老獣 二
体中にガタがきている。
若い頃なら一日中歩き回っていても平気だった。休息が必要になった足に苛立ちを感じながら、田所は路地裏の石壁に背をついて汗をぬぐう。
釘島が襲いやすいよう、人通りの多い道と途絶える道を交互に選んでいた。わざと目立つような行動もおりまぜて帝都をさまよっているが、未だに相手は接触してこない。
警察が確保していた場所にも構わず姿を見せた釘島だ。襲う気ならとっくに近づいて来ている。
そばにいないのか、あるいはこちらの様子を観察しているのか。このまま数日放置される可能性もありうる。
どこか人気のない場所で野宿でもした方が巻き添えが出なくてよいかとも思うが……
田所はそっと表通りを覗き込み、人ごみにまぎれているはずの棚主や緋田を探した。
二人の姿は見えなかったが、緋田の舎弟の極道が何人か風景にまぎれていた。
自分の周りには、少なくとも十人近い男達が釘島の襲撃にそなえて張りついている。
彼らが最低限身を隠せるような場所を選ばなくてはならない。となれば、あまり閑散とした場所に陣取るわけにもいかなかった。
息をつき、路地裏から通りへ出る。弦楽器のケースを手に人の流れに乗り、とりあえずは前方に見える公園に向かった。
すれ違う人々の様子に注意を払いながら、やがて公園にたどりつくと、人のいない一角を見つけてベンチに腰を下ろす。
何もない公園だった。無数のベンチが設置されているが、それ以外には草木一本植えられていない。
わざわざレンガの壁でかこっているのが馬鹿馬鹿しくなるような、土の地面だけが広がる土地。
他のベンチに座っている人はみな本や新聞を読んでいて、子供が一人だけ、地面にぼうきれで絵を描いていた。レンガの壁には東西南北、計四つの入り口がある。
そのうちの西側の入り口から、棚主がひょっこりと顔を出した。肩をすくめると向こうも同じような仕草をして、のこのことこちらへやって来る。何故か右手に、竹の皮の包みを持っていた。
どっかりと田所の隣に腰を下ろすと、ひざの上で包みを開け始める。見れば、中から魚の形をした食べ物らしきものが二つ出てきた。
「こいつはたい焼きってもんだ。俺のいきつけの店の女給がほれ込んでてね、中に甘いあんこが入ってる。一個やるよ」
「そいつはありがたい」
「釘島は来ないな」
差し出されるたい焼きと言葉に、田所は眉をよせながらうなずく。たい焼きのしっぽを持つと、ぱりぱりの衣が欠けて地面に落ちた。
「ああいう男は行動が予測できない。このまま数日姿を見せないかもしれないし、最悪俺達を放ってよそで悪さをするかもしれん」
「森元さん達警察が警戒してくれてるが、どんなもんだろうな。だが、どこに寄り道をしようと最後にはきっとあんたの所に来るぜ」
「最後ではだめなんだ。東城達や三村達、直ちゃんが気がかりだ」
もぐ、とたいやきを頭からかじる。ようはしゃれのきいたまんじゅうかと味を噛みしめていると、棚主がしっぽから自分の分を食いながら言った。
「あんたが身を案じるような人のそばには、警察と極道達が張り付いてる。少なくとも緋田さんの兵隊は死んでも釘島を止めるさ」
「狙われるのは俺一人でいい」
「そうだな。そうなることを願おう。俺達で釘島を袋叩きにすれば、誰も傷つかずに解決できる」
たい焼きをくわえて、もごもごとしゃべる棚主に、田所は静かに横目を向けて訊いた。
「お前さんは、なんでこんな仕事をしてるんだ?」
「それをあんたが訊くかね」
「義侠心を持て余してるのか? ……暴力が好きか」
「だから、あんたが訊くのかよ、それを」
ずるりとたい焼きが棚主の口の中に消える。
田所は自分のたい焼きを片手に持ったまま、立ち上がる相手の背をじっと見つめた。
その背が、小さく震える。棚主がわずかに口角を引いた顔を向けてきた。
「俺は俺が思うままに生きてるだけさ。あんたもそうだろ?」
「……はっ」
思わず、鼻で笑ってしまった。
棚主が公園を出て行く。
田所はその背を眺めながら、自分が自分の思うままに生きてきたかどうか、そっと胸の内で自問していた。




