狂獣
「いやあ、驚きましたよ。あなたでしたか。奇遇ですねえ」
大きな声で親しげに話しかけてくる相手に、田所は数秒ぽかんとしていた。
当たり前のように、堂々と現場を歩いていた男の存在に、作業をしていた警官達が気づき始める。
木箱を抱えた、大きな男。背広のそでをまくり、大きな靴底で地面を叩くその手からは、細い血の流れが伝っている。
男の後方の物陰で倒れている警官の足に気づいた森元が、さっと顔色を変えて、そばにいた警官の警棒をぶんどりながら歯を剥いた。
「釘島……! 古烏組組長の釘島だな! 動くな!!」
「ハハハ」
警官の群の中を無防備に歩く男、釘島が、森元に小さな目を向けて笑った。
当然に、身を潜めるものと思っていた。
自分の隠れ家が包囲されているのを見て、近づいて来るはずがないと思われていた。
田所や警官達の思惑を蹴散らすように、釘島はたった一人で戻って来たのだ。しかも投降する素振りは、微塵もない。
近づいて来る釘島に、田所は直子を東城に任せて進み出た。
わきから棚主と緋田もやって来るが、森元と横山という刑事が鋭く声を上げる。
「近づかないで! 警察が確保します!」
「抜剣許可!!」
応援に駆けつけていた二十名を超す警官が、サーベルと警棒を構えて釘島を遠巻きに囲んだ。
一人で抵抗できる人数ではないはずだが、釘島はポケットから煙草と魔法マッチを取り出し、特に身構える様子もない。
棚主が吸っていたのと同じゴールデンバットを口にくわえながら、釘島は田所と棚主、緋田、さらに東城と三村を見回しながら、にこりと笑みを深める。
「あんたら……最高だな。実に素敵だ」
言葉の意味がわからず眉根を寄せる田所へ、釘島が魔法マッチを向けながら首を傾ける。
「退屈してたんだよ。『親』の寄桜会がふぬけてから、俺ら古烏組がやることと言えば半端者やカタギ相手の喧嘩やゆすり、つまらねえ金策とつまらねえ殺し、酒と女、博打ばかりだ。
鉄砲玉が発射されずに錆びついていくのは不幸だよなあ……」
「釘島! 木箱を置いてひざまずけ!」
横山刑事の声に、釘島が田所を見つめながら、無造作に木箱を放り捨てる。
飛び出す歯ブラシやマッチ箱、パイプに聖書。
釘島は魔法マッチを持ったまま、両手を肩の高さに上げる。
降参しようとしているようにも見えるし、喧嘩の構えを取っているようにも見える。
横山刑事がもう一度命令を繰り返そうとした時、拘束されて地面に転がされていた古烏組の組員二人が先に声を上げた。
「組長! すんません!!」
「組長!!」
「おう、ゲン、リュウ、やられたなあ。お前らやったのどいつだ?」
釘島は舎弟二人が視線を向ける人物を確認し、ほう、とわずかに目を丸くした。田所はともかく、美耶子も睨まれていることに驚いたらしい。
なるほどとうなずく釘島に、警官の一人がサーベルを構えて近づこうとした。
彼を援護するように動き出す警官達に、突如釘島が魔法マッチの火を灯し、逆の手で背広の前を、ボタンを引きちぎって開放する。
歯をむき出しにして笑いながら警官達に向き直る釘島の体には、一目見て爆裂弾の類と分かる、導火線つきの鉄の筒がいくつも縄で巻きつけられていた。
とっさに森元が声を上げ、狭まりかけていた警官達の包囲が再び開く。
「建物の中に入れ!!」
直子や東城、ミワさん達に棚主が叫ぶと、釘島が魔法マッチの火を揺らしながら、爆裂弾を一つ抜き取る。
楽しそうに笑いながら、導火線に火を近づけ、田所を見た。
「あんたの名は?」
「……田所十吾」
「何人殺した?」
「おそらく、お前さんと同じくらいだろう」
釘島が、「いいねえ」と笑い、導火線に、火をつけた。
森元が叫び、警官達が物陰へ走り出す。釘島へ向かって行こうとする棚主を緋田と田所がつかまえ、直子達が入って行ったダンスホールへ引きずり込む。
扉を閉めた直後、釘島の声が聞こえた。
また、今度。
廊下の先へ走る間もなく、激しい爆発音がして扉を鉄片が突き破った。田所の髪をかすめ、爆裂弾の破片が壁に突き刺さる。
安価な火薬ではない。小さな鉄の筒にたっぷりと高威力の火薬を詰め込んでいる。
さらに立て続けに爆発音、破裂音が響き、夜の闇の向こうから悲鳴が上がった。
飛来する鉄片を警戒して物陰に身を潜めていた人々が、やがて静まる闇に貌を出した時には、釘島の姿は影も形もなかった。
代わりに現場には飛び散った火薬の跡と、爆裂弾の破片、そして、拘束されたまま血まみれになって事切れている、古烏組の二人の組員の死体が転がっていた。




