいつらは昨日、子供を一人誘拐して屋敷に連れ込んだようなんでさあ。現場を見ていた証人が何人もいます。凶悪犯をかくまった上に無実の子供をさらう……こりゃ、今すぐ踏み込む必要のある緊急事態ってやつじゃ、ありませんかねえ」
わざとらしい津波の口上に、森元はにやりと笑ってうなずいた。
くしくも森元が屋敷に突入するにあたり、津波が呼んだ鉄道会社と記者達が、第三者としてその後押しをする形になった。
河合雅男の件であくまでもしらを切るようなら、森元自身が山田家の内情を知る告発者として、屋敷を調べる理由となるつもりだった。
だが事件の被害者の一つである鉄道会社が、身の潔白を証明するために山田秀人を真犯人として調査を訴え、さらに幸太郎の誘拐の証言をする者まで現れた。
そして何より、それらがまがりなりにも報道陣の前で行われたのならば、強行突入をするには充分すぎる環境が整ったと言えるだろう。
「何もないと言うには、あまりにも疑惑が多すぎますね。通してもらいましょうか」
「待て! これは警察上層部の許可を得ての捜査か!? 正式な書類を……」
「緊急事態だ! どけ!」
森元の後ろから、屈強な刑事達が進み出て守衛を押しのけた。
津波とマスターがほっ、と息をついて顔を見合わせた瞬間、玄関扉が開き、怒声が道路に響き渡る。
屋敷から、数人の警察官に囲まれた、城戸警視が出てきた。
「勝手に徒党を組んで何事だ貴様らッ! 勤務はどうしたァ!!」
大声で威圧する城戸警視に、しかし、礼を返す者は誰一人としていない。
目に殺気を宿らせる森元に、背広に着替えた横山刑事が「おやおや、卑劣漢のお出ましだ」と耳打ちした。
森元は自分を睨んでくる城戸警視に、眼鏡を中指で押し上げながら、引きつる頬で微笑んだ。
「おはようございます、城戸警視。ところで天唾という言葉をご存知ですか? ――我々がここにいることより、あなたがその屋敷から出て来ることの方が――――はるかに、けしからん事態ですよ」




