六
一人の子供が、大勢の子供に囲まれている。
椅子に座ってうつむく男の子を、何十人もの孤児達が、行儀よく起立して見下ろしている。
異様な円陣の外側から、大人達がにこにこ笑顔を浮かべて、その光景を見ていた。
大人達の一人が、底抜けに明るい声で言う。
「みなさん、今日はキヨマサ君のお父さんの命日です。十一月九日、この日は何の日だったか、覚えていますかあ?」
「秩父事件の最後の日です!」
口をそろえて答える孤児達の声は、その全てが円陣の中心に座る、男の子に向かって放たれる。
男の子は耳を両手で押さえながら、歯を食いしばっていた。だが大人達は嬉々として、言葉をつなげる。
「秩父事件というのは、明治十七年に秩父地方で起こった革命未遂事件です。お百姓さん達が自由民権運動の志士達と協力して、悪い政府の役人に立ち向かったというお話でしたね。軍や政府が自分達の利益のために、莫大な税金を国民からしぼり取っていたため、苦しめられていた人々が蜂起したのです」
男の子はさなぎのように背中を丸め、自分を見つめるおびただしい数の視線に耐えていた。
明るい声が、さらに歌うように講釈を続ける。
「この時立ち上がった人々は数千人から一万人と言われ、決して暴力を使わず、強固な意志で行進を行ったのです。警察署や役場、金貸しの家を占拠し、国中に民衆の怒りを見せつけました。これは自由民権思想の、一つの偉大な勝利となるはずだったのです」
しかし、と、そこで声を上げていた大人が男の子を見る。
男の子は既に脂汗にまみれ、全身を細かく震わせてあえいでいた。
不意に嘔吐し、椅子から転げ落ちる。しかし周囲の者達は、みじろぎ一つしない。
物語を語る者の口は、冷酷に続きをつむぎ出した。
「残酷で卑劣な政府は、民衆の声を暴力でねじ伏せようとしました。警察隊や兵隊を送り込み、無実の人々を殴り、殺し、制圧したのです。人の心を無視した、最低の行いでした。結局蜂起した民衆は蹴散らされ、数え切れないほど多くの人が逮捕されたのです……世の中は変わらず、弱い人が虐げられる時代が続きました」
「キヨマサ君のお父さんが望んだ時代です」
不意に大人達の中で、最も立派な格好をした男が言った。
息も絶え絶えの男の子を指さし、笑顔で宣告するように、続ける。
「キヨマサ君のお父さんは、秩父事件に兵隊の一人として参加しました。民衆と衝突し、制圧する側の人間として、です。しかし運が悪いことに、彼は混乱の中、事故に遭って亡くなりました。きっと、天罰が下ったのでしょう」
かわいそうに、かわいそうに。そう繰り返す大人達に、孤児達の群も同調して声を重ねる。
それは陰湿な、私刑行為だった。男の子は自分の反吐を見つめながら、声もなく泣いていた。
大人達が、笑顔で口々に言う。
「反省しなさい、キヨマサ。お父さんのしたことを、君が代わりに反省しなさい」
「お父さんの罪が、お前の原罪なんだよ」
「お父さんのようになってはいけないよ」
「この施設で、まっとうな人間になりなさい」
「さあ、謝りなさい。世の中の全ての貧しい人に。だって君のお父さんが、彼らの未来を奪ったんだから」
「そう、手始めに……ここにいるみんなに謝ろう。秩父事件が成功していれば、世の中はとても良くなって、孤児になる子供もいなくなってたはずなんだから」
理不尽で、論理のかけらもない大人達の台詞。
しかし幼い男の子には、まだ、目上の者達の言葉を疑う知恵も度胸もなかった。
責めから解放されるために、ひたすら「ごめんなさい」と繰り返す男の子を、周囲の全員が笑顔で受け入れる――
悪夢から目覚めた時計屋は、長椅子の上でしばらく天井を見上げていた。
窓からは朝陽が差し込み、昨夜とはうって変わった、快晴の空がのぞいている。
時計屋こと、加藤清正の最も古い人生の記憶は、東京深川にある孤児院での生活だった。
民間の慈善団体によって運営されていた孤児院。高い塀に囲まれた、大きな木造の施設。
身寄りのない子供を無償で預かるその場所は、世間からは立派な、この世の善意の象徴のように言われていた。
だがだからこそ、塀の中に立ち入り、子供達がどんな管理と教育を受けているのかを確かめようという者も、いなかったのだ。
施設の子供達は毎日、水とパンを十分に与えられ、学識のある職員から高度な教養を授けられていた。それは自由民権思想を基にした先進的な教育で、次世代を担う子供達に等しく、厳しく施されるものだった。
厳格に、徹底的に、子供達の価値観を統一する。
国は民のものであり、政府や官憲はそれを不当にかすめ取っている、悪だ。
二十世紀は民の時代であり、いかに政治家や役人、軍人の数を減らすかを考える時代だ。
そう毎日毎日繰り返す職員達は、秩父事件で自分達の敵側に回った清正の父親を、露骨に憎悪していたのだ。
自由民権思想には、日本という国に近代的な民権・人権の概念を根づかせた功績がある。
後の婦人解放運動をはじめとする様々な人権活動の礎となるものであり、社会的弱者を救済するための下地を作った、重要な思想だ。
だがしかし、どんな思想にも急進派や過激派はいる。
自由民権の正義を妄信し、それ以外の思想を悪と断じる者が、必ず存在する。
人の権利を守り、弱者を救うための思想を掲げた大人達は、孤児である清正を親の因果で虐げた。
清正は自由民権思想を扱う授業のたびに引き合いに出され、他の孤児達の仮想敵のように扱われた。
人権を蹂躙する側の人間として、自由民権の正義を叩きつけられ、何度もいわれのない謝罪を強いられた。
秩父事件が実は農民の武装蜂起であり、民衆側の襲撃や、戦闘によって警官や無関係の人間にも死傷者が出ていたという事実を清正が知ったのは、当然成人した後のことだ。
政府や軍の都合で民衆が困窮していたことは事実だが、同時に清正の父にも、武装した農民と戦うにあたっての大義はあったのだ。
彼は武器を持った敵との戦いで戦死し、その妻は事件後、何者かの襲撃を受けて殺害されていた。
人気のない道端で、死後硬直下にある母親の腕の中で泣きもせずに死にかけている赤ん坊を見つけたのは、逃走中の農民の男だったという。
その男は赤ん坊を抱き、数時間後には自ら官側に出頭した。
男は赤ん坊とその母親が敵方の身内であることを取り調べ中に聞かされたが、特に顔色を変えることもなかった。
ただ、「乳を飲ませてやってください」とだけ言って、刑に服したそうだ。
闘争にあたり、おそらくどちらの側にも正義があった。
清正と農民の男の話は、その後美談好きの外野がいくらか取り上げて宣伝したが、秩父事件が『暴徒による強奪騒動』として世間に報じられると、すぐに人々の話題からは消えてしまった。
一連の事件は、世間的には否定的な意味を込めて『秩父騒動』『秩父暴徒』と呼ばれている。
『秩父事件』という名称を使うのは、明治の世においては、一部の限られた者達だけだった。
そんな清正は秩父事件の被害者でありながら、孤児院においては常に加害者側として扱われた。
職員達はその全員がかつての自由民権運動の闘士で、警官や軍人と争った経験を持っていた。清正を虐げ、冷遇することで、彼らはかつての敵に意趣返しをしていたのだ。
暴力や体罰は施設の規則で禁じられていたため、清正を苛むには専ら精神的な拷問や、言葉による責めが用いられた。
日々の授業で悪役を担わせるのはもちろん、『良い子になるための訓練』と称して、分厚い聖書や聖歌を暗記するよう命じ、毎日他の孤児の前で暗唱させた。
一言一句でも間違えば、その場で暗唱は中断。大勢の前でこき下ろし、『反省が足りない』と言って自習室に何日も閉じ込めた。
――自習室。孤児院の片隅に存在した、半地下の物置。
加藤清正という少年が心を病み、人間性を失い、怪物に変貌した場所。
善人の皮をかぶった悪魔達が用意した、この世の地獄。
孤児院にいた二十年もの間、その半分以上を、清正はその自習室で過ごしたのだ。
小さな、子供しかくぐれない扉の向こうには、四方を土壁で囲まれた狭い空間がある。
天井には薄暗い光を放つ電球が一つだけ垂れ下がっていて、床の上には硬い鉄のベッドが一つだけ、鎮座している。
外部の物音は全くと言ってよいほど聞こえず、何十時間かに一度水とパンを運びに職員が訪れる以外は、生物の気配もない。
そんな空間に頻繁に閉じ込められた子供が、正気を保っていられるはずがなかった。
泣いても叫んでも救い出してくれる者はなく、職員にすがりつけば『反省が足りない』とだけ言われ、さらに幽閉期間が延びる。
電球の寿命が切れようものなら完全な闇が室内に居座り、清正の精神を致命的に蝕んだ。
時間感覚がなくなり、幻聴や幻視が発生し、立つことすらできなくなる。
頭がじりじりと痛み、気が遠くなり、自分が眠っているのか、覚醒しているのか、死んでいるのか、生きているのかの実感すらあやふやになる。
そうして永遠に続くかのような苦悶の果てにようやく扉が開き、職員の笑顔が見えるのだ。
こうしたことを繰り返して、清正は十歳になる頃には、廃人のようになっていた。
感情の起伏がなく、口を開けば必ずどもり、明らかに栄養が欠乏した体は骨のようだった。
自習室に入れられても一切騒がなくなり、扉を開けば無言無表情で這い出してくる。
そしてまた聖句を唱えそこねると、抵抗もせずに自習室へ戻る。
職員達は清正のそんな変化に驚くでも後悔するでもなく、ひたすら満足しているようだった。
指導の効果が出て素直な子になったと口では言いながら、腹の中ではざまあ見ろと舌を出していたに違いない。
彼らは自由と民権を蹂躙した軍人に対して、その息子を虐げることで復讐を果たしたのだ。
だが、職員達は一人の人間をよってたかって追い詰めたツケを、やがて最悪の形で支払うことになる。
清正は敵だらけの孤児院で、悪夢のような幽閉生活の中で、自分を守る方法を見つけていたのだ。
それは過剰な虐待や、精神的な危機にさらされた人々が、自然と編み出す自己防衛の手段だった。
捕虜として投獄された兵士や、鉱山の崩落事故などで地下に閉じ込められた労働者が、この方法を用いて精神をストレスから守ろうとする。
――それは、自分の中に『もう一人の自分』を作るという方法だ。
虐待を受けている、苦しんでいる自分は、実は本当の自分ではない。
それは自分の姿をした『身代わり』で、本当の自分はそれを背後や、別の場所から見ている。そういう風に想像する。思い込もうとする。
自分が感じている苦痛は本来他人のもので、自分のものではない。だから本当の自分は、傷ついていない。
人はこのような妄想をすることで、逃れられない苦痛から、無理やり逃避しようとする。
自分の精神を守るため、必死に現実を否定し、妄想を具現化しようとする。自分の身代わりに苦しんでいる『もう一人の自分』に、話しかけ、いたわり、友達になろうとする。
それは強力な自己暗示。自分を騙すための演技。
あるいは『二重意識』と呼ばれる、一人の人間の中に多重の人格が生じる、精神病なのかも知れなかった。
清正は他人には見えない『もう一人の自分』と向き合い、すがることで自習室の闇を生き抜いたのだ。
闇の中で一人芝居をしていると、自分の声が壁にはねかえり、本当に他人と会話しているような錯覚に陥った。
闇の中の『もう一人』は、常に清正の味方だった。
孤児院の連中とは真逆のことを言い、清正や、清正の両親の人格と、名誉を尊重した。
『君は良いやつだ。何も反省することはない。間違っているのは、あいつらの方さ。孤児院の職員や、他の子供達の方さ』
『辛いこと、苦しいことは、全部僕が引き受けてあげるよ。キヨマサ。だから君は、僕の後ろで、隠れていればいいんだ』
都合の良い優しい台詞ばかりを喋らせて、清正は妄想の中の友人と親睦を深めた。
やがてその一人芝居は、自習室の外でも繰り広げられるようになる。
始終ぶつぶつ独り言を言っている清正を他の孤児は気味悪がり、職員達も不審に思って叱りつけた。
しかし清正は何を言われても上の空で返事をせず、独り言をやめようとしない。
ある日、とうとう職員の一人が腹にすえかね、誰も見ていないのをいいことに廊下の隅で清正を殴打した。
痕が残ったら脅して、階段から足を踏み外したとでも言わせるつもりだったのだろう。
しかし殴られた清正は泣きもせず、まだ独り言を続けている。頭に血が上った職員は清正の胸倉をつかみ上げ、さらに拳を振りかぶった。
その瞬間、彼は見た。清正の鼻面に、眉間に、瞬時に獣のようなしわが走り、目つきが、形相が変わるのを。
躊躇した一瞬の隙をついて、清正が着物の中からとがった鉛筆を取り出し、職員の頬に突き刺した。
子供の力ゆえに深くは刺さらなかったが、仰天した職員は清正を放り出し、その場から逃げ出したのだった。
その後職員間で、どのような話し合いがなされたのかは分からない。
だが清正はその日から、それまでで最も長い自習室入りを命じられ、出てきた時には孤児院中の鉛筆が処分されていた。
清正と『もう一人』は、その事件を機に他人を恐れなくなった。
職員からの扱いは依然変わらず酷いものだったが、彼らの清正を見る目には明らかに、今までにはなかった警戒や、恐怖の色が宿っていた。
清正はそんな彼らの態度から、人生を切り開くには素直な態度や従順さではなく、暴力が有効なのだということを学んだ。
鉛筆を突き刺した職員は二度と近づいては来なかったし、女性職員達は清正を無視し、罵倒することをやめた。
『だから言ったろう、清正。君は僕の後ろに隠れていればいい。僕なら誰とでも戦える。どんな相手からも、君を守ってあげられるんだ』
孤児院の庭で、空に向かって独り言を放つ清正は、もうどうしようもなく狂っていた。
妄想の中の友人を信じ、愛し、一生を共に生きていくつもりでいたのだ。
自分を傷つける他人は、全て敵。愛すべきは、『自分自身』。
そんな清正が当時の職員全員の『不幸な事故』を見届け、棚主や津波といった本当の意味での友人を作るには、それから十年以上もの時間が必要だった。
それまで、誰一人他人を信用せずに生きるしかなかったのだ。
清正は、ある時ふと思った。自分の中にいる大事な友人に、名前をつけなければならないと。
彼をいつまでも名無しにしておくのは不義理なことだ。何か、親友にふさわしい、素晴らしい名前をつけてやらなくては。
脳裏に浮かんだのは、自習室の闇に苦悶する自分の姿だった。
あの地獄で、清正は様々なものを欲していた。
光、水、食べ物、もちろん扉の鍵。
しかし、清正が最も強く、何度も何度も欲してやまなかった物品は……時計だった。
自習室に何日入れと言われて、放り込まれた土壁の中では、時を確認する術がなかった。
食料が差し入れられるタイミングも不定期で、清正は闇の中、苦悶がいつ終わるのか、あとどのくらい耐えればいいのか分からず、それゆえに自習室での時間が、永遠のように思えていたのだ。
清正は、だからこそ自分の中の人格に、時計にまつわる名をつけた。
地獄の闇の中で、唯一手を差し伸べてくれた存在。結局一度も持って入ることのできなかった時計に、匹敵するほどの希望をくれた友人。
いずれ清正自身がその職に就けるようにと、願いを込めて。
清正は『彼』に、『時計屋』と、名づけたのだ。
長椅子から立ち上がり、店を出ると、時計屋は階段を上がって棚主の探偵社へと向かった。
びるの最上階にある探偵社の扉は開いていて、中を覗くと人の気配はない。構わず部屋の奥へ進み、窓際の扉を開けて階段室へ入った。
屋上へ続く階段を上がり、最後の扉を開けると、真っ青な空の下で棚主と津波がたらいに水を張り、体を拭いていた。
葛びるの屋上にはどういうわけか水道の蛇口が設置されていて、ご丁寧に排水用の穴まで開けてある。
この穴は雨どいに続いていて、水道の水も天から降る雨も、まとめて地上に流していた。
「よう、おはよう」
上半身裸で挨拶をしてくる隣人達に、時計屋は小さく片手を上げて応える。
蛇口をひねると少し錆臭い水が手を叩き、それをすくって顔を洗い、うがいをした。
屋上の水は飲めるが、ひどく不味い。かつてマスターがこの水で珈琲を沸かしたら、みんな二口とコップに口をつけなかった。
顔から水をしたたらせていると、津波が手ぬぐいを投げてくれた。礼を言い、顔を拭く。
津波が両腕を振り回して体をほぐしながら、棚主に言った。
「幸太郎はまた寝坊か? 別にいいけどさ、あいつ朝弱いよな」
「今日はマスターもだ。昨夜は女のところに行ってたらしい……ヤツが寝坊すると、俺達が幸太郎の朝飯を作らなきゃならなくなるからな。どうせなら、二人そろって寝坊してくれた方が助かる」
他愛もない会話をする二人を横目に、時計屋は今朝の悪夢の内容を思い出していた。
善意の象徴たる孤児院にいたころ、時計屋には心を許せる他人は誰一人現れなかった。
誰もが未だ幼かった自分に悪の烙印を押し、自分達の身勝手な信念の餌食にしたのだ。
閉鎖空間での二十年にも及ぶ迫害を思えばこそ、やはり幸太郎と孤児院を結びつけて考えると憂鬱になる。
幸太郎が自分と同じような目に遭うのも、自分を迫害した孤児達のようになるのも、耐え難かった。
時計屋が急進的な思想活動や、自由民権思想を嫌うのは、当然孤児院での生活が原因だ。
善人面をして人を叩く人間は信用できないし、憎かった。兵士であった父親と、自分を一方的に悪と断じ、私刑にかけるような連中を生かしてはおけなかった。
帝都の平和だとか、正義だとかにこだわるのは、声も知らぬ父親の名誉を信じているからだ。
兵士として戦死した父親は、きっと自分の職務と、正義をつらぬいたのだ。
武装蜂起した暴徒から帝国の秩序と、平和を守るため、堂々と戦い、死んだのだ。
その志を引き継ぐことで、時計屋は父親の正義を証明している。
帝都を蝕む有害な思想家どもや、悪人どもを殺すことで、今日の世の中を少しずつ『健全』な状態に浄化している。
そうすることで、自分のような扱いを受ける孤児は、確実に減る。
きっと、いなくなる。
時計屋は本気で、そう信じていた。
だからこそ、自分が浄化したはずの帝都で孤児である幸太郎が不幸になるのは、自分の行為を全否定される気がして、怖かった。
そこで幸太郎を引き取るか、殺害するかの選択肢が出てきてしまうところが、時計屋の思考の欠陥と、独善さを物語ってもいるのだが……
「おい、せっかくだから朝飯は出前にしようぜ。木蘭亭の弁当に『桜弁当』ってのがあるんだ。赤飯を桜の花の形に固めたやつで、塩鮭も卵焼きも入ってるんだ」
鬱々とした表情で物思いにふけっている時計屋の横で、棚主がのんきに弁当の講釈を垂れる。
津波が新品のシャツを着ながら「しょうがねえなあ」と返し、時計屋に「お前もそれでいい?」と声を向けてきた。
だが時計屋が顔を上げるよりも早く、棚主は「そうしろそうしろ!」とスキップしながら階段室へ駆け込んで行く。
自分の探偵社の電話で出前を取るのだろう彼の背を見送りながら、時計屋はぶつぶつと、空に向かって独り言をつぶやいた。




