表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無名探偵  作者: 真島 文吉
無名探偵2 ~焔の少年~  三章  焔の少年
42/110

 棚主とダレカは、そのまま三十分ほどを歩いて浅草へ行った。


 銀座よりも、さらに多くの人で賑わう仲見世通なかみせどおりを歩きながら、棚主は自分が巻き込まれている事件の概要を話した。

 幸太郎のことや、その居所に関しては流石にぼかした話し方をしたが、ダレカも深く訊こうとはしなかった。


 小店で珍しい招き猫の形をした人形焼を二箱買うと、棚主はダレカに一つを渡して、そびえたつ凌雲閣りょううんかく、通称『十二階』を指さした。


「あれに登ろう」


 特に異を唱えないダレカの先に立ち、棚主は十二銭の登閣料を支払い、十二階に入って行った。


 池のほとりに立つ赤レンガ造りの十二階は、約七十メートルの巨大な建造物で、内部には電気で動くエレベーターがある。


 展望所まで登ると人がひしめいているので、八階の舶来品屋の隣の窓辺に立ち、東京の風景を横目に陣取った。


 それから十分。人形焼をかじりながら、棚主がここ数日の経過を話し終えると、ダレカは低くうなって首を振った。


「……お前は結局、どうしたいんだ。山田栄八の隠し子の血統をこのまま手元においておくのか?」


「俺には人の子を育てるような資格はない。俺のようなろくでなしの元にいても、子供は幸せになんかなれやしない、それは分かってる。だが、あの子を警察や施設に預けるのは、危険だ」


「危険どころじゃない。確実に殺されるぞ。お前も森元も、山田秀人のことを何も分かっていない」


 未開封の人形焼の箱をゆさぶりながら、ダレカは窓の外に視線を落とした。

 眼下に広がる東京の風景。それをまるで忌々しいものを見るような目で睥睨へいげいしながら、元、山田家の護衛屋は言った。


「俺は元々、山田家の先代当主……山田栄八の父親に雇われていた護衛屋だ。警察内で山田栄八個人に仕えていた森元より、本家の事情に詳しい。だからこそ言えるんだ。山田秀人は、山田栄八なんぞよりはるかに危険で、凶悪な男だと」


「分家で一番の実力者だとは聞いているが」


「やり手だ。あらゆる意味でな。先代当主は彼をいつも恐れていた」


 本家の当主が、分家の男を恐れていたというのか。

 片眉を上げる棚主に、ダレカは窓の外を見たまま続ける。


「山田栄八の隠し子の話だが……山田栄八の醜聞を処理した鴨山組は、以降山田栄八のみならず、山田家それ自体にも取り入ろうとした。息子の尻拭いをしてやったのだからと、ことあるごとに先代当主にたかってきたんだ。

 山田家にはそれ以前にもヤクザとのつながりはあった。だが常にヤクザ側は下の立場だった。金と権力で、従わせていた。だが鴨山組は、隠し子の秘密を共有したことで対等の立場になろうとした。本家の連中は激怒した。下らんヤクザが図に乗りおって、とな」


「……それで、どうした」


「本家連中が策を考える前に、山田秀人が名乗りをあげた。鴨山組を始末するから、小遣いをくれと言ってな。……小遣いというのは、海運業の仕事の縄張りのことだ。とにかくそういう約束で、山田秀人は鴨山組を始末した」


「始末とは、具体的にはどういうことだ?」


「鴨山組を瀕死ひんしの状態に追いやった。鴨山組は、もともとそれなりの大きさの組織だったんだが……例の、俺達が船上で会った鴨山正一の父である組長が、他の組の女をはらませたのがきっかけで瓦解がかいしたという過去がある」


 聞いたことのある話だった。


 棚主の知り合いである緋田という名の極道が、以前そういったことを話していた。


「子分に見限られ、シマを慰謝料代わりにぶんどられ、組長は自決した、という話だったな」


「それらは全て、山田秀人の描いた絵図だ。鴨山組の組長に抱かれた女も、その亭主であるヤクザも、その一家も、全員が山田秀人の差し金で動いていたんだ。鴨山組は、はめられたのさ」


 ダレカが棚主に向き直り、軍帽の奥で目を閉じる。


「鴨山組の組長は、宴席えんせきで一服盛られたらしい。判断力の衰える類の薬だ。その上で女をあてがわれた。同席した相手の組のヤクザも全員両手に花で羽目を外していたから、同じように女に手を出した。その女が、相手の大幹部の嫁だったわけだ。正確には、四人囲っていた嫁のうちの一人、だがな」


「……自業自得だが、酷い話だな」


「もっと酷いのは、その嫁は既に夫の子を腹に宿していたらしいということだ。つまり鴨山の組長は、嫁を抱きはしたが、妊娠させてはいない。だがそんなことは、抱いた後では確かめようがない。宴席の翌日、畳の上で裸で嫁に乗って眠っていた組長は、血相を変えた幹部達に叩き起こされる……そういう構図だった」


「鴨山組のヤクザ達は何をしていたんだ。同席していたんだろう」


「組長と同じように酒と女で骨抜きにされていた。前後不覚だ」


 棚主は舌打ちをして、空になった人形焼の箱を、わきに置かれていたくず入れに放り込んだ。


 山田秀人がやり手というのは、そういうことか。


 おそらく鴨山組をおとしいれた組には相応の報酬の他に、鴨山組が衰退した後のうまみをくれてやる約束でもしていたのだろう。


 ぶんどったシマの権利をそのままくれてやり、他にも水面下で、抗争になった時のバックアップも約束していたかもしれない。

 いずれにせよ、山田栄八よりずっと上手くヤクザを利用したはずだった。


「そうやって鴨山組をぼろぼろにして、山田栄八個人にしかたかれないように弱体化させたわけか。俺が鴨山正一に会った時、鴨山組にはもう数人の構成員しかいなかった。あんな状態じゃ、山田家本家にたかる勇気も出んだろうしな」


「俺の雇い主、本家の先代当主は、そんな山田秀人のやり方を見て危機感を覚えた。ヤクザを手駒にして、一切の情けも容赦もない姦計かんけいを平然と巡らすその神経にな。何より、鴨山組にたかられっぱなしだった山田栄八の抱えていた問題を、横からたやすく叩き潰していった手腕に恐怖した。山田家を継ぐうつわは、明らかに栄八より、秀人の方に備わっていたからだ」


「先代当主が死ぬまで山田栄八に当主の席を譲らなかったのも、息子が山田秀人と衝突するのを恐れたから、か。才覚のない山田栄八は、いつ山田秀人に追い落とされるか分からない」


 うなずくダレカが、軍帽を取って袖で左のまぶたをこすった。

 こすったまま、右の目が、棚主を鋭く見つめる。


「――山田秀人が本当に障害と認めたのなら、お前がかくまっている子供は必ず排除される。生かす方法は一つだ。全てを捨てさせ、帝都から遠く地方へ逃がせ。永遠にな。施設に入れたり、里親を探すのは駄目だ。行き先に介入する人間がいれば、そこから山田秀人は追って来る」


「山田秀人が当主の座についてしまえば、子供を追跡する理由もなくなるんじゃ……」


「駄目だ。追っ手は必ず来る。俺には分かる」


 ダレカの言い方に、棚主の視線がとがった。


「……何か知っているな。何だ?」


「子供の名は、草野幸太郎だろう。ああ、刈田幸太郎だったか……俺は、顔も知っている。会ったことがあるからだ」


 一歩近づこうとする棚主を、ダレカは手で制した。

 そこにいろ、と床を指してから、窓に背を向ける。


「これで分かった……山田秀人が俺を捜し出した理由が。彼は俺に、幸太郎の顔を確認させようと言うんだ。その上で殺す気だったか」


「何故お前さんに、幸太郎と会う機会があったんだ」


「俺が山田家の護衛屋だったからだ。だからこそ俺は、今、お前が知りたいことをほとんど知っている。……皮肉だな。山田秀人は、幸太郎を殺すために俺を捜した。だがそのせいで、お前と俺を引き合わせることになったんだ」


「分かるように説明してくれ、どういうことだ!」


 わずかに語気を荒げる棚主に、ダレカは人形焼の箱を差し出した。「要らん」と今更に突っ返し、腕を組む。


 そうして天井を見上げ、言葉を選ぶように話し出した。


「幸太郎が山田栄八の子孫であるとして、だ。当主の座を継ぐには、その血統を証明することが必要不可欠だ。幸太郎の母親、刈田美穂は、そのあてがあったからこそ帝都に来た。……そのあてとは、お前の言う『謎の人物』だ。俺はそいつを知っている。同僚だったからな」


「同僚? ……護衛屋か……?」


「違う。先代当主の、秘書だ。身の回りの世話から、会社の監督まで任されていた。俺は先代当主の警護をしていたからな。当然その秘書とも毎日顔を合わせていた」


 そいつの名は、島田という。

 ダレカはそう言いそえて、軍帽を手元で遊ばせながら首をめぐらせた。


「長いあごひげの生えた老人だ。察するに、お前がカッフェの女給から聞き出した話に登場する老人というのが、島田だな。カッフェを覗いていた警官を連れて行った老人、そいつが即ち、『謎の人物』だ」


「断定する根拠は何だ?」


「そういう取り決めだったからだ。本家当主の座が空いた時、島田を刈田美穂が訪ねる取り決めになっていた」


「取り決め……」


「先代当主、山田栄七郎えいしちろうが、刈田美穂と結んだ取り決めだ」


 目を丸くする棚主に、ダレカは深く息をついた。


 その時、窓際に立つ二人の前を、一組の親子連れが通り過ぎた。父親の肩に座る少女の姿を目で追いながら、ダレカが遠くを見るように言葉をつむぐ。


「山田栄八が、一時失踪していた山田栄治をひどく溺愛できあいしていて、ずっと捜していたことは知っているだろう。彼は息子を捜し出すまで、断固として本家には帰らないと決めていた。

 先代当主は、そんな山田栄八の姿に不安を抱いたんだ。もし、山田栄治がいつまでも見つからなかったら、この男は本家を放り出してでも警察に居続けるかもしれない。そうなれば自分が死んだ後、分家の連中に家を乗っ取られてしまう……」


「まさか、それで『保険』をかけたのか? 山田栄八が鴨山組の手を借りて放逐した、幸太郎達に声をかけた?」


「詳しい説明を受けていたのは、刈田美穂だけだ。当時、刈田美穂の母親……山田栄八が子を産ませた女は、既に死亡していたし、幸太郎は話を理解するには幼すぎたからな」


「よく見つけられたもんだな。一度放逐した親族を」


「元々、先代当主は山田栄八のしでかしたことに腹を立てていた。まがりなりにも自分の血を受け継いだ孫を、勝手に俗世に放ったことにな。……だから、彼は密かに孫の足跡を追っていたんだ。そうして時々家を抜け出して、孫や、その子供らに会いに行っていた」


 意外だった。だが思い返せば、幸太郎が帝都に来た時身につけていたのは、木綿などではない、高価なラッコの襟巻きだった。

 多少の金銭の援助はあったのだろうか。そんな棚主の思考を、しかしダレカは否定した。


「先代当主は、山田栄八には内緒で孫達の生活の面倒を見たがっていたが、かたくなに拒まれた。彼女達は帝都を追放されたことを根に持っていて、山田家に対して憎しみしか抱いていなかったからだ。

 刈田美穂も、先代当主と連絡は取り合っていたが、決して金銭の類は受け取らなかった。意地だったんだろうな……だから先代当主から、幸太郎を次期当主の候補にと話を持ち込まれた時も、感謝するそぶりは見せなかった。俺にはむしろ、彼女の顔には悪意がにじみ出ているように見えたよ。山田家を乗っ取ってやるという、な」


「お前さんは、つまり先代当主の護衛としてそういう話の場に同席したわけだ。……だから幸太郎一家とも、顔を合わせている」


「そうだ。秘書の島田も何度か刈田美穂と顔を合わせているが、彼は幸太郎とは会っていない。そもそも、先代当主が幸太郎一家に会いに行く時に留守を守るのが彼の役目だった。彼まで伴って出かけることは、めったになかった」


「――ようやく話が見えてきたな。つまり、島田は本家の当主が空席になった今、幸太郎が当主の座につくためのお膳立ぜんだてをする役目を、先代当主から任せられていた。それで幸太郎一家と連絡を取り合い、カッフェで会う約束をしたが、土壇場で裏切ったわけか」


「その可能性が高い。だいいち、放浪生活をしている幸太郎一家と連絡を取ることができた人間は、先代当主が亡くなった今、彼から全てを任されていた島田しかいないんだ。その上で山田秀人の手下達がカッフェに現れ、幸太郎一家を襲撃したことを考えれば、島田は山田秀人の側についたと考えるべきだ」


「その時点で幸太郎を殺せていれば万々歳だったが、よりによって幸太郎だけが逃げ延びた。しかも、襟巻きをしていた幸太郎の面相は分からない。

 だから警察に手を回して幸太郎の居場所を探ると同時に、先代当主と共に幸太郎に会っている可能性の高い、当時の護衛屋に連絡をとったわけか。お前さんを現場に連れて行けば、幸太郎を識別できるからな」


 そこまで話して、棚主はじっとダレカを見た。


 探るような目つきに、ダレカは軍帽で口元を隠し、息を吐く。

 少し間を空けて、「ふざけるな」と棚主を睨んだ。


「俺は、戦いが好きで護衛屋をやっていたような人間だ。だが縁もゆかりもない子供を殺すのに加担するほど節操無しじゃない。何より山田秀人につくつもりなら、お前にこんなことを話して聞かせてやるものか」


「……そうだな。じゃあ、また山田家に睨まれる生活に戻るのか」


「誇りを捨てるよりマシだ。同じ無名の獣でも、家畜よりは狼でいたい」


 棚主は小さく笑ってハットを取り、頭を下げた。

 謝罪のつもりだったが、ダレカは目をそらして深く軍帽をかぶっただけだった。




 十二階を出ると、人通りはさらに多くなっていた。人ごみにもまれながら、二人はもと来た道をたどる。


 棚主はすれ違う人の足を踏まないように気をつけながら、声だけで問うた。


「それで、幸太郎の血統を証明する方法というのは、具体的には何なんだ? 島田はそれを握っているのか」


「『半分』な。……遺書だ。先代当主は、生前遺書を二枚書いて、島田と刈田美穂に渡していた。それは、今も未だ公表されていない」


「山田栄八ではなく、幸太郎を当主にせよという遺書か?」


「いや、山田栄八が当主継承を拒否した場合、という条件つきだ。この部分は今ではもう意味をなさないが、遺書には幸太郎の身分証明につながるものが同封されていたはずなんだ」


「……何だ? 手形か何かか」


「護衛の俺にはそこまで話してくれなかった。信頼されていた自覚はあるが、所詮部外者だからな。島田の分の遺書は破棄されている可能性が高い。だが刈田美穂の方は分からん。

 ……他の者が当主の座についてからも、幸太郎が命を狙われると言ったのはこのためだ。幸太郎が本家筋の人間であると判明すれば、分家の連中は後からでも当主の座を明け渡さねばならなくなるかもしれない。当主の座を狙う人間にとって、幸太郎はやはり、邪魔なんだ」


 ため息をつく棚主に、ダレカが足元を走り過ぎる子供を避けながら、「だが」とつけ加えた。


「お前の話で、一つだけ気に入らない点がある。さっきも言ったが、お前達は山田秀人を知らない。俺は先代当主の横につき、何度も山田秀人の人となりを見てきた。だから違和感がある」


「違和感?」


「山田秀人は冷酷で残虐だが、飢えてはいない」


 振り向こうとした棚主が、老婆とぶつかりそうになってたたらを踏んだ。

 いささか、混みすぎだ。


「彼は山田家の人間だが、山田栄八と違って、ほとんど家の力に頼らずに成功してきた男だ。日清戦争で英雄となり、軍部とのパイプを持ち、多くの会社を起こし金を稼いだのも、彼の実力と言っていい。……正直な話、山田家の当主にならずとも、彼は権力者として十分にやっていけるんだ」


執拗しつように当主の座にこだわる必要がないと?」


「無論、金や権力への欲は際限がないものかもしれない。だが俺にはどうも、山田秀人が子供一人に血眼になっている姿が想像できんのだ。……彼には、余裕がある。いつもそうだった」


 ダレカの言葉にうなった棚主が、眼前で転びかけた男を支えてやった時、不意に嫌な予感がした。


 振り向くと、うごめく人の群の中に、ダレカの姿が見えない。


 通行人に埋没してしまったかと思ったが、彼の名を呼んでも返事がなかった。


 だれか、だれかと繰り返しても、周囲の他人が怪訝けげんそうにこちらを見るだけだ。


 棚主は胸騒ぎがして、人をかき分け始めた。





「――それで、考えてくれたん?」


 あごの下をなでる黒髪に、ダレカは眉間にしわを寄せた。


 香りの良い、油が塗られた黒髪がわずかに動き、その下から、三日月形に歪んだ双眸そうぼうが見上げてくる。


 そばかすの浮いた鼻を胸にこすりつけてくる又の字に、ダレカはみぞおちに匕首をあてがわれたまま歯を剥いた。


「尾行自体には驚かんが……こんなところで殺す気か」


「人の目がある方が安全って思ったんやろうけど、人が多すぎても逆効果やで。みんな、歩くのに必死で他人のことなんか気にしてへんわ」


「俺を始末して、どうやって幸太郎を見分ける気だ」


 又の字の目から笑みが消え、匕首がみぞおちを軽くつついた。

 周囲の人の波は、止まることなくうごめき続けている。


「カンがええやん。さっすが先代のお気に入りやね。……けど、別におたくが唯一の頼りってわけでもないんやで? あの子を保護した警官の誰かを連れて行っても同じことや。ただ、もともと山田家に雇われとった護衛屋なら、警官引き入れるより楽や思うただけでな」


「ならば、殺せばいい」


 眉間にしわを寄せる又の字に、ダレカも同じ形のしわを刻み、顔を寄せた。


「我々は同じ穴のムジナだ。暴力と殺人の才能を売り物に生きている。他人のしゃれこうべをかじって生きる獣が、生を惜しむと思うか」


「……河合のおっちゃんは惜しんだけどな。わあわあ泣いてな」


「泣かせてみせろ」


 空洞の左目が、弧を描いた。その狂気に、又の字が鬼の形相をさらす。




 匕首がダレカのわき腹に沈んだ瞬間、又の字の体を、人の群から飛び出した棚主が蹴り飛ばした。


 通行人を巻き込んで倒れ込む又の字が、握ったままの匕首を見て、怒りのあまり絶叫する。


 刃先に血液は付着しておらず、ダレカは変わらずそこに立っていた。

 コートの前をはだけて見せると、胴に巻かれたさらしの中から、分厚い熊の毛皮がはみ出している。


「心配させるな、莫迦めっ!」


 える棚主が、又の字に手を伸ばす。

 だがその手は薄汚れたワイシャツを引きちぎり、又の字は人の波の中に潜り込んだ。


 悲鳴を上げる人々も、動き続ける波にもまれて立ち止まることができないようだ。


 棚主はダレカの袖をつかみ、人をかき分けて通りの外へ向かった。


「ヤツらは、幸太郎を保護した警官のところに行くぞ。森元達は大丈夫なのか」


「連絡する! だが、その前に『移さなければ』ッ!」


 幸太郎の居場所を、変えねばならない。


 ここにきて急接近してきた山田秀人に、棚主は周囲に目を走らせながら、全力で街を駆けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ